礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070225
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羊飼いイエス
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【内容】羊飼いであるイエス様。
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

ハレルヤ。皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、私たちを愛し、守り、導いてくださる良い羊飼いです。
この方を覚えて聖書を見て参りましょう。

では、まず、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は

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【聖書箇所】マルコの福音書6章34-52節
・新改訳Up70(贈呈p63英対p115)
・新改訳Vp76・口語訳p61
・新共同訳p73(贈呈p73英対p112)
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司会者お願いします。

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【聖書箇所のテキスト】
6:34イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。
6:35そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。
6:36みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」
6:37すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、
ということでしょうか。」
6:38するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」
6:39イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。
6:40そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。
6:41するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
6:42人々はみな、食べて満腹した。
6:43そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。
6:44パンを食べたのは、男が五千人であった。
6:45それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた。
6:46それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。
6:47夕方になったころ、舟は湖の真中に出ており、イエスだけが陸地におられた。
6:48イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった。
6:49しかし、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、叫び声をあげた。
6:50というのは、みなイエスを見ておびえてしまったからである。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
6:51そして舟に乗り込まれると、風がやんだ。彼らの心中の驚きは非常なものであった。
6:52というのは、彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである。
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では、続いて、教会学校の皆さんで、主題聖句の暗唱をお願いします。

<暗唱>

では、皆さんで言いましょう。

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【主題聖句】
イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
マルコの福音書6章50節
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今週の聖書箇所は、
旧約が、民数記。
新約は、マルコの福音書です。

民数記は、イスラエルの民の、荒野での旅程の記録だとお話しました。
そこには、荒野でのイスラエルの歩みが書かれています。
そして、民数記というタイトルにもなっている、民の人口調査があります。
彼らが荒野に入ったとき、20歳以上で、軍務に付く事の出来る者の口は603550人でした。

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それで、父祖の家ごとに登録された二十歳以上のイスラエル人で、イスラエルで軍務につくことのできるすべての者、
すなわち、登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。
民数記1章45-46節

これがイスラエル人の登録された者で、六十万一千七百三十人であった。
民数記26章51節
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そして、彼らが、ヨルダン川のほとり、エリコに面したところで人口調査を行ったときは、601730人だったのです。
この後モーセは死に、彼らはヨシュアに率いられて、水の分かれたヨルダン川を通ってカナンに入ります。
そのとき、あの紅海を渡った時に大人だったものは、ヨシュアとカレブの他には誰もいなかったのです。
つまり、先の人口調査の時に数えられたものは、次の人口調査の時には、ヨシュアとカレブの他はいませんでした。
そして、この新しい民が、約束の地カナンへと入って行ったのです。

イスラエルの民は、荒野で、少しへって少し増えたのではありません。
60万人丸々減って、60万人丸々増えたのです。
主は、新しい民を荒野で起こされたのです。

では、彼らが滅んだのはなぜですか?
それは、不信仰のゆえです。

私たちは、信仰を持って歩ませていただきましょう。
信仰とはなんですか?
父なる神様を愛し、信頼する心です。
それは、聖書を読み祈る事でしか成長しません。
ですから毎日聖書を読んで祈りましょう。

新約はマルコの福音書です。
こちらは、お話の中で見てまいりましょう。

バイブルQは、前回のものがこうなっています。
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【【【先週のバイブルQの答え・聖書箇所】】】
旧約:主はシナイ山で誰を通しておきてと定めとおしえを立てられましたか?
新約:汚れた霊どもは、イエス様に対して、何と叫びましたか?
【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:モーセ。(レビ記26章46節)
新約:あなたこそ神の子です。(マルコの福音書3章11節)
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このところを、聖書から確認してみてください。

次のバイブルQは、これです。
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旧約:約束の地を探りに行った者で、生き残ったのは誰と誰ですか?
新約:マルコの福音書7章で、イエス様は、何が人を汚すと言われましたか?
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答えは、聖書の通読箇所にありますので、探して見て下さい。

さて、本題に戻ります。

羊飼いイエス
とのタイトルです。

今回の聖書箇所は、5000人の給食とイエス様が水の上を歩かれた所です。
この箇所の最初の御言葉をもう一度見てみましょう。

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イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。
マルコの福音書6章34節
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イエス様は、群集を見て、彼らが羊飼いのいない羊のようだと思われました。そして、深くあわれまれたのです。

ここで、羊飼いのいない羊とはどんな状況でしょう。

羊飼いは何をする人か、それは、羊を管理する人です。
羊をえさのあるところにつれて行く人です。
羊を水のあるところに連れて行く人でもあります。

羊飼いである主を表したものとして、詩篇に書かれたこの詩は有名です。

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23:1主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
23:5私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
詩篇23篇1-6節
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緑の牧場に伏させるとは、緑の牧場に導いて、そこで、緑の草を食べさせて下さるということです。
また、いこいの水のほとり、そこで、私たちは、水を飲み、いこうことが出来ます。

主は私たちに、霊の糧を与え、肉の糧を与えて下さいます。
そして、私たちを主は正しく導いて下さいます。

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イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。
マルコの福音書6章34節
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しかし、ここで、イエス様は、彼らを見て、飼う者の無い羊のようだと言われました。
飼う者が無いと、羊はどうなるでしょう。
実は、羊は非常に弱い動物です。
彼らは、自分で食物を探したりすることが殆ど出来ません。
また、彼らが、ふらふらと何か食べ物を探し回って山に入り込んだりしたら、狼などの猛獣にあっという間にやられてしまいます。

