礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080706
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しるしと不思議のわざ 
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、今も生きて働かれ、しるしと不思議なわざを行わせてくださる方です。
この方を覚えて御言葉を聞いてまいりましょう。

いつものように、聖書の通読箇所ですが、

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7月6日(日)[ ]U歴代35-36 /[ ]使徒13:1-23
7月7日(月)[ ]エズラ1-3 /[ ]使徒13:24-52
7月8日(火)[ ]エズラ4-6 /[ ]使徒14
7月9日(水)[ ]エズラ7-8 /[ ]使徒15:1-21
7月10日(木)[ ]エズラ9-10 /[ ]使徒15:22-41
7月11日(金)[ ]ネヘ1-3 /[ ]使徒16:1-18
7月12日(土)[ ]ネヘ4-6 /[ ]使徒16:19-40
7月13日(日)[ ]ネヘ7-8 /[ ]使徒17:1-15
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今週は、歴代誌第二が終わり、エズラ、ネヘミヤと続きます。
歴代誌第二は、ユダの滅亡で終わりのようですが、最後の最後に、主は、異邦人であるクロス王に働きかけて、神殿の再建命令が出されます。
そして、その再建は、実際にエズラ、ネヘミヤが請け負い、継続していくのです。
ネヘミヤ記には、再建された神殿で、礼拝が捧げられる様も書かれています。

また、使徒の働きは、13章から17章です。
この13章から、使徒の働きというこの書の中心は、ペテロから移り、パウロになります。
バルナバとパウロの活躍。その聖霊に満ちた働きをお読み下さい。

では、聖書箇所に入りましょう。今回はその中で、使徒の働き14章です。
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【 聖書箇所 】 使徒の働き14章8-23節
・新改訳Up235(贈呈p208英対p)
・新改訳Vp256(贈呈p237)・口語訳p205
・新共同訳p241 (贈呈p241英対p369)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
14:8 ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。
14:9 この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、
14:10 大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。
14:11 パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」と言った。
14:12 そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。
14:13 すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。
14:14 これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、
14:15 言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける
神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。
14:16 過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。
14:17 とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」
14:18 こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。
14:19 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。
14:20 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。
14:21 彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、
14:22 弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。
14:23 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。
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それでは、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行なわせ、御恵みのことばの証明をされた。
使徒の働き14章3節
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では、このところから、
「しるしと不思議のわざ」
と、題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

さて、先ほども言いましたように、使徒の働きは、13章から、パウロの働きとかわります。
ペテロは、このあと、15章で一度だけ会議の席で意見を述べるために登場しますが、それ以外、姿を消してしまいます。

その13章のはじめを見ておきましょう。
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1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。
2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。
3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
使徒の働き13章1-4節
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この13章のはじめから、14章の終わりまでが、パウロの第一次伝道旅行といわれる旅行です。
そして、次に、15章の36節あたりから、はじまり、18章22節までが第二次の伝道旅行です。
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第一次伝道旅行 13章3節〜14章26節
第二次伝道旅行 15章36節〜18章22節
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どちらも、このアンテオケから出発して、アンテオケに帰っています。
このアンテオケが、パウロの拠点だったわけです。

今回の聖書箇所は14章です。それは、第一次伝道旅行の中の出来事だとわかります。
ルステラというところでの働きです。

このルステラで、パウロは、一人の足の悪い人を癒します。
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8 ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。
9 この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、
10 大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。
使徒の働き14章8-10節
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さて、ここで、この癒しには、大切な要素がある事がわかります。
その一つは、
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この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。
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彼は、御言葉に耳を傾けていました。
二つ目は
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いやされる信仰があるのを見て、」
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つまり、癒された彼自身が、その信仰を持っていたという事です。
そして、三番目は、
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大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。
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そして、最後に
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すると彼は飛び上がって、歩き出した。
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彼は行動しました。

ですから、これを整理すると、
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1:御言葉を聞く 2:信仰を持つ 3:宣言する(告白する) 4:行動する
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この中で特に重要なのは、この二つ目です。
信仰がなければ、何も起こりません。

しかし、信仰は何からきますか?
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そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章17節
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信仰は、キリストについてのみことばによります。
時には、神様は、この全てのステップと関係無しに癒しを行われます。
しかし、これは、神様の御業の起こる原則です。

まず、御言葉から信仰がおこり、それを宣言、または、告白し、その信仰に伴って行動するとき、御業が起こります。
彼は、信じて、立ち上がったのです。
誰かに支えてもらってではありません。
彼自身の足で、立ち上がったのです。
そして、彼は、完全に癒されました。

以前読んだ本に、こういうお話がありました。
農夫が、雨乞いの為に、畑に行きます。
その彼に質問する人がいます。
なぜ、傘を持っていかないのですか?
農夫は答えます。
こんなに晴れているのに、傘なんていらないじゃないですか。
彼は、雨を求めて祈りに行くのに、雨が降ることを信じていません。

あなたはどうでしょうか?
あなたの祈りは、御言葉から始まっていますか?
そして、信仰によるでしょうか?

