礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080302
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主の御心を知る 
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【 内容 】 主の御心を知り従う事。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、変わらぬ愛によって私たちを愛し導いて下さる方。
全能の主、王の王です。
この方を覚えて御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、では、いつものように、聖書の通読箇所を見てみましょう。

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範囲・通読箇所
3月2日(日)[ ]民20-21 /[ ]マコ8:22-38
3月3日(月)[ ]民22-23 /[ ]マコ9:1-29
3月4日(火)[ ]民24-25 /[ ]マコ9:30-50
3月5日(水)[ ]民26-27 /[ ]マコ10:1-31
3月6日(木)[ ]民28-29 /[ ]マコ10:32-52
3月7日(金)[ ]民30-31 /[ ]マコ11
3月8日(土)[ ]民32-33 /[ ]マコ12:1-17
3月9日(日)[ ]民34-36 /[ ]マコ12:18-44
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旧約は、民数記です。今回の箇所に、モーセの姉ミリヤムの死や、アロンの死が出てきます。
また、新約聖書は、マルコの福音書が続きます。
パンを増やされた話しなどがあり、そして、エルサレム入城が出てきます。
皆さん、聖書を読みましょう。
次に、バイブルQです。
こうなります。
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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
 【 バイブルQ 】
旧約:モーセが使わした偵察隊のうち、エフライムの部族からの者は誰でしたか?
新約:5つのパンと二匹の魚で、人々が食べたあとのパン切れはいくつのかごにいっぱいになりましたか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:ヌンの子ホセア。(民数記13章8節)
新約:12のかご。(マルコの福音書6章43節)

 【 バイブルQ 】
旧約:マナセの一族のツェロフハデの娘たちの名は?
新約:金持ちが神の国にはいるよりは、何が針の穴を通るほうがもっとやさしい。とイエス様は言われましたか?
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是非、聖書を読み、聖書から、探してみてください。

さて、では、本日の聖書箇所に入りましょう。
司会者お願いします。

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【 聖書箇所 】マルコの福音書9章30-43節
・新改訳Up77(贈呈p69英対p126)
・新改訳Vp84(贈呈p79)・口語訳p66
・新共同訳p79 (贈呈p79英対p123)
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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書9章30-43節
9:30 さて、一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。イエスは、人に知られたくないと思われた。
9:31 それは、イエスは弟子たちを教えて、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」と話しておられたからである。
9:32 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。また、イエスに尋ねるのを恐れていた。
9:33 カペナウムに着いた。イエスは、家にはいった後、弟子たちに質問された。「道で何を論じ合っていたのですか。」
9:34 彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。
9:35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
9:36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
9:37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされ
た方を受け入れるのです。」
9:38 ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」
9:39 しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。
9:40 わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。
9:41 あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。
9:42 また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。
9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。
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では、続いて、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。
マルコの福音書9章37節
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では、今日はこのところから
「主の御心を知る」
と題しまして、御言葉を聞いて参りたいと思います。

今回の聖書箇所は、マルコの福音書9章です。
その9章の始の方は、こう書いてあります。

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9:2 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。
9:3 その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。
9:4 また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていた。
マルコの福音書9章2-4節
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この出来事で、イエス様の姿が変わり、そして、イエス様はモーセと、エリヤと語り合っておられたとあります。
イエス様は彼らと何を語られたでしょう。それは、書いてありません。
しかし、モーセは、律法です。そして、エリヤは預言です。
律法の成就であり、預言の成就である、イエス様による救いの完成、つまり、イエス様は、ご自身の十字架の死について、語っておられたのではないでしょうか?

