礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080720
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地の果てまで 
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、全ての物の造り主。
全ての物の贖い主。
王の王、主の主です。
この方を覚えて聖書の言葉を見て行きましょう。

さて、まずは、聖書の通読箇所です。

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7月20日(日)[ ]ヨブ1-3 /[ ]使徒21:1-16
7月21日(月)[ ]ヨブ4-6 /[ ]使徒21:17-40
7月22日(火)[ ]ヨブ7-9 /[ ]使徒22
7月23日(水)[ ]ヨブ10-12 /[ ]使徒23:1-11
7月24日(木)[ ]ヨブ13-15 /[ ]使徒23:12-35
7月25日(金)[ ]ヨブ16-19 /[ ]使徒24
7月26日(土)[ ]ヨブ20-22 /[ ]使徒25
7月27日(日)[ ]ヨブ23-27 /[ ]使徒26
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旧約聖書がヨブ記。
新約聖書が使徒の働きです。

ヨブ記の主人公ヨブ。
彼は、神様に従い、忠実に歩む人でした。
しかし、悪魔は、彼を神様に訴え、そのために、彼は大きな苦難に遭遇します。

その中でのヨブと、ヨブの友人たちとの会話が、延々と続くわけですが、
その会話を通して、ヨブの心の中が明らかになっていきます。

正しい歩みをするヨブ、しかし、その心の中にたまって行く不満。
クリスチャン生活の中で、私たちは、いったいどこを見ているのか、
そして、私達の心の中には何があるのかを考えさせられるのが、このヨブ記です。

また、苦難の中にある友にどのように接していくべきかも教えられます。
ヨブの友は、苦難の中にあるヨブの事を思って、わざわざやって来た者たちです。
しかし、彼らは、ヨブに厳しい言葉をかけてしまいます。
わたしたちも、相手の為といいながら、ひどい言葉で、友を傷つける事がないでしょうか?

ヨブ記の後半は、そのようなヨブに神様が語り掛けられますが、まず、今週は、ヨブ記の前半をお読み下さい。

また、新約聖書は使徒の働きが続きます。
第三次伝道旅行、そして、捕らえられて、ローマに向かうところとなります。
このところも、是非お読み下さい。

さて、では、本日の聖書箇所を見てみましょう。
本日の聖書箇所は、使徒の働き22章です。

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【 聖書箇所 】使徒の働き22章3-21節
・新改訳Up251(贈呈p221英対p418)
・新改訳Vp274(贈呈p253)・口語訳p220
・新共同訳p258 (贈呈p258英対p395)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
22:3 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
22:4 私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。
22:5 このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連
れて来て処罰するためでした。
22:6 ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。
22:7 私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。
22:8 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。
22:9 私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
22:10 私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。
22:11 ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコにはいりました。
22:12 すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、
22:13 私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい。』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。
22:14 彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。
22:15 あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。
22:16 さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
22:17 こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、
22:18 主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』
22:19 そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。
22:20 また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』
22:21 すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」
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では、続いて、主題聖句を言いましょう。

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【 主題聖句 】
行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。
使徒の働き22章21節
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では、今日はこの所から、
地の果てまで
と題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

皆さん。
ここ、立て続けに、中学生が大きな事件を起こしました。
大変な時代だと思いますが、中学生の普段の生活に目を留めてみますと、
非常に困難な時代だといえるのではないかと思います。

公園でボール投げをしているとしかられる。
まあ、このことについては、最近出来る様に見直しをする動きがありますが、
野球やサッカーは危険なので出来ません。
そとで集まっているとそれだけで通報される事もあるようです。

家でゲームばかりしていないようにと言いますが、その他のことで遊ぶ事の出来る場所がありません。
家の中に体育館があるわけでもないでしょう。
ストレスのたまる事ばかりではないでしょうか?

