礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20061015
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キリストに根ざした歩み
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、ぶどうの木、私たちはその枝です。
今日も、この主を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、

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【聖書箇所】
コロサイ人への手紙2章6-23節
・新改訳Up359(贈呈p312英対p595)
・新改訳Vp391・口語訳p315
・新共同訳p370(贈呈p370英対p552)
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です。
司会者お願いします。
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【聖書箇所のテキスト】
2:6あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。
2:7キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。
2:8あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。
2:9キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
2:10そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。
2:11キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。
2:12あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。
2:13あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、
2:14いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
2:15神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。
2:16こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。
2:17これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
2:18あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、
2:19かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。
2:20もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
2:21「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。
2:22そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。
2:23そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。
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はい、ありがとうございます。
では、続いて、主題聖句の暗唱を小学生の皆さんでお願いします。

<あんしょう>

ありがとうございます。では、皆さんでいいましょう。
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【主題聖句】
あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。
コロサイ人への手紙2章6節
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では、今日はこのところから、
「キリストに根ざした歩み」
と題しまして、御言葉を見て行きたいと思います。

今週の通読は、旧約聖書は、ようやくイザヤ書が終わりまして、エレミヤ書に入ります。
預言者エレミヤが、神様からの召命を受け、母国の滅亡を預言する、その姿はあまりにもつらいものです。
私たちは、この日本がそのような状態にならないように、祈らなければなりません。
主の哀れみと導きが、この日本にありますように、お祈りしましょう。

また、新約聖書は、コロサイ人への手紙から、テサロニケ人への手紙第一に入ります。

どうぞ、皆さんお読みください。

バイブルQですが、前回の答えが、
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<先週のバイブルQの答え・聖書箇所>
【バイブルQ】
旧約:イザヤ44章で主は潤いのない地に何をされますか?
新約:「あなたの父と母を敬え。」という戒めにはどんな約束が伴いますか?
【バイブルQの答え・聖書箇所】
旧約:水を注がれる。(イザヤ書44章3節)
新約:そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。(エペソ人への手紙6章3節)
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と、なっています。

主は潤いのない地に水を注がれます。
このことは、現実に、神様が荒野を水の湧き出るところとされるという、その事も意味しています。
例えば、出エジプトの時には、荒野をさまようイスラエルの民の為に、主は水をお与えになりました。

しかし、それだけではなく、この御言葉は、私たちの心の中のことをも意味しています。
私たちの心の中は、罪によって、神様から離れているが為に、渇いています。

それは、愛に対する渇きや、平安に対する渇きや、喜びに対する渇きです。
しかし、神様は、そのように荒れ果てた心の中に、愛を、平安を、喜びを与えて下さいます。

人々の心の渇いている今の日本、今の世界において、神様は、人々の心の中に、水を注ぐことのおできになる方です。
そのために、私たちに必要なことは、ただ悔い改めて、神様に向くということです。

また、父と母を敬えとの御言葉です。
この御言葉には、それを守ると、しあわせになり、地上で長生きすると書いてあります。

父と母、それは、一般的に、私たちが人生を始めるに当たって、最初に出会う人間関係です。
そして、一般的には、赤ん坊は、まず、父と母から愛を受けて育ちます。
この父と母からの愛、そして、父と母との関係は、その人の人生を左右します。

そういう事からすると、父と母というのは、大きな、大変重要な務めです。
一人の人の人生を左右する務めであると言うことです。

ところが、逆に、ある方は、
「私の父と母が悪かったから、今の私は、もうどうしようもないのだ。」と言われます。

しかし、あなたが、どのような父や母の元に生まれたとしても、あなたが、その父と母を敬うなら、
つまり、その人間関係を大切にするなら、あなたは幸せになるのです。

そして、その人間関係がどんなに、荒野であったとしても、主はそこに水を注がれます。
その事を信じ、主に期待して祈りましょう。

今回のバイブルQは、
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旧約:イザヤは、主が降りてこられると、何が揺れ動くといいますか?
新約:私たちのいのちは何処にありますか?
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と、なっています。是非、皆さん、聖書から調べてみてください。

主題聖句に戻りたいと思いますが、

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【主題聖句】
あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。
コロサイ人への手紙2章6節
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前回、光の子としてとのことでお話をしました。
そして、それは、キリストにしっかりと結びついて歩むことなんだとお話しました。

今回は、キリストに根ざして歩むということですので、非常に似通ったテーマです。
結局のところ、パウロが書いた手紙の殆どは、その事を伝えようとしているのではないかと思います。

