礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070805
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恵みによる義と赦し
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【 内容 】 恵みにより与えられ信仰によって受ける義と赦し。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、恵みによって私たちを救い、義としてくださる方です。
この方を覚えて主の御言葉を聞いてまいりましょう。

今週の、聖書の通読は、旧約が詩篇です。
読みやすいところですので、是非読んで戴きたいと思いますが、よく、聖書を毎日読んでますか?と聞いて、
読んでますといわれる方の中に、詩篇だけを毎日読んでいるというかたがおられます。
そういうかたは、是非、通読表にしたがって聖書全体を読んでいただきたいと思います。
また、新約聖書はローマ人への手紙です。
パウロの書いた手紙ですが、信仰による義を考える非常に大切なところです。
是非お読み下さい。

バイブルQはこうなります。
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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
 【 バイブルQ 】
旧約:わしは、巣をどのような所に作ると書いてありますか?
新約:パウロは、何の為に鎖につながれていると言いましたか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:高い所。(ヨブ記39章27節)
新約:イスラエルの望みのため。(使徒の働き28章20節)
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わしは、高いところに巣をつくります。
そこは、人々が容易にたどり着く事の出来ないところです。
また、わしは、そこから風に乗って飛び立ちます。
わたしたちも、主の御霊の風に乗って主の業を行なって参りましょう。
また、パウロは、自分が鎖につながれているのはイスラエルの望みの為だといいました。
聖書を開いて確かめてみてください。
そして、次のバイブルQはこれです。
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 【 バイブルQ 】
旧約:地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは誰のものですか?
新約:患難は、何を生み出しますか?
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是非、聖書から探してみてください。

さて、今回からローマ人への手紙に入ります。
ローマ人への手紙は、信仰について考える上で、大切なところです。

まずは、聖書箇所をお読みいただきましょう。
聖書箇所はローマ人への手紙4章です。
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【 聖書箇所 】ローマ人への手紙4章1-13節
・新改訳Up270(贈呈p237英対p451)
・新改訳Vp294・口語訳p237
・新共同訳p278 (贈呈p278英対p424)
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司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
4:1 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。
4:2 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
4:3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。
4:4 働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。
4:5 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
4:6 ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。
4:7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。
4:8 主が罪を認めない人は幸いである。」
4:9 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた。」と言っていますが、
4:10 どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。
4:11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
4:12 また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。
4:13 というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。
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はい、ありがとうございます。
では、続いて、主題聖句を教会学校の皆さんでお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんで言いましょう。
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【 主題聖句 】
不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。
ローマ人への手紙4章7節
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はい、ありがとうございます。
では、このところから、恵みによる義と赦しと題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

今回の箇所は、信仰の祖と言われるアブラハムが何によって、義と認められたか。という非常に大切なお話しです。

この箇所の一番最初に、こうかいてあります。
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4:1 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。
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ここで、
それでは、
からはじまっていますので、いったい何について言っているのか、その前を見てみましょう。
3章の終わりはこうなっています。

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28 人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。
30 神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。
31 それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。
ローマ人への手紙3章28-31節
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ここで、人が義と認められるのは、信仰による。
行いではないというのが、聖書の教える救いの大切なところです。
ここには、非常に大切な事が書かれています。
まず、神が唯一であるなら、神は、異邦人を含む全ての者の神であるということ、そして、人は信仰により義と認められ、信仰によって律法を確立するということです。

このことを踏まえて、四章に戻りますと、こう書いてあります。

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4:3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。
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創世記を見ますと、こうなっています。
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1 その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
4 アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。

7 そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
創世記12章1-4節7節
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アブラハムは、ただただ主の導きに従って、自分の故郷を離れ、主の示される地に向かいました。
かれは、当時75歳でした。
彼は、まだ子どもがいませんでしたが、主が、「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」といわれた事を信じました。

ここの約束の中で重要なのは、アブラハムに子孫が与えられる事です。
しかし、そのことは、実現しないまま、月日がたちます。
そして、主は、またアブラハムに言われます。

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1 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
2 そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
3 さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げた。
4 すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記15章1-6節
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この最後に出てくるのが、ローマ人への手紙の4章3節に引用されている箇所です。
アブラハムは、祝福の約束を信じます。
しかし、自分には子どもがまだありません。
先に約束を与えられた時でも、75歳です。
そこから更に月日がたち、アブラハムは自分が年老いていることを感じます。
そして、この神様の祝福を受け継ぐのは、自分の家の使用人なのだとさえ考えるようになります。

