礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20061210
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神のあかし
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、私達の為に、御子イエス様を与え、ご自身の愛を示して下さった方です。
この方を覚えて主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。

本日の聖書箇所は、ヨハネの手紙です。
司会者お願いします。

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【聖書箇所】ヨハネの手紙第一5章1-21節
・新改訳Up431(贈呈p375英対p711)
・新改訳Vp470・口語訳380p
・新共同訳p446(贈呈p446英対p656)
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5:1イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。
5:2私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。
5:3神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
5:4なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
5:5世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
5:6このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。
5:7あかしするものが三つあります。
5:8御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。
5:9もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。
5:10神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。
5:11そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
5:12御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
5:13私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
5:14何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
5:15私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
5:16だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。
5:17不正はみな罪ですが、死に至らない罪があります。
5:18神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。
5:19私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。
5:20しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
5:21子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。
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では、続いて、主題聖句の暗唱をお願いします。

<暗唱>

では、皆さんで言いましょう。

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【主題聖句】
イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。
ヨハネの手紙第一5章1節
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では、今日はこの所から、
「神のあかし」
と題しまして、御言葉を見て参りたいと思います。

ところで、聖書の通読ですが、いよいよ、一年が終わろうとしています。
旧約は、ホセア、ヨエル、アモス、オバデヤと小預言書が続きます。
言葉は分かりにくかったりもしますが、一話完結の小説のようで読みやすい所だと思います。
また、新約聖書も、ヨハネの手紙、ユダの手紙と短いところと、その後、ヨハネの黙示録、これは、非常に興味を引くところです。
前回言いましたように、来年度の聖書通読の為のウォーミングアップとして、読み始めて頂くと良いのではないかと考えています。

特に、旧約について言えば、小預言書は、救い主の来臨、つまり、イエス様の御降誕へ向けての道ぞなえでもあります。

そこに、新約聖書の福音書がつながっているのだということです。
その事を思って読んでいただければと思います。

皆さん、是非、聖書を読みましょう。

ところで、バイブルQですが、
先週のバイブルQは、
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旧約:メディヤ族のアハシュエロスの子ダリヨスはどこの王ですか?
新約:義人ロトは何に悩まされていましたか?
【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:カルデヤ人の国。(ダニエル書9章1節)
新約:無節操な者たちの好色なふるまい。(
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です。ここで、カルデヤ人の国とは、バビロンや、ペルシャをさすわけですが、特に、ダリヨス王について言えば、バビロンの最後の王ベルシャツァルの死後62歳で王位についたとされ、ペルシャの王だと言われます。

また、義人ロトですが、無節操な者たちの好色なふるまいと書かれています。

彼は、どこに住んでいたか覚えていますか?
彼は、あの有名なソドムとゴモラにすんでいたのです。

彼は、そのゆがんだ社会の中で、それを憂いていたようです。
しかし、彼は、その世界を憂いつつも、その世界の中にどっぷりと浸かっていました。

その結果、彼は、多くの物を失ってしまいました。
私たちも、この世に対して、地の塩、世の光として歩むのでなければ、その価値の無いものとなってしまうということを、このロトの姿から見るのです。
世に対して、神様の基準をはっきりと示して歩むことの出来る者とならせて頂きましょう。

それこそが、私達の本当の霊の戦いです。

そして、その戦いのために、私たちは、祈りと御言葉を必要とするのです。

今週のバイブルQは、
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旧約:主はご自分の地をどのように愛されますか?
新約:ヨハネの手紙第三は誰に宛てて書かれましたか?
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です。

聖書から、探してみてください。

さて、本題に戻りたいと思います。

今回は、ヨハネの手紙第一です。
ヨハネの手紙のテーマは、なんといっても愛です。

神様の愛、イエス様の愛をしっかりと受け止めたヨハネが、この愛を伝えようとしているのが、この手紙です。

ヨハネの福音書もそうなのですが、愛の使徒とも称されるヨハネが書いたとされるこれらの書には、荒くれ者の猟師であったヨハネが、イエス様の愛によってどれほど変えられたかを教えてくれます。

もともと、ヨハネは、イエス様から雷の子と呼ばれた程の、気性の激しい人でした。

ですから、こうも書いてあります。
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しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。
弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。
ルカの福音書9章53-55節
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この激しい気性のヨハネが、愛の人となり、このヨハネの手紙を書いたのだと考えると、
結局、この手紙は、ヨハネではなく、ヨハネを通してイエス様の愛が表れているのだと教えられます。

私たちは、イエス様としっかりと結びついている、ただ、そのことが大切なのです。

さて、今回の聖書箇所の中で、タイトルに一番関連の深いのは、この所です。
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9もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。
10神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。
11そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
12御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
ヨハネの手紙第一5章9-12節
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御子についてのあかしとありますが、父なる神様が、直接イエス様の事を語られたのは、まずこの所です。

