礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20071223
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偉大なる神の御業
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【 内容 】 神の偉大な救いの御業について。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

メリークリスマス
救い主の御降誕をお祝いします。
イエス様は、神であられたのに、人となってこられ、
私たちの救いを成し遂げてくださいました。
ハレルヤ。

この方を覚えて、聖書の御言葉を見て参りましょう。

クリスマスですが、いつものように、
通読のお話から始めたいと思います。
今週の通読箇所はこうなります。

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12月23日(日)[ ]ハバ1-3 /[ ]黙13
12月24日(月)[ ]ゼパ1-3 /[ ]黙14
12月25日(火)[ ]ハガイ1-2 /[ ]黙15-16
12月26日(水)[ ]ゼカ1-5 /[ ]黙17
12月27日(木)[ ]ゼカ6-8 /[ ]黙18
12月28日(金)[ ]ゼカ9-11 /[ ]黙19
12月29日(土)[ ]ゼカ12-14 /[ ]黙20
12月30日(日)[ ]マラキ1-2 /[ ]黙21
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聖書の最後マラキ書は、救い主のこられるのを待ち望む書です。
また、黙示録は、再び来られる主のおとづれを待ち望む書です。

聖餐式の時も、主がこられるまで、主の死を告げ知らせるのです。
と、書いてあるのを読みますが、
わたしたちは、主の死を告げ知らせながら、救い主の再臨を待つ者です。

このクリスマスの時、主が、皆さんに、福音を語る機会を与えて下さいますように。

さて、いよいよ、一年間の聖書通読がおわります。
皆さん、今年はいかがだったでしょうか?

わけもわからずとにかく読んでこられた方もおられるかもしれません。
それで、結構です。
あなたが読んだ御言葉は、あなたの中に蓄えられて、
必要な時聖霊様が取り出してくださいます。
ですから、聖書を読みましょう。

一度、通読が終わっても、聖書は、生きた神の言葉です。
神様は、聖書通読の中で、あなたに語りかけられます。
ですから、毎年毎年、毎日毎日、聖書を読みましょう。
来年のカレンダーに霊に燃え主に仕えよと書きました。

その燃えている目は、主の十字架を見ています。
主イエス様は、神の言葉です。
私たちは、神の言葉を見る事なしに、霊に燃えることは出来ません。
いや、もし、出来たらそれは、危険な事です。
御言葉を読み、祈り、主としっかりと結びついて、霊に燃え、主に仕えましょう。

さて、バイブルQはこうです。

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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
 【 バイブルQ 】
旧約:モレシェテ人ミカは、何について幻を見ましたか?
新約:小羊が七つの封印の一つを解いたときに現れた馬は何色でしたか?

 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:サマリヤとエルサレムについての幻。(ミカ書1章1節)
新約:白。(黙示録6章2節)

 【 バイブルQ 】
旧約:ゼカリヤが幻に見た、エパ枡の中の女は、どこに運ばれましたか?
新約:ヨハネが幻に見た女の額にはどんな名が書かれていましたか?
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ミカが見たのは、サマリヤとエルサレムについての幻でした。
それが、どんな幻かは、聖書を開いて見て下さい。

七つの封印をイエス様が解かれた時、その一つ目を開いた時、そこに現れたのは、白い馬にのって、勝利を得ようとする権力者でした。
その権力者の行いは、やがて戦争へとつながって生きます。

これらのところも、聖書を開いて見て下さい。

では、本日の聖書箇所に入りましょう。

本日の聖書箇所は、黙示録15章です。
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【 聖書箇所 】黙示録15章1-8節
・新改訳Up452(贈呈p394英対p751)
・新改訳Vp492(贈呈p449)・口語訳p400
・新共同訳p469 (贈呈p469英対p692)
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では、司会者お願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
15:1 また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。
15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。
15:3 彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。
15:4 主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにさ
れたからです。」
15:5 その後、また私は見た。天にある、あかしの幕屋の聖所が開いた。
15:6 そしてその聖所から、七つの災害を携えた七人の御使いが出て来た。彼らは、きよい光り輝く亜麻布を着て、胸には金の帯を締めていた。
15:7 また、四つの生き物の一つが、永遠に生きておられる神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した。
15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。
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はい、ありがとうございます。
では、主題聖句をいいましょう。
まずは、教会学校の皆さんお願いします。

<しゅだいせいく>

はい、では、皆さんで言いましょう。
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【 主題聖句 】
彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。
黙示録15章3節
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ありがとうございます。

では、今日はこのところから、偉大な神の御業と題しまして、御言葉を見て参りたいと思います。

皆さん。クリスマスおめでとうございます。

クリスマスは、イエス様の御降誕を記念し礼拝を捧げる日です。
しかし、実際、イエス様がお生まれになったのが、12月25日ではなさそうです。

もともと、北欧の太陽を拝んでいた宗教での習慣で、
太陽が最も弱くなり、そして、また強くなっていく時期に太陽が新しく生まれると考えたことが、
キリストの降誕と結びついたのだとも言われます。
ですから、ヒイラギやもみの木もその様な背景で飾られるようになりました。

逆に、私たちが、クリスマスに、門松などでお祝いしてもいいのかもしれませんが、なんとなく雰囲気にあいません。
文化というのは根強いものです。

まあ、日付がいつなのかはかまわんからイエス様の降誕をお祝いするんだと考えて、それを取りれたカトリックの懐も深いと思いますが、
実際、世界中でイエス様の降誕がお祝いされている今、
このクリスマスは、福音を伝える大きな機会だと考えてよいでしょう。
その様な意味で、私たちは、クリスマス会を開いています。

