礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070304
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永遠の命を受けるもの
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【内容】永遠の命を受ける為に何をしたらよいか。
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

ハレルヤ皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、命である方、今も生きておられる方、
私たちに永遠の命を与えてくださった方です。
この方を覚えて、聖書の御言葉を見て行きましょう。

では、まず、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所はマルコの福音書です。
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【聖書箇所】マルコの福音書10章13-31節
・新改訳Up79(贈呈p71英対p129)
・新改訳Vp86・口語訳p68
・新共同訳p81(贈呈p81英対p126)
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では、司会者お読み下さい。

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【聖書箇所のテキスト】
10:13さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
10:14イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
10:15まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
10:16そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
10:17イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
10:18イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。
10:19戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」
10:20すると、その人はイエスに言った。「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」
10:21イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
10:22すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。
10:23イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」
10:24弟子たちは、イエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。
10:25金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
10:26弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」
10:27イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
10:28ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」
10:29イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、
10:30その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。
10:31しかし、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」
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ありがとうございます。
続いて、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんでお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんでいいましょう。
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【主題聖句】
まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
マルコの福音書10章15節
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では、今日は、この箇所を中心に、御言葉を見て行きましょう。

聖書の通読は、
旧約聖書は民数記です。民数記は土曜日で終わり、来週から申命記に入ります。
民数記は、堅苦しいタイトルで、読み始めていきなり部族の人数ですから、とっつきにくく感じるかも知れませんが、読んでみると、面白いところだったのではないでしょうか?
特に、今日の箇所などは、ロバがしゃべった話なども出てきます。
面白そうでしょ?是非読んで見て下さい。
新約聖書はマルコの福音書が続いています。
こちらの方は、お話の中で見て行きましょう。

先週のバイブルQは、
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【【【先週のバイブルQの答え・聖書箇所】】】
【バイブルQ】
旧約:約束の地を探りに行った者で、生き残ったのは誰と誰ですか?
新約:マルコの福音書7章で、イエス様は、何が人を汚すと言われましたか?
【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:ヌンの子ヨシュアと、エフネの子カレブ。(民数記14章35-38)
新約:人から出て来るもの。(マルコの福音書7章15節)
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となっています。

前回御話ししましたが、約束の地の偵察に行ったもので、生き残ったのはヨシュアとカレブだけでした。
後のものは、約束の地に対して悪い報告をしたので、すぐに疫病で死んでしまったのです。

私たちは、信仰を告白し、信仰によって歩みましょう。

マルコ7章でイエス様は、人から出てくるものが人を汚すと言われました。
外からのものではない。自分からの考えが自分を汚す。

汚すとは、どんなことでしょう。
神様との関係をかき乱すと言う事です。
ここで言われているのは食べ物です。
しかし、それだけでなく、私達の見る事聞く事、この世界から私たちが受ける何かで私たちは汚れるのではなく、
私たちの内側から出てくるもの、悪い考えや悪い言葉で私たちは汚れる。
外からの物にどう反応するかで私達の人生は決まるのです。

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常によろこべ
たえず祈れ
すべての事に感謝せよ
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と、書いてありますが、私たちは、いつも感謝を持って生かせて頂きましょう。

また、次のバイブルQはこれです。
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【バイブルQ】
旧約:イスラエルの民は第一の月の十四日には、何をしますか?
新約:人の先に立ちたいと思う者は、どうしなさいと言われていますか?
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是非、聖書から探してみてください。

さて、永遠の命を受けるものという題でした。

今回の箇所は、イエス様のところに、人々が子どもたちを連れてきたという箇所です。
ここで、わたしたちは、たまにお話をイメージで変えてしまうのですが、こどもたちは、イエス様が大好きで、勝手にやってきたのではありません。
人々が、イエスにさわっていただこうとして、子どもたちを連れて来たのです。
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さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
マルコの福音書10章13節
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ですから、子どもたちは、勝手にイエス様を信じるようになるのではありません。
子どもたちを、イエス様のところに連れて行くのは、親や、周りの大人なのです。
教会へ連れて行く。聖書を読ませる。バイブルキャンプなどに連れて行く。
これは、大切な事です。

こどもの心は、純真で汚れがないかのようにいう方もおられます。
自分は子どもの時は純真だったのに、色んな嫌な事で汚れてしまったという方も居られます。
しかし、聖書は何といっていますか?丁度、先週のバイブルQの答えに関係するところです。
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20また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。
21内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、
22姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、
23これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
マルコの福音書7章20-23節
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これらは、外からではなく、内側から出てくるのです。

