礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080309
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主の為に出来る事 
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【 内容 】 与えられた賜物を用いて、主に仕える事。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

みなさん。おはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを愛し、守り、導いて下さる方。
私達の主、救い主です。この方を覚えて、主の御言葉を聞いて参りましょう。

では、いつものように、聖書の通読箇所を見てみましょう。

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範囲・通読箇所
3月9日(日)[ ]民34-36 /[ ]マコ12:18-44
3月10日(月)[ ]申1 /[ ]マコ13
3月11日(火)[ ]申2-3 /[ ]マコ14:1-26
3月12日(水)[ ]申4 /[ ]マコ14:27-42
3月13日(木)[ ]申5-6 /[ ]マコ14:43-72
3月14日(金)[ ]申7-8 /[ ]マコ15:1-24
3月15日(土)[ ]申9-10 /[ ]マコ15:25-47
3月16日(日)[ ]申11-12 /[ ]マコ16
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今週の通読箇所は、旧約聖書が、民数記が終わり、申命記です。
申命記は、モーセの遺言とも言える書です。
この申命記の一章には、決定的な出来事が書かれています。
それは、モーセも、約束の地へは入れないという事です。
そして、約束の地へ、人々を導く務めは、ヨシュアへと引き継がれます。
約束の地を前にして、この荒野での歩み、そして、主が語られた事の総まとめとして、この申命記は書かれています。
モーセ五書の最後にふさわしい書です。
是非、皆さんお読み下さい。

また、マルコの福音書は、いよいよ、エルサレムでの歩みです。
マルコの福音書の、11章には、イエス様が、エルサレムに入られる所が出てきます。

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11:7 そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
11:8 すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。
11:9 そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。
11:10 祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」
11:11 こうして、イエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた。
マルコの福音書11章7-11節
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この木の葉を枝ごとと書かれているところは、別な書ではこうなっています。
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12 その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、
13 しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
ヨハネの福音書12章12-13節
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これが、棕櫚の日です。
ところで、棕櫚は、箒の材料にもなるヤシ科の木ですね。
しかし、このシュロと訳された物は、おそらく、ナツメヤシであろうと言われます。
まあ、私には、それだけ見るとどっちがどっちかわからないヤシ科の木です。

棕櫚の日は、イエス様の復活から丁度一週間前になります。
イエス様は、復活の一週間前に、エルサレム入りをされました。
ですから、その日はちょうど、日曜日です。

この棕櫚の日から、受難週が始まります。
それは、イエス様の十字架を覚える週です。
今年は3月21日が受難日、つまり、イエス様が十字架に架かられた日。
そして、3月23日が復活祭。良く言う、イースターです。
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3月16日棕櫚の日
3月21日受難日
3月23日復活祭
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このイースターという呼び方は、主に英語圏での呼び方のようです。
ところが、イースターという言葉は、異教の神エスターの名に由来するとの説が強く、異教の色が濃いため、私は、あまり使いたくありません。

それで、出来るだけ、復活祭と言っています。
まあ、イエス様は、そんな事どうでもいいと思われるかもしれません。

そもそも、クリスチャンにとっては、主の復活を覚えるのは、年に一度ではありません。
私たちが日曜日に集まり、主を礼拝する時、それは、主の復活を覚えて礼拝しに集まっているのです。

ちなみに、この復活祭。ヨーロッパでは、パスハと言われるようです。
パスハ(πασχα:ギリシャ語)これは、過ぎ越しを意味するヘブル語のペサハに由来するそうです。
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パスハ(πασχα:ギリシャ語)
ヘブル語のペサハ(過越し)に由来。
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つまり、この十字架と復活とは、旧約聖書の過越しそのままの出来事なのです。

少し余談が長くなりましたが、このような意味を覚えて、来週の棕櫚の日から受難週、そして、復活祭を待ち望んで参りましょう。

バイブルQはこうなります。
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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:マナセの一族のツェロフハデの娘たちの名は?
新約:金持ちが神の国にはいるよりは、何が針の穴を通るほうがもっとやさしい。とイエス様は言われましたか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァ。(民数記27章1節)
新約:らくだ。(マルコの福音書10章25節)

