礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080525
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あなたが信じるなら
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は全能者、信仰を与え導いて下る方です。
この方を覚え御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、まず、今週の通読箇所です。

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5月25日(日)[ ]T列王12-13 /[ ]ヨハ10:22-42
5月26日(月)[ ]T列王14-15 /[ ]ヨハ11:1-16
5月27日(火)[ ]T列王16-17 /[ ]ヨハ11:17-44
5月28日(水)[ ]T列王18-19 /[ ]ヨハ11:45-57
5月29日(木)[ ]T列王20-21 /[ ]ヨハ12:1-19
5月30日(金)[ ]T列王22 /[ ]ヨハ12:20-36
5月31日(土)[ ]U列王1-2 /[ ]ヨハ12:37-50

6月1日(日)[ ]U列王3-4 /[ ]ヨハ13:1-20
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旧約聖書が列王記
新約聖書がヨハネの福音書です。
列王記も、第1が終わり、第二へと入ります。
エリヤの活躍、そして、その働きがエリシャへと引き継がれていく所をお読み下さい。
また、新約聖書はヨハネの福音書です。
皆さん聖書をお読み下さい。
続いて、本日の聖書箇所です。
ヨハネの福音書11章です。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書11章32-44節
・新改訳Up184(贈呈p164英対p303)
・新改訳Vp202(贈呈p188)・口語訳p159
・新共同訳p189 (贈呈p189英対p291)
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司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
11:32 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
11:33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
11:34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」
11:35 イエスは涙を流された。
11:36 そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」
11:37 しかし、「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。」と言う者もいた。
11:38 そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。
11:39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」
11:40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
11:41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
11:42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう
申したのです。」
11:43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
11:44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
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ありがとうございます。
次に、主題聖句を言いましょう。
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もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る
ヨハネの福音書11章40節
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はい。ありがとうございます。
では、今日はこの所から、
「あなたが信じるなら」
と題しまして、御言葉を聞いて参りましょう。

今回の箇所は、イエス様が、死んでいたラザロを生き返らされた所です。
この11章はここから始まります。
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1 さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。
2 このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
ヨハネの福音書11章1-2節
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マルタとマリヤそして、ラザロ。彼ら兄弟は、イエス様にとって特別親しい関係だったようです。
ところで、このベタニヤについて、聖書はこう書いてあります。
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ベタニヤはエルサレムに近く、三キロメートルほど離れた所にあった。
ヨハネの福音書11章18節
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地図で見ますと、エルサレムの東ですね。
オリーブ山の麓になります。
ここは、エルサレムに近い町です。
イエス様は、エルサレムに行かれるとき、ここに滞在される事があったようです。
そこに住むマリヤとマルタの兄弟ラザロが、病気になりました。

このときイエス様は、ユダヤを離れ、サマリヤの北のガリラヤにおられました。
実は、その前に、イエス様はユダヤ人たちから命を狙われていたのです。

この同じヨハネの福音書の10章を見るとこう書いてあります。
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29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
30 わたしと父とは一つです。」
31 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。
32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」
33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」
ヨハネの福音書10章29節
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これは、今回の聖書箇所の少し前ですが、ユダヤでの出来事です。
ここで、石打とあるのは処刑の方法なのですが、大きな石を人間にぶつけて殺してしまうという、恐ろしい処刑方法です。
聖書の中にはたびたび登場します。
ユダヤ人たちは、そんな恐ろしい方法でイエス様を殺そうとしました。
それは、何故でしょう。
それは、イエス様がご自分を、父なる神さまと一つだと言われたからです。

イエス様は非常に重要な事を教えようとされました。
私と父とは一つです。
イエス様は、父なる神さまと一つです。
ところが、このことをユダヤ人たちは受け入れる事が出来ませんでした。
そのためにイエス様を殺そうとしたのです。

イエス様は「どのわざの為に石打にしようとするのか。」
と聞かれました。
イエス様のわざが、イエス様が誰なのかをしめしていたからです。
しかし、ユダヤ人たちは、イエス様の事をわからずに、殺そうとしました。
イエス様は、ガリラヤで、働きをなしておられました。