私たちと、神様との間の世界において、重要なのは、信仰と、従順です。

御言葉に従う事、と、神様に信頼する事。
これは、どちらも、神様との愛の関係です。

一般の世の中では、人は、良いか悪いかで考えようとします。
律法にかなっているかどうか、というのも同じ事です。
これは、アダムとエバから始まります。
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16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記2章16−17節
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アダムとエバは、このとって食べてはならないと言われていた木の実を食べました。
それは、不従順であり、不信仰でした。
その結果、人は死ぬものとなりました。

いまも、私たちは、善悪の中におかれています。
しかし、神様との関係において、重要なのは、神の言葉に対する従順と、神様に対する信頼です。

先ほどの信仰のステップにおいても、
御言葉を聞き、信じ、告白し、行動する。
それは、神様の御言葉に対する信頼です。

そして、その全ての背後で働かれるのが聖霊様です。
聖霊様無しに、私たちは、御言葉を聞いて受け止める事も、信仰を持つ事も、告白する事も、そして、信仰によって行動することも出来ません。

御言葉と祈り、そして、そこに働かれる聖霊様、これらは、セットです。

でも、それらのはじめは、御言葉を聞く事からはじまります。
ですから、私たちが日々、聖書を読むことが重要です。

皆さん。ですから、毎日聖書を読みましょう。
出エジプトの時、主は、イスラエルの民の為に、天からパンを降らされました。それは、マナといわれます。
このマナは、安息日以外の毎日降り、その日一日の分を集め、その日の分を食べ、次の日には食べる事が出来ませんでした。
安息日だけ、前の日には二日分を収穫する事が出来ました。前の日の分を食べる事が出来ました。
このマナのように、御言葉は、霊の為の食物です。命のパンとも言われます。
ですから、毎日毎日、聖書を読むのです。

そして、聖書の中から、イエス様がどんなに素晴らしい方かを知りましょう。

その御言葉に伴い、素晴らしい御業が起こる事を信じます。
しかし、どんなに、素晴らしい御業が起こっても、それでうまくいくとは限りません。
なぜなら、ここで、この足の悪い人が癒されたとき、どうなったでしょう。

一旦人々は、パウロたちの事を神様だと思って、
いけにえをささげようとさえしました。
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パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」と言った。
使徒の働き14章11節
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ところが、その騒ぎを収めると、
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18 こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。
19 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。
使徒の働き14章18-19節
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先ほどまで、パウロを拝むほどだった群衆は、逆にパウロを石打にして、殺したのです。

そのあと、パウロは立ち上がりました。
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しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。
使徒の働き14章21節
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死なないように守られていたのか、死んでいたのが生き返ったのかはわかりません。
しかし、群集は、パウロを殺そうと考え、殺したから、まちから引きずり出したのです。

パウロは何をしましたか?
パウロは、イエス様を宣べ伝えました。
そして、一人の人は、信仰を持ち、足が癒されました。
群集は、その素晴らしさに驚きました。
ところが、同じ群集が、パウロを殺したのです。

私たちは、福音を宣べ伝える時、最初歓迎されても、逆に迫害にあうこともあります。
しかし、イエス様ご自身、イエス様を大歓迎した群集が、イエス様を十字架につけろと叫ぶ群衆になったのです。
イエス様がエルサレムに入られるとき、過越しの祭りに集まっていた群衆は、メシヤの到来を喜びました。
しかし、その数日後、同じ群集が、十字架につけろと叫んだのです。

集団心理といいますが、人は、一人では生きられないせいか、人の影響を受けやすいものです。

出エジプトの時のモーセもそうでした。
イスラエルの民は、様々な奇跡を目にしましたが、人々の中には、モーセを殺してしまえというものが現れました。

私たちは、福音宣教の中で、攻撃にあっても、それが、不思議でない事を知らなければなりません。
また、同時に、私たちは、人に動かされないために、揺らがない土台に自分の足を置かなければなりません。
その土台とは、イエス様であり、聖書の御言葉です。

さて、パウロの働きは、このように、しるしと不思議の働きでした。

こんな風な人生を歩みたいですか?こう書いてあります。
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弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。
使徒の働き14章22節
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わたしは、まだ、イエス様を信じていない方の為にこう祈る事があります。
主を信じ幸いな人生を歩む事が出来ますように。
しかし、主を信じても、困難があります。

主は言われました。
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わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書16章33節
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患難がなくなるのでは無いかも知れません。
しかし、それを越えた約束があります。
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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりま
せん。
ヨハネの福音書14章27節
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これは、状況によらない約束です。

この世の患難を越えて、それがなくならなくても、主は平安を与えて下さる。

この不安定な時代。これは、大変な福音です。
そして、イエス様は言われます。
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15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
マルコの福音書16章15-18節
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この福音には、しるしと不思議が伴います。
ある人たちは言います。

神様が御業をなさったら、多くの人が救われるのに。

本当にそうでしょうか?
先ほどのパウロは、御業が起こり、殺されました。
人々は信じませんでした。

ですから、私たちは、どこまでも、御言葉を土台に、そして、このことをなさる主を見つめていかなければならないのです。
大事なのは、何が起こるか、どんな祝福があるかではありません。
主が、私たちを愛してくださっておられることです。

ですからこの主に従いましょう。
主を信じ、主と共に歩むとき、素晴らしい御業をも起こる事を信じます。
しかし、それらに振り回されない、しっかりと御言葉に立った、群れとなって、リバイバルに備えさせて頂きましょう。
お祈りしましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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シティーチャーチメッセージ20080706 しるしと不思議のわざ
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