礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070916
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愛と赦しによる勝利 
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【 内容 】 愛と赦しによって悪魔に勝利する。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、愛に満ちた方。そして、愛によって敵の力を打ち砕かれる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、今週の通読は、
旧約聖書が箴言から伝道者の書
新約聖書がコリント人への手紙第一から第二に入ります。

箴言は、多くの人生訓を教えられるところですが、同時に、律法を前にしての私達の弱さをも教えられます。
主は、そのようなわたしたちを、主にあって強いもの。実を結ぶものとして下さいます。
また、伝道者の書ですが、これは、ダビデの子ソロモンの書いたものとされ、その中で、この世のむなしさ、はかなさを語り、最後に一つの結論にたどりつきます。
それは、いったいなんなのか?是非、聖書を読んでみてください。

また、バイブルQですが、こうなります。

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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:箴言6章6節で、なまけ者に対し、何の所に行けとありますか?
新約:コリント人への手紙第一14章33節、神は、どのような神ですか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:蟻(箴言6章6節)
新約:平和の神(コリント人への手紙第一14章33節)


旧約:あからさまに責めるのは、何に勝りますか?
新約:コリント人への手紙3章。御霊のある所には何がありますか?
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是非、聖書から確かめてください。

では、いつものように聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第二2章4-17節
・新改訳Up316(贈呈p277英対p530)
・新改訳Vp347・口語訳p279
・新共同訳p327 (贈呈p327英対p493)
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です。司会者お願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
9月18日(火)[ ]Uコリ2
2:4 私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたい
からでした。
2:5 もしある人が悲しみのもとになったとすれば、その人は、私を悲しませたというよりも、ある程度――というのは言い過ぎにならないためですが、――あなたがた全部を悲しませたのです。
2:6 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、
2:7 あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
2:8 そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。
2:9 私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうかをためすためであったのです。
2:10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
2:11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
2:12 私が、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いてくださいましたが、
2:13 兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました。
2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
2:16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。
2:17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。
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では、続いて、主題聖句を教会学校の皆さんでお願いします。
<しゅだいせいく>
では、皆さんで言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。
コリント人への手紙第二 2章7節
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はい。ありがとうございます。

では、今日はこの所から、
愛と赦しによる勝利
と題しまして、御言葉を見て参りたいと思います。

コリント人への手紙も、第一が終わり第二となります。

このコリント人への手紙の第二は第一と同じく、キリストの使徒パウロが書いたものです。

今回の箇所で、パウロは、自分の書いた以前の手紙で、心を痛めた人たちに対して語っています。
コリントの教会には、様々な問題がありました。

分派の問題。近親相姦。不品行。結婚に関する混乱。偶像の備えた肉に関する混乱。異言の問題。復活を信じない事。
といった問題がおこっていたようです。

パウロがこれまでに書いた手紙の中には、このような罪に対する叱責や訓戒といったものが書かれていました。

ところで、私たちは、教会において、罪を赦すようにと教えられます。
そして、愛は、人のした悪を思わずと書かれています。

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4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
コリント人への手紙第一13章4-7節
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そこで、誤解が生じます。
どんな罪も、注意してはならないのだろうか?

しかし、私たちは、イエス様がこういわれた事を知らなければなりません。

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また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。
マタイの福音書18章15節
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イエス様は、はっきりと、罪を責めるように言われます。
そして、悔い改めたら、兄弟を得たのです。
しかし、そのことは、二人きりのところでするのです。

何故ですか?相手の罪をあからさまにしないためです。

私たちは、何のために人の罪を責めるのですか?
それは、相手をやりまかしてやるためですか?
それとも、相手の罪が腹が立つからですか?

しかし、聖書はいいます。
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いっさいのことを愛をもって行ないなさい。
コリント人への手紙第一16章14節
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あなたが、兄弟姉妹の罪をどのように注意してもそれは、かまいません。
しかし、貴方に神様が問われるのは、貴方したその事は、本当に愛からだったかどうかです。
神様は貴方の心の中を見ておられますから、貴方の中の動機が愛でなければなりません。
裁きは貴方へと下るとまで言うと言い過ぎかもしれませんが、
「人を裁くな自分が裁かれない為である」
とも書かれています。
ですから、私たちは、本当に、自分の動機がどこにあるかを吟味しなければならないのです。
そして、愛によって語ることは大切な事です。

人を注意する動機はいろいろあります。
どんなものがありますか?考えてみてください。
先ほどもいいましたように。
その罪が腹が立つ。相手をやりまかす為。自分の立派さを示すため。自分の立場を守るため。律法主義。
などがあります。そして、貴方が人を注意する時、貴方の動機がどこにあるかを考えてみてください。

ところが逆に、そうすると、もう何も言わないのがいいのですか?
と、聞かれる事があります。
でも、先ほどイエス様の御言葉を引用したように、はっきりと注意する事は大切な事です。

貴方と貴方にとって大切な人が、歩いているとします。
その足元に、穴があいていて、その人がそれに気づいていない。
そんな事があったとします。
そしたら、貴方は、
「動くな、止まれ。」と注意しないですか?
何とかして、相手を止めようとします。

罪は、大きな穴です。
落ちると大変な事になるかもしれません。
だから、注意するのです。
それは、相手を思う愛です。

ですから、箴言にこう書いてあります。
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あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。
箴言27章5節
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でも、気をつけてください。
あからさまに責めるのが愛なのではありません。