ところが、そこにラザロが病気だとの知らせが来ました。
それで、イエス様は、もういちどユダヤに行こうといわれるのです。
弟子たちは、驚きます。
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7 その後、イエスは、「もう一度ユダヤに行こう。」と弟子たちに言われた。
8 弟子たちはイエスに言った。「先生。たった今ユダヤ人たちが、あなたを石打ちにしようとしていたのに、またそこにおいでになるのですか。」
ヨハネの福音書11章7-8節
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ご自分の命が危ないのに、イエス様は、ユダヤに行こうとされました。
イエス様は、ラザロの為、エルサレムに近いベタニヤへ行こうとされたのです。
でもその前に面白い事が書かれています。
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4 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」
5 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
6 そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。
ヨハネの福音書11章4-6節
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イエス様はラザロを愛しておられました。
6節で、そのようなわけでと、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。と書いてあります。
よく見て下さい。愛しておられるなら、病気のラザロの所にすぐに駆けつけて癒して下さるのではないのでしょうか?
しかし、イエス様のお考えは、私たちとは違いました。
イエス様は、もっと大きな栄光をラザロの為に用意しておられました。

イエス様は言われます。
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11 イエスは、このように話され、それから、弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」
12 そこで弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、彼は助かるでしょう。」
13 しかし、イエスは、ラザロの死のことを言われたのである。だが、彼らは眠った状態のことを言われたものと思った。
14 そこで、イエスはそのとき、はっきりと彼らに言われた。「ラザロは死んだのです。
15 わたしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
ヨハネの福音書11章11-15節
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イエス様は、ラザロが死んだことをはっきりと知っておられました。
そして、イエス様は、そのラザロを蘇らせるために、イエス様にとっても危険なユダヤに戻ろうとしておられたのです。

ここで、イエス様の御心は、ラザロをよみがえらせる事でした。
しかし、このラザロの兄弟であるマリヤやマルタはその事を知りませんでした。
そのため、イエス様が来られた時、マリヤはいいます。
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マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
ヨハネの福音書11章32節
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マリヤは、「もしここにいてくださったなら、」と言っています。
しかし、イエス様は、「わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。」
と言っておられるのです。
イエス様のご計画をマリヤも知る事が出来ませんでした。

死という事柄は、私たち人間にとって絶望を意味します。
だからダビデも自分の子が死んだとき、こういいました。
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22 ダビデは言った。「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。
23 しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」
サムエル記第二12章22-23節
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しかしイエス様は大きなご計画をお持ちでした。
そして、それは、ラザロを愛しておられたからでした。

先ほど見ました。
そのようなわけで、と書いてありました。
イエス様がラザロたちを愛しておられた、そのようなわけで。
皆さん。ラザロたちがイエス様にとってどうでもいい存在だから、直ぐに行かれなかったのではありません。
イエス様は愛しておられたから、直ぐに動かず、待っておられたのです。

そして、より、偉大な、より大きな働きの器として、愛するラザロを選ばれたのです。
イエス様はイエス様の愛するラザロを通して、偉大な業をなさろうとされたのです。

皆さん。あなたが、大きな困難を覚える時、私は、だめだ、神さまに見捨てられたのだと感じる時はありませんか?
ラザロにとって、また、その周りのものにとって、マリヤやマルタにとって、どうだったでしょう。

イエス様のところに、ラザロが病気だとの知らせをおくったのにイエス様は来て下さらない。
どうしてだろうか?彼女たちは思った事でしょう。

しかし、マルタにイエス様はこういわれました。
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11:40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
ヨハネの福音書11章40節
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イエス様は、ここで、ラザロを蘇らせるという計画を持っておられたのです。
最初から、そのためにここに来られたのです。
イエス様は、ここに来てラザロが死んでいるのに直面されたのではありません。
そのことを知っておられました。
また、そのために、彼女たちが、どれほど悲しんでいるかを見られました。
今から起こる偉大な神の御業、そして、その事の為に、それと知らず忍耐し、涙しているマリヤとマルタ。
その悲しみにも共感し、イエス様は、霊の憤りと、心の動揺を感じる中で、涙を流されたのです。

イエス様は、ラザロの収められた墓にいかれました。
しかし、そこで、イエス様はこう祈られます。
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41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申
したのです。」
ヨハネの福音書11章41-42節
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ここに信仰とはなにかが教えられています。