パウロが伝えた福音は、イエス様の十字架の死と復活を信じるなら、ただ、その信仰によって、救われるというものでした。
そして、それは、聖書の中心のメッセージです。

では、救われたものはどのように生きればよいのか、パウロは自分の宣教によって、信じたものたちへの手紙で述べているのです。

いろいろな表現があります。

御霊によって歩む。
聖霊によって歩む。
信仰によって歩む。
キリストにあって歩む。

その表現は少しずつ違いますが、最終的に意味するところは同じです。
イエス様が言われた、この御言葉、

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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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この中で、今回、注目したいのは、
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「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
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という部分です。

この、言葉と比較したい言葉があります。それは、これです。

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そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
創世記3章4-5節
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ここで、蛇として現れた悪魔は、何を女に教えていますか?
あなたがたが神のようになり、と書いてあります。

つまり、神様から離れて、自分の力で立派にやっていけるようになるという事です。

イエス様は、何と言われましたか?

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「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」

そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
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「あなた方は、何もすることができない。」

神様から離れては、私たちは何もすることが出来ないのです。

この事を認めますか?それとも、自分は神のように立派に生きるのだと考えますか?

私たちは、神のように生きることは出来ません。それは、不可能です。

その事を認めることが、へりくだりです。
へりくだりには、私たちが幸せな人生を歩む秘訣があります。

ですから、いつもお読みするところですが、イエス様はこういわれたのです。
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28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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さまざまな人生の成功術があげられています。
確かに、この地上で成功しておられるそれらの方法には、学ぶべき点があるかもしれません。

しかし、どの成功術も、人を天国に導くことは出来ません。
天国に通ずる成功術はこれだけです。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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どんな地上の成功も、これにはかなわないのです。
イエス様は、たとえを語られました。

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15そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
16それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
17そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
18そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
19そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
20しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
21自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
ルカの福音書12章15-21節
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そして、イエス様は、こうも言われました。
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人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
マルコの福音書8章36節
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あなたが永遠の命を得るという、ものすごい成功を成し遂げる唯一の道が、悔い改めて、神の前にへりくだるということです。

これ以外に道はありません。

そして、それは、先ほど見ましたように、悪魔の言葉に従って、神様との関係を失ったその前に戻るということです。

私たちは、キリストに結びついていなければ、何も出来ません。
皆さん、この事を認めますか?

一般的な宗教は、さまざまな難行、苦行によって、救いを得ようとします。

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2:20もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
2:21「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。
2:22そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。
2:23そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。
コロサイ人への手紙2章20-23節
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しかし、それらは、幼稚な教えだと、パウロはいうのです。

ここで、23節をよく見て下さい。
「礼拝、謙遜、」
礼拝も、謙遜も、大切なことです。しかし、ある宗教は、それらの見せ掛けの物を造ります。

細長い風船で、いろいろな人形を作ったりしますが、紫の風船でぶどうを作ると、なかなか、本物らしくなります。
でも、それは、どんなにぶどうに見えても、いや、本物よりおいしそうに見えたとしても、食べることは出来ません。

おなじように、それは、どんなに立派に見せようとしても、人間の好き勝手なものである以上、なんの効き目もないのです。

そして、そこには救いはありません。

何か宗教をしておられる方をみて、朝夕、仏壇の前で礼拝する姿、謙遜な態度、立派なことです。
見習うべき点もあることでしょう。

しかし、私たちは、その立派な行いというものをまねして、自分にくっつけても何の意味もないのです。

それは、前回もお話したように、他の木の実をちぎって自分の木にぶら下げるだけの事です。

私たちがではなく、神様が、私たちという枝を通して実を結ばれるのです。

でも、そのために、必要な養分は、どこから来ますか?
それは、聖書の言葉と祈りです。また、祈りと御言葉によって養われているもの同士、神様の恵みを分かち合うことも大切です。

だから、毎日、聖書を読み、祈り、また、集会に集うのです。

私たちが求めているのは、何か立派になったかのような気分や、一時の心地よさではありません。
生きておられる神様との出会いであり、イエス様とのしっかりとした関係なのです。

そのためには、何が何でも聖書を読まなければなりません。

これは、皆さんの命のパンです。
これを食べずに、皆さんの霊が、生きることも、成長することもありえません。

いま、祈りましょう。
皆さんが、本当に聖書を読むことが出来るように、そして、神の言葉である、キリストに根ざして生きることが出来るように。

共にお祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20061015キリストに根ざした歩み
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