その人が気に入らないからあからさまに責めていたり、自分の中の怒りをぶつけているのでは、何の価値もありません。
そうではなく、貴方を通して、キリストの愛が、主にある兄弟姉妹を罪という危険な状態から救い出すために働くのです。
キリストの愛で行わなければならないのです。

教会の中で、
「本音で語りましょう。」
などと言う時も、同じような事が起こる事があります。

本音と聞いて、言いたい放題いうようになってしまう。
しかし、聖書はそんな事を教えていません。
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悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
エペソ人への手紙4章29節
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私たちは、互いの徳を高める言葉を語るのです。
また、クリスチャンは、本当に告白、口の言葉を大切にしなければなりません。

本音とは、本心です。
正直な心です。

「だから、正直に言いたい放題いったのです。」

それでは、一般の世界と何の変わりもありません。
貴方は神の子です。

一つ覚えておいていただきたいのは、コミュニケーションにおいて、本心を言うという事です。

例えば、貴方の前にいる誰かが、貴方の気に入らない事をするとします。
そうですね。
洗わない手で食事をする。
皆さん私らしいチョイスだと思いますか?
私が神経質な事を、皆さんよくご存知でいてくださる事を感謝します。
まあ、それもまた問題なのですが、、。
このことで逆にいやな思いをしておられるかたには、申し訳ありません。
例えの話にもどります。

まあ、皆さんの、食事の準備をするなら、当然手を洗って下さいとなるのですが、その人本人が洗わない手で食事をしている。
そのとき、それが、貴方にとって気になるとします。貴方は何と言うでしょうか?

もし、
「手を洗うべきだ」というなら。それは、貴方の勝手なルールです。
子どものしつけを別にして、対等な関係なら、それは、勝手なルールです。

一つの正直な言葉は、
「貴方が手を洗わないで食べてるのが私は気になるので手を洗ってもらえませんか?」
ということです。
でも、こういう言葉は、非常に言い難いのです。
まず、相手は自分のルールに照らして違反しています。その様な違反者に対して人は謙る事が出来ません。
また、これがその人の正直な心であればあるほど、もし、この言葉に反発されると、心が傷つきます。
気持ちにつながっているから、もし、否定されたら自分が傷ついてしまいます。
だから、それが恐ろしいのです。

対比するためにそうでないものを言います。
「手を洗わないで食べるなんて常識がない。」
「貴方が手を洗わないで食べているので私は気分が悪い。」
「ちゃんと手を洗って食べろ。」

もちろん子どもをしつける上では、下からではなく、「手を洗ってきなさい」という必要があります。
しかし、対等な人と人との関係で、本音で語るとは、そういうことなのです。
正直に、そして、謙って。それがポイントです。

ま、手を洗うという事だけを取り上げたのですが、どんな事でも同じです。

よく考えて、相手の徳を高める言葉を語るのです。

そこには、赦しが必要です。
そうでなければ、穏やかに語る事が出来ないからです。

そして、はっきりと注意する事は大切なのです。

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罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。
ヤコブの手紙5章20節
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そして、その罪を本当に覆う事の出来るのは、キリストにある愛です。

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何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
ペテロの手紙第一4章8節
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愛は罪を覆います。

さて、問題をかかえていたコリントの教会は、これらの問題対するパウロらの訓戒と勧めを受け入れ、悔い改めたのです。
それは、素晴らしい事です。
しかし、あるものは、自分の罪の為に、深い悲しみの中にいたようです。
ですからこう書いてあります。

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6 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、
7 あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
8 そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。
コリント人への手紙第二2章6-8節
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ですから、愛をもって励ましあう事が大切なのです。
そうして、さらにパウロはいいます。

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10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
コリント人への手紙第二2章10-11節
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この中で、サタンの策略と書いてあります。
サタンは、私たちが互いにかみ合ったり、するよう仕向けます。
そして、私たちを滅ぼしてしまおうとしているのです。

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14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。
15 もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。
16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラテヤ人への手紙5章14-16節
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しかし、このような、悪魔の働きに勝利する道は一つしかありません。
神を愛し、隣人を愛する事です。

愛するというのは、やわらかい言葉のようです。
聖書は愛、愛と書いてあるだからなよなよしていると考えておられるかたもあります。
そういう、教会の弱さがあるかもしれません。

しかし、本来の聖書の愛は、十字架に示された神の愛。
御子さえも与えられた神の愛。
ご自身が苦しまれた御子の愛。
十字架での死をも受けてくださった御子イエスキリストの愛です。
そして、この十字架が自分の罪の身代わりの死だと信じるなら、その人は救われて天国に行くのです。

これが、福音。これが、神の愛です。
そして、この愛は、悪魔を打ち砕いたのです。
ですから、真実の愛は悪魔に対する勝利です。

しかし、私たちが、本当に互いに愛し合おうと思ったら、それは、大変な事です。
それは、それを邪魔する悪魔との戦いです。

ですから、この地上で、私たちが互いに愛し合うなら、それは、霊的な戦い、目に見えない敵との戦いです。

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14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
コリント人への手紙第二2章14-15節
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私達は、主にしっかりと結びついて
このキリストの愛を示すものとならせていただきましょう。
キリストにある勝利の行列の中に、私たちはいるのです。
そして、私たちを通してキリストの香りが放たれます。

愛によって、勝利する事が出来る様に。
愛によって勝利された、キリストの愛を自分の物とすることが出来る様に、お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20070916愛と赦しによる勝利 
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