礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070429
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信じる事と信頼する事
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【内容】神様への信頼に基づいた信仰について。
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの羊飼い。いつも私たちを守り導いて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

ではまず、本日の聖書箇所を見てみましょう。
本日の聖書箇所は、ルカの福音書22章です。

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【聖書箇所】ルカの福音書22章47-62節
・新改訳Up150(贈呈p135英対p248)
・新改訳Vp164・口語訳p129
・新共同訳p155(贈呈p155英対p240)
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では、司会者お願いします。

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【聖書箇所のテキスト】
ルカの福音書22章47-62節
22:47イエスがまだ話をしておられるとき、群衆がやって来た。十二弟子のひとりで、ユダという者が、先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして、みもとに近づいた。
22:48だが、イエスは彼に、「ユダ。口づけで、人の子を裏切ろうとするのか。」と言われた。
22:49イエスの回りにいた者たちは、事の成り行きを見て、「主よ。剣で打ちましょうか。」と言った。
22:50そしてそのうちのある者が、大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とした。
22:51するとイエスは、「やめなさい。それまで。」と言われた。そして、耳にさわって彼を直してやられた。
22:52そして押しかけて来た祭司長、宮の守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのですか。
22:53あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」
22:54彼らはイエスを捕え、引いて行って、大祭司の家に連れて来た。ペテロは、遠く離れてついて行った。
22:55彼らは中庭の真中に火をたいて、みなすわり込んだので、ペテロも中に混じって腰をおろした。
22:56すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て言った。「この人も、イエスといっしょにいました。」
22:57ところが、ペテロはそれを打ち消して、「いいえ、私はあの人を知りません。」と言った。
22:58しばらくして、ほかの男が彼を見て、「あなたも、彼らの仲間だ。」と言った。しかし、ペテロは、「いや、違います。」と言った。
22:59それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから。」と言い張った。
22:60しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。
22:61主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。
22:62彼は、外に出て、激しく泣いた。
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では、主題聖句を教会学校の皆さんでお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんで言いましょう。
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【主題聖句】
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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では、今日はこの御言葉を中心に、
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信じる事と信頼する事
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と題しまして、聖書から神様が御語りになる事を聞いて行きたいと思います。

聖書の通読は、旧約聖書は、サムエル記第一、週の終わりごろ、サムエル記第二に入ります。
サウルの時代が終わり、そして、ダビデの時代になります。
悲しいサウルの最後も、ここには書かれています。

また、新約聖書の方は、ルカの福音書が終わりに近づいています。
それぞれの福音書の最後の方には何がありますか?
イエス様の十字架の死と復活です。
復活祭も終わりましたが、キリストの十字架と復活は、クリスチャンが、いつも心にしっかりと刻んでいなければならない事です。
皆さん。聖書を読みましょう

また、バイブルQですが、こうなります。

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【バイブルQ】
旧約:ヨナタンは誰の子ですか?
新約:ベテパゲとベタニヤはどこにありましたか?

【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:サウル。(サムエル記第一14章1節)
新約:オリーブという山のふもと。(ルカの福音書19章29節)

【バイブルQ】
旧約:ダビデは、眠っているサウルの所から何を取って行きましたか?
新約:人々は、バラバをどうしろと言いましたか?
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この中で、サウルはイスラエルの最初の王ですね。
また、ベタニヤとベテパゲは、オリーブ山の麓となっています。
エルサレムから、オリーブ山を登り、山の反対側に降りた山の麓に、この町はありました。

では、聖書箇所に戻りたいと思います。

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信じる事と信頼する事
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とのタイトルですが、

今回の箇所は、
イエス様が捕らえられるところから始まります。
先ほど、クイズにも出ましたオリーブ山のゲッセマネの園でイエス様は祈られました。
その祈りの後、イエス様を捕らえに人々がやってきました。
その先頭はユダでした。

ユダの裏切りによって、イエス様は捕らえられて行かれました。
この後ろを遠く離れて付いて行ったのがペテロです。

イエス様が捕らえられるとき、弟子たちは、どうしたでしょう。
こう書いてあります。
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そのとき、イエスは群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしをつかまえに来たのですか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕えなかったのです。
しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。
マタイの福音書26章55-56節
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イエス様が捕らえられるとき、全部の弟子たちが逃げてしまいました。
ここで、自分がいたらどうするだろうか。もし、あなたが、私は絶対に逃げませんと言われるなら、気をつけなければならないと思います。
その様な事をはっきりと主に言った方がおられます。
それは、ペテロです。
マルコの福音書には、そのやりとりが書かれています。

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27イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。
28しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
29すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」
30イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」
31ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。
マルコの福音書14章29節
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ここで、イエス様は、このあと何が起こるかをはっきりと預言しておられます。
でも、弟子たちは、みなが、いいました。
「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」

この御言葉はイエス様が、弟子たちに、お前たちは私を見捨てるようなものたちだというために語られたのではありません。
皆躓いてばらばらになるが、私は先にガリラヤに行くからそこに来るようにという、集合場所の指示なのです。

でも、このことばで、弟子たちはいきなりひっかかりました。
イエス様の御語りになろうとされた事などどうでもいい。自分はつまづかない。そのように自分を主張するだけになりました。