そして、その後、今回の箇所で、近づいてきた十字架を意識して、イエス様は言われます。
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それは、イエスは弟子たちを教えて、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」と話しておられたからである。
マルコの福音書9章31節
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しかし、誰もその事を理解する事が出来ませんでした。
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しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。また、イエスに尋ねるのを恐れていた。
マルコの福音書9章32節
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彼らにとっては、今のイエス様との旅は、病を癒し、悪霊を追い出し、そして、エルサレムに行き、イエス様が王になるのを見ることだったのではないでしょうか?
しかし、イエス様は言われます。
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32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人を直し、三日目に全うされます。
33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』
ルカの福音書13章32-33節
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また、こうも言われます。
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そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」
ルカの福音書9章22節
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イエス様は、十字架で死ぬ、それは、そのようにしなければならない事でした。
なぜ、このイエス様の死が、律法の成就になりますか?
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6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
ピリピ人への手紙2章6-9節
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それは、父なる神様への完全な従順です。
神様の御言葉に、死にまで従う、それが、イエス様の十字架の死です。
アダムの神様への不従順は、アダムを死へと追いやりました。
律法の本質は、神を愛し、隣人を愛する事です。
神を愛するとは、神の戒めを守り、神に従う事です。
イエス様は、神を愛し、神に従い、そして、神に従うゆえに、十字架で死なれたのです。

そして、それは、旧約聖書に預言された預言の成就でもありました。

イエス様は、この救いの完成の為に、十字架に向けて歩いておられました。
ところが、弟子たちは、そのとき何を話していましたか?
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33 カペナウムに着いた。イエスは、家にはいった後、弟子たちに質問された。「道で何を論じ合っていたのですか。」
34 彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。
マルコの福音書9章33-34節
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彼らの議論は、誰が一番偉いかでした。
ペテロでしょうか?ヨハネでしょうか?
イエス様が王としてエルサレムに行かれる。
このとき、イエス様は、病を癒し、悪霊を追い出し、様々な御業をなしながら進んでおられました。
ひとびとは、イエス様に付き従い、どんどんその群れは増えていました。

そして、いよいよ、イエス様はエルサレムに向かわれる。
これは、イエス様がエルサレムで王様になり、あのローマをやっつけて下さるのだと考えても、おかしくなかったでしょう。
ですから、誰が、大臣になるのか、誰が、将軍になるのか、、。その様な事を話したかもしれません。

しかし、イエス様は、何を考えておられましたか?
イエス様は、十字架で死ぬ事を考えておられました。
イエス様にとって、十字架で死ぬその事が、律法の成就であり、預言の成就であり、そして、王の王、主の主としての、悪魔に対する勝利でした。
イエス様は、弟子たちを呼び寄せて、言われます。
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35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた
方を受け入れるのです。」
マルコの福音書9章35-37節
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これを見て、なんという余裕だろうと、思います。

イエス様は、いま、十字架に向けて歩んでおられるその中で、弟子たちが、誰が偉いか議論している。
あなたがイエス様なら、もういい加減にしろといいませんか?
しかし、彼らを集めて、そして、教え、おまけに子どもを抱いて、互いに受け入れあう事を、説明される。

皆に仕えるもの、皆のしんがりとなられたのは誰ですか?
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キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
ピリピ人への手紙2章8節
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自分を卑しくし、死にまで従い、ご自身の命さえ与えてくださったイエス様です。
この方を、私たちは、信じています。
また、今日、聖餐式があります。
それは、この、イエス様の死を覚えるためでもあります。

それを覚えて何をするのですか?
こう書いてあります。
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ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
コリント人への手紙第一11章26節
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主の死、つまり、十字架で死んで下さったイエス様を伝えるのです。

聖書の中には、大切な戒めが、沢山あります。最も重要なのは、神を愛し、隣人を愛する事です。
しかし、聖書の中で、一番重要なのは、このことです。
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私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
コリント人への手紙第一15章3節
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イエス様の考えておられた事は、この神の戒めの成就でした。
それは、救いの完成でもありました。

そして、この完成された救いは、いま私達にゆだねられました。
イエス様は言われます。
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15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
マルコの福音書16章15-16節
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この世において、このイエス様による救い以上のものがあるでしょうか?

ですから 私たちが福音を伝える事は、非常に大切なのです。
主の戒めは、互いに愛し合う事、そして、主の命令は、主の死を伝える事です。

私たちは、この事に心を向けましょう。
お祈りしましょう。
<いのり>
[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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シティーチャーチメッセージ20080302主の御心を知る 
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