礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080113
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全てを主にゆだねて
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【 内容 】 主に全てを委ねて生きる事。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私達の全ての罪を背負い、十字架で死んで下さった方。
私達の存在全てを支えておられる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

では、まず、いつものように、今週の通読箇所です。

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範囲・通読箇所
1月13日(日)[ ]創31 /[ ]マタ9:19-38
1月14日(月)[ ]創32-34 /[ ]マタ10:1-20
1月15日(火)[ ]創35-36 /[ ]マタ10:21-42
1月16日(水)[ ]創37-38 /[ ]マタ11
1月17日(木)[ ]創39-40 /[ ]マタ12:1-28
1月18日(金)[ ]創41-42 /[ ]マタ12:29-50
1月19日(土)[ ]創43-44 /[ ]マタ13:1-30
1月20日(日)[ ]創45-46 /[ ]マタ13:31-58
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旧約聖書は創世記。
この31章から、ヤコブが、ハランの地から、故郷に帰るところ、ここで、ヤコブがイスラエルと言う名前を神様からもらうところも出てきます。
そして、ヨセフの物語、これは、聖書の中でも非常に美しい物語です。そして、ヤコブが一族挙げて、エジプトへ移住するところとなっています。
新約聖書はマタイの福音書
9章から13章は、イエス様の歩まれた公生涯の中での、御業とまた教えが書かれています。
皆さん。是非お読み下さい。

また、バイブルQはこうなります。
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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:イサクの妻リベカは誰の娘ですか?
新約:イエス様は、どのような門から入るように言われましたか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:アブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘。(創世記24章15節)
新約:狭い門。(マタイの福音書7章13節)

 【 バイブルQ 】
旧約:ヨセフは、誰のところに売られましたか?
新約:イエス様は、カペナウムについて、何と預言されましたか?
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イエス様が狭い門から入れといわれたその門は、イエス様ご自身を信じる信仰です。
これ以外、救いはありません。

これらも是非、聖書で確認し、また、聖書から答えを探して見て下さい。

では、本日の聖書箇所です。
本日の聖書箇所は、マタイの福音書10章29-42節です。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書10章29-42節
・新改訳Up17(贈呈p15英対p28)
・新改訳Vp18(贈呈p18)・口語訳p15
・新共同訳p18 (贈呈p18英対p27)
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では、司会者お読み下さい。
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【 聖書箇所のテキスト 】
10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
10:30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
10:31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
10:32 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
10:33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
10:34 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
10:35 なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
10:36 さらに、家族の者がその人の敵となります。
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
10:38 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
10:39 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
10:40 あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。
10:41 預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。
10:42 わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」
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ありがとうございます。
では、続いて、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
マタイの福音書10章39節
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では、今日はこのところから、
「全てを主にゆだねて」
と題しまして、御言葉を聞いてまいりましょう。

今回は、マタイの福音書の10章です。
この最初は、こう書いてあります。

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10:1 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。
10:2 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
10:3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
10:4 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。
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ここで、イエス様は、12人の弟子を呼び、権威をお授けになり、彼らは、使徒と呼ばれるようになりました。

彼らは、イエス様から、汚れた霊どもを制する権威を受けて使わされました。
イエス様は、この12人に、このように命じておられます。
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10:5 イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。
10:6 イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。
10:7 行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。
10:8 病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
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「天の御国が近づいた」と宣べ伝える事。
そして、
「病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。」
これらが、彼らの受けた務めでした。

使徒の話が出ましたので、教会の中での働きについて、御言葉を見ておきたいと思います。
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そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などで
す。
コリント人への手紙第一12章28節
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ここに、使徒、預言者、教師、奇跡をおこなうもの、いやしの賜物を持つもの、助けるもの、治める者、異言を語る者。
という、8つの働きが出てきます。

また、エペソ人への手紙には、こうです。
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こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
エペソ人への手紙4章11節
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ここで、伝道者、牧師、という働きが書かれています。

これらの働きは、本来は、5本の指のように、神様の宝である、教会を支え、建てあげるものです。
そして、それらは、神様の賜物によるものです。
ですから、このような賜物が、つまり、
預言者としての賜物、伝道者としての賜物、牧師としての賜物、教師としての賜物、使徒としての賜物が、
教会の中には必要なのです。

また、先ほどの箇所にあったように、助ける、治めるといった賜物も、また、いやしと言った賜物も、教会の中で非常に大切です。
教会の中に、聖霊様によって、このような働きが起こされていくように祈りましょう。
助ける、治めるといった、一見、実務的な働きが、教会の中で、神によって任命されていると書いてある事に注意して下さい。
ですから、これらも、神からの賜物なのです。

私自身の事をいえば、私は、トータル・クリスチャン・チャーチの長老会から、牧師としての任命を受けています。
しかし、だから牧師である前に、神様から、牧師としての召命を受けています。
これは、神様が、私をこの働きに召す上で、お与え下さった、「私の羊を飼いなさい」との御言葉からもそうです。

神様は、皆さんお一人お一人に計画をお持ちで、賜物を与え、その働きに導こうとされます。
ですから、皆さんの賜物が生き生きと生かされて、教会においても、祝福され、用いられ、それぞれの歩みにおいても祝福されますように。

