礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070930
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約束の相続人 
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【 内容 】 信仰により、神の約束を相続する。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

みなさんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
イエス様は、ご自身が呪われたものとなり、
私たちを、祝福の相続者としてくださいました。
この方を覚えて聖書の御言葉を開いてまいりましょう。

聖書の通読は、
旧約がイザヤ書。
新約がガラテヤ人への手紙から、最後にエペソ人への手紙に入ります。

イザヤ書は、前にも言いましたように、聖書の中の聖書と言われ、
イエス様に関する様々な預言が書かれているところです。
是非皆さん読んで下さい。

また、ガラテヤ人への手紙は、信仰を知る上で、最も重要な所です。
たった6章しかありません。
今日から金曜日までで、全部読んでしまえます。
是非お読み下さい。

バイブルQはこうなります。

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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:イザヤは誰の子どもですか?
新約:誇るものは何によって誇りなさいと書いてありますか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:アモツ。(イザヤ書1章1節)
新約:主。(コリント人への手紙第二10章17節)

 【 バイブルQ 】
旧約:ヒルキヤの子エルヤキムはどのようなものとして召されましたか?
新約:ガラテヤ人への手紙4章28節、クリスチャンは、どのようなものですか?
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このイザヤは、イザヤ書を書いた預言者です。
神様は、この方を非常に厳しく取り扱われておられます。
しかし、彼を通して語られた預言は、イエス様の贖いを知る大変重要な預言です。

それぞれ、聖書から確かめて置いてください。

では、いつものように、聖書箇所をお読み戴きたいと思います。
本日の聖書箇所は、ガラテヤ人への手紙です。
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【 聖書箇所 】ガラテヤ人への手紙3章11-26節
・新改訳Up335(贈呈p293英対p559)
・新改訳Vp366(贈呈p334)・口語訳p296
・新共同訳p345 (贈呈p345英対p519)
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では、司会者お願いします。
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ガラテヤ人への手紙3章11-26節
3:11 ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる。」のだからです。
3:12 しかし律法は、「信仰による。」のではありません。「律法を行なう者はこの律法によって生きる。」のです。
3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
3:15 兄弟たち。人間のばあいにたとえてみましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。
3:16 ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。
3:17 私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無効とされたりすることがないということです。
3:18 なぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、神は約束を通してアブラハムに相続の恵みを下さったのです。
3:19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。
3:20 仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜わる神は唯一者です。
3:21 とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。
3:22 しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
3:23 信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。
3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
3:25 しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。
3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
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では、つづいて、主題聖句の暗唱をお願いします。

<あんしょう>
では、皆さんでいいましょう。

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【 主題聖句 】
アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。
ガラテヤ人への手紙3章6節
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では、今日はこのところから、
約束の相続人
と題しまして、
聖書の言葉を開いて参りたいと思います。

さて、ガラテヤ人への手紙。
この手紙は、パウロが、ガラテヤの人々に送った手紙です。
信仰による義についての最高の解説書です。

信仰書など、必要ないほどに、ガラテヤ人への手紙は、信仰による義について説明してくれます。

聖書を一番説明してくれるのは聖書です。
聖書は、横に長い引き出しのように、一箇所から引っ張ろうとすると引き出す事が出来ません。
聖書は全体を引っ張らないといけない。
少しずつでも、聖書全体から聖書を知るのです。

聖書は、聖書を説明してくれます。
ガラテヤ人への手紙は、信仰による義を説明してくれる箇所です。

その中で、今回の箇所は、
義人は信仰によって生きる
という言葉からはじまります。

この言葉は、括弧がついていますので、どこかの引用だとわかります。
それは、ハバクク書に書かれています。
ハバクク書は、あまりなじみの無い箇所かも知れません。
通読をすると、必ずお目にかかる事が出来ます。

このハバクク書の中に、こう書いてあります。

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見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
ハバクク書2章4節
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この箇所を、口語訳で見ると、こう書いてあります。
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見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる。
ハバクク書2章4節(口語訳)
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義人は信仰によって生きる。

では、この信仰とは何か、、。
という、非常に基本的な事が問題となるのですが、

信仰とはなんでしょう。
教会では、信仰ということばが当たり前のように使われます。
でも、あまり、信仰はわかっていないのではないかと思うのです。

聖書の中でも、信仰について、いろいろな事が言われます。

その中で、信仰の父といわれるアブラハムの信仰を見てみたいと思います。

もともと、アブラハムが義とされたその事が書かれているところは、創世記のこの箇所です。

創世記は、聖書を理解するうえで非常に重要です。
ここを理解する事無しに、聖書全体を理解する事は出来ません。
まるで、昔話のようですけれども、創世記を理解する事無しに、新約聖書を理解する事は出来ません。

そういう意味でも、創世記を知る事は重要です。
是非、聖書をお読み下さい。

さて、アブラハムは、神様から祝福の約束を受けました。
でも、自分の行き先に不安を感じていました。
その時の主とのやりとりがこれです。

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5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記15章5-6節
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このころ、アブラハムは80歳くらい。
奥さんのサラは70歳くらいです。
彼らは、自分の子が与えられる事をあきらめていました。
しかし、そんな二人に、主は子どもを与えると約束されたのです。

空を見上げて星を数える。
枚方でこれをやると、一つ二つ、三つと数える事が出来るかも知れません。

でも、彼が見た星空、綺麗に澄んだ空に星が輝いている。

それを、数えなさい。と主が言われた。
数え切れない。
アブラハムは、その子孫が数え切れない。

この約束を信じた。それが、アブラハムの義となりました。

どうですか?
神様が貴方を祝福するといわれます。
例えば、神様に今日晴れるようにお祈りしたとします。
しかし、その時、朝から雨が降っている。
その状況の中で、神様が、雨をやませてあげようと言ってくださったとします。

その雨が降っている中で、その事を信じられますか?

