礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080427
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一番偉い人 
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
私達の主イエス様は、神の御子、救い主、
神としてのあり方を置いて、仕える者となって来られた方です。
この方を覚えて御言葉を見てまいりましょう。

さて、聖書の通読は、
旧約聖書がサムエル記
第一から第二に入ります。
また、新約聖書がルカの福音書です。
サムエル記第一は、ダビデの逃亡生活とサウルの死で終わります。
そして、サムエル記第二に入り、ダビデがユダの王、イスラエルの王なり、歴史はダビデの家系へと移って行きます。

また、新約聖書ルカの福音書は、いよいよ、イエス様のエルサレムでの歩み、十字架の死と復活です。
皆さん聖書を読みましょう。

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4月27日(日)[ ]Tサム18-19 /[ ]ルカ21
4月28日(月)[ ]Tサム20-21 /[ ]ルカ22:1-23
4月29日(火)[ ]Tサム22-23 /[ ]ルカ22:24-46
4月30日(水)[ ]Tサム24-25 /[ ]ルカ22:47-71
5月1日(木)[ ]Tサム26-28 /[ ]ルカ23:1-32
5月2日(金)[ ]Tサム29-31 /[ ]ルカ23:33-56
5月3日(土)[ ]Uサム1-2 /[ ]ルカ24:1-32
5月4日(日)[ ]Uサム3-4 /[ ]ルカ24:33-53
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では、まず、聖書箇所を見てみましょう。
聖書箇所は、ルカの福音書です。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書22章24-34節
・新改訳Up149(贈呈p134英対p246)
・新改訳Vp163(贈呈p154)・口語訳p128
・新共同訳p154 (贈呈p154英対p238)
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司会者お読み下さい。
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【 聖書箇所のテキスト 】ルカ22:24-34
22:24 また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。
22:25 すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。
22:26 だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。
22:27 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。
22:28 けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。
22:29 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。
22:30 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
22:34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。
ルカの福音書22章26節
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では、この所から、
一番偉い人
と題しまして、御言葉を見て参りたいと思います。

さて、今回の聖書箇所、ルカの福音書22章は、ここから始まります。

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22:1 さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。
22:2 祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。
22:3 さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンがはいった。
22:4 ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。
22:5 彼らは喜んで、ユダに金をやる約束をした。
ルカの福音書22章1-5節
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いよいよ、ルカの福音書は、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、十字架と続きます。
今回の箇所は、最後の晩餐のすぐ後、おなじ席での出来事です。

イエス様が、裏切るものが出ることを話されました。
すると、それはいったい誰なのかと議論がおこりました。

そして、その続きに、自分たちの中で誰が一番偉いかという議論になったのです。
このような議論は今回だけではありませんでした。

同じルカの福音書でも、9章にこう書いてあります。
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44 「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」
45 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである。また彼らは、このみことばについてイエスに尋ねるのを恐れた。
46 さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。
47 しかしイエスは、彼らの心の中の考えを知っておられて、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、
48 彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたす
べての中で一番小さい者が一番偉いのです。」
ルカの福音書9章44-48節
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ここで、イエス様が、ご自身について、「人々に渡される」といわれているそのときに、弟子たちが、誰が偉いかと議論をしている姿が書かれています。
このとき、イエス様は、
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あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」
ルカの福音書9章48節
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と教えておられます。

もう一つ、マルコの福音書の10章を見ます。
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32 さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二弟子をそばに呼んで、ご自
分に起ころうとしていることを、話し始められた。
33 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。
34 すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」
35 さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」
36 イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」
37 彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」
マルコの福音書10章32-37節
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これは、イエス様が十字架に架かるそのご計画の成就のため、エルサレムに入ろうとされるすぐ前の出来事です。
イエス様が、これから起こる事、十字架に架かる事を話されて後、弟子たちの中で、
「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」
と、言うものが現れます。

そして、イエス様は
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43 しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
44 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
マルコの福音書10章43-45節
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と、言われます。

どちらも、イエス様が、十字架について、語っておられるそのとき、弟子たちは、誰が偉いかとか、自分が偉くなりたいと考えていたのです。

今回の箇所も同じです。
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また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。
ルカの福音書22章24節
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今回の箇所は、まさに、十字架を前にして、イエス様が最後の食事を弟子たちと共にとっておられるところです。
しかし、彼らの関心は、自分たちの中で誰が偉いかというようなことなのです。

その中で、イエス様は言われます。
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だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。
食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。
ルカの福音書22章26-27節
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イエス様と共に歩み、イエス様から教えられ、学んだ弟子たち、その3年余りの最後の晩餐の席で、弟子たちの関心がまだ、誰が偉いかという事だった、それは、いかにこの事が、難しいかを教えます。
弟子たちは、12弟子として選ばれて、主と共に歩み、自分が立派だと考えるようになってしまったようです。
おびただしい群集の中、イエス様のそばにお仕えする12人の一人に選ばれたのですからそれは、大変な事かもしれません。

とにかく弟子たちは、最後の晩餐の席ですら、このような議論をしていたという事です。

イエス様は、このような弟子たちに、何を教えようとされたでしょうか?
後半のペテロとの会話の中に、私たちは大切な事を教えられます。

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31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカの福音書22章31-32節
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ここで、イエス様は、ペテロを、ペテロと呼ばず、元の名前のシモンとお呼びになります。
ペテロとは岩という意味です。
その岩の上に、イエス様は教会を建てるといわれました。
しかし、ここで、イエス様は、ペテロと呼ばず、シモンと呼びかけ、ペテロに起こる事を教えられました。
イエス様は、ペテロたちがふるいにかけられると言われました。
そして、イエス様は、信仰がなくならないように祈って下さいました。