イエス様は、父なる神さまがイエス様の願いを聞いてくださると信じておられました。
だから、イエス様にとっては、このことを語る必要すらなかったのです。
しかし、周りの人々の為に、イエス様はその事を祈っておられます。
それは、イエス様が、父なる神さまから使わされた事を人々が知るためでした。

父よ、私の願いを聞いて下さった事を感謝します。
聞いて下さいとも、聞いてくださるとも書いてありません。
聞いて下さったと書いてあります。

皆さん。この後、イエス様は「ラザロよ出てきなさい」と言われます。
しかし、だからラザロが蘇ったのではありません。

私の願いを聞いてくださった。
ここで、イエス様の願いはなんですか?
ラザロが蘇る事です。
しかし、そのことは、ここですでに完了しているのです。
もっというなら、ここでラザロは生き返っています。

そこには、父なる神さまとの完全な信頼関係があります。

ですから、私達の信仰も同じです。
何かを求めて祈る時、祈りの声をあげたから、聞かれるのではありません。
その前に、神さまとの信頼関係からはじまるのです。
それは、静かな信仰です。
しかし、その父なる神様とのしっかりとした関係があってはじめて、大胆な宣言、大胆な告白につながるのです。

ラザロよ出てきなさい。
病を癒されよ、問題よ無くなれ。祝福されよ。山よ動け。

心に信じて義と認められ、口で告白して救われると書いてあります。

私達の心にない事をどんなに叫んでも意味がありません。
しかし、私達の心に、神さまとの信頼関係があるなら、私たちは、大胆に宣言し、奇跡を見るのです。
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43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
ヨハネの福音書11章43-44節
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死んで四日もたっていたラザロは墓から出て来ました。

このことは、それから後、イエス様が十字架を前にして、エルサレムで働きをされるうえで、大きな意味をもちます。
イエス様は命を狙われていました。
もちろんイエス様は、死ぬことを恐れてはおられません。
しかし、イエス様は、エルサレムにキリストとして、また、ユダヤの王として、そして、贖いの小羊として入らなければなりませんでした。
イエス様は神を冒涜するもの見られていました。
だから、ユダヤの人々はイエス様を受け入れません。
神殿からそして、エルサレムから追い出そうとしたかもしれません。
しかし、このラザロの出来事で、そのことは大きくかわりました。
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17 イエスがラザロを墓から呼び出し、死人の中からよみがえらせたときにイエスといっしょにいた大ぜいの人々は、そのことのあかしをした。
18 そのために群衆もイエスを出迎えた。イエスがこれらのしるしを行なわれたことを聞いたからである。
19 そこで、パリサイ人たちは互いに言った。「どうしたのだ。何一つうまくいっていない。見なさい。世はあげてあの人のあとについて行ってしまった。」
ヨハネの福音書12章17-19節
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ラザロがよみがえったことで、そのときいた人たちは、そのことをあかししました。
だから、多くのユダヤ人たちは、イエス様を出迎えたのです。
イエス様は栄光をお受けになるための、それは単に、このラザロを蘇らせたという事だけではなく、十字架という栄光を受けるためのそのそなえとして、
イエス様は愛するラザロと、その姉妹たちを用いられたのです。
パリサイ人たちは、このラザロをも殺そうとしたほどに、ラザロの存在は大きなものとなりました。

ヘブル人への手紙にはこうかいてあります。
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5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
ヘブル人への手紙12章5-8節
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ここでは、懲らしめということについて、書かれています。
しかし、懲らしめだけではありません。
主が私たちを愛しておられるから、主は私たちを通して様々な事をなさるのです。
主は、私たちが考えもしないみわざを、私たちを通してなしてくださいます。

あなたは今、大きな問題を抱えておられるかもしれない。
しかし、主はその問題を通して、偉大なみわざをなそうとしておられるのです。
それは、あなたが、主の愛するものだからです。

そして、イエス様は言われます。
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イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
ヨハネの福音書11章40節
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私たちが信じるなら、私たちは、神の栄光を見るのです。
主が私たちを通して、あなたを通してなさる事を見せていただきましょう。
お祈りしましょう。
<いのり>
[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20080525あなたが信じるなら
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