礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070610
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天からの権威
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【 内容 】 天地を造られた主がこの世界を治めて居られる。
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、天と地にある全てを創り、全てを治めておられる方です。
この方を覚えて御言葉を聞いて参りましょう。

まず、いつものように聖書箇所をお読み頂きましょう。
本日の聖書箇所は、ヨハネの福音書19章です。
司会者お願いします。

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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書19章9-22節 
・新改訳Up201(贈呈p179英対p329)
・新改訳Vp220・口語訳p174
・新共同訳p206 (贈呈p206英対p315)
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの福音書19章1-22節
19:9 そして、また官邸にはいって、イエスに言った。「あなたはどこの人ですか。」しかし、イエスは彼に何の答えもされなかった。
19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
19:11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
19:12 こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイ
ザルにそむくのです。」
19:13 そこでピラトは、これらのことばを聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語でガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。
19:14 その日は過越の備え日で、時は六時ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」
19:15 彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」
19:16 そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。
19:17 彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。
19:18 彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった。
19:19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いてあった。
19:20 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。
19:21 そこで、ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください。」と言った。
19:22 ピラトは答えた。「私の書いたことは私が書いたのです。」
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では、次は、主題聖句です。
教会学校の皆さんお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんでいいましょう。

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【 主題聖句 】
もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。
ヨハネの福音書19章11節
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今日は、この所から、
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天からの権威
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と題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

聖書の通読は、
旧約聖書が、列王記第二が終わり、歴代誌に入ります。
歴代誌は、開くといきなりアダムからの系図が始まります。
そして、創世記から、サムエル記や列王記をもう一度繰り返したような内容です。
神様の救いの歴史の流れを、整理して見る上で歴代誌は大切です。

読みにくい箇所かも知れませんが、聖書全体を何度も読んでいくうちに、そこに出て来る人たちの名前も分るようになります。

また、新約聖書は、ヨハネの福音書が終わります。
イエス様の十字架への歩みと復活の後のイエス様の歩みをヨハネは細やかに書いています。
是非、聖書をお読みください。

バイブルQはこうなります。

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【 【 【 先週のバイブルQの答え・聖書箇所 】 】 】
 【 バイブルQ 】
旧約:ヨアシュは誰の子ですか?
新約:一番大きな愛はどんな愛ですか?
 【 バイブルQの答え・聖書箇所 】
旧約:アハズヤ。(列王記第二11章2節)
新約:人がその友の為にいのちを捨てるという愛。(ヨハネの福音書15章13節)

 【 バイブルQ 】
旧約:ダビデはエルサレムで何年治めましたか?
新約:ヨハネは、イエス様の十字架のそばには、誰が立っていたと書いていますか?
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このヨアシュは、ユダの歴史の中で主に従った王として名を残しています。
しかし、彼は、幼い頃、自分の父アハズヤ王が死んだとき、アハズヤの母すなわち、自分のお婆さんのアタルヤから殺されそうになりました。
父アハズヤの姉妹であるヨアシュのおばさんによって守られ、主の宮に身を隠したヨアシュは、祭司エホヤダの教えを受け、主に従うものとなりました。

新約のいちばん大きな愛は、いのちを与える愛です。
これ以上の愛は無いとイエス様は言われます。
そして、イエス様は、私達の為に、その愛を示し、十字架で死んで下さったのです。

私たちは、この愛の中に生かされています。

それは、私たちを罪から贖うため、また、神の子とされ、天国に行くものとなるためです。

日本においては、神道があり、仏教があり、それらが、日本の宗教だと思われています。
しかし、天と地を造られた真の神様以外に神様はおられません。

もし、真剣にこの世界のなりたちや、自分の生と死を考えるなら、このことに行き着きます。

聖書の神様は、この世界の全てを作られました。これは真実です。

そして、この神様が私たち人間を創り、愛して居られます。

ところが、人間は、この神様に逆らい、神様から離れ、好き勝手な人生を歩むようになりました。
それが、聖書の教える罪です。
その結果、私たちは呪いを受け、苦しんで人生を歩むようになりました。
この罪を解決するために、イエス様は自らに呪いを受けて、十字架で死んで下さり、それによって、私達の罪が赦されたのです。

