礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080330
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多くの罪が赦された者 
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【 内容 】 多く赦された者は多く愛する事。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

みなさんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は私達の罪を赦すため、十字架について下さった方。
また、十字架から、私たちをとりなして下さった方です。
この方を覚えて主の御言葉を聞いて参りましょう。

さて、水曜日から金曜日までCSKのキャンプに行っておりました。

毎年、春と夏に開かれる中学生と高校生を対象にしたキャンプで、淡路島のキャンプ場で行われています。
超教派のキャンプですが、子ども達がのびのび出来るキャンプです。
私も、なるべく毎年行くようにしています。
非常に良い時を過ごす事が出来ました。
皆さんお祈りありがとうございました。
若者は、次の時代を作る宝物です。
どのように育てて行くか、教会には何が出来るのか、祈りつつ進めて行きたいと思います。
皆さん。お祈りありがとうございました。

では、いつものように、まずは聖書の通読箇所を見てみましょう。

今回の聖書通読箇所は、こうなっています。
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範囲・通読箇所
3月30日(日)[ ]ヨシ8-9 /[ ]ルカ7:1-17
3月31日(月)[ ]ヨシ10-11 /[ ]ルカ7:18-35
4月1日(火)[ ]ヨシ12-14 /[ ]ルカ7:36-50
4月2日(水)[ ]ヨシ15-17 /[ ]ルカ8:1-26
4月3日(木)[ ]ヨシ18-19 /[ ]ルカ8:27-56
4月4日(金)[ ]ヨシ20-21 /[ ]ルカ9:1-17
4月5日(土)[ ]ヨシ22 /[ ]ルカ9:18-36
4月6日(日)[ ]ヨシ23-24 /[ ]ルカ9:37-62
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ヨシュア記は皆さん読んでおられるでしょうか?

今回の箇所で取り上げられているのは、
アイという場所での戦い。
ギブオン人。この人たちは、ダビデの時代になっても出てきます。
そして、土地の分割などが続きます。
私と私の家は主に仕えるという、有名な言葉も、ここに出てきます。

ルカの福音書は、お話の中で見て行きましょう。

是非皆さんお読みください。

さて、バイブルQ最後の回答です。

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 【 バイブルQ 】
旧約:モーセが死んだ時は何歳でしたか?
新約:イエス様は、ゲネサレ湖で、誰の舟に乗って群集を教えられましたか?

 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:120歳(申命記34章7節)
新約:シモン(ルカの福音書5章1-3節)
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モーセは、120歳で死にました。
神さまは、人の齢を120としようと言われましたが、その通りに、120歳でモーセは死にました。
律法を守り通した生涯と言えるでしょうか?

ゲネサレ湖それは、ガリラヤ湖の別名ですが、そこにあったシモンペテロの舟にイエス様は乗り、お話をされました。

さて、では、本日の聖書箇所に入って参りましょう。
今回の聖書箇所は、ルカの福音書です。

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【 聖書箇所 】 ルカの福音書7章36-50節
・新改訳Up113(贈呈p101英対p186)
・新改訳Vp124(贈呈p116)・口語訳p97
・新共同訳p116 (贈呈p116英対p181)
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では、司会者お願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
7:36 さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
7:37 すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、
7:38 泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
7:39 イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思っていた。
7:40 するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。シモンは、「先生。お話しください。」と言った。
7:41 「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。
7:42 彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
7:43 シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。
7:44 そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。わたしがこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってく
れました。
7:45 あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしがはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。
7:46 あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。
7:47 だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」
7:48 そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。
7:49 すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。」
7:50 しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
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ありがとうございます。
では、主題聖句を言いましょう。

<あんしょう>

では、皆さんでお願いします。

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【 主題聖句 】
この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。
ルカの福音書7章47節
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さて、では、このところから、
「多くの罪が赦された者」
と題しまして、御言葉を見て参りましょう。

今回の箇所は、聖書の中に似たようなお話があります。
十字架を前にした、葬りの用意として、香油をかけられるところとは違いますのでご注意ください。

イエス様は、パリサイ人の家に行かれました。

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7:36 さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
ルカの福音書7章36節
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イエス様が来られた当時、ユダヤ教には、大きく3つの派があったようです。
パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派。

