礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080504
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聖霊によるバプテスマを授ける方
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私達に、聖霊様によって真理を悟らせて下さいます。
この方を覚えて主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、いつものように聖書の通読箇所を見てみましょう。

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5月4日(日)[ ]Uサム3-4 /[ ]ルカ24:33-53
5月5日(月)[ ]Uサム5-6 /[ ]ヨハ1:1-28
5月6日(火)[ ]Uサム7-8 /[ ]ヨハ1:29-51
5月7日(水)[ ]Uサム9-11 /[ ]ヨハ2
5月8日(木)[ ]Uサム12-13 /[ ]ヨハ3:1-21
5月9日(金)[ ]Uサム14 /[ ]ヨハ3:22-36
5月10日(土)[ ]Uサム15 /[ ]ヨハ4:1-30
5月11日(日)[ ]Uサム16-17 /[ ]ヨハ4:31-54
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旧約聖書がサムエル記第二
新約聖書がヨハネの福音書です。

サムエル記は、ダビデの時代となりますが、ダビデは、急速に力をつけ、周囲の国々を制圧し、イスラエルに平和が与えられます。
この時代に、ダビデは契約の箱をエルサレムのダビデの町に運び、天幕に入れました。
それが、モーセの時とは違い、仕切りの幕の無い、ダビデの幕屋です。
一方で、大きな罪もおかし、そのため、ダビデとイスラエルにわざわいが降りかかりました。
なにが起こったのか、聖書を開いて見て下さい。
ヨハネの福音書は、これから見てまいりましょう。

まずは、聖書箇所をお読みいただきましょう。
ヨハネの福音書1章です。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書1章29-42節
・新改訳Up158(贈呈p143英対p262)
・新改訳Vp173(贈呈p163)・口語訳p136
・新共同訳p164 (贈呈p164英対p254)
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司会者お読み下さい。
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【 聖書箇所のテキスト 】
1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
1:30 私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。』と言ったのは、この方のことです。
1:31 私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」
1:32 またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。
1:33 私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、
聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
1:34 私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」
1:35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。
1:37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
1:38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
1:39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は十時ごろであった。
1:40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
1:41 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。
1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
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ありがとうございます。
では、主題聖句を言いましょう。

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【 主題聖句 】
聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。
ヨハネの福音書1章33節
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はい、ありがとうございます。
では、今日はこの所から、
「聖霊によるバプテスマを授ける方」
と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

今回からヨハネの福音書に入ります。
この聖書の中に、福音書は4つあります。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。
その中で、マタイ、マルコ、ルカは共観福音書と呼ばれ、似た視点からイエス様の生涯を捉えています。
しかし、このヨハネだけは、特別な視点からイエス様の生涯を捉えています。

神が人となられたイエス様にヨハネの福音書は注目しています。
その書き出しはこうなっています。
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1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネの福音書1章1-5節
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はじめて聖書を読む人だと、何のことかわからないかもしれません。
もう少し先を見てみます。

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ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネの福音書1章14節
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ここで、このことばは、神のひとり子だとわかります。
そして、こう続きます。

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17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
ヨハネの福音書1章17-18節
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ここで、神のひとり子だとヨハネの福音書が言うのがイエス様であること、そして、神の言葉と書かれているのもイエス様であることがわかります。
そして、このイエス様だけが、父なる神さまを説き明かされたといっています。

イエス様は、神の言葉であり、命であり、光です。
そして、全ては、神の言葉によって作られたのです。

神が人として来られた、この事は、私たちが聖書を理解する上で、非常に大切な事柄です。

イエス様は、立派な方で、修行を積んで、その結果悟りを開き、神様の教えを説かれ、救いの御業をなされたのではありません。
神のひとり子であった方が、この世に来て下さったのです。
ですから、ピリピ人への手紙にはこう書いてあります。
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キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
ピリピ人への手紙2章6-7節
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イエス様は、神が人となって来られた方です。
そして、この方を通して、私たちは、父なる神さまを知る事が出来るのです。

この方について、ここに出てくるヨハネは証言しました。
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29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
30 私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。』と言ったのは、この方のことです。
31 私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」
ヨハネの福音書1章29-31節
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ところで、ここに出てくるヨハネは、このヨハネの福音書を書いたヨハネとは違います。
彼は、この福音書の中でこう説明されています。
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6 神から遣わされたヨハネという人が現われた。
7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
ヨハネの福音書1章6-8節
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そして、このヨハネは、イエス様の生涯の途中で死んでしまいます。
マルコの福音書ではこうかいてあります。
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27 そこで王は、すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、
28 その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女は、それを母親に渡した。
29 ヨハネの弟子たちは、このことを聞いたので、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めたのであった。
マルコの福音書6章27-29節
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ですから、イエス様の生涯を記録したヨハネとは違う人物です。