よく、昔の者は、自分で考えていろいろなところで遊んだと言われます。
しかし、それは、田んぼや畑がたくさんあり、自然も豊かで、また、建設予定であっても、あいている土地のいっぱいあった時代の話です。

今、彼らの心は、本当に追い詰められています。
それは、子どもたちだけではありません。
私たち大人も同じです。
追い詰められたひずみが、子どもたちに現れていますが、それは、大人たちにも大きな影響を与えています。

イエス様は言われます。
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すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイの福音書11章28節
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いつもお読みする御言葉です。
イエス様は、この世には困難があると言われます。
しかし、その困難を越えて、平安を与える事の出来る方です。
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わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書16章33節
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりま
せん。
ヨハネの福音書14章27節
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この世が与えるものによって人は圧迫され苦しんでいます。
しかしイエス様は、その外からの状況ではなく、私達の心の中に、変わる事のない平安を与えてくださるのです。

このイエス様が、十字架で死に、蘇られた後、こう言われました。
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イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
ヨハネの福音書20章21節
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主は、私たちを平安の中でつかわされる方です。

新興宗教の中には、信徒にノルマを課し、それが出来ないと、天国に入れないと教えるところもあります。
しかし、イエス様の救いは恵みにより、行いによるのではありません。
そして、私たちは、ノルマに追われてや、あせりの中ででなく、状況によらない平安の中で遣わされていくのです。

いま、この世は、このイエス様の与えて下さる平安を必要としています。

その子が真剣に聞くなら、中学生にも福音は理解できます。

そして、本当の平安を得る事が出来ます。

皆さん。ところで、その前に、皆さんはこの平安を持っておられますか?

主は私達に、世が与えるのとは違う平安をお与えになりました。

その平安は確かに私たちを生かすのです。

なぜなら、聖書の言う平安は、主としっかりつながっている事によって得られるからです。

私たち自身がしっかりと主につながり、主からの平安を頂くそのために、私たちは祈り聖書を読みましょう。

そして、この神様との関係を人に与えるのが、福音です。
私たちは、この福音を預かっています。

さて、パウロは、この福音を携えて、異邦人の所に行き、その福音はいまや、私達の所にまで届いたのです。

そのパウロの旅ですが、今回は第三次の伝道旅行から、いよいよ捕らえられローマに向かうところです。

パウロは、ギリシャやマケドニヤ、小アジヤを回り、福音を伝えていました。
そして、エルサレムに上ろうとしたとき、いろいろな人が、聖霊によって、パウロがつかまることを預言しました。

パウロは、それでも福音の為に進んで行きます。
そして、とうとう、エルサレムで捉えられ、カイザルの元、ローマに向かうことになったのです。
その弁明が今回の箇所です。

今回の聖書箇所で、パウロは言いました。
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3 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
4 私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。
使徒の働き22章3-4節
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厳格に律法を守っていたパウロは、イエス様に対する熱心な反対者となりました。
原理主義の宗教は、裏返すとそれ以外のものに攻撃的になると宗教について書かれた本には良く出てきます。

自分が熱心に信じれば信じるほどそれ以外のものを攻撃する大きなエネルギーを持つ。
それは、恐ろしい事です。
キリスト教の歴史にも、大きな失敗があります。
十字軍においても、大きな誤りがありました。
また、一人の独裁者ヒトラーによってのユダヤ人大虐殺も、キリスト教の名で行われました。

日本では、オーム真理教の起こした大量殺人事件があります。

自分を正しいとし、主義主張の違うものの命を狙う。
それは、大変な誤りです。

イエス様は、十字架の上で、こういわれました。
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そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
ルカの福音書23章34節
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イエス様は、私達の罪の贖いの為に、十字架につけられました。
そのとき、自分を殺そうとするもの達の為のとりなしをされたのです。
ところが、そのようなイエス様の足元では、イエス様の着物をくじ引きにして取りあうものたちがいたのです。
それでも主は赦されました。