そして、各派の人を、例えばパリサイ派の人を、パリサイ人といいました。

パリサイというのは、分かれるというような意味を持つ言葉で、
この世から分かれるように、律法に熱心な派でした。

また、サドカイは、祭司を中心とした派で、聖書をそのまま信じることをやめ、非常に世俗的になり、ローマの支配を嫌う一方、つながりも深くなっていました。

エッセネ派は、聖書には出てきません。しかし、バプテスマのヨハネのように、実際に、荒野で生活をして、神様に近づこうとするような人たちでした。

この中でパリサイ人が、イエス様と食事をしようとした。
このようなことは一度ではありません。

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37 イエスが話し終えられると、ひとりのパリサイ人が、食事をいっしょにしてください、とお願いした。そこでイエスは家にはいって、食卓に着かれた。
38 そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て、驚いた。
ルカの福音書11章37-38節
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ここにも同じような事が出ています。

聖書には、このような似た箇所が何度も出てくる時があります。
ですから、聖書を解釈しようとするなら、いいかげんに読むことは出来ません。
間違いの無い様に、正しい事を語る事が出来る様にと思いますが、それでも、後に間違いのわかることもあります。
みなさん私の為にもお祈り下さい。
また、今言ったような意味でも、聖書は、私的に解釈しない事が重要です。

書かれた事をそのまま読む。
それが、あなたの霊的な成長につながります。
そこには、解釈を必要としません。
皆さん聖書を通読しましょう。

さて、パリサイ人の家にイエス様がおられると、そこに香油のはいった石膏のつぼを持った女がやってきます。
そしてその女は、なんとイエス様の足を自分の涙でぬらして、髪の毛でぬぐい、香油を塗ったのです。

しかし、人々は、彼女の事、そしてイエス様の事をこういいます。
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イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思っていた。
ルカの福音書7章39節
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ここで、パリサイ人が言っていることは、この女が罪深い女であるということ、そして、イエス様が預言者ではないはずだということです。
預言者は、罪深い女にさわられたりしないとそう考えていることもわかります。

ここで、一つ、このパリサイ人について、考えてみたいと思います。
このパリサイ人は、イエスさまについて、誤解しました。
しかし、悔い改めて大きな働きをしたパリサイ人が聖書の中には出てきます。

それは、使徒パウロです。
彼は自分をパリサイ人として紹介しています。

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5 私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
6 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
7 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
ピリピ人への手紙3章5-7節
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そしてこの中でパウロは、そのような事が得であったが、むしろ損と思うようになったと言っています。

彼の信仰を表しているところがもう一つあります。
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「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
使徒の働き22章3節
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ここで、パウロは、自分の信仰の熱心さを訴えています。
しかし、同時に、それらが意味の無いものだと言っています。

パリサイ人は、熱心に律法を学び、そして、厳格に生きようとしていました。
しかし、彼らは、神さまの本質を見失ってしまったのです。

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だが、忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただ
し他のほうも、なおざりにしてはいけません。
ルカの福音書11章42節
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このイエス様を招いたパリサイ人もそうです。
彼らは、ただ、言いがかりをつけようとして、イエス様を招いたとは思えません。
もしかしたら、預言者かも知れないという思いもあり、それを確認しようとして、招いたのです。
それが、彼のつぶやきにあらわれています。
しかし、イエス様の本質を見る事が出来ませんでした。

イエス様は言われます。
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『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
マタイの福音書9章13節
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ルカの福音書ではこうです。
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わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
ルカの福音書5章32節
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さて、イエス様が招こうとされた罪人とは本当はいったい誰なのですか?

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それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
ローマ人への手紙3章10節
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義人はいない。つまり、聖書は、全ての人が罪人であると言います。
そうすると、パリサイ人も、実は、イエス様を必要とする罪人なのです。

ここで、イエス様は質問されます。

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40 するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。シモンは、「先生。お話しください。」と言った。
41 「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。
42 彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
43 シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。
ルカの福音書7章40-43節
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ここで、イエス様は、赦された事の比較をしておられます。

皆さん。私たちにとって大切なのは、自分が赦された事の大きさをしること、また、そのために払われた代価の大きさを知る事です。
その代価とは、イエス様の十字架です。
この代価が、大変な価値があることは変わりません。
しかし、私たちが、私達の罪の大きさを、50デナリと考えるのか500デナリと考えるのかは、あなたが決めるのです。

あなたが、自分の罪深さを認めるなら、あなたが赦された事は大きく、また、その感謝は大きなものとなり、
そして、それゆえ深く主を愛するものとなります。

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「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
マタイの福音書5章3節
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あなたが、心貧しく、へりくだるのか、赦されてあたりまえ、または、自分は正しく生きていると考えるのか。
天の御国は、へりくだるものの、物です。

大きな罪の赦されたものとして、主の前に出る事が出来る様に。お祈りしましょう。
主はあなたのすべての罪の代価を払って下さいました。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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シティーチャーチメッセージ20080330多くの罪が赦された者 
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