また、以前、
「クリスマスの礼拝はありますか?」
とのお電話をいただいた事がありますので、
クリスマスイブとクリスマスに一時間程の礼拝を行いたいと思います。
覚えてお祈り下さい。

今回読んでいただいた箇所。
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【 聖書箇所のテキスト 】
15:1 また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。
15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。
15:3 彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。
15:4 主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにさ
れたからです。」
15:5 その後、また私は見た。天にある、あかしの幕屋の聖所が開いた。
15:6 そしてその聖所から、七つの災害を携えた七人の御使いが出て来た。彼らは、きよい光り輝く亜麻布を着て、胸には金の帯を締めていた。
15:7 また、四つの生き物の一つが、永遠に生きておられる神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した。
15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。
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これは、クリスマスの喜びとは程遠いように感じる、神様のさばきのはじまりです。
しかし、その前の14章にこう書かれているところがあります。
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14 また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
15 すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」
16 そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。
黙示録14章14-16節
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ここで、人の子のような方とは、すなわちイエス様です。
イエス様は、ご自身を良く人の子といわれました。 

その人の子は、ダニエル書に出てきます。
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13 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。
ダニエル書7章13-14節
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この箇所を見ると、人の子のような方が、王の王、主の主なるかたであるとわかります。

イエス様は、ご自身がこのダニエルの預言した王の王である事を示しておられたのです。

その方は雲に乗ってこられました。

黙示録にはこう書いてあります。
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14 また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
15 すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」
16 そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。
黙示録14章14-16節
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雲に乗っておられる方、王の王、主の主なる方、この方は、鎌を入れて、地を刈り取られます。
ここで、主は、ご自身の御心にかなうものを収穫されます。

御心にかなうもの。
それは、どのようなものでしょう。
この世界には、よいと言われるものが沢山あります。

よいと言われる思想があり、宗教があり、人がいます。

しかし、イエス様は、良いことについて質問を受けた時こう答えられました。
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16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
マタイの福音書19章16節
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この世界で、永遠の命を得るために、どのような良い事をするかではない。良い方は、ひとりだけだ。ということです。
質問と回答がずれているように感じます。しかし、実は質問そのものがずれているのです。

天の御国の法則から見ると、良いことをする事で、自分が良い者になって、永遠の命にはいるのではないという事です。
自分が良い者になろうとすることよりも、良い方に従う事が大切だということなのです。

結局のところ、本当に大切なのは、良い方、すなわち父なる神様との信頼関係、すなわち信仰です。
それ以外に、私たちを天の御国に入れるものはありません。

そうしたときに、私たちが父なる神様をどういう方として知っているかが問題になります。

キリスト教は、神様は愛ですといいます。
これは、聖書に書いてあるとおりです。
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私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
ヨハネの手紙第一4章16節
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神様は愛です。
でも、それは、どうやってわかりますか?

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私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一4章10節
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これが、愛です。
そして、クリスマスに最も良く聞く御言葉、
おなじヨハネが、福音書の中で語ります。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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皆さん。神様が、私達に御子をお与えになった。
これこそが、神様の愛を示しています。

罪人の罪を赦し聖め、永遠の命を与えるために、イエス様は来られました。

父なる神様からその重大な使命を帯びてこられたイエス様は、どんなふうにこられましたか?

さあ、それが、クリスマスの出来事です。

皆さん。クリスマスに現れているのは、父なる神様の愛。イエス様の愛です。

ですからこの愛こそが、私たちを救うのです。

2000年前、ユダヤのベツレヘムという所に、ユダ族の、ダビデ王の家系にあり、妻は、祭司の親戚でもある夫婦が、
ローマの人口調査の為に、やってきました。

そこには、泊まる部屋も空いていませんでした。

これも全て神様のご計画でした。

二人は、家畜小屋を宿とし、妻は一人の子供を生みました。
そして、その子どもは、家畜の為のえさ入れに寝かされたのです。

神様は、ご自身の一人子をこの地上に送るのにふさわしい場所を用意されました。

私たちにとっては、とんでもないみすぼらしい場所に思えます。

しかし、神様にとって、人間の罪に汚れたこの世界全てが家畜小屋のようであるともいえるでしょう。

そしてまた、この世界のもっとも貧しいところにまで行き渡ろうとする神様のあいがそこに現れています。

また、全てのものを救い出そうとされる神様の愛がそこに表れています。

さて、今回のタイトルは、
「偉大なる神の御業」
でした。

神様のなされた御業とは、その偉大な御業とはなんですか?

この地上を災害で裁く事ではありません。

それ以上に偉大な神様の御業とは、
神の御子イエス様をこの地上にお与えになったこと、
すなわち、クリスマスの出来事です。

私たちを愛して、神様は、御子を与えて下さいました。
そして、御子は、十字架で死んで、私達の贖いを成し遂げてくださったのです。

皆さん。これが、神の御業、最高の神の御業です。

この神様のあわれみと恵みの大きさ、そのへりくだりのゆえに、
この愛を拒んだものへの裁きは、激しく望みます。

いや、この捌きから救われるために、
神様は、救いの道を与えてくださっておられるのです。

それが、救い主イエス様です。

このイエス様を信じましょう。
そして、このイエス様をのべ伝えましょう。

では、お祈りしましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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シティーチャーチメッセージ20071223偉大なる神の御業
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