礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070311
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御心がなるように
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【内容】イエス様の祈りと弟子たちの祈り
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私達の祈りを聞いてくださる方。
また、いつも、私たちを天でとりなして下さる方です。
この方を覚えて聖書の御言葉を見て行きましょう。

では、まず、本日の聖書箇所をお読みいただきたいと思います。
本日の聖書箇所は、マルコの福音書14章です。

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【聖書箇所】マルコの福音書14章32-42
・新改訳Up89(贈呈p80英対p146)
・新改訳Vp97・口語訳p77
・新共同訳p92(贈呈p92英対p143)
【聖書箇所のテキスト】
14:32ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」
14:33そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。
14:34そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
14:35それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
14:36またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
14:37それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。
14:38誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
14:39イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。
14:40そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。ひどく眠けがさしていたのである。彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。
14:41イエスは三度目に来て、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
14:42立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」
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では、続いて、主題聖句の暗唱を小学生の皆さんでお願いします。

<あんしょう>
では、皆さんで言いましょう。

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【主題聖句】
しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。
マルコの福音書14章36節
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では、このところから
御心がなるように
と題しまして、聖書を見て行きたいと思います。

聖書通読は、
旧約聖書が申命記です。
この申命記は、モーセの遺言とも言える書です。
モーセは、この書で律法の再確認をしています。
是非、皆さん読んで見て下さい。

また、新約聖書は、マルコの福音書が今週で終わりです。
皆さんいかがだったでしょうか?
これで、マタイとマルコの二つを読み終える事が出来ます。
聖書通読を目指して、一歩一歩進んで行きたいと思います。

バイブルQは、先週のバイブルQがこうなります。
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【バイブルQの答え・聖書箇所】
【【【先週のバイブルQの答え・聖書箇所】】】
旧約:イスラエルの民は第一の月の十四日には、何をしますか?
新約:人の先に立ちたいと思う者は、どうしなさいと言われていますか?
【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:過ぎ越しのいけにえを主にささげる。(民数記28章16節)
新約:みなのしもべになりなさい。(マルコの福音書10章44節)
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第一の月の十四日にイスラエルの民は過ぎ越しのいけにえを主に捧げます。
この事を、もし、何か問題があって出来ないものは、第二の月に捧げるようにとの細則も決められています。
この過ぎ越しのいけにえに捧げられる小羊は、私達の罪の代価として十字架で死んでくださったイエス様の事を意味しています。
また、それは、出エジプトを記念する出来事であり、また、聖餐式の元にもなる物です。

次回のバイブルQは、
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【バイブルQ】
旧約:父と母を敬う事にはどんな約束がありますか?
新約:ユダは、イエス様を裏切るとき何をしましたか?
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という質問です。
是非聖書を読んで答えを探して見て下さい。

本題に戻りたいと思います。
今回の箇所は、イエス様がゲッセマネの園で祈っておられる所です。

ゲッセマネの園は、エルサレムの神殿の東にありました。
イエス様は最後の晩餐の後、ここに来て祈られました。

オリーブ山は、その名の通り、オリーブの木があった所であったそうですが、このゲッセマネは、油を絞ると言う意味です。
オリーブの実を集めてその油を絞る場所と言う事に由来する名前のようです。

ここで、イエス様が祈っておられる姿について、ルカはこう書いています。
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イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
ルカの福音書22章44節
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イエス様は、ご自身を絞るようにして主の前にお祈りをされました。
その時、汗は血のしずくのようであったと書いてあります。

イエス様は、そのように、苦しみもだえて、祈られました。
イエス様というオリーブの実を砕き、ぎゅうぎゅう絞って油を出すように、血のように汗が流れ、祈りが絞り出されて行きました。

イエス様は、その時の心境をこう語っておられます。
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そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
マルコの福音書14章34節
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イエス様は、喜んで十字架に付かれたのではありません。
イエス様にとって、十字架での死を受け入れる事は、死ぬほどの悲しみであったのです。
弟子たちにも目をさまして祈るように言われました。
続きを見てみましょう。

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それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
マルコの福音書14章35-36節
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ここで、イエス様は、地面にひれ伏して、この時が自分から過ぎ去るようにと祈られました。
「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。
ここで、アバとある言葉は、父への親しみを込めた呼びかけだと言われます。
この言葉は新約聖書に3回出てきます。一箇所は今の所です。
そして、後の二箇所はガラテヤ人への手紙とローマ人への手紙です。
この二箇所での意味は似ているので、ガラテヤ人への手紙を見てみましょう。
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そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
ガラテヤ人への手紙4章6節
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アバ、父。と呼ぶ、御子の御霊と書かれています。

私たちは、神の子とされています。
それは、親しく神様の御名を呼ぶ事が出来るということです。

アダムとエバが罪を犯して、その為にエデンを追い出された時の事が、創世記にこう書いてあります。

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そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
創世記3章23-24節
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ここで、神様は人を追放され、そして、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれたと書いてあります。
これらは、エゼキエル書10章にケルビムと車輪として詳しく書かれています。
今は開きませんので興味がある方は後で開いてください。

