礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070826
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 真実なさばき
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【 内容 】 主が心の中を明らかにされる事
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、知恵と知識に満ち、全てをご存知の方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

聖書の通読は、
旧約聖書は詩篇
新約聖書はコリント人への手紙第一
となっています。

詩篇も半分が過ぎました。
神の人モーセの祈りと書かれたところもあります。
気が付かれたでしょうか?
詩篇は、慰めと励ましに満ちて、非常に読みやすい所です。

新約聖書のコリント人への手紙は、問題を抱えたコリントの教会へパウロが送った手紙です。
ですから、問題に対する具体的な対処も書かれています。
読んでみて下さい。

バイブルQは、こうなります。
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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:主は、天の穀物である何を、降らせましたか?
新約:マケドニヤとアカヤでは、誰の為に醵金する事を決めましたか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:マナ。(詩篇78篇24節)
新約:エルサレムの貧しい人たち。(ローマ人への手紙15章26節)

 【 バイブルQ 】
旧約:詩篇104篇26節に出てくる生き物の名前は?
新約:ほんのわずかのパン種でどうなりますか?
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ここでマナという、天から降ってきた食べ物は、荒野で人々の糧となりました。
このマナという言葉ですが、これは、なんだろうという意味だと書かれています。
イスラエルの民の知らなかった天からの食物マナは、荒野で人々の命の糧となりました。

つぎに新約の方ですが、マケドニヤとアカヤの人々は、エルサレムの貧しい人々の為に醵金することを決めました。
聖書を開いて確認してください。

では、本題に戻りたいと思います。
今回は、
真実なさばき
というタイトルです。
聖書を開きましょう。
聖書箇所は、コリント人への手紙第一4章です。
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【 聖書箇所 】 コリント人への手紙第一4章1-16節
・新改訳Up294(贈呈p258英対p492)
・新改訳Vp321・口語訳p259
・新共同訳p303 (贈呈p303英対p459)
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では、司会者お願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
8月28日(火)[ ]Tコリ4
4:1 こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
4:2 このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。
4:3 しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。
4:4 私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。
4:5 ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人
に対する称賛が届くのです。
4:6 さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方に
くみし、他方に反対して高慢にならないためです。
4:7 いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。
4:8 あなたがたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています。私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あな
たがたといっしょに王になれたでしょうに。
4:9 私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。
4:10 私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。
4:11 今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。
4:12 また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、
4:13 ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。
4:14 私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。
4:15 たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。
4:16 ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。
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続いて主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。
コリント人への手紙第一4章5節
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では、ここから、
真実な裁きと題しまして、御言葉を見て参りたいと思います。

今回からコリント人への手紙へとはいります。

コリントと呼ばれる地は、ギリシャのアテネの西にあり、昔から交易で栄えた町でした。
しかしその地は、偶像崇拝が盛んで、非常に乱れた町でもありました。

そのような、コリントの町で、教会も、様々な問題を抱えていたようです。
パウロは、そのようなコリントの教会に手紙を書きました。

今回の聖書箇所の最初はこう書いてあります。

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1 こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
2 このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。
コリント人への手紙4章1-2節
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パウロが、どういう立場のものであるかを書いていますが、同時に、キリストのしもべとは、私たち、信じたもの全てでもあります。
キリストのしもべは、忠実でなければなりません。

私たちは、神様に、そして、神様の言葉に忠実でなければなりません。
そのために、私たちにとって重要な事は、神様の前に謙る事です。

また、御言葉は、こう続きます。
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3 しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。
4 私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。
5 ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に
対する称賛が届くのです。
コリント人への手紙4章3-5節
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さばきは、人間によるのではなく、神様によるのだということが書かれています。
この中で、パウロは、自分で自分を裁くことさえしないと言っています。

いつも聖餐式でお読みするのも、コリント人への手紙ですが、その箇所では、自分を裁くなら裁かれないと書いてありました。

私たちは罪人であり、神様の前で自分を正しいとする事は出来ません。
しかし、ここで、パウロが言おうとしているのは、その事を越えて、更に、自分自身を神様に完全に明け渡しゆだねているという自分の信仰です。

また、パウロは、律法に忠実な人でした。
しかし、パウロは自分はやましいことは無いが、それで無罪とされるのではないと言っています。
全ての事をご存知で裁かれるのは主です。
私達の心の中の全てを見ておられる方が、私たちを裁かれるのです。
ですから、私たちは、目に見えるところで、先走ったさばきをしてはならないのです。

