礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ





−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20080106
−−−−−−−−−−
神にゆだねる人生
−−−−−−−−−−
【 内容 】 神が養ってくださる事
−−−−−−−−−−

++++++++++
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<祈り>

皆さんおはようございます。
あけましておめでとうございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
2008年最初の礼拝をこのように行える事を感謝します。
そして、この一年も、共におられる主を覚え、
祈りと御言葉に熱心に歩ませていただきましょう。

まずは、いつものように、聖書の通読箇所から見て参りましょう。

−−−−−−−−−−
範囲・通読箇所
1月6日(日)[ ]創17-18 /[ ]マタ5:25-48
1月7日(月)[ ]創19-20 /[ ]マタ6:1-18
1月8日(火)[ ]創21-23 /[ ]マタ6:19-34
1月9日(水)[ ]創24 /[ ]マタ7
1月10日(木)[ ]創25-26 /[ ]マタ8:1-17
1月11日(金)[ ]創27-28 /[ ]マタ8:18-34
1月12日(土)[ ]創29-30 /[ ]マタ9:1-18
1月13日(日)[ ]創31 /[ ]マタ9:19-38
−−−−−−−−−−

旧約聖書は創世記です。
年老いたアブラハムとサラに神様がイサクをお与えになる箇所、
また、神様がイサクを捧げるように言われる箇所、
そして、イサクにエソウと後にイスラエルと呼ばれるヤコブが生まれ、そのヤコブにイスラエル12部族となる子どもたちが生まれる箇所、
これらは、救いの歴史の土台です。

また、新約聖書は、マタイの福音書。
特に、今週の箇所は、山上の説教が含まれます。
皆さん聖書を読みましょう。

バイブルQは、こうなっています。

−−−−−−−−−−
【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:アダムは何年生きたと書いてありますか?
新約:イエス様は、いつ、どこでお生まれになりましたか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:九百三十年。(創世記5章5節)
新約:ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムで。(マタイの福音書2章1節)

 【 バイブルQ 】
旧約:イサクの妻リベカは誰の娘ですか?
新約:イエス様は、どのような門から入るように言われましたか?
−−−−−−−−−−

アダムは、930年生きた、聖書には、アダムからノアまでの人々が高齢であったことが書かれています。
人の罪の為に、神様は、人の命を120年に定め、ノアの洪水の後、人の命は、急激に短くなります。
これは、洪水によって起こった環境の変化によるものだと言われています。

イエス様は、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。
これもまた、預言の通りでした。
聖書で確認してみてください。

次のバイブルQは、このようになっています。

是非皆さん聖書を読みましょう。

さて、では、今週の聖書箇所をお読みいただきましょう。
今週の聖書箇所は、マタイの福音書6章です。
++++++++++
【 聖書箇所 】 マタイの福音書6章19-34節
・新改訳Up9(贈呈p8英対p15)
・新改訳Vp10(贈呈p10)・口語訳p8
・新共同訳p10 (贈呈p10英対p14)
++++++++++

司会者お願いします。
++++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】
マタイの福音書6章19-34節
6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
6:22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
6:23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつ
なもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありません
か。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
++++++++++

では、主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
マタイの福音書6章33節
++++++++++
では、このところから、
「主にゆだねる人生」
と題しまして、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

今回の箇所は、山上の説教と言われる所です。
山上の説教は、マタイの福音書5章から7章までの3章に渡って書かれたイエス様の御言葉です。
しかし、その状況を見る上で、マタイの福音書4章23節から見てみましょう。
++++++++++
23 イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
24 イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになっ
た。
25 こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。
マタイの福音書4章23-25節
++++++++++
イエス様は、ガリラヤ地方を回って、福音を伝え、病気やわずらいを直しておられました。
それで、沢山のひとが集まって来たのです。

そして、こう続きます。
++++++++++
1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
マタイの福音書5章1-2節
++++++++++

この山上の説教を読む上で大切な事は、これが福音であるという事です。
この中には、厳しい事が書かれています。
読み方によっては、律法以上の事柄です。
しかし、それらは、救いの為の条件ではありません。
救われたものが取るべき態度であり、また、私たちが神の前に謙り、神に従って行くためのものでもあります。

ですからそれらを、神様の恵みと受け止める時に、それらは祝福と変わります。
もし、自分の義を立てようとしてこれらの事柄に当たるなら、自分の無力さを思い知らされる事になるかも知れません。

