礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20070107
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神の言葉に従う人生
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

ハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、昔も今も変わるこの無い方、
御言葉により、天と地を治めておられるかたです。
この方を覚えて、御言葉を聞いてまいりましょう。

皆さんあけましておめでとうございます。

今日は、この場所での最初の礼拝です。
主を心から礼拝し、主を喜ぶ一年とさせて戴きたいと思います。

では、はじめに、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。

本日の聖書箇所は、マタイの福音書7章です。

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【聖書箇所】
マタイの福音書7章11-27節
・新改訳Up10(贈呈p10英対p17)
・新改訳Vp11・口語訳p10
・新共同訳p11(贈呈p11英対p16)
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では、司会者お願いします。

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【聖書箇所のテキスト】
7:11してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
7:12それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。
7:13狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
7:14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
7:15にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
7:16あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
7:17同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
7:18良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
7:19良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
7:20こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
7:21わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
7:22その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
7:23しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
7:24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
7:25雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
7:26また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
7:27雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
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ありがとうございます。
では、続いて、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんでお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんで言いましょう。

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【主題聖句】
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
マタイの福音書7章24節
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では、今日はこのところから、
「神の言葉に従う人生」
と題しまして、聖書の言葉を見てまいりましょう。

聖書通読は、新約聖書がマタイの福音書で、旧約聖書が創世記です。
どちらも、通読を始めるには、読みやすいところだと思います。

特に、創世記の天地創造から堕落、そして、洪水、バベルの塔、そして、アブラハムの登場と、先週の箇所は続いて来ましたが、
今週は、ソドムとゴモラの事や、アブラハムがイサクを捧げる所などが書かれています。
そして、いよいよ、イスラエルと呼ばれるヤコブが登場します。

是非、聖書を開いてみて下さい。

バイブルQは、先週の答えが、こうなります。

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【【【先週のバイブルQの答え・聖書箇所】】】
旧約:大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは何歳でしたか?
新約:バプテスマのヨハネはどこで教えを宣べましたか?
【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:六百歳(創世記7章6節)
新約:ユダヤの荒野(マタイの福音書3章1節)
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大洪水のとき、ノアは600歳
そして、950年生きて死んだとなっています。

これについて、おおまかにいいますと、神様は、この地球を創られたとき、外側を覆う水蒸気の層を作られました。
この層は、ビニールハウスのように地球を温暖にし、また、紫外線や有害なものから人類を守りました。
そして、この層は、大洪水のとき、大雨となって注ぎ、なくなってしまいました。
ですから、この当時と、現在では、人の寿命がはるかに違うようになってしまいました。
詳しく知りたい方は、
「科学の説明が聖書に近づいた」
など、創造科学の本がありますのでお読み下さい。

新約の問題ですが、バプテスマのヨハネは、マラキの預言したエリヤでした。
彼は、人々に悔い改めを迫り、やがて来るキリストの道を備えました。

今回のバイブルQは、
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【バイブルQ】
旧約:エサウはヤコブに何を売りましたか?
新約:湖に大暴風が起こって、船が大波をかぶった時、イエス様はどうしておられましたか?
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というものです。聖書から調べてみてください。

では、本題の戻りましょう。

今回の箇所は、何も説明する必要の無い、そのまま、皆さんが感じていただければ良いのではないかと思う箇所です。

また、いつも御言葉を選ぶ火曜日の聖書箇所としては、

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さばいてはいけません。さばかれないためです。
マタイの福音書7章1節

豚の前に、真珠を投げてはなりません。
マタイの福音書7章6節

求めなさい。そうすれば与えられます。
マタイの福音書7章7節

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。
マタイの福音書7章12節

狭い門からはいりなさい。
マタイの福音書7章13節

良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
マタイの福音書7章17節
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と言った言葉が並びます。
皆さんが、聖書の言葉として耳にされる言葉もあれば、一般に聞かれる言葉もあると思います。
豚に真珠などは聖書から取られた言葉ですね。

このマタイの福音書の5章から7章は、山上の説教と言われるところです。
ここから始まります。
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1この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
2そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
3「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
マタイの福音書5章1-3節
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イエス様は、ここで、群集に向かって話し始めます。