クリスチャンの歩むべき道は、キリスト教を信じない人を、攻撃する事ではありません。
ご自分さえ苦しめるものを、イエス様は赦されたのです。
主の祈りの中で主は、こういわれます。
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私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
マタイの福音書6章12節
14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
マタイの福音書6章14-15節
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私たちは、負い目のあるものを赦さなければなりません。
教会が、罪人を裁く場所、人の罪を責める場所になってしまうことが無いようにしなければと思います。

「カスピアン王子の角笛」という映画を見られた方もあるかと思います。
「ライオンと魔女」に続くナルニア国物語の中の一話ですが、この作者はCSルイスといって、クリスチャンで、多くの信仰書を残しておられる方です。
この方の本に、「悪魔の手紙」というのがあります。
そこに書かれているのは、悪魔がどうやって人を陥れるかということなのですが、
一つの方法が書かれています。
教会で、律法を厳格に守るご婦人がいて、若者がする失敗や服装や態度に対して難しい顔をさせておけば、若者を教会から遠ざける事が出来、
その上、彼女は神様の為だと思い続けるというような事が書かれています。

私達の罪深さ、赦すという事の難しさを教えられるのですが、本当の福音は争いません。
なぜなら、福音の根幹は、神の愛、キリストの愛だからです。
そして、その愛については、こうかいてあります。
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4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
8 愛は決して絶えることがありません。
コリント人への手紙第一13章4-8節
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寛容であり、人のした悪を思わない、それが、神の愛です。

さて、パウロはそのような中からイエス様に出会って救われ、この福音を伝えるものとなりました。
反対者であり、信徒を殺そうとしていたパウロに主は出会って下さったのです。

そして、主はパウロに使命をお与えになったのです。
それが、この御言葉です。
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すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」
使徒の働き22章21節
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ここで、異邦人へパウロは使わされました。
パウロは、ユダヤ人ではなく、異邦人への伝道を使命として帯びたのです。

ところで、確認しておきますが、聖書を読んでいて、異邦人と聞くと、どこか外国の人たちと考えます。
しかし、聖書の基準から言えば、わたしたちこそ異邦人です。

このパウロの異邦人への伝道はギリシャそして、ローマ、この地中海地方でした。
しかし、その実が実り、その働きがさらに広がり、福音はこの日本にも届きました。
そして、私たちもイエスさま信じたわけです。
主に感謝します。

さて、この福音はどこまでひろがるのでしょうか?

主はパウロに命じておられます。
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なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」
使徒の働き13章47節
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そして、天に上げられる前のイエス様が言われます。

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しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1章8節
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この福音は地の果てまで、
確かにいま、この福音は、エルサレムから見たら地の果ての日本にまで届きました。
しかし、まだ、日本には主を知らない沢山の人がいます。
その人たちがイエス様の福音を知らなければならないのです。

この福音はどんなものですか?
福音は、全ての人に救いをもたらす神の力です。

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私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
ローマ人への手紙1章16節
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福音は律法に生きるユダヤ人にとってつまづき、ギリシャ人からは、死者の復活のことでバカにされるような内容です。
しかし、福音はどんな人にも理解できます。なぜなら簡単だからです。

天地を造られた神様は、私達の事を愛し、その愛のゆえに御子を与えて下さいました。
そして、神の御子イエス様は、この地上にこられ、人の子として歩まれ、
私達の罪の身代わりに十字架に架かって死んで下さり、三日目に蘇られました。
これらの事を信じるなら、その人は、救われ、神の子とされ、天の御国に入るものとされるのです。

そして、この福音は、人と、父なる神様との関係をとりもどさせます。
人は、父なる神様との関係を取り戻す時、平安をあたえられます。

それが、イエス様が与えて下さる平安です。

この痛んだ日本に、本当の平安、本当の安心を与える事の出来るのは、福音しかありません。

あなたの隣の人に、福音を語ったら、なんとばかなといわれるかも知れません。
でも、彼は、確かに福音を必要としています。

そして、この福音は、救いを得させ、変わる事の無い平安を与えるのです。

この福音を伝える事ができるように 。 お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。





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シティーチャーチメッセージ20080720地の果てまで
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