礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20061112
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大胆に恵みの御座に
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを、愛し、赦し、招いてくださる方です。
この方を覚えて主の御言葉を聞いて参りましょう。

では、今週の聖書箇所をお読み頂きましょう。
今週の聖書箇所は、ヘブル人への手紙です。
司会者お願いします。
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【聖書箇所】
ヘブル人への手紙4章6-16節
・新改訳Up392(贈呈p342英対p649)
・新改訳Vp428・口語訳p346
・新共同訳p405(贈呈p405英対p599)
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【聖書箇所のテキスト】
4:6こういうわけで、その安息にはいる人々がまだ残っており、前に福音を説き聞かされた人々は、不従順のゆえにはいれなかったのですから、
4:7神は再びある日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。
4:8もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。
4:9したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。
4:10神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。
4:11ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。
4:12神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
4:13造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
4:14さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
4:15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
4:16ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
ヘブル人への手紙4章6-16節
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では、続いて主題聖句の暗唱を教会学校の皆さんでお願いします。

<暗唱>
ありがとうございます。
では、皆さんで言いましょう。
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【主題聖句】
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
ヘブル人への手紙4章16節
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では、今日は、この所から、
大胆に恵みの御座に
と題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

聖書の通読は、今、旧約が、哀歌からエゼキエル書、新約がこのヘブル人への手紙です。
イスラエルの嘆きの壁で祈るユダヤ人たちは、この哀歌を元に祈ります。
そこには、エルサレムの崩壊と、悔い改めが歌われています。

私たち自身の事として、悔い改めを覚えつつ、祈りたいと思います。

また、エゼキエル書は、非常に難解な預言書です。
しかし、神様の偉大さ、また、捕囚にあったイスラエルの悔い改めがかれている書です。
そして、そこには、新しいエルサレムの希望が書かれています。
是非、お読みください。
ヘブル人への手紙は、お話の中で、説明するとして、

バイブルQは、
先週の答えが、

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【バイブルQ】
旧約:モアブは何の為に恥を見ると、エレミヤは預言しますか?
新約:テトスへの手紙1章1節、どのようなことを話すように言われていますか?
【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:ケモシュ(エレミヤ書48章13節)
新約:健全な教えにふさわしいこと(テトス2章1節)
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そして、今週のバイブルQが、
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旧約:主はエゼキエルに、剣で何をするように言われましたか?
新約:イエス様は誰の位に等しい大祭司ですか?
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です。聖書を開いて探してみましょう。

聖書箇所に戻ります。
ヘブル人への手紙です。
ヘブライ人への手紙とも言われます。
世界史などでは、ヘブルというよりも、ヘブライという方が分かりやすいかもしれません。
ヘレニズムとヘブライズムという事で、紹介されたりもします。

このヘブルですが、まず、ヘブル人とは何でしょう。
創世記にこうあります。
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ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの親類で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。
創世記14章13節
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ここで、アブラムつまり、後のアブラハムが、ヘブル人と呼ばれています。

また、出エジプト記では、こう書かれています。
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主はモーセに仰せられた。「パロのところに行って、彼に言え。ヘブル人の神、主はこう仰せられます。『わたしの民を行かせて、彼らをわたしに仕えさせよ。
出エジプト記9章1節
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ここで、イスラエルの神である主は、パロに対して、ご自身を、ヘブル人の神と言うようにといっておられます。
旧約聖書の中で、また、聖書全体を通して、イスラエル民族とヘブル人は同じ意味に取って、殆ど間違いはありません。
しかし、同じ意味ではありません。

もともと、ヘブル人とは、イブリーという、渡るとか、通り過ぎるとか言う意味のヘブル語から来るようです。
川向こうからやってきた人たちというような意味があったとも言われます。

アブラハムたちに限らず、遊牧民をさす呼び名だったとも言われます。
しかし、その言葉は、出エジプトの後、イスラエル民族をさす言葉と同等になります。

この書、ヘブル人への手紙は、冒頭この言葉から始まります。
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1神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
2この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
ヘブル人への手紙1章1-2節
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この手紙は、聖書に書かれた預言者たちを先祖に持つ人々に書かれたのだと分かります。
また、その内容は、神殿での様々な規定などと、キリストの成し遂げられた御業が比較されて書かれています。
そして、この手紙は、旧約聖書を知っている人々への手紙だと分かります。

この手紙は、ヘブル人すなわちイスラエルの民への手紙です。

この手紙が誰の書いたものかは、分かっていません。
聖書の中の一つの謎です。

一般には、それは、パウロだと考えられていたようです。
しかし、それも、断言出来ません。

どちらにしても、この手紙は、そうとう、旧約聖書に詳しい人が書いたのだと分かります。
それだけに、私たちがこの書を読むと、難しく感じるかも知れません。
しかし、イエス様がなされた御業が、律法の上で、どんな意味を持つのか、それが詳しく書かれています。
是非、皆さん、ヘブル人への手紙をお読みください。