ある方は、育った環境が悪かったから私はこうなったと言われます。
それは、間違いでは無いかも知れません。
環境を整えれば、人は悪い事をし難くなります。
しかし、環境さえあれば罪を犯さないのではありません。

物がないと盗みをする。
だから、貧困が原因なのだと言う方も居られます。
でも、お金があったらどうでしょう。

最近問題になっている建設会社の談合や少し前に世間を騒がせたライブドアの事件は、お金が無かったからではなく、
もっと欲しいという貪欲な心によります。

じゃあ、子どもの事を考えるとき、こどもは、もっと欲しいといいませんか?
食べ物をお皿に取る時、もっと欲しくてたくさんとって食べきれない。そんな事を小さな子どもでもするのです。

苦しい目に合うと、悪い考えが出てきます。
しかし、それは、苦しい目にあったからではなく、あなたの中に悪い考えがあったからなのです。
私達の中には、悪い考えがある。
これが、私達の罪です。
イエス様を見て下さい。
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キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
ペテロの手紙第一2章22-24節
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私たちは、自分は良いもので、悪い事が起こったから悪い反応をしたと考えます。
しかし、ここに本当に聖い方の例が書かれています。
悪い事が起こっても悪い反応をしない。
ののしられても、ののしり返さず、正しくさばかれる方にお任せになった。
それが、本当の聖さです。

だから、私たちは、自分が悪い考えを持つときに、その原因を回りに求めてはならないのです。
あの人がああ言ったから私は落ち込んでいる。
あの人がああしたから私はいらいらしている。

しかし、そこで、本当に知らなければならないのは、
あなたの中に落ち込んでしまう心、あなたの中にいらいらしてしまう心があることです。
そして、その心が、キリストを必要としているということです。

さて、長々とお話をしましたが、私がこのことを言ったのは、私達の心は、外から汚れたのでは無いと言うことです。
あなたの中に、アダムからの罪があり、周りの悪い環境は、それを引き出すための手助けをしたに過ぎないのです。

イエス様は、子どもたちについて、こういわれました。
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イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
マルコの福音書10章14節
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ここで、子たちは、純真で、まだ世の中に汚されていないから、イエス様は、このように言われたのだと考えるなら、それは間違いです。
彼らの中にも罪があります。
しかし、イエス様は、神の国がこのような者たちのものだと言われました。
すると、それはどういう意味でしょうか?

これに続いて、この御言葉があります。
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まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
マルコの福音書10章15節
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子どものように、神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。
などといわれると、子どものようにとはどういうことかが大問題になってしまいます。

周りにいた弟子たちも悩んだと思います。
その答えがはっきりしないまま、イエス様は、そこから道に出て行かれました。

そこに一人の裕福な人がやってきて、いきなり目の前にひざまづいて、イエス様に聞くのです。
何と聞いていますか?
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イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
マルコの福音書10章17節
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彼は、永遠のいのちを受けるのに何をしたらよいかと聞いているのです。
皆さん、さっきこれに関連した事をイエス様はついさっき話しておられました。
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まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
マルコの福音書10章15節
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皆さん。先ほどのところで、このお話は終わりと思っていませんでしたか?
私達の信じる神様は、天と地全てを支配し、世界の全てを治めておられる方です。
今、ここで終わった事は、それで終わりでなく、出来事の全てが関連付けられます。
そして、その全てが私たちにとって益とされます。
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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
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周りに起こること一つ一つがあなたと無関係では無いのです。

昨日、夜、ここで、聖書を読んでお祈りをしていました。
実は、そのとき、私は、頭が痛く寒気がして大変しんどい状況でした。
でも、もう少し聖書をよんでおこうと読んでいたところでした。

突然ガチャガチャとドアのノブを回す人がいました。
前にも来たことのある方で、非常に汚れた姿をしておられました。
わたしは、体調も悪く、時間も無いのでどうしようかと考えました。
しかし、その方のお話を聞きました。
その方は、頭が痛いと言っておられました。
かわいそうにと思いながらお話を聞きました。

私の頭の痛みはなくなっていました。
その方は、寒くてたまらないから何か上着がないかと聞かれました。
わたしが、無いというと、私の着ている上着を欲しいと言いました。

