礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070909
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互いの徳を高めるために 
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【 内容 】 互いに愛し合い、徳を高める為に、御霊の賜物を求める。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、愛の中に住まわれる方。
私たちが、主にあって愛し合う所に臨在される方です。
この方を覚えて、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

聖書の通読は、旧約聖書が、詩篇から箴言に入ります。
箴言も、内容にまとまりがあり、読みやすいところだと思います。
箴言は、31章あり、丁度、一日に一章その日の分を読むという読み方も出来るところです。
私達の日々の歩みへの訓戒を与えてくれる書です。
また、新約聖書は、コリント人への手紙第一が続きます。
是非皆さん聖書を読みましょう。

バイブルQはこうなります。
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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:涙とともに種を蒔く者は、どうすると書いてありますか?
新約:私の愛する者たちよ。○○○○を避けなさい。
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:喜び叫びながら刈り取る。(詩篇126篇5節)
新約:偶像礼拝。(コリント人への手紙第一10章14節)

 【 バイブルQ 】
旧約:箴言6章6節で、なまけ者に対し、何の所に行けとありますか?
新約:コリント人への手紙第一14章33節、神は、どのような神ですか?
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是非、聖書から、答えを探して見て下さい。

涙と共に種を蒔くものは、喜び叫びながら刈り取ると聖書は言います。
やがて来る収穫の為に、福音の種を蒔いて行きましょう。
また、偶像礼拝を避けなさいと書かれています。

日本は、いろいろな事が、偶像となる国です。
夏は、夏祭り、秋は収穫祭、そして、正月に初詣と、偶像を拝みます。
しかし、本当の神様に立ち返ろうとする人はまれです。
皆さんを、この日本で、主の民として、主は選ばれました。
この主を証しするために、主の導きの中を歩んでまいりましょう。

さて、聖書箇所にもどりたいと思います。
本日の聖書箇所は、コリント人への手紙第一14章です。

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【 聖書箇所 】
コリント人への手紙第一14章1-19節
・新改訳Up308(贈呈p270英対p516)
・新改訳Vp337・口語訳p272
・新共同訳p317 (贈呈p317英対p480)
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司会者お読み下さい。

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【 聖書箇所のテキスト 】
9月11日(火)[ ]Tコリ14:1-19
14:1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
14:2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。
14:3 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。
14:4 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
14:5 私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、
預言する者のほうがまさっています。
14:6 ですから、兄弟たち。私があなたがたのところへ行って異言を話すとしても、黙示や知識や預言や教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。
14:7 笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。
14:8 また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。
14:9 それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。
14:10 世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません。
14:11 それで、もし私がそのことばの意味を知らないなら、私はそれを話す人にとって異国人であり、それを話す人も私にとって異国人です。
14:12 あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。
14:13 こういうわけですから、異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。
14:14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
14:15 ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
14:16 そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席に着いている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。
14:17 あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。
14:18 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、
14:19 教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。
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ありがとうございます。
では、続いて主題聖句を言いましょう。

まず、教会学校の皆さんお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんで言いましょう。
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【 主題聖句 】
愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
コリント人への手紙第一14章1節
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はい。ありがとうございます。

今日は、この所から、
互いの徳を高めるために
と、題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

さて、今回の聖書箇所は14章ですが、その前のコリント人への手紙第一13章は、どんな章か覚えておられますか?
コリント人への手紙第一13章は、愛について書かれた章です。
13章の初めはこう書いてあります。
12章の終わりから見ます。

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12:31 あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。
13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
コリント人への手紙第一12章31節-13章1節
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こうして、パウロは愛について語りだします。
この箇所は、愛の賛歌とも言われます。

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4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
8 愛は決して絶えることがありません。
コリント人への手紙第一13章4-8節
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パウロが、愛の大切さを語るのですが、これが、ただの奇麗事でないことを私たちは知らなければなりません。
ここにある事を、パウロはその宣教の歩みの中で、実際に行ったのです。
しかし、それらは、容易に行えるものではありません。
そして、ここに書かれている愛の究極の実践は、イエス様の十字架です。

友の為に死ぬという、最大の愛をイエス様は十字架の上で表してくださいました。
それは、私たち全人類の罪の身代わりの死であり、それを信じるなら、救われて、神の子とされ、永遠の命が与えられ、天国に行く事が出来るという神様のご計画と約束でした。
ここに、ご自身の一人子を与えるという愛で、父なる神様は私たちを愛して下さったのです。

愛。それは、聖書の全てを通じて最も大切なテーマです。
最も大切な戒めは、神を愛し隣人を愛する事です。
イエス様は言われました。
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29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
マルコの福音書12章29-31節
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イエス様が与えられた新しい戒めもそうです。

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わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
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しかし、これらの戒め以上に、聖書に現れている愛は、神が私たちを愛しておられるというその愛。
御子さえ与えるほどに愛してくださったという究極の愛。
これが、聖書を貫く愛なのです。

ですから、全ては愛から始まります。愛が無ければ、それらは始まらないのです。
私達のする全てのこともそうです。

パウロは、13章で言っています。
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13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
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どんなに素晴らしい行いも、愛が無いなら、何の役にも立たない。

いや、愛が無くても、貧しい人に分け与える事は、役に立つじゃないですか?とあなたは言われるかもしれません。
そうかも知れません。しかし、私たちが、この地上で知らなければならないのは、神を愛し隣人を愛する事です。
神様が私たちを造られた目的は、それ以外にありません。
ですから、この地上で、どんなに幸せな人生を歩んだとしても、愛が無いなら、それら全てが無いに等しいのです。

では、もし、私たちに愛がないなら、私たちは、どうしたらいいでしょう?