ところが、主は、アブラハムに対して言われます。
それは、アブラハムから生まれるものが、アブラハムの後を継ぐというとう約束です。

そして、主は、アブラハムを外に連れ出し星を見せます。
そこには、綺麗な星が沢山光っていました。
枚方は、天の川が流れていて、星田、星の里、星が丘など、星にちなんだ地名の多いところです。
しかし、なかなか、実際に星の観察をするのは困難です。

毎年、春夏に行きます淡路島のキャンプ場は、よく、グラウンドにシートをしいて、皆で寝転んで星を見ながら話しをしたりします。
流れ星がいくつも流れていくのが見えました。

アブラハムが見上げた星空は、どれほど美しいものだったでしょうか?
その星を、主は数えるように言われました。

しかし、それは、とても数える事の出来ないほどの星でした。
その星空を見上げて、主はアブラハムに、あなたの子孫はこのようになると言われました。

みなさん。その時アブラハムには一人の子もいないのです。
しかし、主は、アブラハムに語りかけられたのです。

アブラハムは信じました。
主はそれを彼の義と認められました。

皆さん、このシティーチャーチは、ちょうど、この8月に、開所式をしました。
そして、スタートして、まる4年になります。
この場所での礼拝は、これから5年目ということです。

私たちに、主が、この場所を与えてくださって、一つ一つの事を導いてくださいました。
主は、この群れを、この牧野の地において、大きな群れとしてくださると信じます。

ところで、義とは何でしょう。
一般に義と違うものとして罪を考えます。
罪とは、神様から離れている状態です。

それに対して義とは、神様との関係が正しい事です。

私達と神様との関係が正しいかどうか、それを表すのが信仰です。

イエス様は言われました。
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イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
ヨハネの福音書20章29節
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私たちは、目に見えない神様を信じています。
ですから、見ずに信じる事、それは大きな信仰です。

その事において、アブラハムがどれほど偉大かを考えてください。
彼は、聖書もなく、ただ、神様の言葉だけを聞いて、それを信じ従ったのです。

彼の信じたことは、一般的に考えるなら非常にばかげた事です。
子どものいない彼に神様は、子どもを与えるといわれ、星の数ほどの子孫を与えるといわれ、祝福すると言われました。
しかし、そのアブラハムの信仰を、主は義と認められたのです。
そして、その事は確かに実現しました。

アブラハムには、強い父なる神様への信頼があったのです。

先ほどいいましたように、義の対極に罪があります。
それは、神様を信頼しない事、自分の勝手に生きていこうとする事です。

この罪が赦されたものとして、ダビデがあげられます。
彼は、姦淫の罪を犯しました、その相手は自分の部下、それも非常に優秀な部下の妻でした。
そのことで、彼は、自分の部下を殺害するという罪まで犯します。

この罪をダビデは赦されました。
それは、神様の一方的なあわれみによることでした。
彼が、自分の罪を認め、主の前にへりくだった時、主は赦されたのです。

私たちは、自分が大きな犯罪を犯した経験が無いと、正しいものだと考えます。
しかし、神様の前で、本当は、罪人です。
それは、私たちが、生まれながら、神様から離れているということです。
そして、神様との関係を取り戻すために、私たちは、罪が赦されなければなりません。

そのためにイエス様がしてくださった事は、ご自身が十字架で死んでくださるという事でした。
私達の罪を背負い、罪の無い神の子が十字架で死んで下さった事によって、私達の罪が赦されたのです。

今日も聖餐式を行いますが、このことも、そのイエス様の十字架を覚えて行う事です。

ダビデを見る時に、この罪の赦しは、神様からの一方的なものでした。
ダビデは、正しい人でした、ですから、自分がそのような罪を犯すなど思っても見なかったでしょう。
しかし、王国が安定した時、彼の心に隙が出来ました。
その隙をサタンは付いてきました。

ダビデは、自分が大きな罪を犯したことで、罪を赦される事、それが、自分の力によらない事を知りました。

そして、それが、どんなに大きな恵みであるかを知ったのです。

いま、私たちは、この同じ恵みによって、義とされます。
それは、イエス様によって与えられる一方的な恵みです。

しかし、それを受け取るには、一つしか方法がありません。
それは、イエス様を信じる信仰です。

ちょうど、アブラハムが、父なる神様の言葉を信じその信仰によって義とされたように、
私たちは、イエス様の十字架を信じる信仰によって義とされます。

そしてまた、このアブラハムに主が約束された祝福をも、信仰を持って受け止めていくのです。

皆さん共にお祈りしましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20070805恵みによる義と赦し
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