 【 バイブルQ 】
旧約:イスラエルは、どうすれば、命を得、約束の地を得る事が出来ますか?
新約:主は、あらかじめ、よみがえってから、どこに行くと言われましたか?
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これらの所も聖書から探してみて下さい。
では、本日の聖書箇所に戻りましょう。

本日の聖書箇所は、マルコの福音書14章です。
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【 聖書箇所 】マルコの福音書14章3-9節
・新改訳Up88(贈呈p79英対p144)
・新改訳Vp95(贈呈p90)・口語訳p75
・新共同訳p90 (贈呈p90英対p140)
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では、司会者お読み下さい。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書14章3-9節
14:3 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注い
だ。
14:4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
14:5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。
14:6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
14:7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
14:8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
14:9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

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ありがとうございます。
では、続いて、主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
マルコの福音書14章8節
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では、このところから、
「主の為に出来る事」
と題しまして、御言葉を見て参りましょう。

さて、先ほど、棕櫚の日のお話をしました。
このおなじマルコの福音書で見ますと、その棕櫚の日は、11章です。

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11:7 そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
11:8 すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。
11:9 そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。
11:10 祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」
マルコの福音書11章7節
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すると、今回の聖書箇所の14章は、すでにエルサレムに入られてからの出来事だとわかります。
しかも、今回の箇所は、まさに十字架を前にしての出来事です。


今回の14章の冒頭はこう書いてあります。
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さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕え、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。
マルコの福音書14章1節
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イエス様の御業の数々に人々は、集められていました。
過越しの祭りとなると、もっと人は多くなります。
イエス様がユダヤの王だと宣言して、ローマと戦いでもはじめたら大変だとでも思ったのでしょうか?
祭司長たちは、過越しの祭りまでに、手を打ちたいと考えたようです。

多くの者がイエス様の命を狙っていました。

そんな中、イエス様は、毎日、エルサレムに行き、宮で人々を教え、また、夜になると、ベタニヤに泊まられたようです。
イエス様が、食卓の席についておられると、一人の女がやってきました。
純粋で非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼ、彼女は、それを割り、中の香油をイエス様の頭にかけたのです。
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3 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。

4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。
マルコの福音書14章3-5節
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すると、何人かの者が憤慨してと、書いてあります。

イエス様にかけた香油はむだだったと、彼らは言っているのです。
300デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。

しかし、ヨハネは、この出来事をこう書いています。
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4 ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
5 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
6 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
ヨハネの福音書12章4-6節
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ユダは、貧しい人の事を考えていたのではなく、金入れの物を盗んでいたのだ。とヨハネは言います。
ヨハネは、人の行動の心を見る人ですね。
福音書が4つあることは大切な意味があるなあと思います。
ヨハネの福音書では、今のように、それぞれの人物の心をつかみやすいですが、出来事全体を把握するには不向きです。
ですから、最初に読むには不向きかも知れません。それで、ヨハネの福音書は福音書の中では一番最後なのかも知れません。
マルコの福音書は、出来事が次々書かれていて、全体を把握しやすい書だと思います。

それは、それとして、彼女がイエスさまにかけた香油は300デナリ。
聖書の中で、一デナリはおよそ一日分の給料だといいますから、簡単に1万円とすると、300万円
いや、それより多いよ、少ないよという意見の方は、それぞれの頭の中で計算しなおしていただくとして、とにかく、これくらいの金額だったわけです。
これは、大金です。
確かに、これを、貧しい人たちに配れば、一人に1000円なら、3000人、いや、もっと沢山の人を助ける事が出来るかも知れません。
しかし、イエス様は、この出来事の意味について、こういわれます。

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8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

マルコの福音書14章8-9節
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ここで、イエス様は、彼女のした事が、自分の埋葬の準備なのだと言われます。
マルコの福音書は、この後、おなじ14章の中で、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、裁判、ペテロの躓きと続きます。
展開の速い書だと思いますね。
このイエスさまに塗られた香油は、確かに、葬りの準備として、イエス様が墓に葬られる時までついていったのです。
ゲッセマネにも、裁判の場所にも、十字架にも、その香油は付いていき、最後、イエス様が葬られた時も、その高価な香油は香りを放っていた事でしょう。
この人のしたことは、記念となるとイエス様は言われました。

