礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080406
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どうしても必要な事 
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、御言葉を持って私たちを導いて下さる方、私達の主です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、今週の通読箇所は、
旧約聖書が、ヨシュア記から士師記。
新約聖書は、ルカの福音書が続きます。

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4月6日(日)[ ]ヨシ23-24 /[ ]ルカ9:37-62
4月7日(月)[ ]士師1-2 /[ ]ルカ10:1-24
4月8日(火)[ ]士師3-4 /[ ]ルカ10:25-42
4月9日(水)[ ]士師5-6 /[ ]ルカ11:1-28
4月10日(木)[ ]士師7-8 /[ ]ルカ11:29-54
4月11日(金)[ ]士師9-10 /[ ]ルカ12:1-21
4月12日(土)[ ]士師11-12 /[ ]ルカ12:22-40
4月13日(日)[ ]士師13-15 /[ ]ルカ12:41-59
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士師記に出てくる人物として、皆さんは誰を覚えておられるでしょう。
エフデ、シャムガル、デボラ、ギデオン、トラ、エフタ、エロン、アブドン、サムソン
といった士師たちが続きます。
彼らはそれぞれ、イスラエルを守り、また、裁きました。
しかし、この時代はイスラエルにとって、異民族との戦いの連続でした。
そのことについて、こう書いてあります。
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これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。
士師記3章4節
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また、この時代は、こういう時代でした。
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そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。
士師記21章25節
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リーダーはいましたが、それぞれが、好き勝手にふるまっているとも言える時代でした。
そして、その結果は、イスラエルの民同士が、徹底的に争う程の問題へと発展しました。
私たちにとって、大切な事はいったいなにか。その事を考えさせられます。

新約聖書ルカの福音書は、お話の中で見て行きましょう。

さて、本日の聖書箇所をお読み頂きましょう。
本日の聖書箇所は、ルカの福音書10章です。

司会者お願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
ルカの福音書10章38-42節
10:38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
10:39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
10:40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹
におっしゃってください。」
10:41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
10:42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。
ルカの福音書10章42節
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では、今日はこのところから、
「どうしても必要な事」
と題しまして、御言葉を見て参りたいと思います。

さて、ルカの福音書を続けて読んでいますが、今回の箇所は、マルタとマリヤという姉妹が出てきます。

マリヤというと、イエス様のお母さんは、マリヤでした、また、マグダラのマリヤという女の人も、聖書に登場します。
このマリヤという名前は、前にも御話ししましたが、旧約聖書のある有名な方の名前から来ています。
それは、モーセとアロンのお姉さんです。
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アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。
出エジプト記15章20節
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このミリヤムが、ギリシャ語ではマリヤとなります。
ですから、イエス様の時代に沢山のマリヤが登場します。

今もそうですね。マリヤという名前の人は沢山おられます。

今回のマリヤは、ベタニヤという所に住んでいました。

このベタニヤという村は、福音書によく登場しますので、場所を確認してみたいと思います。

マルコの福音書と、ヨハネの福音書を見るとこう書いてあります。
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さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、
マルコの福音書11章1節
ベタニヤはエルサレムに近く、三キロメートルほど離れた所にあった。
ヨハネの福音書11章18節
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3キロというと、ここから樟葉くらいの距離ですね。
この村はよくイエス様が立ち寄られた村で、らい病人シモンの家もあり、また、イエス様によって生き返ったラザロは、このマリヤとマルタの兄弟でした。

この兄弟で、最初にイエス様をおむかえしたのは、マルタでした。
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さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
ルカの福音書10章38節
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さて、ここからの箇所は、教会でお話をする時、問題の起こりやすい箇所です。
何故でしょう。

それは、この箇所からお話をする時、私は、神さまの為に一生懸命やっているのに、それはダメなのですか?といった質問が出てくるからです。

熱心に主に仕えておられる方のなかから、そのような質問が出てくると、牧師や教会のリーダーは困ってしまいます。

しかし、この箇所でイエス様は、非常に大切な事を教えておられます。

その事こそ、熱心に主に仕えておられる方々の為であり、また、そのような方々を主が愛しておられるからこそ、主は、御言葉を通して語りかけておられるのです。

その結論から見てみましょう。
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しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。
ルカの福音書10章42節
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これが、イエス様の結論です。
彼女はイエス様の為に忙しく働いていました。
しかし、その彼女に、なくてならない大切な事は一つだとイエス様は語られたのです。

