礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080224
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あなたの信じたとおりに
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【 内容 】 主の祝福を受け取る信仰。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私達に信仰を与え、その信仰を成長させて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、まずは、今週の通読箇所から見てみましょう。
今週の通読箇所は、こうなります。

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範囲・通読箇所
2月24日(日)[ ]民5-6 /[ ]マコ5:1-20
2月25日(月)[ ]民7 /[ ]マコ5:21-43
2月26日(火)[ ]民8-10 /[ ]マコ6:1-29
2月27日(水)[ ]民11-13 /[ ]マコ6:30-56
2月28日(木)[ ]民14-15 /[ ]マコ7:1-23
2月29日(金)[ ]民16-17 /[ ]マコ7:24-37
3月1日(土)[ ]民18-19 /[ ]マコ8:1-21
3月2日(日)[ ]民20-21 /[ ]マコ8:22-38
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旧約聖書が民数記。
新約聖書はマルコの福音書が続きます。
是非お読み下さい。

また、バイブルQはこうです。
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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:ヨベルの年は何年目ですか?
新約:アルパヨの子レビはどこにいましたか?

 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:50年目。(レビ記25章10節)
新約:収税所。(マルコの福音書2章14節)

 【 バイブルQ 】
旧約:モーセが使わした偵察隊のうち、エフライムの部族からの者は誰でしたか?
新約:5つのパンと二匹の魚で、人々が食べたあとのパン切れはいくつのかごにいっぱいになりましたか?
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このヨベルの年は、50年目です。
アルパヨの子レビは、ローマの税金を徴収する仕事をしていました。

次のクイズも探してみてください。
皆さん聖書を読みましょう。

では、本日の聖書箇所に入りましょう。
本日の聖書箇所は、マルコの福音書です。
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【 聖書箇所 】マルコの福音書6章1-6節
・新改訳Up68(贈呈p61英対p112)
・新改訳Vp75(贈呈p71)・口語訳p59
・新共同訳p71 (贈呈p71英対p109)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書6章1-6節
6:1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。
6:2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あ
るわざは、いったい何でしょう。
6:3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
6:5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
6:6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。
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ありがとうございます。
では、今日はこのところから、
「あなたの信じたとおりに」
と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

さて、今回のマルコの福音書は、イエス様の郷里での出来事です。
イエス様は、安息日に、会堂に入って教えられました。

今回の箇所を見る前に、前回の聖書箇所から、少し見たいと思います。
こう書いてあります。
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1:21 それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。
1:22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
マルコの福音書1章21-22節
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ここで、イエス様が、安息日に、会堂にはいり、御言葉を語られた事が書かれています。
郷里での時と同じです。
人々は、そのとき、そのイエス様の権威を受け止め、そして、御言葉を信じました。

イエス様はそのようにして、信じた人たちの中で、様々な御業をなさいました。
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イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をお直しになり、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。
マルコの福音書1章34節
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ここで、さまざまの病気にかかっている人をいやし、多くの悪霊を追い出されました。
しかし、その様な事に対して、郷里ではどうだったでしょうか?
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1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。
2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわ
ざは、いったい何でしょう。
3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
マルコの福音書6章1-3節
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ここで、人々は、イエス様の言葉に驚きましたが、イエス様の人間としての姿しか見る事が出来ませんでした。
彼らは、このイエスという人は、大工じゃないか。知っている人じゃないかと考えました。
そのため、彼らは、イエス様がお与えになる物を受け取る事が出来ませんでした。
救い主として、また、預言者としても受け止める事が出来ませんでした。

彼らはイエス様が何故このような事が出来るのかと考えています。
しかし、彼らにとって本当に大事だったのは、イエス様が彼らに与えようとしておられるものを受け取る事でした。
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4 イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
マルコの福音書6章4-5節
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このことから、私たちは、自分の周りで、親しい人たちの中で、奇跡を見る事の困難を思います。
イエス様は、彼らの中で、彼らの不信仰をなげておられます。
イエス様でさえ、人々は、信じる事が出来なくて、そのため、力ある業をおこなわれなかったのです。
そして、ここでは、少数の病人に手を置いていやされただけだったと書いてあります。
ここで、力ある業をおこなわずではなく、行う事が出来ずと書いてあります。

