礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070211
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剣を取る者は剣で滅びます
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【内容】信仰の戦いについて。
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

ハレルヤ。皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は十字架で勝利を取られました。
そして、主の勝利の行列の中に、私たちは今置かれています。
主に感謝しつつ、御言葉を聞いてまいりましょう。

では、まず、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所はマタイの福音書26章です。
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【聖書箇所】マタイの福音書26章47-58節
・新改訳Up52(贈呈p47英対p85)
・新改訳Vp57・口語訳p45
・新共同訳p54(贈呈p54英対p82)
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司会者お願いします。
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【聖書箇所のテキスト】
26:47イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。
26:48イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ。」と言っておいた。
26:49それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。
26:50イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか。」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕えた。
26:51すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。
26:52そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
26:53それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。
26:54だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」
26:55そのとき、イエスは群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしをつかまえに来たのですか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕えなかったのです。
26:56しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。
26:57イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。
26:58しかし、ペテロも遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の中庭まではいって行き、成り行きを見ようと役人たちといっしょにすわった。
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では、続いて、教会学校の皆さんで、主題聖句の暗唱をお願いします。

<暗唱>

では、皆さんで言いましょう。

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剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
マタイの福音書26章52節
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今週は、聖書の通読は、
新約聖書がマタイの福音書。
旧約聖書が、レビ記です。

マタイの福音書は、今回の聖書箇所が、十字架、そして、復活。
今週で、マタイの福音書が終わります。
もし、今年の初めから読まれた方は、マタイの福音書を読み終えたという達成感があると思います。
それを弾みに、聖書全巻通読を目指して下さればと思います。
そうでないかたも聖書を読みましょう。
マルコからスタートするつもりで、お読み下さい。
レビ記は、難しい事が書いてあるように思います。
しかし、レビ記の礼拝の規定の中にも、イエス様の御姿が現れ、また、
主を礼拝するものの心構えが書かれています。
その事を思いながら、読んでいただけると感謝です。

先週のバイブルQは、
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旧約:ベツァルエルは「贖いのふた」の両端に何を作りましたか?
新約:イエス様は、世の終わりにどんなものが救われると言われましたか?

【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:二つの金のケルビム(出エジプト記37章1-7節)
新約:最後まで耐え忍ぶ者(マタイの福音書24章13節)
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でした。

また、今回のバイブルQは、
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旧約:吹き出物が全身を覆っている患者を祭司はどうしますか?
新約:イエス様を売った事を後悔したユダは、何を、祭司長、長老たちに返しましたか?
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となっています。
是非聖書をお読みください。

さて、聖書の御言葉に戻りたいと思います。
今日は、先ほどお読み頂いた所から、
剣を取る者は剣で滅びます
と題しまして、御言葉を共に見て行きたいと思います。

今回の聖書箇所は、イエス様がゲッセマネでお祈りされた後、捕らえられて連れて行かれるシーンです。

このシーンは、ユダの裏切りからはじまります。

ユダは、祭司達との間で、イエス様を引き渡す約束をしていました。
その為に、ユダは、祭司からお金を受け取っていました。
その金額がいくらなのかという所までが、今回のバイブルQです。

26章の47節では、「イエスがまだ話しておられるうちに」と書いてあります。

十字架を前にして、主イエス様は、三度の祈りを捧げられました。
その祈りが終わったとき、イエス様は、今から何が起こるのかを弟子たちにお教えになりました。

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45それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。
46立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」

47イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。
マタイの福音書26章45-46節
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ここで、イエス様がまだ話しておられるうちに、イエス様を捕らえようとするものたちはやって来ました。
しかし、イエス様が三度の祈りをされる事を、主は守られたのです。
そして、イエス様が「時が来ました」と言われたそのとき、まさに、イエス様を捕らえるものがやってきました。
これが、神の時でした。

そして、イエス様は、捕らえられていかれました。
しかし、イエス様は、こうなる事をご存知でした。

そして、イエス様は、ここで、捕らえられなければならなかったのです。
ところが、このとき、弟子の一人が、剣を抜いて切りかかりました。
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すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。
マタイの福音書26章51節
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それが誰だったかを、ヨハネははっきりと書いています。
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シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
ヨハネの福音書18章10節
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ここで、一つ、私も分らない事があります。
シモン・ペテロが剣を持っていました。

なぜ、彼は剣を持っていたかご存知ですか?

実は、聖書にこう書いてあります。
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35それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」
36そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。
37あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」
38彼らは言った。「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります。」イエスは彼らに、「それで十分。」と言われた。
ルカの福音書22章35-38節
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さて、ここからが疑問です。

イエス様は、今回の聖書箇所でこういわれました。
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そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
マタイの福音書26章52節
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ところが、ルカの福音書22章では、イエス様は、こういわれます。

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剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。
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なぜでしょう。この答えは、注解書など見ても、あまりはっきりとは書かれていません。

でも、一ついえることがあります。
イエス様は、これから起こる事がどれだけ危機的な状況かを教えようとしておられました。
かれらは、イエス様と一緒にすごしました、その間、彼らが断食に関して、他の者から責められたとき、イエス様はこういわれました。
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イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。その時には断食します。
マタイの福音書9章15節
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彼らは、様々な問題にぶつかる事もありました、しかし、イエス様が助けて下さいました。
そして、平安と喜びの中を、イエス様と共に歩んでいました。

