礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ






−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20080120
−−−−−−−−−−
恐れることはない
−−−−−−−−−−
【 内容 】 恐れず主に信頼する事。
−−−−−−−−−−

++++++++++
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちと共にいて、慰め励まし、平安を与えて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いてまいりましょう。

今週の通読箇所はこうなっています。
−−−−−−−−−−
範囲・通読箇所
1月20日(日)[ ]創45-46 /[ ]マタ13:31-58
1月21日(月)[ ]創47-48 /[ ]マタ14:1-21
1月22日(火)[ ]創49-50 /[ ]マタ14:22-36
1月23日(水)[ ]出エ1-3 /[ ]マタ15:1-20
1月24日(木)[ ]出エ4-5 /[ ]マタ15:21-39
1月25日(金)[ ]出エ6-8 /[ ]マタ16
1月26日(土)[ ]出エ9-10 /[ ]マタ17
1月27日(日)[ ]出エ11-12 /[ ]マタ18:1-20
−−−−−−−−−−

旧約聖書は、
創世記も、終わりまして、出エジプトに入ります。
ヤコブたちが、エジプトに移住し、ヤコブが死に、ヨセフが死んで、創世記が終わります。
そして、出エジプト。
モーセの誕生から、逃亡、そして、主との出会い、そして、いよいよ、出エジプトが始まります。
12章では過ぎ越しについて書かれています。
読んでみてください。

また、新約聖書は、マタイの福音書です。
イエス様のたとえや、天の御国についての教え、世の終わりについての教えが書かれています。
また、洗礼ヨハネの死や、イエス様の御姿が変わるところが出てきます。
皆さん。聖書を通読しましょう。

バイブルQはこうです。
−−−−−−−−−−
【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:ヨセフは、誰のところに売られましたか?
新約:イエス様は、カペナウムについて、何と預言されましたか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:パロの廷臣、侍従長のポティファル。(創世記37章36節)
新約:ハデスに落とされる。(マタイの福音書11章23節)

 【 バイブルQ 】
旧約:ヤコブから生まれたものの総数は何人だと書いてありますか?
新約:何が人を汚すとイエス様は言われますか?
−−−−−−−−−−
ヨセフは、奴隷として売られ、そこでも神様の祝福の中に歩みます。
カペナウムについて、イエス様は、ハデスに落とされると預言されました。
これらも、聖書から確かめて下さい。

では、聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、マタイの福音書14章です。
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】マタイの福音書14章22-34節
・新改訳Up26(贈呈p24英対p43)
・新改訳Vp29(贈呈p28)・口語訳p23
・新共同訳p28 (贈呈p28英対p42)
−−−−−−−−−−
司会者お願いします。
++++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】
マタイの福音書14章22-34節
14:22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
14:23 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
14:24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
14:25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
14:26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
14:27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
14:28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
14:29 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
14:30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
14:31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
14:32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
14:33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。
14:34 彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。
++++++++++
では、続いて、主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
マタイの福音書14章27節
++++++++++
ありがとうございます。
では、今日はこのところから、
「恐れることはない」
と題しまして、御言葉を見て行きたいと思います。

今回の箇所で、イエス様は、弟子たちを船に乗せて、御自分は山に登って祈られました。
夕方になり、そして、夜中になりました。
弟子たちの乗った船は、向かい風で進みません。
そこに、イエス様がこられました。
しかも、なんとイエス様は、水の上を歩いてこられたのです。
それを見た弟子たちは、それが、イエス様とは信じられず、幽霊だと騒ぎました。
イエス様は、彼らに、「わたしだ、恐れることはない。」
といわれました。

これが、今回のタイトルです。

イエス様は、水の上で、恐怖で叫んでいる弟子たちに、恐れる事はないと語りかけられました。

このとき、ペテロは、
「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
と、イエス様に言い、そして、イエス様の、「来なさい。」とうお言葉を頂いて、湖の上を歩きました。

ペテロは実際に水の上を歩いたのです。
ここで、信仰について、大切な事があります。
ペテロは、イエス様に、どうやったら水の上を歩けますかと聞いたのではありません。
また、水の上を歩くための修行をしたのでもありません。
ただ、イエス様の言葉を頂いたのです。

そして、はいと踏み出して、水の上をあるいたのです。
このペテロの信仰は素晴らしいと思いませんか?