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33 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
ルカの福音書2章33-34節
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ペテロはショックだったでしょう。
主は何もわかっておられないとおもったでしょう。
自分が主を裏切るなどありえないと思ったでしょう。
どんな事も覚悟しているとペテロはいいました。

彼は、自分はペテロだ、堅固な岩だと思っていました。
しかし、そんなイエス様に、今度は、ペテロと呼びかけて、そのペテロが砕かれる事を教えられました。

実際に、この後、イエス様が捕らえられると、ペテロは、イエス様を知らないといったのです。

ここで、起こった出来事を見て下さい。
ペテロがイエス様から言われた事は、ふるいにかけられるということ、主は祈ってくださったという事、だから立ち直るということ、そして、主を知らないというという事。

自分にとって考えられない事でしょう。
そして、主を知らないというようなダメなものだとイエス様が自分に対して言っておられると感じたかもしれません。

しかし、そのペテロの弱さは事実でした。
このペテロの為のイエス様の祈りも真実であり、また、そのペテロを変わらずイエス様は愛されました。

もし、ペテロがここで、本当に最後まで命がけでイエス様についていっていたら、どうなったでしょうか?
弟子たちが、イエス様を裏切ったけど、自分だけは従いとおしたのだと更に高慢になっていたでしょう。
イエス様がペテロの為に許された道、用意された道は、そういう道ではありませんでした。

ペテロは、イエス様の愛を知るための道を歩まされました。
それは、自分の弱さを知る道でした。

私たちは、自分を高くする事によっては、神の愛の高嶺に行く事は出来ないのです。

神さまの愛に触れるために私達に必要な事は、私たちが謙る事、私たちが低くなる事です。

それは、自分を卑下することでもありません。

私たちを本当に謙らせるのは何でしょうか?

それは、私達の罪を認め、その罪の為に十字架で死んで下さったイエス様を信じる事です。

あなたの罪はどれほど大きいかあなたはわかりますか?

ユダはイエス様を裏切り、ペテロはイエス様を知らないといいました。

あなたはどうでしょうか?
あなたがどうであっても、イエス様はあなたの為に十字架で死んで下さいました。

主があなたの為に十字架で死んで下さったということ。
つまり、イエス様を殺したのは、あなただという事です。

律法には、命には命と書かれています。人を殺したものは殺されなければならない。
イエス様の前で自分の罪を認めるという事は、イエス様を殺したのは自分だと認めるという事です。
そして、そのことは、自分が死刑にならなければならない罪人だと認める事です。

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すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ローマ人への手紙3章23節
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もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一1章10節
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私たちは、罪人です。
その罪は、私たちを、地獄に追いやるだけの大きなものです。
それは、死刑に相当する罪人なのです。

その罪を赦すために、イエス様は死刑になって下さったのです。

イエス様は死刑にならなければならなかったのです。
死刑になる罪とはどれほどの罪でしょう。

ちょうど、最近、一人の死刑判決が出ました。
犯行当時18歳であった彼のしたことは、大変な罪です。
家族の全てを失った遺族の方の痛みは、推し量る事など出来ません。

死刑が確定するというのは、それほどに大きな罪です。

あなたの変わりにイエス様は、無期懲役になられたのではありません。
牢屋に10年入られたのでもありません。
あなたの変わりに、イエス様は死刑になられたのです。

あなたの罪は死刑に相当する罪だったのです。
その罪を赦して、イエス様は十字架で死んで下さいました。

ですから、この十字架は、死刑に確定し、地獄に行く事になっていたあなたの罪の重さと、それを変わりに背負って下さったイエス様の愛の大きさを教えています。

皆さんペテロが見なければならなかったのは、イエス様を裏切ってしまう自分ではなく、裏切った自分さえ愛して下さるイエス様だったのです。
ですからここで、ペテロは失敗したけど、自分はどうやったら失敗しないだろうかと考える事は、意味のある事ではありません。

聖書の全ての場面でそうです。
いや、実はわたしたちの全ての生活の中でそうなのですが、
私たちが聖書の中で知らなければならないのは、聖書を読んで、自分がどんなに立派になろうかということではありません。
聖書を読んで自分がどんなに素晴らしくかわろうかということではありません。

そうではなく、イエス様がどんなに素晴らしいか、罪人であったあなたをイエス様がどんなに愛して下さったかということです。
それが、私達のテーマであるこの御言葉です。

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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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私達の教会のマークは、十字架を見つめる目です。
それは、トータルクリスチャンチャーチのTとシティーチャーチのCCをデザインしていますが、いつも、イエス様を見つめ続ける事を意味しています。

ここに辱めをものともせずに十字架をしのばれたイエス様の姿が書かれています。

この方の前で高慢になる事は出来ません。
なぜなら、死刑になるあなたの罪を変わりに背負って下さったのがイエス様だからです。

だから、この十字架の前に私たちは謙るのです。
そして、イエス様が、この小さいものにしたのは、私にしたのだと言われるから愛し合うのです。

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ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
ペテロの手紙第一5章6節
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一番偉いのは誰でしょう。
一番謙ったものだと聖書は言います。
しかし、その謙りは、本当に自分の罪深さを認め、そのための神の払われた代価、その愛の大きさを知ったものの謙りです。

この愛の大きさは、聖霊様によって御言葉が解き明かされるのでなければ知ることは出来ません。

ですから、祈り聖書を読みましょう。
あなたが、主に向くなら、御霊なる主はあなたを造り変えてくださるのです。

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私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙第二3章18節
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お祈りしましょう。

<いのり>


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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シティーチャーチメッセージ20080427一番偉い人
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