その弟子たちは、どうなりましたか?
全て、逃げてしまいました。
そして、ペテロは、引き立てられて行くイエス様の後ろを遠くからついていったのです。

ここで、少しペテロを見て見ましょう。
ペテロは、本当に自分の思いをはっきりと言う人だと思います。

聖書の中でペテロが言ったという箇所は、70箇所以上あります。
ペテロは、イエス様のそばにいて、イエス様に質問し、また、イエス様の質問に答えたある意味積極的な素晴らしい人です。
しかし、彼は、結局イエス様を裏切りました。

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59それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから。」と言い張った。
60しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。
61主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。
62彼は、外に出て、激しく泣いた。
ルカの福音書22章59-62節
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ゲッセマネでの祈りの時、イエス様は言われました。

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誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
マタイの福音書26章41節
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どんな誘惑があるのでしょう。
眠気との戦い。そんなものではありません。
もちろん目を覚まして祈る事は大切な事です。
しかし、ここで大事なのは目を覚ましているのが大事ではないということです。

誘惑に陥らないように目を覚まして祈っていなさいといわれたのです。
それは、目を覚ましているために目を覚まして祈っていなさいと書いてあるのではありません。

ペテロを待っていたのはどんな誘惑でしょう。
眠たくなるという誘惑ではありません。
イエス様を見捨てて逃げてしまうと言う誘惑が、そのあと待っていたのです。
しっかりと主に結びついて、自分の努力ではなく主によってでなければ対抗できない戦いが、そこに待っていました。

群集がイエス様を捕らえに来たとき、弟子たちは、恐れでいっぱいだったと思います。
自分はどうなってしまうか不安です。
彼らは最初は切りかかってやろうかとも考えました。
しかし、イエス様が捕らえられると、しゅんとなって、恐れだけが残りました。
そして、弟子たちのだれもイエス様と行動を共に出来ませんでした。
彼らの心には恐れだけがありました。
平安はどこにありますか?
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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネの福音書14章27節
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私達の平安は目に見えるところではないと教えておられます。
その平安はどこから来ますか?それは主から来ます。

もし、弟子たちの中にその平安があれば、彼らは恐れることなく、逃げる事もなかったでしょう。
彼らが逃げてしまった事からわかるのは、彼らの中にこの様な平安が無かった事です。

目の前の状況に押しつぶされてしまうような、自分の頑張りや、カラ元気しかなかった。

しかし、イエス様が求めておられた信仰はそういうものではありません。
イエス様はこのことでペテロがどんなに落ち込むかご存知でした。
だから、先にこのことをペテロにつげ、また、この事の為に祈り、そして、祈った事をもペテロに言っておかれました。

ペテロがイエス様を知らないと言ってしまう。
このことから、ペテロの弱さが明確になるように、イエス様はこの出来事が起こることをゆるされました。
ペテロは、イエス様を裏切り、その後、激しく泣いたのです。
ペテロのこの涙には深い悔い改めがありました。

私たちは信じてますと言います。
ペテロは、イエス様に対して、
「あなたこそ、生ける神の御子キリストです。」
と、宣言しました。

これは、偉大な信仰です。
私はちゃんと信じています。わかっています。そういうペテロでした。
しかし、それではダメだったのです。

問題が起こったとき、私たちは何を考えますか?
その時、私達の信仰は試されます。

ペテロは激しく揺さぶられました。
ペテロは死ぬほどの体験をしました。
恐ろしい出来事でした。
そして、ペテロは逃げ出しました。

そうなる事を、イエス様はご存知でした。
誰もイエス様についていくことは出来なかったのです。
自分の頑張りや頭の信仰では、この試練を超えることはできなかったのです。

そして、イエス様は一人十字架への道を歩まれました。
ペテロは、自分が、絶対にイエス様から離れないと言いました。
しかし、それは、自分の力でした。
イエス様は、教会のリーダーとなるペテロが、本当に主にへりくだり結びつくのを待っておられました。
イエス様は、ペテロの前に現れて言われました。

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イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
ヨハネの福音書21章17節
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このとき、ペテロは知っていました。自分が主を愛するなどと言えない事を、しかし、ペテロはイエス様が大好きです。
だから、主よあなたがご存知です。ペテロの心をご存知のイエス様は、ペテロがイエス様を愛しておられる事をしっておられます。
そこに、本当の信頼関係があります。

そして、何よりも、イエス様は、自分の事を愛しておられるのです。
その時、イエス様は、ペテロに言われるのです。「私の羊を飼いなさい。」
私たちもそうです。
私たちに一人一人が主の愛によって歩むものとならなければ、イエス様のところに人々を導く事は出来ないのです。
私達の頑張りではダメなのです。本当にあって歩むそうでなければなりません。
こう書いてあります。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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主を離れて何も出来ないと認めますか?
それとも、あなた方は躓くと言われたときの弟子たちのように、自分は大丈夫だと主張しますか?
また、何も出来ない事など無い。あれもこれも出来ますよといいますか?
私たちは、主に結びついて歩まなければなりません。
そうでなければ何も出来ないのです。
聖書を読み祈るのは、聖書の知識を増やすためではありません。
なによりも、私たちが頭の信仰ではない、主との信頼関係を築くためです。
お祈りしましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20070429信じる事と信頼する事
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