皆さん。皆さんもおなじです。
皆さんが、神様の命令に従う時、皆さんも、同じようにする事が出来ます。
イエス様は、イエス様を信じるものが、イエス様よりも大きな事をすると、言われました。

偉大な働き人達とおなじ事を、ただ、御言葉に従う信仰によって成す事が出来るのです。
これが、キリスト教信仰です。

しかし、その様に踏み出したとき、また、目の前の出来事で、信仰が揺らいでしまう事があります。

ペテロもそうでした。
ところが、波を見て恐くなり、その結果、沈みそうになって、イエス様に助けていただいたのです。
ここで、イエス様が、ペテロを助けて下さったのです。

この出来事は、私達に、多くの事を教えてくれます。

イエス様は、この舟に乗らず、弟子たちだけが乗って、舟は出発しました。
しかし、舟は、波と風という問題にぶつかり、前に進めなくなりました。
そうするうちに、夜が来て、回りの状況も見る事が出来なくなりました。

イエス様は、そこに来てくださいました。
でも、そのとき、弟子たちには、イエス様だとわかりませんでした。
それどころか、幽霊だと思い込んでしまったのです。

もちろん普通に考えるなら、水の上を歩いてくる事などあるはずがありません。
ですから、その人物が、水の上を歩いてきた時点で、それは、大変な驚きです。

しかし、イエス様のなさる事、神様のなさる事は、私達の思い、知性をはるかに超えた事柄です。

あなたが、何かのために祈る時、時には、その問題が大きくなるかに思えるかも知れません。
また、自分が祈った事と違うように、感じる事が起こるかも知れません。
しかし、イエス様は、あなたをあなたの考える方法ではなく、神様の方法によって、答えへと導こうとしておられます。

この事を通してイエス様は、様々な事を教えてくださいます。

おなじマタイの福音書で、こういう箇所があります。
++++++++++
23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
27 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
マタイの福音書8章23-27節
++++++++++

このとき、イエス様は弟子たちと共に、舟に乗っておられました。
ところが、大暴風がおこりました。
弟子たちが助けを求めると、イエス様は言われました。
「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」
そして、風と湖をしかりつけられると、大なぎになったと書いてあります。

人々は驚きました。
弟子たちは、このことを経験していました。

弟子たちにとって、イエス様と一緒なら大丈夫だとの思いがあったと思います。
ですから、弟子たちは、イエス様と一緒にいたいと思ったと思います。

ところがイエス様は、弟子たちを強いて舟に乗り込ませられました。
++++++++++
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、
マタイの福音書14章22節
++++++++++

そして、この舟は、出て行きますが、なかなか進まないのです。
イエス様と共にある。
主と共にあるということを考えると、モーセの事を思い出します。

++++++++++
14 すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」
15 それでモーセは申し上げた。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。
16 私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることに
よるのではないでしょうか。」
出エジプト記33章14-16節
++++++++++

モーセは、自分たちが他の民と違うのは、主が共におられることだと言っています。
そして、主は、「あなたを休ませよう」といわれます。
主が共におられる時、そこに平安があります。

弟子たちは、大きな問題に直面し、そして、恐ろしさの余り叫びだしていました。
しかし、イエス様は、彼らに言われます。

「恐れてはならない。」

主は、聖書の中で、何度も何度も、「恐れるな」といわれます。
イザヤ書から少し見てみましょう。

++++++++++
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
イザヤ書41章10節
++++++++++
++++++++++
あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。
イザヤ書41章13節
++++++++++
++++++++++
恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。――主の御告げ。――あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
イザヤ書41章14節
++++++++++

主は、私たちを助けて下さる方です。
だから、主は、恐れるなといわれます。

聖書の中で、最初に恐れるという言葉が出てくるのは、この箇所です。
++++++++++
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
創世記3章10節
++++++++++

