礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070708
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救いは信仰による
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【 内容 】イエス様を信じる信仰によって救われる事。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、全能なる方。力ある方。全てを治めておられる方です。
この方を覚えて、主の御言葉を聞いて参りましょう。

今回から、メッセージの流れを少し変えたいと思います。
そのため、聖書箇所を読んでいただくのが後になりますので、暫くお待ち下さい。

さて、先週の聖書の通読は、歴代誌第二でした。
ユダの王国が滅び、バビロン捕囚が始まります。
しかし、注目してもらいたいのは、この歴代誌第二がクロスの命令による神殿再建で終わる事です。
主は常に希望を与え、信仰を励まして下さる方です。
また、新約は使徒の働き。こちらは、ペテロがカギを開いた異邦人伝道をパウロが進めて行くところでした。

皆さんどんな感想をもたれたでしょうか?

先週のバイブルQは、こうです。
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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
旧約:ヒゼキヤ王はその治世の第一年の第一の月に何をしましたか?
新約:ペテロがコルネリオの家の者に話し続けていると、みことばに耳を傾けていた人々に何がおこりましたか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:主の宮の戸を開き、これらを修理した。(歴代誌第二29章1-3節)
新約:聖霊がお下りになった。(使徒の働き10章44節)
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そして、次のバイブルQはこれです。
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 【 バイブルQ 】
旧約:エズラはイスラエルの民の不信の罪を聞いたときどうなりましたか?
新約:使徒の働きの15章に出て来るユダとシラスはどんな人でしたか?
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これらも是非、聖書を開いて探してみてください。
答えは今週の通読箇所にあります。

今週の通読箇所は、
旧約がエズラからネヘミヤ。
新約は使徒の働きです。
エズラは律法学者。
ネヘミヤは、エルサレムの再建を託された人物です。
これらは、歴代誌第二の続きで、神殿再建が現実に行われるところです。
そして、新約聖書は、使徒の働きが続きます。
パウロの宣教。割礼に関する問題。そして、アテネでのパウロの伝道と続きます。
パウロの働きに、聖霊様の御業が伴い、人々がイエス様を信じます。
このことが、今も起こると信じます。

そして、今回の聖書箇所は、この使徒の働きの15章です。
ここには、先ほどいいました、割礼に関する問題が書かれています。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、使徒の働き15章です。
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【 聖書箇所 】使徒の働き15章1-11節
・新改訳Up236(贈呈p209英対p390)
・新改訳Vp258・口語訳p206
・新共同訳p (贈呈p242英対p371)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
使徒の働き15章1-11節
15:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。
15:2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることにな
った。
15:3 彼らは教会の人々に見送られ、フェニキヤとサマリヤを通る道々で、異邦人の改宗のことを詳しく話したので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。
15:4 エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行なわれたことを、みなに報告した。
15:5 しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
15:6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。
15:7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたので
す。
15:8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
15:9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
15:10 それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
15:11 私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
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では、続いて、主題聖句をまず、教会学校の皆さんでお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんで言いましょう。

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【 主題聖句 】
私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。
使徒の働き15章11節
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では、今日はこのところから、
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救いは信仰による
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と題しまして、聖書を共に見てまいりましょう。

この箇所は、人々がユダヤからやってきたと言う所から始まります。
パウロたちは、このとき、アンテオケにいました。
そこが、パウロの宣教の拠点でした。

ユダヤからやってきた人々は、救われるために割礼が必要だと話しました。
このため、彼らとパウロたちとの間に、大変な論争が生じました。
そこで、この問題を解決するために、パウロとバルナバは、エルサレムに向かったのです。

この間、パウロたちは、フェニキヤ、サマリヤを通ります。
そして、そこにおいて、異邦人の改宗について、兄弟たちに話し、そのことは、兄弟たちに喜びとなりました。
エルサレムで、いよいよ、パウロは、使徒たちや長老たち、ペテロやヤコブたちに話をします。

その事がこうかいてあります。
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エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行なわれたことを、みなに報告した。
使徒の働き15章4節
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ここで、パウロは、神が彼らと共にいて行われた事を報告したのです。
自分たちが何をしたかを報告したのではありません。

皆さん。私達のクリスチャン生活の根底には、このことがなければなりません。
私達の日々の歩みは何によるのですか?

