礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080810
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神の選び
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを選び、祝福し、神の子とし、御国へと導いて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を共に開きましょう。

では、いつものように、今週の通読箇所から見てまいりましょう。
今週の通読箇所は、旧約聖書が詩篇
新約聖書がローマ人への手紙です。

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8月10日(日)[ ]詩36-38 /[ ]ロマ8:1-17
8月11日(月)[ ]詩39-41 /[ ]ロマ8:18-39
8月12日(火)[ ]詩42-45 /[ ]ロマ9:1-18
8月13日(水)[ ]詩46-49 /[ ]ロマ9:19-33
8月14日(木)[ ]詩50-53 /[ ]ロマ10
8月15日(金)[ ]詩54-58 /[ ]ロマ11:1-24
8月16日(土)[ ]詩59-63 /[ ]ロマ11:25-36
8月17日(日)[ ]詩64-67 /[ ]ロマ12
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詩篇は、それぞれが、短くて読みやすいところです。
41節までは、ダビデのあるときはうめき、またあるときは叫ぶような、心を注ぎだした賛美。
そして、42節から、コラの子たちの賛美が続きます。
このコラの子たちとは、モーセに反逆し滅ぼされたコラの子孫です。
彼らを主は守り、また、祝福し、そして、主に賛美を捧げるものとされました。
また、それにつづくダビデの賛歌は、自分の怒りさえも、神様の前にさらけだした祈りです。
これらのところ、ぜひお読み下さい。

また、新約はローマ人への手紙が続いています。
信仰とは何か、ローマ人への手紙から学んでいただければと思います。
メッセージの中でも、共に見てまいりましょう。

さて、では、今週の聖書箇所をお読みいただきたいと思います。
今週の聖書箇所は、ローマ人への手紙9章です。

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CCM予定2008/08/10 神の選び
【 聖書箇所 】 ローマ人への手紙9章6-18節
・新改訳Up278(贈呈p244英対p465)
・新改訳Vp303(贈呈p278)・口語訳p244
・新共同訳p286 (贈呈p286英対p436)
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司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
9:6 しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、
9:7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。
9:8 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。
9:9 約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」
9:10 このことだけでなく、私たちの先祖イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。
9:11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、
9:12 「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。
9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。
9:14 それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。
9:15 神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。
9:16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
9:17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。
9:18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
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ありがとうございます。
続いて、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
ローマ人への手紙 9章16節
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では、このところから、

「神の選び」
と題しまして、御言葉を共に見てまいりたいと思います。

ローマ人への手紙、前回は、信仰による義についてお話しました。
私たちは、ただ、恵みにより、信仰によって救われたという、大変重要なことが、ローマ人への手紙のテーマです。

それは、信仰の基本です。
先週の主題聖句はそのことを教えています。

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ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
ローマ人への手紙3章24節
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さて、このローマ人の手紙。
パウロがローマの人々へ書いたということが、冒頭の挨拶からわかるのですが、ローマのどんな人たちに書いたのでしょう。
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6 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。――このパウロから、
7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
ローマ人への手紙1章6-7節
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ローマの聖徒たちと書かれていますが、
もう一箇所見てみましょう。
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1 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。
2 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
ローマ人への手紙4章1-2節
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ここで、この手紙を受け取る人々は、肉によるアブラハムの子孫である事が想像できます。
つまり、それは、ユダヤ人です。

この手紙が、ローマにいるユダヤ人に、信仰による義を教えるための手紙であるということです。

そのことをふまえて、この言葉を見てみましょう。
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30 では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。
31 しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。
32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。
ローマ人への手紙9章30-32節
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約束の子ということを考えるとき、約束の民としてのユダヤ人、イスラエル人が出てきます。
ここで、ユダヤ人、また、イスラエル人という言葉が出てきますので、簡単に説明しておきます。

アブラハムの子、イサク。その子、ヤコブ。かれは、イスラエルと呼ばれるようになりました。
ヤコブには12人の子どもたちがいます。
この子どもたちを元に、イスラエルの12の部族が形成されます。
正確に言うと、子どもたちそのままが部族ではありませんが、ほぼ、そのようになっています。
その中のひとつが、ユダです。
イスラエルは、ひとつの民族となり、また、出エジプトを期に、ひとつの国家となります。

その国家は、士師、祭司、預言者たちによって、治められますが、サムエルの時代、そして、王として立てられたサウル、ダビデ、ソロモンの時代に最盛期を迎えます。
このソロモンの時代の終わり、ソロモンの罪によってこの王国は分裂し、ダビデ、ソロモンがユダ族であったことから、ユダとイスラエルにわかれます。