愛は、愛を受ける所からはじまります。
その愛は、神様の愛です。
私たちが、神様の愛を受ける所から始まるのです。
神様は貴方を愛しておられます。

これは、聖書を通して神様が語っておられることです。
ですから、聖書を読む中で、貴方は、父なる神様が、そして、主イエス様が、貴方の事をどんなに愛しておられるかを受け止めるのです。

13章。愛の章の最後はこうです。

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13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
14:1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
コリント人への手紙第一13章13節-14章1節
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一番すぐれているのは愛です。

このことを、しつこいほどに語って後、14章の冒頭の今回の聖書箇所は、愛を追い求めなさいと始まります。

この愛を追い求める事に続いて、御霊の賜物、特に預言することを求めるようにとすすめています。

賜物は、愛があってはじめて正常に働きます。

しかし、愛がなくても、賜物が働く事があります。
もし、愛と無関係に聖霊の賜物が働くとすると、それは、大きな混乱の原因になります。
ですから、ここまでしつこく、まず、愛が書かれているのです。
でも、14章にはいって何が書いてあるか見て下さい。

御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさいと書いてあります。

愛なんだから、賜物はいらないかというと、そうではありません。
御霊の賜物。それは、聖霊様が私に与えて下さる賜物です。
コリント人への手紙12章7-10節には、こう書いてあります。
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7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
10 ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
コリント人への手紙第一12章7-10節
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これらは、御霊の賜物のリストです。何がありますか?
知恵の言葉、知識の言葉。御霊による信仰。いやしの賜物。奇跡を行う力。預言。霊を見分ける力。異言。異言を解き明かす力。
ここにあげられているのは、この9つです。

御霊の実が、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制と、9つ書かれているので、丁度同じ数で覚えやすいと思います。

で、先ほど書かれていたように、御霊の賜物を求めなさい。いや、熱心に求めなさい。と、書いてあります。

主の与えて下さる賜物を、私たちは、受け取り、用いていかなければなりません。
残念ながら、この預言の賜物は、私は持っていないのですが、癒しの賜物は、与えられていると信じています。
また、賜物とは、持っておわりでなく、研ぎ澄ましていかなければならないものだとも感じています。
もともと、今あげた12章で、パウロは、賜物について、語り、そして、それより勝るものとして、13章で愛をかたり、その上で、14章、賜物にもう一度戻っています。

愛を強調すると、中には、御霊の賜物など必要ないという意見が出てきます。
しかし、御霊の賜物は、神様が与えて下さる賜物です。
それぞれにその働きはちがうと聖書はいいますので、皆さんお一人お一人を通して、どんな御霊の賜物が現れるかはわかりません。
しかし、主が貴方の為に用意しておられる賜物があるとするなら、あなたは、それを受け取らなければなりません。

皆さんが、どこかに穴を掘るように頼まれたとします。
そのとき、皆さんが、小さなスコップしか持っていなかったとします。
大きな穴を掘るなら、なかなか時間がかかります。
そこに、穴を掘るように頼んだ人が来て、このスコップを使って下さいと、大きなスコップをわたします。
しかし、いえいえ、そんなもの要りませんというなら、それは、その申し出を無にし、使命をもおろそかにする事です。

そういった意味でも、主が与えて下さる賜物を、受け止めていく事は大切です。
それらを用いて主は、その働きをするようにと語っておられるのです。

それは、互いの徳を高める為であり、福音という究極の愛を伝えるためだからです。

出エジプト記を見ます。祭司の服には、鈴とざくろがついていました。

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主がモーセに命じられたとおりに、仕えるための青服のすそ回りには、鈴にざくろ、鈴にざくろがあった。
出エジプト記39章26節
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これは、祭司がつとめのために幕屋に入るときに身につける衣服です。
なぜ、鈴とざくろがついていますか?それは、音を立てるためです。
鈴にざくろが当たって綺麗な音がします。
でも、なぜ、音を立てるのですか?
主は、その音を聞いて、祭司の来たのを知るといわれるからです。
また、もし祭司に罪があり、幕屋の中で打たれて命を失った時、外にいるものが、祭司の動かなくなったのを知るためでもあります。
そのときは、足につけた紐を引っ張って、祭司を引き出すのです。

主の臨在の前に出る事は命がけです。
今、こうして普段着で礼拝できるのは、主の血潮の覆いの故です。

さて、この鈴とざくろですが、ざくろは実を象徴します。その実とは、聖霊の実。そして、それは、愛の実です。
また、鈴は、賜物を象徴します。それは、御霊の賜物です。

もし、鈴だけならどうなるでしょう。ガチャガチャして綺麗になる事ができません。
でも、ざくろだけならどうなるでしょう。ぽこぽこ言うだけで、綺麗な音がしません。

ですから、私たちは、愛を持って、賜物を用いるのです。
そして、主が賜物を与えてくださることを信じて祈るのです。
それは、バランスのとれた信仰です。

パウロは言います。
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ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
コリント人への手紙第一14章15節
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ここでも同じ事です。
霊において、そして、知性において、祈る。
また、霊において賛美し、知性において賛美する。

私たちは、どちらもおろそかにする事の無い様にしてまいりたいと思います。
そして、主の栄光が表されますように。

お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20070909互いの徳を高めるために 
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