ここに登場するのは、マリヤとその姉マルタです。
そして、この箇所を見ていると、この箇所は、マリヤが良くてマルタが悪いということではありません。

この箇所は、あくまで、マルタとイエス様の会話なのです。

イエス様は、マリヤのしている事を、ほめておられるのではなく、マルタに語りかけておられるのです。

マルタは、イエス様を喜んでお迎えしました。
それは、何の為でしょう。
それがなぜかは書かれていません。

しかし、彼女は、喜んでイエス様をお迎えしたのです。

そのマルタの招待を、イエス様はお受けになり、家にいかれました。
マルタは、イエス様に来ていただき、一生懸命もてなそうとしました。

さて、イエス様は何のためにこられましたか?
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人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
マルコの福音書10章45節
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イエス様が来られたのは、仕えられる為ではなく、仕えるためでした。
そして、ご自身の命を与えるためでした。

イエス様は、どのように人々に仕えておられましたか?
イエス様は、人々を癒されました、悪霊を追い出されました。
また、人々に神の国の到来を告げ、また、神の言葉を語られました。

一方、マルタは、イエス様に喜んでいただこうとして、熱心にお迎えしました。
しかし、彼女はどうなったでしょうか?
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ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっ
しゃってください。」
ルカの福音書10章40節
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彼女は、心が騒いで、落ち着かなくなってしまっていました。
彼女の心からは平安が失われ、そこにいる妹への苛立ちへと変わっていました。

妹は何をしていましたか?
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彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
ルカの福音書10章39節
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彼女はイエス様の足元で御言葉を聞いていました。

さてこのやり取りの中で、もう一度いいますが、イエス様は、マリヤに対して、それでいいと語っておられるのではありません。
マルタに対して語っておられるのです。

マリヤはなぜ、そこに座っていたでしょうか?
イエス様の語られる御言葉が、彼女に必要だったのです。

イエス様は言われました。
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イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
マタイの福音書4章4節
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イエス様の語られた御言葉は、マリヤにとって、命のパンでした。

イエス様は、ご自身が命のパンだといわれました。

それは、実は、マルタにとっても大切なものでした。
いや、マルタにとって必要なものだったのです。
彼女は今、その必要なものを失い、平安を失っていました。

まず神の国と神の義をもとめなさい。
とも、言われますし、
私たちは、ぶどうの枝で、ぶどうの木であるイエス様を離れては何も出来ないとも書いてあります。

それは、彼女にこそ必要なものだったのです。

私たちは、何によって、生かされているのですか?
それは、神の言葉です。

私たちが聖書を通読するというそのことも、私達の霊を生かす大切なことです。

聖書の言葉は、私達の霊を成長させます。

私たちが、成長しないままで、何かをしようとするなら、そこには、限界がきます。
私たちは、御言葉により、命を受け、また、その霊が成長しなければならないのです。

主は言われます。
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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりま
せん。
ヨハネの福音書14章27節
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この平安は状況によりません。
ただ、主を見つめ主に頼り、主から平安を頂くのです。

そのとき主は、助けを与えてくださいます。

私達の助けはどこから来ますか?
それは、天と地を造られた主から来ます。

ただ、主に助けを求めていくのです。

この場面で、マルタは一見イエス様に助けを求めているように見えます。
しかし、彼女は、そこにいる妹を自分の助けと考えています。

主の与えられる平安は情況によりません。

どんな状況の中でも変わる事の無い平安を主は与え、導いて下さるのです。

主はご自身を与えるほどに私たちを愛してくださった方です。

主は、状況によらない平安を与え、喜びで満たして下さる方です。

この方を覚えて祈りましょう。

<いのり>


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20080406どうしても必要な事 
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