そして、その最後が、今回の聖書箇所です。
この山上の説教は、最高の倫理であり、道徳であるとも言われます。

そこに表されているのは、本当に自分を捧げ、神と隣人を愛して行く者の姿です。
この御言葉を見たときに、これは、出来ないと言われる方は正直だと思います。

これは、人には出来ません。
しかし、だからこそ、私たちは、イエス様により頼まなければならないのです。
イエス様は、言われます。

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イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
ルカの福音書18章27節
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そして、イエス様は、こうも言われます。

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わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
ヨハネの福音書15章4節
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イエス様は、私たちが実を結ぶためには、枝にであるイエス様につながっていなければならないと言われました。
この山上の説教に書かれているのは、律法を越えた愛による高い倫理的な基準ともいえます。
しかし、これを実現するのは、私達の努力ではありません。

私たちが、これらを守り行えない自分の罪を認めて、イエス様により頼み、イエス様としっかりと結びついて歩んでいくことが、私たちに正しい行いをさせ、良い実を結ばせるのです。
私たちは、この事を忘れてはなりません。

もし、この言葉を聴いて、私たちが、すぐにこの通り行えるなら、イエス様は十字架にかかる必要などありませんでした。

そして、ヨハネもこういいます。

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もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一1章10節
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私たちは、罪があり、罪の中に生きるものでした。しかし、その私たちをイエス様は赦して下さり、愛して下さいました。
このことを信じ受け取る。ここに私達の信仰の原点があります。
その事を十字架は教えています。
そして、私たちは、そのことから、感謝を忘れてはならないことを思い出します。

私たちは、自分の力で生きているのではありません。
父なる神様の恵みと哀れみによって、生かされているのです。

イエス様は言われました。
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24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
25雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
26また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
27雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
マタイの福音書7章24-27節
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この箇所を読んでどう思われますか?
「そうだ、だから、御言葉から外れてはいけないのだ。」
と、顔をしかめながら形だけ御言葉を行うなら、それは、律法主義です。

それがいけないかというと、従おうとしないよりはいいかもしれません。
しかし、主が望んでおられるのはそれ以上です。

岩とは何ですか?
それは、イエス様です。
岩の上に自分の家を建てるとは、イエス様にしっかりと結びついているということです。

実によって、良い木を見分けると聞くと、なんとか実をつけておかなければと思います。
でも、イエス様に結びついているのでなく、自分で、実らしきものをつくってぶら下げていても、何の意味もありません。
木は実によって見分けられます。
でも、実は努力するのではく、あなたが良い木なら良い実を結ぶのです。

良い実をつけることで、良い木である事を証明しようとするのはやめましょう。
自分の実が悪い事を認める謙虚さが必要です。

自分の実が悪いなら、自分が悪い木だと認めなければなりません。
言い換えるなら、悪いものにつながっていると認めなければならないのです。
そして、イエス様にしっかりと結びついていないことを認めて、悔い改め、しっかりとイエス様に結びつくことが必要です。

悪い実を結んでいるとき、大切なのは、自分の実をなんとかしようとすることではありません。
形だけ、短気をおさえて、穏やかな振りをしても、何の意味もありません。

どこに結びついているかを見極め、しっかりとイエス様に結びつくことです。


岩であるイエス様の上に建てているのでなく、砂の上に家を建てている、
それは、本当の土台であるイエス様につながっていない、くっついていないということです。
ふらふらと変化する、この世の基準、砂のようにさらさらと流れてしまうものに、自分をおいているなら、何か起こったら倒れてしまいます。

クリスチャンですから、そんなことはありませんと言われる。
しかし、イエス様を土台としているようだけれども、間にざらざらした、砂がいっぱいあって、しっかりと柱を固定することが出来ないことがないでしょうか?
その砂のせいで、土台はしっかりしているのに、ゆれると、柱がずりずりと動いてしまうことはないでしょうか?
そこにある砂、この世の考えや、自分の自我といったものを払いのけて、しっかりとイエス様の御言葉に結びつかなければならないのです。

皆さんの信仰が、本当にイエス様に結びついていないなら、それは、何の力も持ちません。
その事を認める事が、主の前に謙ることです。

そして、しっかりとイエス様により頼み、結びつきましょう。
皆さんの信仰がイエス様に結びついているなら、それは、豊かな良い実を結ぶのです。

私たちは、そのために聖書を読み祈るのです。

神の言葉に従うことは、豊かな人生の土台です。
しかし、まず、私たちが従わなければならないのは、イエス様にとどまるということです。

この新しい年も、イエス様にしっかりと留まって生かされて行きましょう。


<いのり>



[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20070107神の言葉に従う人生
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