礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080420
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見えるようになれ
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、癒し主、私達に信仰を与え、
信仰によって、私たちを癒してくださる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

では、まず、いつものように、聖書の通読箇所を見てみましょう。

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4月20日(日)[ ]Tサム3-5 /[ ]ルカ17:20-37
4月21日(月)[ ]Tサム6-8 /[ ]ルカ18:1-17
4月22日(火)[ ]Tサム9-10 /[ ]ルカ18:18-43
4月23日(水)[ ]Tサム11-13 /[ ]ルカ19:1-27
4月24日(木)[ ]Tサム14 /[ ]ルカ19:28-48
4月25日(金)[ ]Tサム15-16 /[ ]ルカ20:1-26
4月26日(土)[ ]Tサム17 /[ ]ルカ20:27-47
4月27日(日)[ ]Tサム18-19 /[ ]ルカ21
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旧約聖書は、サムエル記第一です。
サムエル記の前半は、祭司であり、預言者であるサムエルの誕生からその働きが書かれています。
特に、サムエルの誕生においては、その母であるハンナの信仰とその祈りが、注目すべき所でしょう。
そして、10章から、イスラエルの最初の王である、サウルが登場します。
しかし、彼は、主に従わず、その事を悔い改めません。
そこで、そのサウル王に代わる者として、16章では、ダビデが登場します。

展開の激しく、面白い所ですので、是非、お読み下さい。

新約聖書は、ルカの福音書が続いています。
18章で、エルサレムに向けての出発、そして、エリコ、
19章で、エルサレムへの入場と続き、そこから、十字架を前にしたエルサレムでのイエス様の歩みが書かれています。

皆さん聖書を通読しましょう。

さて、本日の聖書箇所に戻りたいと思います。

本日の聖書箇所は、このルカの福音書の18章です。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書18章35-43節
・新改訳Up141(贈呈p127英対p232)
・新改訳Vp154(贈呈p145)・口語訳p121
・新共同訳p145 (贈呈p145英対p225)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
18:35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。
18:36 群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。
18:37 ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、
18:38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。
18:39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
18:40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。
18:41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。
18:42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、
18:43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。
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ありがとうございます。
続いて、主題聖句を言いましょう。
まずは、教会学校の皆さんお願いします。

<あんしょう>
では、皆さんでいいましょう。

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【 主題聖句 】
見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。
ルカの福音書18章42節
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では、今日はこの所から、
「見えるようになれ」
と、題しまして、御言葉を共に見てまいりましょう。

今回の聖書の箇所で、イエス様がエリコに近づかれたとあります。

少し前から見てみたいと思いますが、ルカの福音書17章にこうかいてあります。

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そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
ルカの福音書17章11節
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イエス様は、エルサレムに向かっておられました、その途中、サマリヤとガリラヤの境を通られたと書いてあります。
そこから南下して、イエス様はエルサレムに向かわれました。
イエス様が、十字架に向かって歩まれた歩みは、このように、いったんヨルダン川の向こう岸に行き、そして、ヨルダン川を渡って、エリコを通り、その後、エルサレムへと向かわれたとなっています。

エリコはどんな所だったでしょうか?

少し旧約聖書のお話をしたいと思います。

旧約聖書の中で、最も重要な出来事は出エジプトです。
このとき、イスラエルの民は、エジプトの奴隷から解放され、カナンへと向かったのです。
聖餐式の元になる過越しの祭りも、この出来事に由来します。
小羊の血によって、イスラエルの民が贖われたという出来事は、イエス様の十字架の血によって、私達が罪から贖われた事につながります。

この出エジプトを果たしたイスラエルの民ですが、彼らは、割れた海を渡るという奇跡を経験しながら、神さまに不信仰の罪を犯し、そのため、荒野で40年さまよう事になります。
しかし、ついにイスラエルの民が、カナンへ入るときがきます。
それが、ヨシュア記に書いてあります。

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「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
ヨシュア記1章2節
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主がこのようにヨシュアにお命じになり、彼らは出発します。

そのとき、モーセが出エジプトをなしたときとおなじ奇跡がヨルダン川で起こります。

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上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するとこ
ろを渡った。
ヨシュア記3章16節
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ここで、彼らが、渡った先がエリコです。
そこには、堅固な城壁の町がありました。

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6:2 主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。
6:3 あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。
6:4 七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。
6:5 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなけ
ればならない。」
ヨシュア記6章2節
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その城壁の町を、崩すのに主は、不思議な方法をヨシュアに命じられました。
それは、城壁の周りを一日に一度回り、七日目に叫び声をあげるというものでした。
だだ、それだけで、このエリコの城壁はくずれ、ヨシュアたちはカナンへと入って行ったのです。

