礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ





−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20080127
−−−−−−−−−−
天の御国に入るには
−−−−−−−−−−
【 内容 】 どうすれば、天の御国に入れるのか。
−−−−−−−−−−

++++++++++
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを御国へと導くために、この世に来てくださり、
十字架で、贖いを成し遂げてくださいました。
この方を覚えて、御言葉を聞いてまいりましょう。

では、まず、通読箇所を見てみたいと思います。

−−−−−−−−−−
1月27日(日)[ ]出エ11-12 /[ ]マタ18:1-20
1月28日(月)[ ]出エ13-14 /[ ]マタ18:21-35
1月29日(火)[ ]出エ15-16 /[ ]マタ19
1月30日(水)[ ]出エ17-19 /[ ]マタ20:1-16
1月31日(木)[ ]出エ20-21 /[ ]マタ20:17-34
2月1日(金)[ ]出エ22-24 /[ ]マタ21:1-22
2月2日(土)[ ]出エ25-27 /[ ]マタ21:23-46
2月3日(日)[ ]出エ28-29 /[ ]マタ22:1-22
−−−−−−−−−−

旧約聖書は、出エジプト記。11章から29章では、
過ぎ越しから、出エジプト、紅海がわかれて、そこをわたる所、そして、荒野での歩み、幕屋と祭司の装束などが出てきます。
新約聖書は、マタイの福音書です。
18章から例えや教えが続きます。
そして、21章で、いよいよエルサレム入城です。

皆さん聖書を読みましょう。

次に、バイブルQです。答えはこうなっています。
−−−−−−−−−−
【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:ヤコブから生まれたものの総数は何人だと書いてありますか?
新約:何が人を汚すとイエス様は言われますか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:70人。(出エジプト記1章5節)
新約:口から出るもの。(マタイの福音書15章18節)

 【 バイブルQ 】
旧約:イスラエルとアマレクの戦いで、モーセがどうすると、イスラエルが優勢になりましたか?
新約:ぶどう園で働く労務者のたとえで、主人は労務者と一日いくらの約束をしましたか?
−−−−−−−−−−
ヤコブは70人で、エジプトに移住しました。
それが、出エジプトにおいては、おびただしい人数に増えているのです。
また、イエス様は、口から出るものが人をけがすと言われました。
わたしたちは、口の告白を大切にしなければなりません。

次のバイブルQはこうなっています。
バイブルQは、聖書通読の箇所から出ています。
一週間通読されると、答えに出会います。
是非、聖書をお読み下さい。

では、聖書箇所をお読みいただきましょう。
聖書箇所は、マタイの福音書19章です。
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】マタイの福音書19章13-26節
・新改訳Up35(贈呈p32英対p57)
・新改訳Vp38(贈呈p37)・口語訳p30
・新共同訳p37 (贈呈p37英対p55)
−−−−−−−−−−
では、司会者お読み下さい。
++++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】
19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
19:15 そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。
19:16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
19:17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
19:18 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
19:19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
19:20 この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」
19:21 イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしにつ
いて来なさい。」
19:22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
19:23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。
19:24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
19:25 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
−−−−−−−−−−
では、続いて、主題聖句を言いましょう。
−−−−−−−−−−
【 主題聖句 】
それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。
マタイの福音書19章26節
−−−−−−−−−−
では、今日はこのところから、
「天の御国に入るには」
と、題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

この箇所で、私たちは、一つの対比を見る事が出来ます。

まず、最初に子どもたちが出てきます。
彼らについて、イエス様は言われます。
++++++++++
しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
マタイの福音書19章14節
++++++++++

「天の御国は、このような者たちの国なのです。」
天の御国はこのような者たちの国だと言われました。
しかし、この子どもたちは、ただ、大人に連れられて、やってきた子どもたちです。
特別立派なこどもたちではありません。

こどもたちはきよらかだ、とか、天使だとか、そういうことではありません。

さて、これに対して、一人の人が、イエス様のところに来ていいます。
この人は立派なひとで、お金持ちでもあったようです。
その人がいいます。

++++++++++
すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
マタイの福音書19章16節
++++++++++

ここで、彼は、永遠の命を得るための方法を聞いています。
この事について、イエス様はお答えになるわけですが、そのやり取りの後、その人が去った後、こう書いてあります。

++++++++++
それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。
マタイの福音書19章23節
++++++++++
ここで、「金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。」
と、イエス様は言われました。

先ほど、子どもたちに対して、イエス様は、
「天の御国は、このような者たちの国なのです。」
といわれました。
彼らは、特別天の御国を求めているものではありません。
一方この人は、天の御国を求めている人です。
いましめもまもり、立派な人です。

しかし、このひとについて、イエス様は、
「金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。」
と、言われたのです。なぜでしょうか?