さて、先ほどお読みいただいた、今回の聖書箇所は、実は、いま、お話した、イエス様が12使徒を使わされるときに語られた言葉の続きです。
出て行く弟子たちに向けられた言葉の中で、イエス様は、多くの励ましを語られました。
そして、今回の箇所に入る前に、こうあります。

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12 その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。
13 その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。
マタイの福音書10章12-13節
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私たちは、祝福を運ぶものです。
ここで、平安といいますが、平安、ヘブル語でシャロームは、平和とも、平安とも取れる言葉です。

一般に平和とは、争いが無い事です。
しかし、聖書における平和は、単に争いが無い事ではありません。

それは、神様との間に、和解がなされている事です。

私達の心が、しっかりと神様に結びついている。
そこに、本当の平安があります。

イエス様は、こういわれます。
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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりま
せん。
ヨハネの福音書14章27節
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この世が与える平安は、目に見えるものによる安心でしょう。
家にしっかりしたカギをつける。
たくさんのものを蓄える。

もちろん、蓄える事は間違っていません。
それどころか、イエス様は、賢い乙女たちのたとえで、予備の油を用意することを教えておられます。
状況を良く見て、的確に備えるということは、大切な事です。
でも、そのような目に見えるものによって、私たちは本当の平安を得る事はできません。

私たちは、明日どうなるかもわからないのです。
しかし、私たちは、恐れる必要がありません。
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わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書16章33節
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これが、私たちが、平安の中にある理由です。
主は、すでに、世に勝利された、その方が、私たちと共におられるのです。

この世にある全ての支配権威の上にある方が、私たちと共におられるのです。

そして、こう書いてあります。
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29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
32 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
マタイの福音書10章29-32節
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私達の父なる神様は、雀の一羽まで、見ておられる方です。
皆さん。この世界に起こる事の一つ一つを神様は見ておられます。
神様の管理によらない事は起こらない。
そんなことあるわけないと思いますか?

いま、私たちは、それを想像しやすい物を知っています。
コンピューターです。
家庭用のパソコンでも、画面に色んな写真を出したり、ビデオを流したり、音楽を流したり出来ます。
それを、一度にする事も出来ます。
しかし、そこにある全ての情報は、コンピューターの中にある、CPUと呼ばれる2センチ2センチ角程度の部品によって管理されています。
コンピューター上に起こる全ての事柄は、このCPUと無関係には起こらないのです。

神様は、この世界の全てを見て、管理しておられる方です。
そして、私達の髪の毛まで、知っておられる方なのです。

この神様の御子であるイエス様を私たちは信じ、今、イエス様は、聖霊様によって、私達のうちにおられるのです。
ところが、この箇所は、こう続きます。
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33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
34 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
35 なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
36 さらに、家族の者がその人の敵となります。
37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
38 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
マタイの福音書10章33-38節
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ここで、私たちは、私たちがいったい何に信頼しているのかを試されます。

ところで、この箇所は、今から宣教に出ようとしている弟子たちに語られたということを、思い起こしてください。
彼らは、いまから、福音をのべつたえ、そして、主の御名によって、癒しと解放を行なっていきます。

イエス様は、そこに何がまっているのかをご存知でした。
そこには、時には大きな迫害がおこります。

私達の主イエス様も、正しい事をした事で、憎まれ、十字架につけられたのです。
もちろんそれは、主のご計画でした。
しかし、人々は、正しく歩まれ、福音を伝えておられるイエス様を憎み、迫害したのです。

私たちが、本当に、神様に従う時、時として、すぐそばの物が敵になるのです。

詩篇の中で、ダビデはこう歌います。
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12 まことに、私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。
13 そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。
14 私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに。
詩篇55篇12-14節
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私たちは、その事を恐れてはなりません。

しかし、本当の平和は、それを越えたところにあります。
ある人は、福音を語ると、争いが生じ、平和でなくなると考えます。
友を失うと考える人もいます。
しかし、考えてください。あなたが、いま、友と平和に語っていても、福音を語らなかったら、あなたが天国に行ったとき、その友は、そこにはいません。
ですから、私たちは、愛するからこそ、福音を語らなければならないのです。

イエス様が、十字架をおって、勝利を取られて、神との和解をなしとげられ、私達に平和をお与えになったように、
私たちが、神様に従い通すところに、本当の平和があるのです。

それが、イエス様のなされた道です。
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キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
ピリピ人への手紙2章8節
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主に従うところに、本当の平安があります。
私たちが主にゆだねるとはどういうことでしょう。

主にお任せする事です。
主にお任せするとは、どういうことでしょう。

それは、主に従う事です。
何もせずに投げ出す事が、主にお任せする事ではありません。

御言葉を読んで祈り、御言葉にしたがって行動する。
それが、ゆだねることです。
今回の主題聖句はこうでした。
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【 主題聖句 】
自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
マタイの福音書10章39節
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自分の考えで、自分の良いと思う事をおこなうのでなく、
自分の命さえ、神様におまかせして、神様に従う。
聖書の御言葉に従う、そのとき、私たちは、命を得るのです。

主に信頼し、主に従いましょう。
そこに、本当の平和、平安があるのです。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20080113全てを主にゆだねて
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