イエス様は、彼女のしたことについて言われました。
「この女は、自分にできることをしたのです。」

弟子たちも、自分だってわかっていたら、していたと思うかも知れません。
しかし、イエス様が、日頃、自分がどうなるかを話しておられるそのことが、本当にわかっていたのは、この女だけだったのです。
イエス様は、何度も何度も、自分が十字架に架かる事を教えておられました。
しかし、その意味を知って、そのために何が出来るか考えたのは彼女だけだったのです。

当時、女性は、結婚の為に、香油をためる習慣があったようです。
それは、彼女の結婚の費用にもなり、また、彼女に塗られる香りでもありました。
しかし、彼女は、その石膏のつぼから少しをとって、イエスさまにかけたのではありません。

そうではなく、そのつぼを割って、その香油を注いだのです。
彼女は、自分の持っているもの全てを差し出しました。

それは、イエス様がされることの意味をよくわかっていたからです。
彼女は、イエス様への感謝、そして、イエス様のなさる御業の大きさ、それらを知り、動かされたのです。

聖書は、神様を愛する事について、こう書いてあります。
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4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
申命記6章4-6節
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こころを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、
力を尽くし、それは、精一杯行うという事です。

彼女は、持っているものを精一杯捧げました。

しかし、ここに、あなたの心に刻みなさいとかかれています。
私たちが、御言葉を行う事が出来るのは、御言葉が心に刻まれた時です。

イエス様が人々の献金する姿を見ておられたときに、一番多く捧げたといわれたのは、一人のやもめでした。
しかも、彼女は、レプタ銅貨二つ。それは、小さな金額でした。
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41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。
42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。
43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。
44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
わかっていたら、と思うかもしれません。
マルコの福音書12章41-44節
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この献金を、イエス様は、最もたくさんだといわれました。
デナリを1万円と考えると、レプタは100円を少し越えるくらいの金額です。
エルサレムにやってきて、そして、その宮で、彼女は、二百円しか捧げる事が出来なかった。
しかし、それが、最も沢山だとイエス様が言われたのです。

また、コリント人への手紙第二の中には、こう書いてあります。
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11 ですから、今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げることができるはずです。
12 もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです。
コリント人への手紙第二8章11-12節
++++++++++
これは、献金だけに限りません。
私達の知識、力、能力、全てが、神様から与えられたものです。

ですから、それは、本来、神様の為に用いられなければなりません。

さて、私たちが、主の為に出来ることは何でしょうか?
主にとっては、300デナリの香油も、また、レプタ二つの献金も同じです。
なぜなら、その心を主は見ておられるからです。

香油をイエス様にかけた女性は、イエス様のなさる事の意味を受け止めました。
みんなが、聞いていました。しかし、彼女だけが、その言葉に動かされたのです。
イエス様が十字架に架かるという言葉に。

彼女は何度も何度も、イエス様が語られるその事をしっかりと聞いていたのでしょう。
また、それが、自分の罪のためである事もわかったのでしょう。
それゆえ彼女は動かされ、そして、このことをなしたのです。

皆さん。イエス様が十字架で死なれた事を、皆さんも知っています。
いや、沢山の人がその事をしっています。
しかし、それは、歴史の中に起こった、あなたと無関係な出来事でしょうか?

それとも、イエス様の十字架は、神様がその愛の為にあなたになしてくださった、あなたの為の出来事でしょうか?

私たちは、その事を、しっかりと受け止めるために聖書を読まなければなりません。
それは、強制ではありません。
しかし、私たちが、聖書を読んで祈らなければ、この神様の愛を知ることは出来ません。

神様の愛に動かされてでなければ、どんなに立派にふるまっても何の意味もありません。

聖書を読みいのりましょう。
主の前に、自分自身を心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、捧げて参りましょう。
そして、主との素晴らしい関係を築いていきましょう。

お祈りします。
<いのり>
[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20080309主の為に出来る事 
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