あの、山上の垂訓と言われるマタイの福音書の5章のところで、
天の御国について、二度書かれています。
それは、この二つです。
++++++++++
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
マタイの福音書5章3節
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
マタイの福音書5章10節
++++++++++

ここで、「心の貧しいもの」と、「義の為に迫害されている者」に、イエス様は「天の御国はその人のものだ」と言われました。

そして、イエス様は、こうも言われました。
++++++++++
まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。
マタイの福音書5章20節
++++++++++

義の為に迫害されている。ということですが、
この義について、イエス様は、天の御国に入るには、律法学者や、パリサイ人に勝る義が必要だといわれます。

先ほど、お金持ちが天の御国にはいるには、らくだが針の穴を通るよりも難しいと書いてありました。
この針の穴ですけれども、エルサレムにある針の門について、イエス様は言っておられます。
それは、狭い門です。
聞いているものがイメージできるように、イエス様はこの箇所を言っておられます。

らくだは荷物を積んで、そこを通ろうとします。
こぶも、いっぱいに膨らんでいるかもしれません。
らくだは、荷物をおろしてで無ければ、そこを通る事が出来ません。

私たちも同じです。
いろいろなものを抱えたままでは、天の御国に入ることは出来ないのです。

私たちがどこに目を向けているか、それが、大切です。

さて、律法学者、パリサイ人に勝る義の話でした。

義については、こうも書いてあります。
++++++++++
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
マタイの福音書6章33節
++++++++++
神の国とその義、つまり神の国の義を求めるようにと書いてあります。
神の国の義があるのです。
私たちが、義と聞いて、勝手に判断する義ではなく、神様の義があるのです。

それは、私達に人間が、正しいかどうかの判断をするのでなく、神様の判断をするということでもあります。

義を行えと聞くと、自分の考えで、何か正しい事を行おうと考えます。
でも、私たち自身の考えが、はじめから、神の国と離れている事をわたしたちは知るべきです。

わたしたちは、神様の差し出されたものを受け取るのではなく、自分の考えで義を立てようとするのです。

パリサイ人や律法学者について、こう書いてあります。
++++++++++
ヨハネの教えを聞いたすべての民は、取税人たちさえ、ヨハネのバプテスマを受けて、神の正しいことを認めたのです。
これに反して、パリサイ人、律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けないで、神の自分たちに対するみこころを拒みました。
ルカの福音書7章29-30節
++++++++++
彼らは、結局、神様のみこころを拒んだのです。

ですから、まず、私たちは、自分の考えを捨てて、神様に目を向けなければなりません。
それが、悔い改めです。

よく、悔い改めとは、私たちが、人生を180度方向転換する事だと言います。
その通りです。
イエス様を信じるとは、その方向転換をしたことです。
ところが、方向を変えるとき、結局この世の基準や自分の考えで、神様に視点を合わせる事が出来ない事があります。

このヨハネのバプテスマのところで、ヨハネの教えを聞いたすべての民はどうしたと書いてありますか?
彼らは、神の正しい事を認めたのです。

神の正しい事を、認める。
この事に注目して下さい。

そして、もう一つ、
律法学者やパリサイ人が、ヨハネからバプテスマを受けないで、神の自分たちに対するみこころを拒んだ、という事を見て下さい。

私たちが考えて、こうやったら、神様に認めてもらえるという事ではないのです。
神様ご自身が私達に、与えてくださったのです。

神様がもっとも大切なものとして与えてくださったのは何ですか?
それは、イエス様です。神の御子イエス様を与えて下さいました。
この方をただ、受け取るようにと差し出してくださいました。
イエス様は、あがないの為に、私達の為に死んで下さいました。
このことをただ、受け取るだけで、私たちは義とされたのです。