あなたなら、何を報告しますか?
自分がこれだけの事をしたと報告したくならないでしょうか?
しかし、聖書の中でイエス様はこういわれます。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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私達の信仰生活は、本当は、このことを認めなければはじまりせん。
私たちが、キリストにあって、多くの実を結ぶ事、そして、キリストによらなければ、何も出来ない事です。

ですから、キリスト教は、倫理道徳ではありません。
あなたの努力によっては、何も出来ない事を認める事です。
そして、何をするのですか?
キリストに留まるのです。

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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
ヘブル人への手紙12章2節
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私たちは、しっかりとイエス様を見つめていましょう。
そのために、私たちは、毎日聖書を読み祈るのです。

そして、パウロはこのことをこういっています。
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私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の
御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
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この聖書箇所を読んで、なんと立派な信仰だろうと思われた事のある方も居られるかも知れません。
しかし、よく読んで下さい。私はキリストのように立派に生きるのだとは書いてないのです。
ここで、パウロがいっているのは、自分はキリストと一緒に死んだんだということです。

自分はもう死んだ。だから、生きているのはキリストだと言っているのです。
それを見るとさらに、
ああ、パウロはなんと謙っているのだとそう考える方も居られるかもしれません。
しかし、そうではありません。

パウロは、事実を言っているのです。

パウロは、イエス様を信じたそのとき、死んだのです。

私がイエス様を信じたのは、21歳の時でした。

肝臓を悪くして、ドクターストップも出ていて、それでもお酒のやめれない私が、教会の聖会に行きイエス様を信じました。
次の日からお酒がいらなくなったのです。

その時からの私の人生を振り返って思うのは、これは、自分の人生ではないと言う事です。

そこで起こった出来事なした事、全てが主の御手の中にありました。
いや、全てを主がなしていかれたのです。

もちろん。私自身は、失敗もします。自分の罪に苦しみもしました。
しかし、いつも主が導いておられました。

その結果として今の私がいます。
そして、その人生はどう考えても自分の計画では無い人生。
自分の人生と思えない人生です。

キリストが、私の人生を通して生きて働かれました。
だから、私もいいます。
私が生きているのではありません。
キリストが私のうちに生きておられるのです。

皆さん。
皆さんもそうです。

皆さんは自分で生きておられるつもりかも知れない。
でも、皆さんがイエス様を信じた時から。
イエス様を主として受け入れた時から、皆さんの人生は主の御手の中にあるのです。

そして、それは、貴方にとって、神様が計画された最高の人生への道です。

お話を戻しましょう。
パウロたちは、神様が何をされたかを話しました。
しかし、続きにこうかいてあります。
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しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
使徒の働き15章5節
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ここで、自分たちが何をしたかを主張したい私たちの自我が出てきます。
注意してください。
彼らは、パリサイ派でしたが、信者となったものたちです。
彼らは、イエス様を信じていました。
しかし、彼らにとって、自分たちが、律法を守る、その事に救いの一端があると思っていたのです。

これに対し、論争のあとで、ペテロがいいます。
その結論はこうです。

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私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
使徒の働き15章11節
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イエス様の恵みによって、私たちは救われたのです。
イエス様は私たちを救う為に十字架で死んでくださいました。
私達の罪を背負い、私たちを赦し、私たちを神の子とし、永遠の命を与えてくださったのです。

パウロは、エペソ人への手紙の中で、こういいます。
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あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
エペソ人への手紙2章8-9節
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救いは、ただ、イエスキリストを信じる信仰によります。
そして、それは、恵みによってあたえられたものです。
行いではありません。だから、だれも自分を誇る事は出来ないのです。

しかし、ここで、パリサイ派だった信徒たちが、自分たちの行いを主張したように。
自分の行いを誇りたくなってしまう事があります。

異邦人に、余計な重荷を負わせないということで、この割礼の問題は解決するのですが、
ここで、神様は、この問題を提起したユダヤ人にそして、パリサイ人に、問いかけておられると思います。
それは、彼らの救いが何によるのかということです。

彼らの救いが、律法を守ることによるのか、イエスキリストを信じる信仰によるのかということです。

皆さん。教会の中にもその様な事はないでしょうか?

皆さんは何によって救われましたか?
イエス様を信じる信仰により、恵みによって、救われたのです。

自分の救いは、キリスト教という道徳や、倫理によるのではありません。

ただ、キリストを信じる信仰によるのです。
だから、信仰生活の根底は、初めに言いましたように、この事につきるのです。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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私たちが、本当に主に目を留めて歩む事が出来る様にお祈りしましょう。

<いのり>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20070708救いは信仰による
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