では、イエス様のなさる力ある業を止めたのは何ですか?
それは、人々の不信仰です。

イエス様はいまも、奇跡をなさいます。
しかし、私たちが信じないならそのことは起こらないのです。

人は、目に見える事柄で判断をします。
しかし、神様のお与えになるものは、時として、みかけと違う中身をもってやってきます。

ところで、ここで、病人に手を置いて癒されたとあります。
癒しは、信仰深い、立派な誰かが手をおいて祈ったら起こると考えていないでしょうか?
そうではありません。

ローマの百人隊長は、その僕の病の癒しの為に、イエス様から御言葉を頂こうとしました。
そして、ただ、その御言葉によって、彼の僕はいやされたのです。

それが、今回の主題聖句に選んだ箇所です。
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さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。
マタイの福音書8章13節
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この隊長は、信仰をもってイエス様の御言葉を頂いた人でした。
そして、その御言葉が、そのしもべを癒したのです。
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主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。
詩篇107篇20節
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これが、主の御言葉の力です。
主は御言葉を送り、私たちを癒されます。
ところで、この箇所をみるとき、これは、父なる神様が、御言葉であるイエス様を、この地に送ってくださって、滅びから救って下さったとも見ることが出来ます。
イエス様は、私たちを癒し、罪の為のあがないをなすために来てくださいました。

しかし、このイエス様の郷里において、人々は御言葉ではなく、人としてのイエス様を見ました。
イエス様は、神様が人となってこられた方です。
おとめマリヤより生まれ、幼い日を大工の子として過ごされました。また大工として働かれたといわれます。
しかし、その中に、神様の命が生きていました。
ところが、イエス様を幼い頃から知っている人々は、その内側を受け取る事が出来ませんでした。

まるで、みすぼらしい土の器にいれられた、最高級のぶどう酒のような、イエス様の恵みを受け取る事が出来なかったのです。

私たちが、信じようと信じまいと、イエス様は言われます。
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さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。
マタイの福音書8章13節
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わたしたちが、信じるか信じないか、そのことに救いはかかっています。

あなたは、何を信じますか?
あなたにとって、神様はどんなかたですか?
良い事をされるかたですか?悪い事をされる方ですか?
やさしいかたですか?厳しいかたですか?
助けてくださる方ですか?助けてくださらない方ですか?

神様は良い方です。
神様はやさいいかたです。
神様は助けて下さる方です。
なぜわかりますか?

神様が良い方であるそのことは、どうしてわかりますか?
それは、人類の歴史の中で、2000年前のたった一度の出来事で証明されました。
神様が、私たちの為に、ご自身の一人子イエス様を十字架につけられたのです。
そして、私達の救いを成し遂げてくださいました。

神様は良い方です。
そして、神様の言葉は生きていて力があります。

私たちは、その神様の言葉を信じるのです。

信仰について、同じような言葉として、こう書かれています。
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そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」
マルコの福音書5章34節
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これは、一人の女性が、イエス様によって癒されたところです。
イエス様は、あなたの信仰が直した。といわれます。

神様の奇跡は、私たち受け取るものの信仰によって起こります。
使徒の働きにパウロの行ったこういう奇跡があります。
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8 ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。
9 この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、
10 大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。
使徒の働き14章8-10節
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パウロが彼を立たせたのではありません。
足の悪かったその人の信仰が、癒したのです。

皆さん。私たちが信じるなら、おこるのです。
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それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
ルカの福音書17章19節
イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、
ルカの福音書18章42節
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どちらも、あなたの信仰があなたを治したと書いてあります。
イエス様を信じ、御言葉を信じる信仰によって起こるのです。

そして、信仰は、聞く事から始まります。
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そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章17節
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キリストについての言葉を聞き、そして、その言葉を信仰をもって受け止めましょう。

私たちは何のために聖書を読みますか?
聖書を読むとき、神様が御言葉によって何をなさるかがわかります。
私達の信仰がそのことで成長します。
信仰とは、神様との信頼関係です。
そして、神様との信頼関係が、すなわち霊の成長です。

私たちが祈り、聖書を読むとき、私達の信仰が成長します。
それは、私達の霊の成長です。

そして、信仰によって歩むなら、神様は、素晴らしい御業を見せて下さいます。
祈りましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20080224あなたの信じたとおりに
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