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また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
マタイの福音書3章17節
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これは、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時のことです。

そして、もう一箇所
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彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。
マタイの福音書17章5節
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これは、山の上で祈っているときに、モーセとエリヤが現れ、イエス様の姿が変わったという所です。

どちらの声も、
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
と、書かれています。

イエス様は、神の子であり、そして、本当に、父なる神様の愛を受けておられたことがわかります。
そのイエス様を、父なる神様は、喜ぶと言われます。

イエス様の存在そのものが、父なる神様の喜びであったのです。

男性と女性が出会い、結婚をして、そして、二人の間に子どもが生まれる。
そのことは、普通の夫婦にとって、大きな喜びです。
いまは、この簡単な事がそうでない場合もある非常に混乱した世の中になっていますが、
しかし、子どもは、お父さんお母さんとなった二人の愛、そして、その人たちを取り囲む、おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、様々な人たちの愛を受けるために生まれてきます。

夫婦の関係が健全であるなら、こどもは、その存在そのものが喜びです。
そのように、存在そのものが喜ばれている中で成長する子どもは幸せです。
そのことは、子どもの人格を健全に成長させる上で、なくてはならないものです。

さて、父なる神様にとって、イエス様は、喜びでした。
父なる神様は、本当にイエス様を愛しておられました。
しかし、そのイエス様を、父なる神様は私たちにお与えくださったのです。

こうかいてあります。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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これは、クリスマスのテーマでもあります。
神様が、私達のために、ひとり子をお与えくださった、その愛こそが、クリスマスの重要なテーマです。
前にお話ししました、永遠の命とは何か。

永遠の命、それは、私たちが、この肉体のままで永遠に生きるということではありません。
また、私達の存在そのものが無くならないという事を意味しているのではありません。
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そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。
テサロニケ人への手紙第二1章9節
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ここを見て下さい。永遠の滅びと書いてあります。

私たちは、滅びというと、消えて無くなってしまう事だと思います。
ですから、滅ぶとそれ以降の事はないと思います。
でも、永遠の滅びと書いてあるのです。滅びが永遠に続くのです。

これに対するのが、永遠の命です。
そうすると、私たちは、永遠の命が、単に命が続くことだと考えてはならないのです。

この永遠の命は、命の根源である、父なる神様との関係です。
私たちと父なる神様との関係こそが、永遠の命です。

しかし、その永遠の命は、何度も言いますが、ただ生きているという命ではありません。

その命は、私たちに本当の平安を、変わらない安心を与えます。
それは、父なる神様の私たちへの愛です。

父なる神様の愛されているというそのことは、私たちに本当の安心を与えます。

その愛は、先ほどの御言葉、
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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ここに表されるのです。

私たちは、イエス様の十字架での死と復活によって、贖われ神の子とされ、天の御国に入るものとされました。
では、クリスマスの意味はなんでしょう。

イエス様の十字架の単なる出発点でしょうか?
イエス様の十字架が、お生まれになること無しに、ありえないじゃないかというだけでしょうか?

そうでは、ありません。
父なる神様の愛、ひとり子さえお与えになった、父なる神様の愛は、ここに示されているのです。

父なる神様が、これは、私の愛する子と言われたそのイエス様を、私達の為に与えてくださった。

これが、クリスマスです。

ですから、それは、大きな喜びの日です。

ところで、先程の御言葉、
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9もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。
10神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。
11そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。
12御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
ヨハネの手紙第一5章9-12節
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この中で、11節で、神が私たちに永遠の命を与えられた、このいのちが御子のうちにある。

それは、どういうことですか?
先ほど言いましたように、御子イエス様が与えて下さる永遠の命は、命の根源である父なる神様との関係です。
それは、父なる神様の愛を受けるということです。

この愛は、イエス様と父なる神様との間にありました。
イエス様は、父なる神様の愛を受けておられました。
しかし、父なる神様は、そのイエス様を私たちにお与えになることで、私たちへの愛を示されたのです。

だから、このイエス様を父なる神様が与えてくださったと信じることは、父なる神様の愛を受け入れることです。
そして、それが、命の根源である父なる神様との関係を持つことであり、永遠の命なのです。

御子を持つものは、命を持ちます。
御子を信じるものは、このあかし、すなわち、父なる神様が私たちを愛してくださったという証を自分の心の中に持っているのです。

皆さん、父なる神様は、あなたを愛して、イエス様を与えて下さいました。

イエス様は、あなたを愛して十字架に架かって死んで下さいました。

このことを信じますか?

これが、永遠の命です。父なる神様は、そこにご自身の愛を証しておられるのです。

そして、このことは、あなただけでなく、あなたの周りの人にも命を与えます。
ただ、このことだけが、人に永遠の命を与えるのです。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20061210神のあかし
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