私たち人間には、真実に人を裁くことは出来ません。
それは、神様にしか出来ないのです。
ですから、私たちに必要なのは、主の前に謙り、全てをゆだねることです。

今週の聖書通読の中に、詩篇にこうあります。

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94:3 主よ。悪者どもはいつまで、いつまで、悪者どもは、勝ち誇るのでしょう。
94:4 彼らは放言し、横柄に語り、不法を行なう者はみな自慢します。
94:5 主よ。彼らはあなたの民を打ち砕き、あなたのものである民を悩まします。
94:6 彼らは、やもめや在留異国人を殺し、みなしごたちを打ち殺します。
94:7 こうして彼らは言っています。「主は見ることはない。ヤコブの神は気づかない。」
詩篇94篇3-7節
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主は見る事はない。ヤコブの神は気づかないと、悪者どもは勝ち誇ります。
しかし、主は、全てをご存知です。ですからこう続きます。

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94:8 気づけ。民のうちのまぬけ者ども。愚か者ども。おまえらは、いつになったら、わかるのか。
94:9 耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。
94:10 国々を戒める方が、お責めにならないだろうか。人に知識を教えるその方が。
94:11 主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。
94:12 主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。
詩篇94篇8-12節
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主は、目を造られたかた、耳を造られた方、全てをご存知のお方です。
ですから、主は、人の思い計ること全てをご存知です。

主は、主に戒められ、主のみおしえを教えられるその人が幸いだと言っています。
皆さんが、このように御言葉を聞く事、また、その言葉に従う事、それが、幸いな事なのです。

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さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にく
みし、他方に反対して高慢にならないためです。
コリント人への手紙4章6節
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ここで、書かれていることを越えない
とあります。
私たちが、聖書から知らなければならない事として、神様の命令はなんであるかという事があります。

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この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
ローマ人への手紙12章2節
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それを知るために、私たちは、心の一新によって、自分を変えなさいといわれています。

神のみこころは何かを知ろうとしたら、私たちは、この世の価値観、この世の調子から離れなければならないのです。
この世の調子とはなんですか?
それは、神様から離れて自分たちの考えで好きなようにしようとする事です。
それが、この世です。私たちが、神様のみこころを知ろうとするなら、その事から離れなければならないのです。

そして、この箇所も、こう続きます。
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私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、
慎み深い考え方をしなさい。
ローマ人への手紙12章3節
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私たちにとって大切な事は私たちが、主の前に謙る事です。

しかし、謙るというと、何も出来ないという事だと誤解するかたが居られます。

聖書の中で、謙るとはどういうことでしょう。
それは、神様が言われた事に対して、そうです。ということです。

お祈りの時、皆さんは、アーメンと言われます。
それは、私の祈った事は真実です。その通りですという確認の言葉です。

このアーメンは、その通りですという意味も持ちます。

その通りです。
主が皆さんに語られた事に対して、その通りです。

と、答える事、それが、謙りです。

神様が、貴方は勇士だと言われたら、
貴方はアーメンそうです。と答える。
神様が、貴方は素晴らしいと言われたら、
貴方はアーメンそうです。と答える。
それが、神様の前に謙る事です。

パウロは、今回の聖書箇所で、私に習うものとなってくださいと言いました。
しかし、それは、どんな私でしょう。

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4:11 今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。
4:12 また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、
4:13 ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。
4:14 私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。
4:15 たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。
4:16 ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。
コリント人への手紙4章11-16節
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ここにあるのは、人々を愛し、神様に従順に仕えているパウロの姿です。
パウロは、ただ主によってこのことをなして来たと教えています。
キリストイエスにあって、全てのことはなされたのです。

ただ、神様を愛し、従順に従う。
そして、この謙りを主は見ておられます。

この謙りを最もなした方が居られます。
それは、イエス様です。
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6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
ピリピ人への手紙2章6-8節
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これが、歴史上最大の謙りです。
神様の姿を置いて、人間と同じになり、そして、十字架に死んで下さったのです。

私たちは、この主を見つめ、この主に従い、主の前に謙ってまいりましょう。

先ほどの3-5節をもう一度見ます。

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3 しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。
4 私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。
5 ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に
対する称賛が届くのです。
コリント人への手紙4章3-5節
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これは、謙りです。
そして、この謙りは、主にさばきを任せるのです。

お祈りしましょう。

<祈り>


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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シティーチャーチメッセージ20070826真実なさばき
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