イスラエルは、神様からはなれ滅ぼされ、最後に残ったユダが、ユダヤとなり、アブラハムの名を残すものとなるのです。

ですから、イスラエルとユダヤは厳密にいうと違います。
しかし、ほとんど同じ意味で用いられます。

お話をもどします。

約束の民族、イスラエル、ユダヤ。
彼らについて、パウロはこういいます。
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4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
5 先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
ローマ人への手紙9章4-5節
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約束は、本来、彼らのものでした。
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11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、
12 「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。
13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。
ローマ人への手紙9章11-13節
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ここに出てくるヤコブが先ほどお話したイサクの子ヤコブです。
彼は、ただ、神様によって、選ばれ、そして、その約束の中を生きたのです。

彼にとって、神様の祝福こそが、大事でした。

そして、イサクについてもこう書いてあります。
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9:7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。
9:8 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。
9:9 約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」
ローマ人への手紙9章7-9節
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アブラハムには子どもがいませんでした。
彼ら夫婦は、アブラハムとそばめハガルとの間に子どもを設けました。
それが、イシュマエルです。
しかし、神様は、約束の子は、サラから生まれるといわれました。

そうして、年老いたサラから生まれたのがイサクです。
その約束の子を、神様は祝福されました。

ところで、このイシュマエル。
神様は、彼も祝福されました。
その子孫がアラブ人だと言われます。

彼らは、石油を持ち、大変豊かな国家となっています。
それもまた神様の祝福です。
その富は、一部の人に独占され、激しい貧富の差がありますが、神様は確かにイシュマエルの子孫アラブ人を祝福しておられます。

さて、約束の民族、イスラエル。
彼らを神様は祝福しておられます。

その約束は、変わりません。
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4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
5 先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
ローマ人への手紙9章4-5節
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キリスト教会の中には、このイスラエルの祝福は、彼らがイエス様を受け容れなかった事で取り除かれ、クリスチャンのものとなったと考える人もいます。
しかし、パウロは、はっきりといいます。約束は、彼らのものです。

しかし、こう続きます。
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6 しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、
7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。
8 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。
ローマ人への手紙9章6-8節
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イスラエルから出るものではなく、約束の子どもが子孫とみなされる。
では、だれが、子孫なのでしょう。

イサクから出るとはどういうことでしょう。
それは、アブラハムから出るのではなく、イスラエルから出るのでもなく、イサクから出るのです。

イサクとは、アブラハムの息子です。
アブラハムが百歳、妻のサラが九十歳のときの子どもです。
それは、人間的な考えによりませんでした。

人間的には不可能でした。
しかし、そのことは、神様のご計画であり、また、神様の祝福でした。
神様は、アブラハムに、イサクの誕生を約束されました。

その約束をアブラハムが信じた。そのことが、神様への応答であり、信仰でした。
約束の子どもとは、信仰の子どもです。
それは、信仰によるのです。
同じように、義も、信仰によるものです。
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30 では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。
31 しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。
32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。
ローマ人への手紙9章30-32節
++++++++++

彼らは、義を行いによって得ようとして、熱心に追い求めました。
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1 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
2 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。
3 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。
ローマ人への手紙10章1-3節
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いまでも、彼らは、熱心に義を追い求めています。
義を行おうとしています。

彼らは、豚を食べません。
肉も、血抜きをしっかりしないでは食べません。
また、安息日を守るため、安息日には、電球が切れても変えません。
それほどに、彼らは、熱心に義を行おうとしています。

しかし、その結果、彼らは、神の義から離れてしまったのです。

皆さん。信仰によって追い求めるものだけが、義を得るのです。

義とはなんですか?
私たちが義をどこでうしなったか考えましょう。
エデンの園で、アダムとエバが神様を信じず、神様の言葉にさからい、そして、神様から離れてしまいました。

そこで、義が失われました。
つまり、その義とは、神様との正しい関係です。

わたしたちは、神様との正しい関係を失ったのです。
それが、本来の義です。

そして、それは、神様の前で、自分の正しさをいいたてることでは取り戻すことができません。
ただ、神様の愛と哀れみの前にへりくだることによってしか得られないのです。

自分の正しさによって、私たちが生きているのなら、私たちは人の罪を裁くこともできるかもしれません。
しかし、私たちは、ただ、神様の哀れみの中に生かされています。
ですから、わたしたちは、人の罪を裁くことができません。
ただ、人の罪をゆるし、神様の恵みの前に、へりくだることが、大切なのです。

神様は、わたしたちに、この神さまのめぐみと愛をわかるように、
ご自身のひとり子イエス様を十字架につけて殺されたのです。
そこに、神様の私たちへの愛があります。

ですからこう書いてあります。
++++++++++
16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。
18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
ローマ人への手紙9章16-18節
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事は、神様のあわれみによります。

そして、パウロは、こういいます。
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キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
ローマ人への手紙10章4節
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イエス様が、律法を終わらされた。
イエス様が律法を成就された。
このことを信じる人はみな、義と認められます。

あなたが、このことを信じておられるなら、
あなたは、この約束を受け取ったもの、あなたは約束の子です。

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では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。
ローマ人への手紙9章30節
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主は、このことを信じるあなたを選ばれました。

そして、あなたを神のことし、祝福して下さるのです。

お祈りしましょう。
[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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