雨が小降りになったら、信じられるでしょうか?

しかし、アブラハムには、子どもが無い。
一人も子どもが無い。
そのとき、アブラハムが、星の数ほどの子どもになるということをしんじた。

アブラハムは自分にとってどうにもならない状況の中で、主に頼ったのです。

このアブラハムの信仰。
この信仰に、イサクが生まれ、ヤコブすなわちイスラエルが生まれ、そして、沢山の子ども達が生まれます。
そして、世界中に今、ユダヤ人はいるのです。

ただただ、神様に頼った。

神様を信じた。

行いではないとはそういう事です。
そして、その信仰が、神様の大きな祝福を受け取る器となるのです。

私たちは、神様を信じる信仰によってしか、神様の祝福を受け取る事が出来ないのです。

皆さん。アブラハムが立派だったからではないのです。
あなたと同じです。疑いもします。祝福すると言われたけど、その祝福をまだ見ない事で、悩み苦しみます。
しかし、そんなアブラハムの信仰を主が励まして下さるのです。

もし、アブラハムが悩んでいなかったら、外になど連れ出す必要はありません。
しかし、神様が、アブラハムを連れ出して、はげましてくださったではありませんか。

アブラハムが信じていたのはなんでしょう。
それは、神様が必ず良い事をしてくださるという事です。
神様は良い方です。その事を信じる事です。

信仰とは、神様を信頼する事。
全てを神様にゆだねる事。
そして、全てを神様から受け取る事です。

よく、ゆだねるというと、投げ出す事だと考えてしまう事があります。
しかし、信仰でゆだねるのはそうではありません。
神様の前に、差し出し、神様の与えて下さるものを受け取るのです。
自分の問題を神様の前に差し出して、どうでもいいと投げ出すのでなく、神様に差し出して受け取るのが信仰です。
ですから、こう書いてあります。

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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
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これは、信仰です。
主が全てを働かせて益として下さると知っています。これが信仰です。
神様が、良い事をしてくださる。
これは、神様が貴方にとって、良い方だと信じているということです。
これが、信仰です。

神様は、貴方にとって、良い方ですか?それとも厳しいいやなことをされる方ですか?
神様は、良い方、あわれみぶかいかた。
神様について、あなたは、間違った事を言ってはなりません。
神様は良い方です。
哀れみぶかいかたです。

さて、その信仰の結果受ける最大のものはなにでしょう。

こう書いてあります。
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このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
ガラテヤ人への手紙3章14節
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約束の御霊を受ける。
これが、信仰によって受けるもっとも大きな報いです。

神の御霊、神の霊、神様ご自身が共に居られる。
それが、神様の与えて下さる最大の祝福です。

神と共に歩む。
教会にいると、神と共に歩む。
ということがあたりまえのように言われ、それがちっぽけなように感じられます。

皆さん神様はどんな方ですか?
天と地の全てを造られた方、全てを治めておられるかたです。

もし、あなたが、どこかの国の王様か、大統領と、明日から一緒に行動するとしたらどうでしょう。
例えば、アメリカの大統領といっしょに、食事も、飛行機も、どこに行くにも一緒だとしたら、
すごいなあと思いませんか?

しかし、神様はそれ以上のお方です。
天と地を造られた方。その全てを治めておられる方です。
この方が貴方と一緒にいつもおられるのです。
しかも、王様や大統領にあなたが付いて歩くのと違い、神様は貴方の行くところどこでも一緒にいてくださる方です。

いまは、占いがブームです。
占いは、右に行くのがいいか左にいくのがいいか、どっちにすればいいかを聞くものです。
しかし、神様は聖書の中で言われます。
あなたが右に行くにも左に行くにも、これが道だこれに歩めと言う声を聞くようになる。
つまり、右にいこうが左にいこうが、神様はいつも一緒にいて下さるということです。

しかし、このことを喜ぶには、あなたが、神様の力がどんなに偉大かを知らなければなりません。
神様の力は、この天と地を創り、治めておられる力です。
聖書の中で、神様がどんなに大きなことをされたかを見てみましょう。
そして、どのように、信じる者とともに歩まれたか。

そのように聖書を読むなら、貴方の中で、信仰が成長します。

そして、その信仰は、目に見える形で、この世界に、貴方の周りに現れてくるのです。

ところで、今回の箇所で、信仰と対比して、律法が出てきます。

律法とは何の為にあるのでしょう。

これは、信仰への養育係だと書いてあります。

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こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
ガラテヤ人への手紙3章24節
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私たちは、律法によって、キリストに導かれるということです。
どういうことでしょうか?

そこで、律法の働きということを考えて見ましょう。
こうかいてあります。
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しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
ガラテヤ人への手紙3章22節
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先ほどいいましたが、義人はいません。
神様の前で、自分は、完全に正しいと言いえるものはいないのです。

律法は、その人が、正直に向き合う時、その人の罪を教えます。
それは、明確で、ごまかす事が出来ません。
いや、ごまかしても、神様はご存知です。

そのようにして、律法を知り、神の義を知った上で、それでも罪の中に閉じ込められているなかで、
貴方は、イエス様が必要である事を知るのです。

イエス様の十字架の贖いによってしか、私たちに救いの無い事をしるのです。

その結果、こうかいてあります。

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あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
ガラテヤ人への手紙3章26節
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私たちは、みな、信仰によって、救われたのです。
何かの行いではありません。

皆さん。
今一度、私達の心の中を聖霊様によって探っていただき、
信仰によって、主に向いてまいりましょう。
お祈りしましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20070930約束の相続人 
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