このヨハネは、水でバプテスマを授けていたことから、バプテスマのヨハネと呼ばれます。

ヨハネの福音書で書かれているように、バプテスマのヨハネは、イエス様について、あかしするために神から使わされた人でした。
そして、先ほども見ましたように、ヨハネはイエス様についてこう証言したのです。
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1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
1:30 私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。』と言ったのは、この方のことです。
1:31 私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」
ヨハネの福音書1章29-31節
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ヨハネは、この方を証しするために、水でバプテスマを授けていました。
バプテスマ、すなわち洗礼は、悔い改めを意味していました。

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私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あな
たがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
マタイの福音書3章11節
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人々は、救い主の訪れを、神の国の訪れを聞いて、悔い改めたのです。

このバプテスマ、すなわち洗礼は、いろいろな意味を持って行われます。
ここにあるように、悔い改める。
この悔い改めは、単に水で体を洗う事ではなく、水の中につけられる事で、死ぬこと、そして、そこから上がってくる事で新しい命を生きることを意味しています。
また、それは、出エジプトの時、二つに分かれた紅海をモーセに率いられた民が渡ってきたように、水の中をくぐるという体験でもあります。

それまでの人生を悔い改めて新しい人生を生きる。それが、洗礼です。
しかし、私たちは、ただ、体を水で洗っても、また、心で決心しても、新しくなることは出来ません。

ヨハネのバプテスマは、罪の悔い改めの為です。
しかし、水であらっても、人から罪は消えません。
ヨハネはいいます。
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その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
ヨハネの福音書1章29節
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世の罪を取り除く神の小羊
それがイエス様です。
私達の罪を取り除いて下さる方がイエス様です。

そして、このイエス様について、ヨハネは更にこういいます。

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32 またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。
33 私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、
聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
34 私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」
ヨハネの福音書1章32-34節
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イエス様は、神の子です。
そして、この世にこられた方です。
世の罪を取り除いて下さる方です。
また、この方は、聖霊のバプテスマを授けて下さる方です。

バプテスマという言葉を、そのまま洗礼という意味、水での儀式と考えると、この聖霊によるバプテスマの意味がわからなくなります。
しかし、バプテスマは、ギリシャ語のバプティゾーという言葉から来ており、それは、浸すという意味を持っています。
水に浸すということが一般にいう洗礼、バプテスマです。

ですから聖霊によるバプテスマとは、聖霊に浸すという事になります。

この聖霊によって浸される、聖霊の中に浸される体験が聖霊のバプテスマです。
バプテスマという言葉の意味から考えると、聖霊に満たされるという事は、私たちという器を聖霊様がいっぱいにされるというよりは、私たちが聖霊様の満ちた中に入れられるという事だといえます。
野菜にかけるドレッシングのように、聖霊様は注がれているのでなく、漬物に野菜をつけるように、聖霊様に浸される、そうして、私たちは、どこを切っても、イエス様のようなものとされていくのです。

この聖霊のバプテスマ。
その事が、歴史の中で起こったのが、使徒の働きの2章です。

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1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
使徒の働き2章1-4節
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このとき、聖霊の圧倒的な臨在の中に人々は満たされました。
これが、ペンテコステです。

このことについて、イエス様は、天にあげられる前にこういわれました。
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8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
使徒の働き1章8-9節
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そして、聖霊に満たされるとき、私たちは力を受けます。そして、私たちは主の証人となるのです。

この聖霊のバプテスマについて、先ほどの箇所にこう書いてありました。
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私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖
霊によってバプテスマを授ける方である。』
ヨハネの福音書1章33節
++++++++++
ここで、イエス様の来られたひとつの目的がわかります。
それは、聖霊によるバプテスマを与えるためです。

そして、それは、力です。
しかし、それだけではありません。
私たちは、聖霊様によって、父なる神様、子なるイエス様、そして、聖霊様の交わりの中に入るのです。

生きておられる神さまとの本当の交わりがそこにあります。
そして、この聖霊様を、父なる神さまは私達に与えると約束して下さいました。
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してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
ルカの福音書11章13節
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私たちは、イエス様によって、聖霊様を受けるのです。
来週は、ペンテコステです。
それは、イエス様の復活から50日目この聖霊様が注がれた記念の日です。
そして、そのとき以来、今も、求めるものに聖霊様は注がれます。

私たちは、聖霊様を求めましょう。
このかたは、私達に、真理を悟らせてくださる方、また、力を与えて下さる方です。

この方を覚えてお祈りしましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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メッセージ20080504聖霊によるバプテスマを授ける方
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