礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20061119
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信仰によって
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの心に信仰を与え、さらに信仰へと導いて下さる方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、今週の聖書箇所をお読み頂きましょう。
今週の聖書箇所は、先週に続いて、ヘブル人への手紙です。
司会者お願いします。

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【聖書箇所】ヘブル人への手紙11章1-16節
・新改訳Up401(贈呈p350英対p664)
・新改訳Vp438・口語訳p354
・新共同訳p414(贈呈p414英対p612)
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【聖書箇所のテキスト】
11:1信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
11:2昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
11:3信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
11:4信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
11:5信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
11:7信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。
11:8信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
11:9信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
11:10彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。
11:11信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
11:12そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。
11:13これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
11:14彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
11:15もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
11:16しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
ヘブル人への手紙11章1-16節
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では、続いて主題聖句の暗唱を教会学校の皆さんでお願いします。

<暗唱>
ありがとうございます。
では、皆さんで言いましょう。
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【主題聖句】
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル人への手紙11章1節
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では、今日は、この所から、
信仰によって
と題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

聖書の通読は、今、旧約が、エゼキエル書、新約がこのヘブル人への手紙からヤコブ書です。

エゼキエル書は、前回もいいましたように、難解な預言書です。
エゼキエルの見た様々な幻も書かれています。

少し解説をするためにも、今、新約聖書を見ていますが、来年、又は、再来年は旧約聖書を追いかけていこうかとも思います。

しかし、どんな解説よりも、聖書を読むことが重要です。
是非、お読みください。
また、ヤコブの手紙は、新約聖書の手紙の中で、もっとも実際的な手紙だと言われます。

バイブルQは、先週の答えが、
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【【【先週のバイブルQの答え・聖書箇所】】】
【バイブルQ】
旧約:主はエゼキエルに、剣で何をするように言われましたか?
新約:イエス様は誰の位に等しい大祭司ですか?
【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:頭と、ひげをそる。(エゼキエル書5章1節)
新約:メルキゼデク(ヘブル人への手紙5章6節)
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メルキゼデクは、創世記に出てくる、サレムとう所の王であり、祭司であった人物でした。
彼は、アブラハムが戦いに勝って帰ってきたとき、ぶどう酒とパンをもって迎えました。
そのメルキゼデクに、アブラハムは、戦利品の十分の一を捧げたのです。
ここには、十分の一の捧げ物の型があり、また、聖餐式の型があります。

今週のバイブルQは、
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旧約:エゼキエル書26章で主はツロがどんな場所となると預言されましたか?
新約:信仰によって、アブラハムは、何を捧げましたか?
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です。聖書を開いて探してみましょう。

聖書箇所に戻ります。
前回に引き続き、ヘブル人への手紙です。

そして、今回の個所は、信仰とは何かと言うことを、教えてくれる個所です。

冒頭この言葉から始まります。

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11:1信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
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そして、これは、主題聖句でもあります。
よく、信仰とは何ですか?という説明の答えとして、この言葉は引用されます。

しかし、そのようにすると、信仰のもっとも大切なところを見落としてしまいます。

この御言葉だけから、信仰を見るとどうなりますか?

信仰は、望んでいる事柄を保証します。

また、目に見えないものを確信させます。

何か、積極思考の力のような、そんな風に見えます。

そこには、信仰の一番大切な神様との関係がありません。

これは、信仰が何かを説明しているのではなく、どういうものかを説明している言葉です。

先ほどお読みいただいた、11章の3節を見てみましょう。

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11:3信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
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信仰によって、世界が神の言葉で造られたことを悟り、と書いてあります。
つまり、信仰は、それを悟らせるものです。