この事を信じるものは救われて、永遠の命を得る事が出来ます。
これが福音です。そして、私たちはこの福音をゆだねられています。

次のバイブルQも書いてあります。
是非、聖書を開いて確かめて下さい。

さて、聖書箇所に戻ります。
今回の聖書箇所は、イエス様とピラトとの会話から、イエス様が十字架につかれる所です。

この所で、ピラトはイエス様に聞きます。

「あなたはどこの人ですか。」しかし、イエス様は何もお答えになりませんでした。

それで、ピラトはさらにいいます。

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そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
ヨハネの福音書19章10節
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ここで、ピラトは、イエス様に向かって、自分には権威があると言っています。
ところが、イエス様はお答えになり、こういわれるのです。

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イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
ヨハネの福音書19章11節
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権威は誰から与えられているものか、この世界にある全ての権威は神様からなのだとイエス様は言っておられるのです。
テモテの手紙第一でこう書いてあります。

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1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。
3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
テモテの手紙第一2章1-3節
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王や高い地位にある者に、その権威を与えられたのは誰でしょう。
それは、神様です。
なぜなら、世界の全ては主が治めておられるのだからです。
だから、権威あるもの、王の為に祈れと書かれています。

そして、箴言にはこう書いてあります。

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王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。
箴言21章1節
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皆さん王の心は主の手の中にあるのです。
ですから、ピラトにしてみれば、イエス様を釈放しようとしても出来なかったし、また、その時のユダヤのリーダーたちにしてみれば、イエス様は、彼らの思惑に反して、「ユダヤ人の王」として十字架にかかられること
になったのです。
全ては神様のご計画の通りでした。

ホーム・スクールを支える働きをしておられる、アメリカの弁護士でクリス・クリッカという方が、DVDの中で、興味深い証をしておられました。
今は、アメリカの全ての州で、ホームスクールが認められていますが、まだ、そうでなかった頃、沢山の裁判がなされました。
その中の一つの裁判で、ホームスクールを認める結果となった次の日に、裁判官のコメントが新聞に載ったのですが、そこで、裁判官は、この結果は不満だと言ったのです。

裁判官にとって、不満であるにも関わらず、この裁判の結果は、ホームスクールを認める事になったのだそうです。

神様が、裁判官の権威を越えて働かれたのだと言う事でした。

そして、この方は、更に言っておられました。

あれが欲しい、こうして欲しいと祈るのもいいけど、もし、僕たちが、神様の御心がなりますようにと祈るなら、僕たちは圧倒的な勝利者となるのだと、、。

主は、今も生きて働き全てを導かれます。

あなたを苦しめているのは、誰でしょう。

あなたの上司や先輩でしょうか?
あなたの上に立っている誰かでしょうか?
場合によっては、お父さんやお母さん、回りの家族、逆に、部下によって、また、子どもによって苦しむ事もあるかも知れません。
しかし、それら全てが主の御手の中にあります。

皆さん。皆さんは、主が全てを治めて居られる事を信じますか?