義なる方はイエス様以外にありません。
聖書を読む上でこのことは非常に大切です。
私たちは、義なるイエス様を見つめ、聖書を読むことで、御言葉であるイエス様に触れ、また、聖霊様の助けを得て、祈り、御言葉にしたがって歩むのです。
そのことによって、私たちは、栄光から栄光へと主とおなじ姿に変えられていくのです。
これは、御霊なる主の働きによるものです。
++++++++++
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙第二3章18節
++++++++++

この山上の説教と似たものとして、ルカの福音書の6章に平地の説教と言われるものがあります。
語られた場所が違いまた、内容も違っていますが、重なる箇所もあります。

お話を、聖書箇所に戻します。

今回の箇所の冒頭は、こうです。
++++++++++
19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
マタイの福音書6章19-21節
++++++++++
この箇所で、イエス様は、地上に宝を蓄える事の愚かさを語っておられます。

このことを見る時に思い出す例えがこれです。
++++++++++
16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
ルカの福音書12章16-21節
++++++++++
この箇所で、イエス様は、地上で宝を蓄えても、自分の命さえどうにもならないのだと教えておられます。

そして、こう続きます。
++++++++++
22 それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
23 いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。
24 烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。
25 あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
26 こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。
ルカの福音書12章22-26節
++++++++++

この箇所は、今回の聖書箇所と重なります。
++++++++++
25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなも
の、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
マタイの福音書6章25-27節
++++++++++

神様は、命を造られました。
それは、どれほど素晴らしいものでしょうか?
そして、その最後に、私達人間を造って下さったのです。

私たち人間の存在そのものが、神様の偉大な作品です。

そして、その作品一つ一つを神様は大切にしておられます。
今も、私たち一人一人を神様は見つめ、養い、導いておられます。

そうであるなら、私たちは、自分の存在そのものを何とかしようとする事を、やめなければなりません。
はっきりとこう書いてあるからです。

++++++++++
自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。
マタイの福音書6章25節
++++++++++

皆さん。この事にアーメンと答える事が出来ますか?
いやいや、それはちょっと、、。
そう考えるとしても、当然のことと思います。

私たちの先祖アダムとエバが、何の心配も無く生きていた、エデンの園を、自分たちの自由、いや、自分たちの勝手に生きたいと、神様の戒めを破り、追い出されてから、余りにも長い年月が過ぎ、
その様に生きる事が人間の奥底にまでしみついているからです。
しかし、このことこそ、罪であることを認めなければなりません。

その罪を悔い改めて、わたしたちは、自分で自分を何とかする事でなく、神様に信頼し、神様により頼み、そして、神様に従う人生を選ばなければならないのです。
罪の悔い改めとは、そういう事です。

イエス様は言われます。
++++++++++
21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
マタイの福音書6章21-24節
++++++++++

私達の心はどこにあるでしょうか?
神様でしょうか?それとも目に見える何かでしょうか?

私達の目はどこに向いているでしょうか?
光である神様でしょうか?
それとも、暗闇にある何かでしょうか?

そして私たちが、暗闇にある何かを見ているなら、イエス様は、言われます。
「だれも、二人の主人につかえることは出来ない。」
私たちは、真の神様に全存在をかけて従わなければなりません。

しかし、その前に、神様がどんな方か良く知っている必要があります。

イエス様は教えておられます。
神様が、空の鳥を養っておられる事を、また、野のゆりを飾っておられる事を。
皆さん。神様は、この世界の全てを祝福して守り導いておられるのです。

そして、この神様は、私達の事を愛しておられます。
++++++++++
9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
ヨハネの手紙第一4章9-11節
++++++++++
神様は、私たちを愛し、御子をお与えになりました。
そして、その方は、なだめのそなえものとなり、十字架で死んで下さったのです。
ここに愛があります。
今日は聖餐式があります。
この聖餐式は、イエス様の十字架を覚えてなされるものです。
そして、その十字架とは、神様の愛の表れです。

ヨハネは、これほどの神様の愛の元で、私たちは互いに愛し合うべきだと言っています。
私たちも、この神の愛に答え神様を愛し、そして、また、互いに愛し合う群れとならせていただきましょう。

しかし、まず、私たちは、神が私たち一人一人を、あなたを愛しておられる事をしっかりと知らなければなりません。

神の愛は、聖書に示されています。
また、あなたが、祈る時、神の愛はさらにはっきりとあなたに示されます。

そして、この神の愛によって、私たちは生かされていくのです。
++++++++++
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイの福音書6章31-34節
++++++++++

天の父は、あなたの必要を全てご存知です。

この新しい年、神様に愛されたものとして、私たちは、神の国と神の義をまず第一に求めましょう。

全てを治めておられる方に信頼して歩ませていただきましょう。



<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20080106神にゆだねる人生
−−−−−−−−−−

INDEX
TOP