逆に言うと、世界が神の言葉で造られたと信じることが信仰でなく、世界が神の言葉で造られた事を信仰によって知るのだというのです。

信仰は真理を悟るための力であり、また、信仰は、目に見えない事柄を確信するためのものです。

しかし、それも、信仰の側面を語っているに過ぎません。

少し、福音書を見て生きたいと思います。
イエス様は福音を述べ伝えられました。

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ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
マルコの福音書1章14-15節
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ここで、悔い改めて、福音を信じなさいと書かれています。
福音とは何かというお話をすると、それだけでまた、たくさんの時間がかかりますので、省略しますが、福音とは、良い知らせです。
神様のもたらされた良い知らせを信じる。
福音、それは、神様が、救いを与えてくださるという知らせです。
その救いを、イエス様は、病の癒しや、悪霊からの開放をもって示されました。

では、その事を信じる信仰というと、どうなるでしょう。

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イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
マタイの福音書21章21節
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信仰のもつ力をイエス様は教えておられます。
もう一箇所見てみましょう。

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しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ。』と言えば、言いつけどおりになるのです。
ルカの福音書17章6節
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イエス様が死んだラザロをよみがえらされたとき、こういわれました。

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41そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
42わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」
ヨハネの福音書11章
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先ほどの、動いて山にはいれ、も、また、からしだね程の信仰も、ここで、ラザロをイエス様がよみがえらされた信仰も、同じ信仰です。
そして、その信仰の中で、イエス様はこういわれます。

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あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。
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ヘブル人への手紙にもどりますと、こうかいてあります。

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11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
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イエス様は言われました。

「私の願いを聞いてくださることを知っておりました。」

神がおられる事と神を求める者には報いてくださる方であることを信じること。

私たちの信仰の根底には、この二つがなければなりません。

つまり、信仰とは、ここで、イエス様が父なる神様に祈られたと同じ、父なる神様との関係です。

その関係は、冒頭の御言葉を見直してみましょう。

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11:1信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
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イエス様は、

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あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。
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といわれました。

神様との信頼関係が、私たちの望んでいる事柄を保証します。

しかし、この信仰はどうやったら出来るのでしょう。

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そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章17節
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信仰は、キリストについての神の言葉から始まります。

なぜですか?
キリストについての神の言葉、それは、このことです。

父なる神様が、私たちを愛し、私たちの為に、御子を与え、そして、御子は、私たちの為に罪の身代わりとなって、十字架で死んでくださり、
死に打ち勝って、よみがえられたことです。

この事柄には、何があらわされていますか?
それは、神の愛です。

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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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ここには、神の愛が示されています。
しかし、神の愛を信じる信仰は、同時に、信じるものに報いてくださる事を、信じなければならないと語るのです。

愛されているから、私の人生どうでもいいですというふうに言われる方もおられます。
しかし、私たちは、愛されているから、自分を大切にしなければなりません。
少し考えてみてください。

イエス様を信じた皆さんは、神の子どもです。
皆さんが、もう何もいらないですといって、みすぼらしくしていたら、それは、お父さんである神様を辱めることになりませんか?

もちろん、この世で立派であることと、神様の前に立派であることは違います。

しかし、私たちは、私たちの必要を、神様に申し上げていいのではなく、申し上げないといけないのです。

親子の関係がよければ、かっこいいことも悪いことも、子供は親にはなします。

つまり、もし、あなたが、自分の必要を神様にいわないなら、それは、少しゆがんだ親子関係です。

信仰は、望んでいることを確信します。
それは、神様が私たちを愛しておられることの確信でもあります。

また、わたしたちが、わたしたちの日々の必要を神様に祈り、その祈りに神様が答えてくださるとき、
神様が確かに生きておられる事を私たちは知り、また、その方が、確かに私たちを愛してくださっておられる事を知ります。

それは、私たちの信仰を強くします。
しかし、その信仰のはじまりは、人からではなく、神からです。

この神様は、この地上においても、私たちの祈りに答えて祝福して下さる方です。
しかし、それ以上の祝福を主は用意しておられます。

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しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
ヘブル人への手紙11章16節
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この主を覚えて、お祈りしましょう。





[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20061119信仰によって
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