ある人たちは受け取りません。
そして、どうやったら、義とされるかと考えます。


義とは本来神様に従う事です。
自分の正しいと思う事をおこなうことではありません。

自分の正しいと思う事を行うことが、罪です。
そして、それによって、人は争うのです。

神の正しい事を認め、神に従う。
それが、悔い改めであり、神の義を行う事です。
マタイの福音書7章にこう書いてあります。
++++++++++
21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
マタイの福音書7章21-23節
++++++++++
ここで、預言をし、悪霊を追い出し、奇跡を行った人たちの事が書かれています。
預言という事は、広くは、主の御言葉を預かり語る事ですから、福音を伝える事もそうです。
しかし、その様などのわざも、人を天の御国に入れることは出来ません。

私たちはペンテコステの教会です。
聖霊様の大いなる御業が現れる事を期待します。
しかし、その事が、それを行うものを天国に導くのではありません。

彼らは、みこころを行うものではありませんでした。
こんなに神様の為に一生懸命やっているのに。
どんなに、やったとしても、それで、神の国に入ることは出来ないのです。

ここで、もう一度、イエス様のもとに来た人とのやりとりを見てみましょう。
++++++++++
16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
18 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
20 この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」
21 イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて
来なさい。」
22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
マタイの福音書
++++++++++
ここで、彼は、永遠の命を得るための方法を聞いています。
念の為に言いますが、これに対して、イエス様が、天の御国に入るのは難しいと書いておられるので、
永遠の命を得る事と、天の御国に入ることは、ここにおいては、同じ意味にとって下さい。

永遠の命を得る。そのためにどんな良い事をしたらよいかというのが、彼の質問です。
イエス様は、戒めを守るように言われ、その戒めとして、モーセの十戒やレビ記から引用されます。
しかし、面白い事に、これは全て、戒めの中で、人と人との関係について、書かれているものです。

青年は、それらのことは守っていますといっています。

イエス様は、それに対して、全てを売り払ってイエス様に従うようにといわれます。

彼はそれが出来ないと、悲しんで去って行きました。
彼は、自分の義を立てようとしていました。

神様が彼に何をしようとしておられるか?
その事をしろうとしませんでした。

しかし、彼の目の前に、その答えはあったのです。
神様が差し出しておられるイエス様が、そこにおられたのです。

でも、彼は、自分で自分の義を立てようとして聞きます。
「どうしたら」
そして、自分の義を立てる方法を聞き、それは出来ないと帰って行きました。

一つの答えが、ヨハネのバプテスマについて、イエス様が話された所にありました。
それは、神が正しいと認め、神の命令にしたがうことです。

自分の考えで、自分を立てあげるのでなく、神様に従う。

そのためには、私たちは、聖書を読まなければなりません。
聖書を読まなければ、神様の御心はわかりません。
でも、聖書を読めば天国へいけるのでもありません。
沢山の聖書学者が、とんでもない解釈をして、神様から遠く歩んでいます。

私たちは、信仰を持って聖書を読まなければなりません。
イエス様を受け入れて、聖書を読まなければなりません。
そのとき、聖書は、私達の霊を成長させます。

こう書いてあります。
++++++++++
いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。
使徒の働き20章32節
++++++++++
信仰を持って聖書を読みましょう。

そして、神様のみこころについて、イエス様は言われます。
++++++++++
事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」
ヨハネの福音書6章40節
++++++++++
私たちが、イエス様を信じ、永遠の命を持つ事。
これが、神様の御心です。

この事の為に、イエス様は、十字架で死んでくださって、そのみこころをなしとげて下さったのです。

先ほど、悔い改めることは、方向転換だとお話しました。
しかし、方向転換するときに、どう正しく生きるのかという事を、自分の考えや世の中の考えで行ってはいけないのです。

神様の方法。
イエス様を与えてくださった神様の方法によらなければならないのです。
ですから、私たちは、このことから、離れないようにしましょう。

イエス様が、私達の為に成してくださった事がどんなに素晴らしいか、それを覚えてお祈りしましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20080127天の御国に入るには
−−−−−−−−−−

INDEX
TOP