エリコはそのような信仰の場所でした。
それは、ただ、神さまの命令に従い行動した結果与えられた信仰の勝利でした。

その様な信仰の場所エリコにイエス様が近づいて行かれた時、イエス様に叫ぶ一人の人がいました。
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18:35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。
ヨシュア記18章35節
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その人は、目の見えない人で、道端で物乞いをしていました。

この盲人にとっては、ただ、目が開かれる事が願いでした。
彼は、イエス様に叫びました。
主はその叫びを聞いて下さいました。

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38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。
39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。
ルカの福音書18章38-40節
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ところが、イエス様は、彼に聞かれるのです。
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彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。
ルカの福音書18章41節
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いや、イエス様、彼は目が見えないのですから、当たり前ですよと、思いますか?
でも、彼が、何を信じているのか、その事が大切だったのです。
ローマ人への手紙の中でパウロはこう書いています。
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人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
ローマ人への手紙10章10節
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私たちは、心に信じて、それを口で告白して救われるのです。

皆さんは、何を信じておられますか?
この盲人は、「目が見えるようになる」と信じたのです。
つまり、主が目を見えるようにして下さると信じたのです。

あなたは、何を信じますか?
皆さん、神さまを信じておられます。
だから、こうして、教会にも来ておられます。

しかし、皆さん、皆さんの信じておられる神さまはどんな方ですか?

ヤコブの手紙には、こう書いてあります。
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19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
20 ああ愚かな人よ。あなたは行ないのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。
21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。
22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、
23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
ヤコブの手紙2章19-23節
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神さまのおられる事は、霊の世界においては当然の事です。
だから、悪霊たちも、その事を知っていて、みぶるいしていると書いてあります。
では、私たちは何を信じているのでしょう。

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信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
ヘブル人への手紙11章6節
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私たちは、この事を信じなければなりません。

先ほどの盲人は、自分が叫ぶことで、イエス様が答えてくださる事、自分の目が癒されることを信じました。

イエス様は、その事を、彼自身の口から聞こうとされたのです。
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「主よ。目が見えるようになることです。」
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彼は、言いました。
でも、これを言うのは簡単な事でしょうか?

彼は、ずっと目が見えませんでした。
そして、物乞いをして暮らしていました。

道行く人たちは彼のことを知っていました。

イエス様の前で、
「私は目が見えないのです。」
という事は簡単です。

でも、彼がしたのはそうではありません。
彼は言いました。

「目が見えるようになることです。」

神を求めるものに報いてくださる事を信じるのだと先ほど見ました。

私たちは、イエス様に、問題を持っていきます。
「この事が問題です。」
それも大切な事です。

では、それをイエス様が解決できると信じているでしょうか?

この盲人がどれほどの信仰でイエス様に近づいたかを考えて下さい。

イエス様にすがりつき、イエス様を動かす信仰を彼は持ち、そして、それゆえに、彼の目は癒されたのです。
だから、彼は癒されました。
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42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、
43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。
ルカの福音書18章42-43節
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多くの人が、主の前で自分の困難な状況を言い立てます。
しかし、多くの人が、それらを主が解決できると信じていません。

私達の信じる主はどんな方ですか?
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神にとって不可能なことは一つもありません。」
ルカの福音書1章37節
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不可能な事は無いと言われる方が、私達の主です。

アブラハムについて、こう書いてあります。
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聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。
ローマ人への手紙4章3節
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これは、信仰によって救われるという、救いの原点を教えています。
しかし、ここで、信じたというその事がどれだけ大きな力を持つかを考えて下さい。

私たちが、神さまを信じること、そこに主は働かれます。
それが、私たちが主につながることでもあります。

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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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よく耳にされる御言葉だと思います。
私たちはイエス様につながらなくて、何も出来ません。

でも、そのイエス様に私たちは何によって結びつくのですか?
それが、信仰です。

この信仰が私たちとイエス様をつなぐのです。
そして、信仰は何から始まるのですか?
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そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章17節
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キリストについてのみことばを聞くことから信仰は始まります。
では、キリストについてのみことばとはなにですか?
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あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
ヨハネの福音書5章39節
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聖書全てが、イエス様について、書かれているのです。

皆さん、聖書を読みましょう。
何の為ですか?

御言葉は、あなたのうちに信仰を起こさせ、あなたを通して神の力が働くようにします。
このためにどうしても必要なのは、御言葉と祈りです。

パウロはエペソ人への手紙の中で、心の目が見えるようになることを祈っています。
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17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
エペソ人への手紙1章17-19節
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御言葉と祈りに、聖霊様は働かれ、私達の霊の目は開かれます。

あなたの心の目がしっかりと開いて、そして、あなたがイエス様に求める時、
主は言われます。
「見えるようになれ。」
あなたの信じたとおりになるように。

信じましょう。

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神にとって不可能なことは一つもありません。」
ルカの福音書1章37節
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このことを覚えてお祈りしましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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シティーチャーチメッセージ20080420見えるようになれ
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