礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070128
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天の御国のルール
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【内容】主が全ての者を等しく愛される事。
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

ハレルヤ
皆さんおはようございます。

聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は愛と恵みに満ちた方、私達の人生の全てにおいて、主である方です。

この方を覚えて、主の御言葉を聞いて参りましょう。

では、はじめに本日の聖書箇所をお読み頂きましょう。
皆さん聖書を開いて下さい。
本日の聖書箇所は、マタイの福音書20章です。
では、司会者お願いします。

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【聖書箇所】
マタイの福音書20章1-16節
・新改訳Up36(贈呈p33英対p59)
・新改訳Vp39・口語訳p31
・新共同訳p38(贈呈p38英対p57)
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【聖書箇所のテキスト】
20:1天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
20:2彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
20:3それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。
20:4そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』
20:5彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。
20:6また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』
20:7彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』
20:8こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』
20:9そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。
20:10最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。
20:11そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、
20:12言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』
20:13しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。
20:14自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
20:15自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』
20:16このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」
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では続けて、主題聖句の暗唱をお願いします。

<あんしょう>

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【主題聖句】
このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。
マタイの福音書20章16節
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では、この所から、
天の御国のルール
と題しまして、御言葉を共に見てまいりましょう。

さて、今週の聖書通読は、旧約聖書が出エジプト記です。
ちょうど、今日の箇所は、エジプトへの最後の裁きと、出エジプトです。
そして、紅海が分かれるところも出てきます。

また、新約聖書は、マタイの福音書が続きます。
イエス様が、様々な例えを用いて話しておられる所です。
皆さん聖書を読みましょう。

バイブルQは、前回の答えが、
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【【【先週のバイブルQの答え・聖書箇所】】】
【バイブルQ】
1月24日(水)[]出エ4-5/[]マタ15:21-39
旧約:モーセの杖は何に変わりましたか?
新約:七つのパンと、小さい魚が少しで、人々が満腹したとき、男は何人いましたか?

【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:蛇。(出エジプト記4章2-3節)
新約:四千人。(マタイの福音書15章34-38節)
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モーセの杖は蛇に変わり、エジプトの魔術師達の出した蛇を飲み込みました。

また、七つのパンと小さい魚が少しで4000人を養う事が出来ました。

どちらも聖書で確かめて下さい。

次回のバイブルQはこれです。
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旧約:主はイスラエルの民をどこから救い出されましたか?
新約:イエス様の所に、母と一緒にお願いをしに来た弟子は誰ですか?
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聖書の通読の箇所に出てきます。

聖書通読は、主にある信仰生活のカギです。
皆さん聖書を読みましょう。

さて、今回の箇所に戻りたいと思います。

今回の聖書箇所は、ぶどう園の主人と労務者の出てくるお話しです。

ぶどう園の主人とはイエス様、そして、労務者は私たちです。

この箇所を読むときに、私たちは、よく、先に働き始めた労務者に自分を置いてしまいます。
そうすると、この箇所は嫌いだという方が出て来ます。
クリスチャンとして、長く信仰生活をしておられる方の中に、この箇所は嫌いだという方が出てくるのです。

この箇所は嫌いだということには、二つの間違いがあります。

一つは、先ほども言いましたように、この例えの中の誰と自分を重ねるかです。

この箇所を嫌いだといわれる方は、おおよそ、最初の者たちに自分を重ねます。
実は、そこに自分自身の高慢という落とし穴があります。

私は、神様の前に、立派に行っているという高慢です。
そうすると、そこには、大きな不満が生じます。

もう一つの間違いは、見ているのが自分自身の心であって、父なる神様の心ではないということです。

イエス様は、ぶどう園の主人に自分を重ねて、こういわれます。
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自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
マタイの福音書20章14節
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これは、非常に大切な所です。
ただ、私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。

ぶどう園の主人は、最初の人に意地悪をしようとして、最後の人に同じように与えたのではありません。

ただ、この最後の人にも同じようにあげたかったのです。

この世は、自分の権利を主張します。また、この世では、人は、自分の権利が奪われていないかに敏感です。
また、人は、平等という事を主張します。

でも、神様が願っておられるのはそういう平等ではありません。
前に、ホセア書6章6節の御言葉についてお話をしました。
これは、マタイの福音書9章13節のこの御言葉でイエス様が語られたところでもあります。
この箇所と、ホセアの3つの訳を比べてみます。

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『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
マタイの福音書9章13節

わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。(新改訳U)
わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。(新共同約)
わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。(口語訳)
ホセア書6章6節
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主は、犠牲や、いけにえ、捧げ物よりも、愛を、そして、いつくしみを喜ばれるのだと書いてあります。