つまり、それは、あなたにとって、最悪の嫌な事でも、主の御手の中にあるという事です。

ダビデは、王国が確立して後、息子のアブシャロムの反乱により、エルサレムの都から逃げなければならなくなります。
そのとき、サウル家の一族のシムイというものが、ダビデを呪い、石を投げてきました。
仕返ししようという部下に対し、ダビデは言います。

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王は言った。「ツェルヤの子らよ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ。』と言われたからだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするの
だ。』と言えようか。」
サムエル記第二16章10節
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ダビデは、自分に降りかかったこの災難を、主の御手から受け止めていたのです。
しばらくして、この反乱は、反乱の張本人であったダビデの息子のアブシャロムを、ダビデの将軍ヨアブが討ち取り終結します。
非常に悲しい結果ですが、主に油注がれたものに対し、たとえその息子であっても、手をかけてはならないのだという事を教えられます。

哀歌にはこう書いてあります。

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主の救いを黙って待つのは良い。 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。 それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。 口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。 自分を打つ者に頬を
与え、十分そしりを受けよ。 主は、いつまでも見放してはおられない。 たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。
哀歌3章26-33節
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口をちりにつける。それは、どこまでもへりくだった姿です。
主の前に、完全に謙ったところに、主は、大きな救いを与えて下さいます。

私たちが、主の働きをしていく上でも、なぜ、この問題は起こるのだろうと考える事があります。
これは、主の働きの妨げではないかと、考えてしまいます。
そして、その問題を解決しようとするというより、その問題を起こした人と争ってしまう事があります。

しかし、主が、私を呪えといわれたのだとダビデが考えたように、私たちも、主からその事を受け止めなければなりません。

また、もう一つ覚えておいて頂きたいのは、神様にとって大切なのは、神様を信じておられるあなたと神様との関係だということです。
この問題がないなら、うまくいくのにと思う事があるかもしれません。
しかし、そんな事よりも、あなた自身の霊が成長する事、つまり、あなたと神様の関係がしっかりとする事のほうが、神様にとって大切なのです。

だから、どんな問題を起こしてでも、神様はあなたを取り扱われます。

とにかく、この世界にあるもので、捨てるべきものは何一つありません。

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神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
テモテへの手紙第一 4章4節
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そして、全てを主は私たちにとって益とされます。

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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
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逆に言えば、あなたに起こっているその困難は、神様の栄光が表され、そして、あなたにとって素晴らしい神様のご計画が実現するためです。
ここまでお話が来ると、この御言葉が思い起こされます。

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いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一5章16-18節
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これは、非常に大切な事です。
しかし、最近この事は、単にわたしたちの立派な品性であるとかいう以上の意味がある事を思うようになりました。

創世記に神様が天と地を造られた事が書かれています。
そのとき神様は、この世界の全てが非常に良かったと言っておられます。
この世界には何も悪いものはなかったのです。

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そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
創世記1章31節
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この世界の全てを神様が良いものとして作られました。
しかし、善悪の木の実を食べたエバとアダムにとって、この世界は、善と悪のある世界となりました。
いや、悪の無かった善だけの世界で、アダムとエバは善と悪を知るようになりました。

神様は、信仰と、ご自身の宣言によって、良い世界を造られました。
ところが、アダムとエバは、自分たちの間違った信仰によって、この世界に悪を持ち込んだのです。

これは、この世界を呪う事になりました。

イエス様が、十字架で死んで下さったことは、この罪の贖いです。
つまり、イエス様によって、この世界は、もう一度、元の全てが良い世界に戻る事が出来るのです。

ですから、あなたの見ている最悪の状況さえ、あなたの感謝と賛美によって、益と変えられ、神様が造られた良い世界が取り戻される事が出来るのです。

皆さん。皆さんが、全ての事を神様の御手から受けて感謝するとき、アダムとエバが呪ったこの世界の呪いを解き、この世界を取り戻す事が出来るのです。

あなたの周りに起こる問題。

神様はそれらをも用いてあなたに祝福をお与えになります。

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いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一5章16-18節
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主が十字架に架かって下さった事により、私たちは、この世を呪いから解放する事が出来ます。
それは、感謝する事によってです。
イエス様の成し遂げられた贖いの十字架の大きな意味がここにあります。

お祈りしましょう。


また、異言の祈りをもって祈りましょう。
いつもの課題もお祈りください。

<いのり>


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20070610天からの権威
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