自分も寒気があり、しんどかったのですが、そのフリースのジャンバーをあげました。
そのとき、私は自分が寒気を感じていないのを知りました。
私は、神様が、困っている彼を助けるため、そして、私を癒すためにここに私を居らせたのだと感じました。
主に感謝します。

聖書の御言葉に戻ります。
聖書に書かれていることも、その前後と無関係ではありません。

この裕福な人の質問の答えが、ここに書かれているのです。
これは、単なる偶然ではありません。
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イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
マルコの福音書10章17節

まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
マルコの福音書10章15節
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裕福な人は、どうしたら永遠の命を得られるのかと必死でした。
永遠の命を受ける事と、神の国に入る事をここでは、同じ意味と考えてくださっていいと思います。
だから、イエス様はこういわれました。
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イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」
マルコの福音書10章23節
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ここで、
裕福な者が永遠の命を受けることは、
とはいわず、
神の国にはいることは
といっておられます。

そして、この言葉からわかるとおり、裕福な者が神の国にはいるのは難しい。

子どもたちにできて、裕福な者にはむずかしい。
神の国に入るのはそういうことだというのです。

彼は、小さいとき、神様を信じて、それからずっと、戒めを守ってきたのです。

考えてください。
いま、子どもで、イエス様に祝福してもらった子がいます。
その子は、その時神様を信じたとしましょう。
イエス様は、神の国はこのような子のものだと言われます。

その子が戒めを守り、大きくなり、神様に祝福され豊かになります。
そうすると、神の国に入るのが難しくなってしまうのでしょうか?

弟子たちは、分らなくなりました。
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弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」
マルコの福音書10章26節
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皆さんどうですか?

ここで、イエス様はどうされたでしょう。
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イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
マルコの福音書10章27節
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ここで、じっと見てとありますが、見つめてと言う言葉が、少し前に出てきます。

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イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。
イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」
マルコの福音書10章21-23節
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イエス様は、この裕福な人、そして、神の戒めを守ってきた人を、いつくしんで言っておられます。
それに続くのが、裕福な者がという箇所です。

なぜですか?
イエス様がなんと言われたら納得が行きますか?
あなたは、よくやったよく戒めを守った。神の国はあなたのものだと言われたら納得がいくのではないでしょうか?

でも、イエス様はそういわれません。
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「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
マタイの福音書5章3節
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天の御国は、心の貧しい者のものなのです。
自分はここまでやっただから神の国に入れるというのではありません。

子どもたちを見て下さい。彼らは別に神の国が欲しくて来たのではありません。
また、それに見合う捧げ物を持ってきたとかそういうこともありません。
ただ、親に連れられてやってきて、イエス様にさわっていただこうとしただけです。

何も差し出す事の出来ないもの。
自分がそういうものだと認めるものに、無代価で与えられるのが、神の国です。

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ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」
マルコの福音書10章28節
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ここで、ペテロが言っている事を見て下さい。
彼は言います。
なにもかも捨てて。

パウロも言います。
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それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、
ピリピ3章8節
++++++++++

ペテロが、パウロが捨てたのはなぜですか?
パウロははっきり言っています。
私の主であるキリスト・イエスを知っている事のすばらしさのゆえに。

皆さん。
だから、大切なのは、キリスト・イエスを知る事です。
イエス様がどんなに素晴らしいかを知ったからこそ、ペテロは、船を捨て、網を捨てて、イエス様に従いました。
パウロもそうです。その学歴、地位、それらを捨てて、イエス様に従ったのは、イエス様の素晴らしさを知ったからです。

イエス様がどんなに素晴らしいか知る。
その為に大切なのは、聖書を読み祈る事です。
聖書を読むと言うときに、好きなところだけ読んだり、同じところだけ告白するのではいけません。
聖書は通読するのです。

イエス様を知り、自分の立派さを主張するのでなく、イエス様の前にへりくだる。
そのとき、神様が、あなたを迎えてくださるのです。
++++++++++
イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
マルコの福音書10章27節
++++++++++
天の御国に入る事は、人には出来ません。
出来ないのです。
そう書いてあります。
その事を認め、イエス様の素晴らしさを知り、へりくだり、主の前に出るとき、神様は、あなたを迎えて下さる。
神様が、あなたを神の国に入れて下さるのです。
お祈りしましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20070304永遠の命を受けるもの
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