ところがいよいよ、花婿が取り去られる時が来る、その危機的な状況を教えようとイエス様はされました。
イエス様は、自分たちの身を守るための備えとして、剣を持つのだといわれたのです。

神様は、無から有を生み出される方です。
しかし、人は、見えるところに振り回される者です。

イエス様が今からなさる事、イエス様の本当の戦いである十字架の死と復活。
その事の良く分っていない弟子たちには、この手にした剣、また、持っている財布や袋は、つかの間の安心感を与えるものだったと思うのです。
なぜ、そう思うか、それは、私自身もそうだからです。

ただ、目に見え無いことだけで、それを信じて前進していけるか、そうではありません。
人は、そんなに強いものではないと思います。
しかし、私が行き詰って、主よ助けて下さいと叫ぶとき、主は、目に見える助けをお与えになります。
その励ましにより、また、主に信頼して前進する事が出来ます。

しかし、そのとき、もし、私がその目に見えるものを頼りにするならば、それはまた取り去られます。
彼らが、復活したイエス様とあったときまで、まだ、剣を持って歩んでいたような記述はありません。

イエス様は、私達の弱さをご存知で、いつも助けを与え、導いてくださる方です。
ですから、私たちは、全てをこの方にゆだねても良いのです。

お話をもどします。

今回の主題聖句は、この節からの引用です。

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そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
マタイの福音書26章52節
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イエス様は、戦うために剣を持たされたのではありません。

イエス様は言われます。もし、戦うためなら、イエス様は、天の軍団を呼ぶ事が出来ます。
旧約聖書で、天の軍団が現れた箇所が何箇所かあります。
一箇所見てみましょう。
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14そこで王は馬と戦車と大軍とをそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。
15神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。
16すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。
17そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。
列王記第二6章
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この天の軍勢によって、エリシャの敵は、目が見えなくなり、全て捕虜となりました。
イスラエルは、この捕虜を丁寧に扱ったので、アラムの軍勢は来なくなったと書かれています。

敵を打ち破られるのは主です。

先日参加した教役者大会で、御国の権威についてお話をされました。
私たちは、御国の権威を帯びているという事が言われます。

また、イエス様は言われました。
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この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
マタイの福音書4章17節
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この近づいたは、もっと、はっきりと来たという意味だともいわれます。
そして、主の祈りはこう書いてあります。

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御国が来ますように。
マタイの福音書6章10節
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この御国が来ます様には、御国よ来いといった意味があります。

皆さん、私たちは、イエス様を信じて、神の子とされました。
王子は、一人で出かけたりしません。
そこには、従者が付き、護衛が付きます。

あなたは、神の子です。
あなたがどこかに行くとき、あなたの行くところに御使いが伴います。
あなたが、軍勢が来るように命じるなら、天の軍勢がやってきます。

神の国よ来いと命じるとき、神の国は、そこに来るのです。
皆さん信じますか?

あなたが、そのように命じるとき、神の国は来るのです。
いや、もうすでに来ているのです。

神の国に、病はあるでしょうか?問題はあるでしょうか?
神の国で悪霊は働くでしょうか?
だから、私たちは、この御国の権威をもって、命じるのです。

もう一度、この聖書箇所に戻ります。
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そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
マタイの福音書26章52節
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この箇所は、色んな事を教えます。

ペテロは、剣で人に切りかかりました。
実は、後で、イエス様の裁判の場所にペテロがこっそりと近づいたとき、人の耳を切り落としたペテロを見ていた人がいて、ペテロはイエス様の事を否定する事につながるのです。
その剣は、結局、自分を苦しめました。

ところで、皆さん聖書の中で、剣と言われているものに何がありますか?
そう、御言葉です。

御言葉は、剣です。

ペテロは、自分を守る為の剣で人に切りかかりました。
私たちは、剣としての御言葉を持っています。
しかし、これは、人を切るためではありません。

私たちが御言葉で切るのは、まず自分自身です。
それは、私達の心の中を開いて、罪を明らかにし、悔い改めへと導きます。

ですから、私たちは、決して、御言葉で人を切ってはならないのです。
御言葉だけでは、ありません。どの言葉もそうです。
言葉は人を切り、人を殺す事も出来ます。
あなたの口の言葉が、人を生かすのか、殺すのか、私たちは、本当に注意していなければなりません。

これは、何も、人に何も言ってはならないのではありません。
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あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。
箴言27章5節
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しかし、私達の動機がどこにあるかを私たちはしっかりと吟味しなければなりません。
私たちが人に何か言うときには、愛以外の動機があってはならないのです。

もし、愛がなくて、人を裁くなら、主は言われます。
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あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
ローマ人への手紙14章4節
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あなたが、愛によらず、人を裁くなら、どうなりますか?
主は、その人を、自分の僕だと言い、あなたは、神様から他人だといわれます。
神様から、他人だとは言われたくありません。

主は私達の心を見ておられます。
心からの愛をもって、互いに愛し合い、仕えあいましょう。
その中で、私たちは、言わなければならない事言い合える関係にもなって行きたいと思います。

私達の戦いは、目に見える戦いではありません。
互いに愛し合う事、この事こそが、目に見えない敵、悪魔との戦いなのです。

主は、私たちを、この戦いの中に招いておられます。
主にあって、この戦いを勝利させていただきましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20070211剣を取る者は剣で滅びます
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