イエス様から見たとき、彼らはそのように見えたのです。
食べるものが無い。飲むものも無い。どうしたらいいかわからない。
そして、ふらふらさまよって、悪いものに食い物にされてしまう。

彼らは、めいめいが好き勝手に生きていました。
その結果、混乱していたのです。
彼らは、はっきりした価値観を持っていませんでした。
ちゃんとした事を知りませんでした。
どこに行って何をすればいいか分りません。
彼らが一番知らない一番の問題。それは、永遠の命を得るのにどうすればいいかということでした。

今の社会もそうです。
何が良くて何が悪いかよく分らない世界です。
「難しい問題です。」
という言葉が良く出てきます。
そして、それが出ると、
「そうですね。」で終わりです。

「なにも難しくない。」
と言われる方は、いい加減か、クールかのどちらかです。
人間関係でも、
「あの人なんか無視したら終わりや。」
といった結論の出せる人は、簡単に生きて行けるかもしれません。
しかし、人間関係の問題。様々な問題に、取り組めば取り組むほど、それは複雑です。

その様な中で、一つの答えがあります。
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まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。
詩篇22篇28節
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この世界の全ては主が治めておられます。
皆さん。世界の全ては、天と地を造られた父なる神様と主イエス様が治めておられるのです。

また、聖書は言います。
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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
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この箇所で、主は全ての事を益に変えてくださるといわれます。

先日、いつもの通り、茨木にいった帰り、駐車場を出たばかりの所で、ブロックにタイヤをこすり、タイヤが裂けてパンクしました。
なんでこんな事がと思いました。
丁度、S兄弟がおられて、手伝って下さってスペアのタイヤに変えて帰ってきました。

そして、昨日修理に行ったのです。
そのとき、パンクしたタイヤには、釘が刺さって穴のあいていた事と、十分に磨り減っていた事がわかりました。
主は、私が何処か道路を走っている時にではなく、タイヤを交換するスペースもあり、大きな助けのある場所で、その事が起こるのを赦されました。
大変な作業を手伝って下さったS兄と主に感謝します。

皆さん。主は良い方です。

聖書にこう書いてあります。
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神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
テモテへの手紙第一4章4節
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何一つ、捨てるべきものは無いのです。
神が作られた物。
あなたの嫌いなものはなんですか?
しかし、それも主が作られました。
あなたの嫌いな方は誰ですか?
その方も主が造られたのです。

そして、その事があなたにとって、必ず益となるのです。

そして、聖書は、さらに語ります。
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神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
コリント人への手紙第二9章8節
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すべてのことに満ちたりて。
あらゆる恵みを。
あふれるばかりに。

私達の信じる方は、このように良いお方です。
そして、この方は私達の事を愛して下さっておられます。
皆さん。その事を信じておられますか?


さて、そのように私たちを愛しておられるイエス様が言われます。
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まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。
マタイの福音書5章20節
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皆さんの義が律法学者やパリサイ人に勝っていないと、ダメなのです。
皆さんの義、しかし、その義はどんな義ですか?

それはこれです。
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すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
ローマ人への手紙3章22節
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その義は、あなたの行いの義ではありません。
信仰による義です。

皆さんイエス様を信じた皆さんは、神の義が与えれています。
そのように義とされた私たちは、どのように生きるのですか?
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私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
エペソ人への手紙2章10節
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ここにあるように、私たちは、良い行いを生きるのです。
そして、その良い行いはすでに備えられているのです。
ああ、結局良い行いか、、。
と、思いますか?

しかし、そうではありません。

あなたが、正しい行いをしたから神の作品と認められるのではありません。
私たちは、キリスト・イエスにあって造られた神の作品です。
そして、神の作品だから、私たちは、正しい行いをするのです。
しかも、私たちは神の作品だ。さあ、どんな良い事をしようかと色々やってみようというのでもありません。

神様はあなたの前に、すでに良い事を置いておられます。
あなたの人生に、あなたのするべき良い事を備えておられるのです。

一般の考えでは、正しい動機で、正しい事を行って、そして、義と認められると考えます。
しかし、信仰の世界は逆なのです。
信仰から、義は始まります。

お話がそれました。

良い羊飼いのお話でした。

私達の信じている方は、良いお方です。
それは、私たちにとって大きな希望です。
皆さん。

全てを支配し治めておられる方。
その方は、水の上を歩いてこられました。

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48イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった。
49しかし、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、叫び声をあげた。
50というのは、みなイエスを見ておびえてしまったからである。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
51そして舟に乗り込まれると、風がやんだ。彼らの心中の驚きは非常なものであった。
マルコの福音書6章48-51節
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そして、風を支配されました。

いいですか?
イエス様は全てを治めておられます。
あなたの会社でいやな上司がいる。
そんな事も、主の赦し無しに起こりません。
そして、その主は良い方です。

ここで、一つ。
皆さんの周りに嫌な事が起こる。
そのとき、神様に目を留めて、
神様なんでこんな事されますか?あなたは悪いかたですか?
と、つい言ってしまう。

まあ、祈りとしては、そのように祈って見られてもいいです。
正直な心で主の前に出る事は大切です。

でも、それ以上に素晴らしいのは、その状況でも、主は良い方と信じつづけることです。

しかし、それは、我慢する事や、信仰深く見せようとする事ではありません。
真実な神様との信頼関係です。
そして、そのような信頼関係を持つために必要なのは、
日々聖書をよみ祈り、主との関係の中に生きることです。

主は言われます。

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「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」
マルコの福音書6章50節
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主があなたと共におられます。
主を見上げて祈りましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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シティーチャーチメッセージ20070225羊飼いイエス
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