さて、とにかく、人は追放され、神様から遠い存在になりました。
人は、ゆるしなく臨在に入ると死んでしまうのです。
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あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちは、祭壇に関するすべてのことや、垂れ幕の内側のことについてのあなたがたの祭司職を守り、奉仕しなければならない。わたしはあなたがたの祭司職を賜物の奉仕として与える。ほかの者で近づく者は死ななければならない。」
民数記18章7節
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そして、十戒にもこのように定められました。
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あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
出エジプト記20章7節
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これは、神様の御名を気安く呼ぶなというふうにも取れます。
私たちの罪によって、主は、親しみを込めて呼べるような方ではなくなってしまいました。

しかし、先ほどの御言葉はこういいます。

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そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
ガラテヤ人への手紙4章6節
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イエス様は、親しみを込めて主の御名を呼ばれました。
イエス様の祈りとして、ヨハネの福音書にはこう書いてあります。
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そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」
ヨハネの福音書11章41-42節
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イエス様は、ここで、私の願いをあなたはいつも聞いてくださると、父なる神様に呼びかけておられます。

ですから、願う必要さえ無いということです。
それは、祈らないのではありません。
祈りにおいて、まず一番大切な事は、目の前に出てきた問題について、その必要の為に神様に叫び声を上げるのではありません。
神様との交わり、神様との会話を楽しむところにあります。

イエス様はいつも父なる神様と親しい関係におられました。
そして、イエス様は、完全に父なる神様を信頼しておられました。
だから、イエス様は、父なる神様が、イエス様の全てをご存知な事を知っておられました。
イエス様が何を必要としているか、そのことも、当然父なる神様はご存知です。
そして、その事をイエス様も知っておられました。

私達の必要の全てを父なる神様はご存知です。
あれが必要です、これが必要です。と祈る事をやめることはありません。
でもそれ以上に大切なのは、父なる神様との関係そのものを喜び楽しむ事です。

いま、私たちが、アバ父と呼べる。
それは、イエス様が私達の罪を背負って十字架で死んで下さったからです。
そのことなしに、私たちが父なる神様の前に出るならどうなりますか?
私たちは、たちまち死んでしまいます。

祭司たちでさえ、様々な規定の通りにしなければ、父なる神様に近づけない。
失敗したら死んでしまう。そのような、神様の臨在、神様との交わりの中に、いま、私たちは置かれています。
これは、どんなに素晴らしい事でしょう。

でも、イエス様のこのゲッセマネの祈りは、そのような祈りではありません。
イエス様は、苦しみもだえて祈られました。
それは、イエス様が、その生涯にあってはじめて、もっとも大きな矛盾の中に投げ込まれておられたからです。

それはなんでしょう。
イエス様は、いまから、十字架で死ぬ事を知っておられました。
それは、イエス様の父なる神様への愛。そして、私たち全ての人間への愛でした。

ところで、死とは何ですか?
聖書の中で、人類に罪の為に死が入ったそれは何を意味しますか?
それは、私たちが神様との関係を失った事です。
そして、私たちが神様から引き離されてしまったということです。
イエス様は、十字架で死なれました。
しかし、それは、単に肉体の滅びを意味しません。

イエス様にとっての喜びはなんですか?
それは、父なる神様との交わりであり、父なる神様と親しくあることです。

しかし、死はすなわち、父なる神様との関係が失われる事を意味します。

イエス様は、父なる神様の御心を行い、父なる神様への愛のゆえに、十字架で死なれます。
ところがそのことは、死、つまり父なる神様から引き離される事を意味するのです。
イエス様がヨミに下られた事は、その事を意味しています。
神様から引き離された世界。悪魔の支配の下にある世界にイエス様は下っていかれたのです。

ですから、これは、イエス様にとって最大の苦しみでした。
イエス様は、単に、肉体の苦痛や、苦しみの為に、十字架の痛みを恐れて祈られたのではありません。
イエス様は、父なる神様と一瞬でも引き離されるその苦しみのゆえに苦しみ祈られました。

しかし、その祈りはこうでした。
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それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
マルコの福音書14章35-36節
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あなたのみこころのままを

イエス様はそう祈られました。
イエス様にとって、このことは、大きな大きな苦しみです。
しかし、イエス様はこのことを祈られました。
このあなたのみこころがなりますようにという祈りは、主の祈りの冒頭の祈りとして、主が教えておられたいのりです。

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御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
マタイの福音書6章10節
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イエス様が私達の為に、その様に死んで下さったことによって、私たちは何を得たのでしょう。
それは、イエス様が父なる神様との間に持っておられた親しい関係です。
アバ父と呼ぶ事の出来る親しい関係を、イエス様は与えて下さいました。
ですから、私たちは、父なる神様を呼びましょう。
あなたが何かを求めるときだけではなく、どんな時も、父なる神様に呼びかけましょう。

この方は、私達の幸いを願っておられる良い方です。
あなたにとって、あなたが自分の幸せはこれだ思うよりもはるかに幸せな道を、あなたの為に用意しておられます。

私たちにとっての幸いは、私達の幸いを願っておられ、全てを治めておられる主の御心がなることなのです。

このことを覚えて、主の前に祈りましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20070311御心がなるように
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