その中でも、今回の聖書箇所は、安息から始まって、恵みの御座について、書かれています。

主が私たちのために用意しておられる安息に入るために、力を尽くして務めようと御言葉は語ります。

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4:11ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。
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そして、それに続いて、この御言葉が続くのです。

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4:12神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
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この言葉は、わりとよく引用される言葉です。
神の言葉は生きている。

そうです。主の御言葉は生きています。
それは、すごい力があるんです。と、なるのですが、聖書は、その御言葉はどんなものだといっていますか?

それは、両刃の剣よりするどく、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することが出来ます。

さて、誰の心の考えやはかりごとを判別するのですか?

教会の中で、しばしば見られることとして、人の意見に対して、御言葉はこうだから違いますといわれる方があります。
あるときは、それは必要です。聖書から外れた意見に対して、聖書から説明し、群れを守る責任が牧師にはあります。
ですから、私も、そのように使うことがあるかもしれません。
しかし、聖書の言葉は、周りの人を切るためにあるのではありません。

聖書の言葉は、まず、それを読んだ自分自身を切るためにあります。

自分自身の、魂と霊の間をつらぬき、
いいですか?
私たちが、魂で感じることと、霊は別なのです。

人間は、霊と魂と肉体で出来ています。

私たちは、いいお話を聞いたり、いい音楽を聴いたりすると感動します。
そして、いい気持ちにもなります。しかし、それは、魂や肉体の事柄です。

そのことが終わったあと、何も、その人の成長につながらない事があります。

しかし、聖書の言葉は、神の霊によるものです。
そして、それは、魂の奥底、霊に届くのです。
そして、その人が感じても感じなくても、霊を生かし、成長させます。
皆さんの霊を生かすことの出来るのは、神様の霊による言葉、神の霊感による言葉だけです。

テモテへの手紙第二でこうかいてあります。
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聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
テモテへの手紙第二3章16節
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聖書は全て神の霊感によるものです。

そして、ペテロはこういいます。

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それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
ペテロの手紙第二1章20-21節
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この言葉は、神様の息がかかったものです。そして、聖霊様に動かされた人々が語った言葉が記されているのです。
その聖書の言葉は、剣のように私たちの霊と、魂の間を貫きます。

それは、私たちが単に、人間的に感動しているのか、それとも、本当に神様との関係を持っているのか、それをはっきりとされるという事でもあります。

この世的な祝福をもとめて神様に祈る。そのことも必要です。神様は全てを見て知っておられる父なる神様です。
しかし、本当の関係は私たちと父なる神様との霊の交わりです。

前回いいました、ヨハネの手紙第一の御言葉です。
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あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。
それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。
ヨハネの手紙第一2章24-25節
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皆さんが、本当に永遠の命の中でいきいきと生きることを主は願っておられます。
そのために、私たち自身の中を主は切り分けて、明確にされるのです。

魂を、霊を、考えを、はかりごとを、

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12神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
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そして、主は、私たちを本当の安息に入れて下さるのです。
その安息とはどこにありますか?
それは、父なる神様と、イエス様との交わりの中にあります。

そして、聖書はこう続きます。

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13造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
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神様は、心の中の全てを見ておられます。
私たちが、何のために教会に行くのか、そのことも、神様は見ておられます。
お金が儲かるようになりたいと思って教会に来ている人もいるかも知れません。
心の安らぎが欲しい、賢くなりたい、いろいろな人がいると思います。

それは、間違っていません。
それらを抱えて、神様の前に出ること、それは大切です。

神様は、全てご存知で、人々を招き、受け入れておられます。
この方の前に、私たちは弁明をする。と書いてあります。

そして、その私たちの弁明を聞かれる方は、この方です。

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14さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
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皆さん、イエス様は、私たちの大祭司です。
祭司の務めは、人々の罪のための購いをすることです。
この大祭司は、私たちと同じように、試みにあわれ、そして、私たちを同情して下さるかたです。

ですから、と御言葉は続きます。

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16ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
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皆さん、私たちは、立派だから神様の前に出るのではありません。
この方は、私たちを知って、招きそして、愛して下さった方です。

そして、十字架ので、私たちの身代わりに、ご自身を捧げてくださった祭司なのです。

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そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
ルカの福音書23章34節
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この方の前に、全てをご存知の主の前に大胆に出、赦しと聖めを頂きましょう。

では、お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20061112大胆に恵みの御座に
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