先ほどの、主の御言葉、
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自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
マタイの福音書20章14節
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これは、主の愛とあわれみです。

それが我慢出来ないといわれる方がいます。
しかし、わたしたちは、ここで、自分を、最初の労務者でなく、最後の労務者に置かなければなりません。
それが、主の前にへりくだる事です。

でも、最初の労務者の立場から少し考えましょう。

彼らは、その日その日仕事があるかどうかわからずに市場に行きます。
そこで、仕事を探してまっています。

そこにぶどう園の主人が現れます。
仕事の契約をします。
一日一デナリは十分納得のいく金額です。

彼は、「これで今日家族に持って帰る事の出来るものがある。」と安心するのです。
そして、その日一日をぶどう園で働いてすごします。

彼が、最初に雇われて得たのは一デナリのお金だけではありません。
大きな安心です。

今、日本は、リストラの嵐で、終身雇用が崩れています。
このことは、私たち大人以上に、若い人々の心にどれだけ不安とストレスを与えているだろうかと思います。
しかし、主は、どのような状況の中でも平安をお与えになる方です。
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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりま
せん。
ヨハネの福音書14章27節
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最初の労働者が得たのは、主の下にあるという平安でした。
正しい主人の元で働くその一日は、どれだけ安心なものだったでしょう。

一方、最後の労務者です。
彼は、仕事がありません。

ボーっと一日を、仕事を待ちながら市場で過ごします。

楽な一日だったと喜んではいないはずです。
明日からどうなるのだろうと、不安です。

さすがに、夕方になると、もうあきらめが出てきます。

彼が、いままで仕事が無かったのが、なぜなのかは書いてありません。
もしかしたら、来るのが遅れたのか、他の仕事がうまくまとまらなかったのか、どちらにしても、仕事が無くて、彼はそこにたっていたのです。

自分はそんなものでは無いといわれますか?
私たち人間は、本来は、神様の園で働くように創られました。

しかし、自分で勝手に飛び出して、死んだような状態になっていたのです。
この御言葉を見て下さい。
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父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
ルカの福音書15章31-32節
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これは、放蕩息子の例えの中に出て来ます。

兄と弟がいて、弟が財産の分け前を貰ってどこかに行き、好き放題して、すべて失って帰ってくる。
しかし、父はそれを、心から喜んで迎え入れたというお話しです。

この父は、息子が帰ってきたのを本当に喜んでいます。
これは、帰ってきた息子にとってどんなに大きな安心だったでしょう。

また、ぶどう園の主人は、最後の物にも同じようにしたいと言いました。
これもまた、ぶどう園の主人の心だったのです。

それは、最初の者にとって、また、兄にとって、不正に思われました。
しかし、この父の言っている言葉を見て下さい。

おまえはいつも私といっしょにいる。

主が私たちと共におられる。
本当は、私たちにとっての喜びは、この事でなければならないのです。

イエス様について、こう預言されていました。
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「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
マタイの福音書1章23節
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私たちにとって、大切な事は、この主と心を一つにすることです。

私たちは、最後の雇い人であり、また、家を飛び出した放蕩息子でした。
しかし、イエス様は招き入れて下さいました。

この事が、はじめの愛です。
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しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
黙示録2章4節
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これは、エペソの教会へ向けられた言葉です。
彼らは、良くやっていました、しかし、はじめの愛から離れてしまった。

はじめの愛、私たち罪あるものを赦すために、イエス様が十字架で死んでくださったという事への感謝。
神様の愛と恵みを受け止めて、心から感謝しているそういう中に、私たちは留まりましょう。

そこで知った神様の愛。
私たちを受け止めてくださった神様の愛。
この愛の神様と心を一つにするのです。

その時、私たちは、わたしたちよりも後から来たものを、
私、神様、そして、後から来た人と分けて、
神様が後から来た人をどうされるかを見るのではなく、神様と同じ心で、受け入れる事が出来ます。

上に立とうとするものは、皆に仕えるものになるようにと主は言われました。
私たちが、本当に主と心一つであるならば、私たちは、イエス様が、人々を愛するがゆえに、この地上に来てくださり、十字架に架かって下さったように、人々に仕えるのです。

わたしは、そんな事出来ません。
そう感じられるなら、その通りです。それは、私たちが頑張って出来るのではありません。
ただ、私たちは、そうでないと自覚するとき、神様の愛とも遠い事を認めなければなりません。
私たちが、主と共にあるなら、主の愛の中にあるなら、私たちはへりくだり、互いに愛し合う事が出来るのです。

神様は、かわらない哀れみと恵みで私たちを愛して下さる方です。

この方の愛がますますわかるように。
聖書を読みましょう。そして、祈りましょう。
そして、その愛をもって、互いに愛し合いましょう。

では、祈りましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20070128天の御国のルール
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