礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070422
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失われた人の救い主
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【内容】ザアカイの救いと悔い改めについて。
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は救い主。罪びとを救う為にこられた方です。
この方を覚えて御言葉を聞いてまいりましょう。

ではまず聖書を開きましょう。
本日の聖書箇所は、ルカの福音書19章です。
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【聖書箇所】
ルカの福音書19章1-10節
・新改訳Up141(贈呈p127英対p233)
・新改訳Vp154・口語訳p121
・新共同訳p146(贈呈p146英対p226)
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では、司会者お読みください。
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【聖書箇所のテキスト】
19:1それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。
19:2ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
19:3彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
19:4それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
19:6ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
19:7これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。
19:8ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
19:9イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
19:10人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
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続いて、主題聖句の暗唱を教会学校の皆さんお願いします。

<あんしょう>

では皆さんで言いましょう。

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【主題聖句】
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。
ルカの福音書19章10節
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ありがとうございます。
今日はこの所から、
失われた人の救い主
と題しまして御言葉を見て参りたいと思います。

今週の聖書通読は、
旧約聖書がサムエル記第一
新約聖書がルカの福音書です。

サムエル記第一は、ペリシテ人に奪われた契約の箱が帰って来る所から、サウル、そして、ダビデの登場と続きます。
面白いところです。是非お読みください。
また、ルカの福音書は、イエス様が語られた御言葉、そして、イエス様の行われた御業が書かれています。
こちらも是非お読みください。

皆さん聖書を通読しましょう。

バイブルQですが、先週の答えはこうです。

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【【【先週のバイブルQの答え・聖書箇所】】】
旧約:ナオミの夫は誰ですか?
新約:ひとりの罪びとが悔い改めると、神の御使いたちはどうなりますか?
【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:エリメレク。(ルツ記1章3節)
新約:神の御使いたちに喜びがわき起こる。(ルカの福音書15章10節)
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このナオミはルツ記のナオミです。
彼女の名は、「喜ぶ者」を意味していました。
彼女は、飢饉の時、夫と共に約束の地を離れ、全てを失ってしまいます。
しかし、主は大きな計画を彼女に残しておられました。
彼女の息子の嫁であったルツは、異邦の民モアブ人でありながら、ダビデの家系にそして、イエス様の家系に名を残すのです。
そして、その事は、救いが異邦人にも及ぶ事を暗示しています。
このナオミの夫はエリメレクです。
彼の名は、「私の神は王」と言う意味でした。

新約の方は、罪びとの悔い改めによって、神の御使いたちに喜びがわき起こるという事です。
これらのことも、聖書で確かめて下さい。

本題に戻ります。

失われた人の救い主
とのタイトルです。

今回の聖書箇所は、短くて、分りやすい所ではないでしょうか?
エリコという所、それは、ヨシュアの攻略した町でした。
この町は、城壁の町だったようですが、イスラエルがカナンに入るときに滅ぼされました。
その時の様子は、ヨシュア記に出てきます。
主の使いが告げたとおり、ヨシュア達が7日かけてエリコの回りをまわり、叫んだときにエリコの城壁は崩れたのです。

ヨルダン川を渡って最初の戦いが、このエリコでの戦いでした。
そして、それは大勝利だったのです。

このエリコの町にザアカイという人がいました。
このザアカイという名前は、聖書語句辞典によると、「義人」とか「きよい人」とかいう意味だそうです。
もう少しいいますと、ザアカイという名前は、ゼカリヤという名前の短縮形だとも言われています。
ゼカリヤというと、旧約聖書に祭司や王の名前としてたびたび出てくるのですが、この意味は「主は覚えてくださる」という意味だそうです。
これらからすると、ザアカイという名前は随分いい名前だなあと思います。

しかし、その様な名前のザアカイでしたが、エリコの町で、取税人のかしらをしていました。
取税人といいますが、この時代、ユダヤはローマの支配下にありました。
取税人はそのローマに雇われて、同胞であるユダヤ人から税金を取り立てる仕事をしていました。
時には税金の額を騙して沢山取り立て、私服を肥やしていたようです。

そのようにして金持ちになったザアカイでしたが、人々は彼を素晴らしいとは見ていませんでした。
イエス様がザアカイのところに行かれた時、それを見た人々がこういいました。

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19:7これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。
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つまり、ザアカイは、罪人だと言われていたのです。
人を騙してお金を取り私服を肥やす彼を、人々は罪人だと陰口をたたきました。
彼は取税人の頭ですから誰も面と向かってはいえなかったかも知れません。
でも、人々は彼のことを嫌っていたのです。

このザアカイは、イエス様の事を見ようとしてやって来ました。
何故でしょう。

彼は、イエス様がどんな方か見ようとしました。

沢山の群集に阻まれて彼はイエス様を見る事が出来ませんでした。
もし、彼が興味だけでそこに来たのなら、彼は人垣に阻まれた所で見ようとするのをやめたのではないでしょうか?