アダムが、罪を犯したとき、神様を恐れました。
エデンの園で罪を犯すまでの間、アダムに恐れはあったでしょうか?
アダムは、恐れるものなどなかったのです。
恐れる必要もありません。
神様の愛の中で彼は生かされていました。
しかし、彼が罪を犯したとき、アダムにとって、平安を与えて下さる方であるはずの主を、アダムは恐れるようになったのです。

つまり、神様から離れた事が恐れを生み出しました。

ヨハネの手紙第一にこうかいてあります。
++++++++++
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
ヨハネの手紙第一4章18節
++++++++++
アダムが、神様の愛の中に生きていた時、恐れというものがありませんでした。

ここで、恐れるものの愛は、全きものとなっていないと書いてあります。
全きものとは、つまり、完全なもの、という意味ですが、
恐れるものの愛は、完全で無いという事です。

ここでも、先ほどのアダムのことと照らして考える事が出来ると思います。
アダムと神様との関係、その愛の関係が壊れて、アダムは神様を恐れるようになりました。

この恐れに対する言葉として、平安があります。
平安、安心、前回も言いましたが、本当の平安は、神様との和解によります。
そして、本当の和解は、争わない事ではなく、愛の回復です。
握手しながらにらみ合っているような関係ではなく、本当の愛の関係の回復です。

神様との和解、神様との愛の関係が完全であるとき、私達は、完全な平安を得る事が出来ます。
愛は、恐れを締め出すのです。

神様との関係が完全であるなら、神様とのあいだの愛が完全であるなら、私たちは何も恐れる必要がありません。

しかし、私たちは、多くの場合困難な状況、目の前の問題を見て恐れます。

そこで、私たちが知らなければならないのは、私たちと神様との関係です。
状況がいい時、ああ、神様は素晴らしい、と、教会で、神様を賛美する事もできるでしょう。
しかし、あなたの状況の悪い時、あなたにとって、神様はどんな方ですか?

状況の悪い時、神様はあなたにとって悪い神様になられたでしょうか?
そんな事はありません。

主は変わることのない方です。

神様は、どんな方か、その愛の大きさ深さ、私たちはそれを知らなければなりません。
++++++++++
すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あ
なたがたが満たされますように。
エペソ人への手紙3章18-19節
++++++++++

その神の愛は、ただ、この事に表されています。
++++++++++
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一4章10節
++++++++++

皆さん。あなたを愛しておられる神様が、その愛の証拠として、ご自身の一人子イエス様を与えて下さったのです。

そして、その愛は、私たちをしっかりと捉えて離しません。
++++++++++
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
ローマ人への手紙8章39節
++++++++++

丁度、あの水の上を歩いたペテロ、
そのペテロの信仰が揺らぎ、水におぼれそうになったとき、こう書いてあります。
++++++++++
そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
マタイの福音書14章31節
++++++++++
ペテロに、さあこれにつかまりなさいと、イエス様が手を出されたのではありません。
ここで、ペテロの手を、主がつかんで下さったのです。

私たちが、ただ、御言葉に従って踏み出す時、私たちは、主の御業を行う事が出来ます。
しかし、そのように踏み出した私たちが、たとえその信仰が揺らいでも、主はすぐに手を出して助けて下さるのです。
ですから、私たちは、恐れることなく信仰の道を歩みましょう。

あの時、イエス様が乗っておられない舟は、
向こう岸に行くようにとの主の御言葉を受けて出発しました。
問題にぶつかり、前進できなくなりましたが、その舟を、主は助けに来られました。
それは、目に見える主への信頼を超えた、主の御言葉そのものへの信頼を学ぶ時でした。

私たちも信じましょう。
主の御言葉を信じ恐れず踏み出しましょう。

皆さん、主は、あなたの為に手を伸ばしておられます。
あなたがつかまる事の出来ない時も、主はあなたを助けてくださる方です。
だから、恐れてはなりません。

人知をはるかに超えた、キリストの愛が、あなたをつつんでいるのです。

お祈りしましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20080120恐れることはない
−−−−−−−−−−

INDEX
TOP