礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070812
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信仰によって追い求める
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【 内容 】 信仰によって始まり、信仰によって完成する。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちに信仰を与え、信仰によって導いて下さる方です。
この方を覚えて主の御言葉を聞いてまいりましょう。

今週の、聖書の通読は、旧約は詩篇が続きます。
また、新約はローマ人への手紙です。

どちらも大切なところですし、もし、通読をしていない方は、読みはじめやすいところです。
皆さん聖書を読みましょう。

バイブルQはこうなります。
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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは誰のものですか?
新約:患難は、何を生み出しますか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:主のもの。(詩篇24篇1節)
新約:忍耐。(ローマ人への手紙5章3節)
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旧約は、非常に簡単な事で、聖書を開かなくてもわかることかもしれません。
でも、聖書にはっきりとそうかいてあるその事を覚えてください。
聖書の神様は、全ての物を持っておられる方です。
他の神々と呼ばれるものとの間で、これは、大きな違いです。
私達の信じる神様が、唯一真の神様である事、それを聖書から確かめていただければと思います。

また、新約は、患難は忍耐を生み出し、とあります。
このつづきに、ローマ人への手紙 5章4節には、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
と、書かれています。

これは、大事なところです。聖書を開いて見て下さい。

では、聖書箇所にもどります。
本日の聖書箇所は、ローマ人への手紙9章です。
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【 聖書箇所 】ローマ人への手紙9章19-33節
・新改訳Up278(贈呈p244英対p467)
・新改訳Vp304・口語訳p245
・新共同訳p287 (贈呈p287英対p437)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
8月14日(火)[ ]ロマ9:19-33
9:19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」
9:20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。
9:21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。
9:22 ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。
9:23 それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。
9:24 神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
9:25 それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。「わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。
9:26 『あなたがたは、わたしの民ではない。』と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる。」
9:27 また、イスラエルについては、イザヤがこう叫んでいます。「たといイスラエルの子どもたちの数は、海べの砂のようであっても、救われるのは、残された者である。
9:28 主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。」
9:29 また、イザヤがこう預言したとおりです。「もし万軍の主が、私たちに子孫を残されなかったら、私たちはソドムのようになり、ゴモラと同じものとされたであろう。」
9:30 では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。
9:31 しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。
9:32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。
9:33 それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
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では、つづいて主題聖句をいいましょう。

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【 主題聖句 】
義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。
ローマ人への手紙9章30節
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では、今日は、このところから、
信仰によって追い求める
と題しまして、御言葉を開いていきましょう。

ローマ人への手紙は、信仰についての解説書のようです。
この箇所をじっくりと読むならば、信仰書などいらないほどに、パウロは、聖書を信じる信仰について解説してくれています。
しかし、その内容が抽象的であるために、非常にわかりにくくもなっています。
ペテロでさえも、その手紙の中で、パウロの手紙はわかりにくいと言っているくらいです。

まあ、それでも、皆さん、聖霊様の助けを頂きながら、通読していくなら、聖書は、聖書そのものが語りかけてきます。

とにかく、今回の箇所ですが、わかりにくいパウロの手紙でもありますので、結論の信仰によって追い求めるという所から見てみたいと思います。

信仰によって追い求めるということですが、信仰とは何でしょうか?
信仰については、聖書にいろいろな説明がされています。

その前に、日本語の百聞は一見に如かずは、
英語では、Seeing is believing. と訳され、同じ意味に使われます。
そして、これを直訳すると、見ることは信じること。となります。
ところが、イエス様は聖書の中で、見ずに信じるものは幸いですと言われました。
どこに書いてあるでしょうか?ヨハネの福音書の最後のほうです。
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イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
ヨハネの福音書20章29節
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蘇ったイエス様がトマスに語りかけておられます。

見ないで信じるものは幸いです。
これは、信仰を説明する非常に大切なことばです。

ところが、こう聞くと、疑ってはいけないと、信じ込もうとする事になります。
しかし、信仰は、信じ込むことや、思い込みではありません。

信仰とは、神様との信頼関係です。
ですから、信仰は、目に見えません。

本来、聖書における信仰とは、神様との信頼関係です。

別な箇所を見てみましょう。
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信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル人への手紙11章1節
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信仰とは何ですか?と質問すると、よく回答に出てくる御言葉です。
ところが、この御言葉が、信仰とは、目に見えないものを確信する事だというところだけを捕らえると、
盲目的な信仰主義になってしまいます。

信仰が盲目的な信仰主義や思い込みになってしまってはなりません。

では、信仰とはなんでしょう。
それは、何度もいいますが、神様との信頼関係です。

そして、それは、聖書の御言葉によって養われていくものです。
だから、私たちは、聖書を毎日読み、祈らなければなりません。

そうやって、生ける真の神様と触れ合う事によって、私達の信仰は成長していくのです。

私たちが、道徳を行う事で、自分を立派にして、神様に近づくのではありません。
ただ、神様を信じる信仰によって、私たちは、神様に近づく事が出来るのです。
このことが書かれているのが、今回の聖書箇所の最後です。

今回の聖書箇所の中で30節から32節を見ます。
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30 では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。
31 しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。
32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。
ローマ人への手紙9章30-32節
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ここで、義を追い求めなかった異邦人とありますが、私たちは、異邦人です。
そして、私たちに主は、信仰による義を与えて下さいました。

ところが、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、律法に到達できませんでした。
それは、もともと律法が、アブラハムの信仰の上に与えられたものだからです。

イスラエルは、信仰によって追い求めないで、行いによるかのように追い求めたとあります。
言い換えると、彼らは、自分と神様との関係によって、求めるのでなく、自分の行いによって、神様から祝福を勝ち取ろうとしたのです。

私たちが、信仰、つまり、神様との信頼関係にないなら、何かを得る事は出来ません。

ここで、つまずきの石と書かれています。
躓きの石について、続きにこう書いてあります。
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それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
ローマ人への手紙9章33節
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この躓きの石とはイエス様です。
この方に信頼するものは失望させられないと書いてあります。
私たちが本当にイエス様に信頼しているなら失望する事はありません。

先ほど、イスラエルの民は、信仰によるのではく、律法を行う事で到達しようとしたとお話ししました。
しかし、このことは、私たちにとっても言える事です。

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あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ人への手紙2章8節
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私たちは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それなのに、私たちは、律法を行い、律法によって義とされようとすることがあります。
また、それゆえに裁き合うことさえあります。

私たちが、この信仰の中を歩むために必要な事は、イエス様から目を離さないでいることです。

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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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このことをイエス様も言われます。

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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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私たちは、この方を見つめ、この方にとどまりましょう。
そして、このイエス様とのしっかりとした信頼関係の中を歩ませていただきましょう。

イエス様を覚えてお祈りしましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20070812信仰によって追い求める
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