でも、彼は何とかしてイエス様を見たいと思いました。
この何とかして主にすがり付こうとする方を聖書は他にも書いています。
マタイ・マルコ・ルカの福音書に出てくるのですが、マタイの福音書を見てみましょう。

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20すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。
21「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。
22イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。
マタイの福音書9章20-22節
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お着物にさわればきっと直ると考えて、イエス様の後ろに来て、着物のふさを触った。
少し余談ですが、この衣のふさは、律法に命じられているものです。
民数記にこうかいてあります。

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38「イスラエル人に告げて、彼らが代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、その隅のふさに青いひもをつけるように言え。39そのふさはあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こし、それを行なうため、みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、40こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、
これを行ない、あなたがたの神の聖なるものとなるためである。41わたしはあなたがたの神、主であって、わたしがあなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から連れ出したのである。わたしは、あなたがたの神、主である。」
民数記15章38-41節
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いつも主の戒めを忘れないために、衣のすそにふさをつけるのだと言う事です。
ですからこの房は、ユダヤにおいてただの習慣や飾りではない大きな意味を持っているのです。
この房は、ダビデがサウルの衣のすそを切った出来事としても登場します。

さてここで、律法の教師として、また、預言者として人々が見ていたイエス様の所に近づいてその房を触る。
しかも彼女は、長血の為に汚れていると見られている女性です。
これは、大変なルール違反ともいえるのです。

しかし、それほどに主を求め、主を信じて近づいたこの女性は癒されたのです。

もう一箇所ここも見てみましょう。

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18するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。19しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。20彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの
罪は赦されました。」と言われた。
ルカの福音書5章18-20節
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中風の人を連れてきた人々。
彼らの信仰によって、中風の人は癒されました。
何とかしてとここにありますが、なんとかして主の前にでようとしたその信仰。
その信仰によって中風の人は癒されたのです。
ここで、私たちは人の癒しが本人の信仰だけによるので無い事を見ます。
私たちは、病の中、困難の中にある人が動けなくても、その人の為に祈り励ます事が出来るのです。
余談が長くなりました。

ザアカイの御話しです。
もし、ザアカイが、金持ちになっている事に満足していたら、彼はきっとイエス様を取り囲む人だかりの向こうを見るために何かしようとは思わなかったのではないでしょうか?
今ご紹介した方々には、病気と言う大きな問題がありました。

ザアカイにはそのような問題はありません。
しかし、彼には、イエス様を見なければならない心の渇きがあったのです。

だから、彼はイエス様を見るために木に登りました。

ザアカイがどんな人だったのか細かな事はわかりません。
しかし、背が低かったと訳されています。

そのことでのコンプレックスがあったかも知れません。
人からお金を騙し取る事もあった人ですが、自分が金持ちだからと、群集を押しのけて前に出る事の出来る人ではなかったようです。

いや、もしかしたら、まともに人とかかわりたくないから、それをさけて木に登ったのかも知れません。

彼の名前のお話をしました。
彼は、義人という名を持っていました。
親がつけたのでしょうか?
また、「主が覚えておられる」という意味もあったようです。

この名をつけた方の祈りを感じます。
この子どもが、主から忘れられる事の内容に、そして、主の前で正しい人、義人となるようにと彼の名はつけられていました。

名前と言うのは大切だと思います。
少し前には悪魔と言う名前をつけようとした話しを聞いたりもしますが、名前は、その人の自己認識に大きな影響を与えます。
主が与えて下さる名前をつける事が出来ればと思います。

さて、良い名前のついているザアカイです。しかし、彼は人々から罪人と呼ばれるようになっていました。
でも、人々が彼の名を呼ぶだび、また、彼が自分の名を名乗るたび、彼は自分がどうあるべきか、思い起こした事でしょう。
また、自分がそのようなものから離れている事感じたのでは無いでしょうか?

彼の心は渇いていました。
ザアカイは、自分に本当に必要なものが何なのか求めていました。

イエス様のうわさを聞きイエス様を見たいと思いました。

イエス様よりも先に行き、そこにあった木に登りました。

そして、その木からイエス様を見ました。
ところが、イエス様はどうされましたか?

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19:5イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
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ザアカイは、「主が覚えておられる」という意味の名前でした。
主は、ザアカイを覚えておられました。
名前に逆らい、神様から離れ、罪を犯し、もう神様と関係のなくなったようなザアカイ。
でも、主はザアカイを覚えておられました。

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19:6ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
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ザアカイは、神様が自分を愛しておられる事を知りました。
神様から忘れられていなかった事を知りました。
そして、その喜びの中で、こう言いました。

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19:8ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
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彼は、何もいい格好をしようとしたのではありません。
彼は、神様の愛に触れたのです。
イエス様を通して、神様の愛に触れたのです。
だから、彼は自分の罪を悔い改め、また、人々に施す事を約束したのです。

イエス様は言われました。

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19:9イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
19:10人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
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ここで、失われた人を探して救う為に来たとイエス様は言われます。
詩篇にこう書かれているところがあります。
最近良く引用しますが、詩篇119篇です。

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私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません。
詩篇119篇176節
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この詩篇119篇は、176節に渡る聖書で一番長い章です。
そして、この詩篇はこの著者がどれだけ御言葉を、神の戒めを大切にしているかを語っています。
しかし、その著者が、その詩篇の最後の節でこういうのです。

私は、滅びる羊のように迷い出ました。

彼は戒めを守ろうとした。
しかし、そうすればするほど、そのことから程遠い自分を発見せざるを得なかったのです。

ザアカイもそうです。義人という名でありながら神様から離れてしまっている自分。

この迷い出たものを救う為にイエス様は来られました。

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19:10人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
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アブラハムの子であるザアカイを主は救われました。
しかし、私たちはどうでしょう。

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もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
ガラテヤ人への手紙3章29節
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ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
ガラテヤ人への手紙3章7節
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私たちは今、信仰により、キリストによって、アブラハムの子孫、神の相続人です。

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わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
ヨハネの福音書17章23節
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そして、今、私たちは、この神の愛の中にあるのです。
この神の愛はここにあらわされました。

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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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主は、その為に来てくださいました。

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19:10人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
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主の愛を覚えて共に祈りましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20070422失われた人の救い主
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