礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20061008
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光のこどもらしく
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、世を照らすまことの光です。
そして、私たちは、主の子どもとされています。

主に感謝します。
この方を覚えつつ、御言葉を聞いてまいりましょう。

まず、本日の聖書箇所を、お読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、

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【聖書箇所】
エペソ人への手紙5章1-13節
・新改訳Up346(贈呈p302英対p577)
・新改訳Vp378・口語訳p305
・新共同訳p357(贈呈p357英対p536)
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です。司会者お願いします。

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【聖書箇所のテキスト】
5:1ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
5:2また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
5:3あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。
5:4また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。
5:5あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。
5:6むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。
5:7ですから、彼らの仲間になってはいけません。
5:8あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
5:9――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――
5:10そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
5:11実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
5:13けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
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はい、ありがとうございます。
では、続いていつものように、主題聖句の暗唱をお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんでいいましょう。

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【主題聖句】
ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
エペソ人への手紙5章1節
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はい、ありがとうございます。
では、今日はこの所から、

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光のこどもらしく
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と題しまして、聖書をいっしょに見て行きましょう。

さて、聖書の通読は、
旧約が、イザヤ書
新約が、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙です。

聖書通読をしていると、イザヤ書から始まる預言書は、大きな壁になることがあります。

しかし、イザヤ・エレミヤ・エゼキエルを超えると、もう、通読は終わったようなものです。
皆さん、共に聖書を通読しましょう。

バイブルQは、先週の答えを週報の右下に書いています。
どうぞ、ご覧下さい。

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【クイズ】
旧約:志の堅固な者を、主はどうされますか?
新約:キリスト・イエスにつくものは、自分の肉をどうしたと聖書はいいますか?
【クイズの答え・聖書箇所】
旧約:全き平安のうちに守られる。(イザヤ書26章3節)
新約:さまざまの情欲や欲望と共に、十字架につけてしまった。(ガラテヤ人への手紙5章24節)
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主は、志の堅固なものを守られます。

私たちは、志の堅固なものでありたいと思います。
では、志が堅固だとはどういうことでしょうか?

志は、ただ、自分がこれをしたいというそういうものではなく、
なにか、明確な理念に基づくものです。

私たちの場合、はっきりしているのは、聖書の言葉です。
この言葉に、私たちは根ざして、目的と目標を持ち、それを成し遂げようとする意思を持ちます。
これが、志です。

ですから、志は、神様から与えられるものです。

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神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
ピリピ人への手紙2章13節
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それがなければ、私たちは、しっかりと歩むことが出来なくなります。
主からのビジョンという言い方をしますが、これがビジョンです。

ただ、自分の欲で、私はこれがやりたいというのがビジョンではありません。
その根元に、必ず、神様との関係があり、御言葉がなければならないのです。

そして、御言葉はこういいます。

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6ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
7そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
8そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。
ヤコブの手紙1章6-8節
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私たちは、自分か、キリストかと迷っていてはなりません。
キリストにある自分を歩まなければならないのです。
それが、新約聖書の問題の答えのところです。

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キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
ガラテヤ人への手紙5章24節
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私たちは、自分の肉を十字架につけてしまったのです。
そして、それは、キリスト共に死んだことであり、そして、いま私たちは、キリストと共に生きているのです。

これを象徴するのが、洗礼式ですね。

洗礼を受けたということは、イエス様と共に死に、そして蘇ったということです。
いま、新しい命を歩んでいるのです。主に有って新しい命を歩ませていただきましょう。

次回のクイズは、

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旧約:イザヤ44章で主は潤いのない地に何をされますか?
新約:「あなたの父と母を敬え。」という戒めにはどんな約束が伴いますか?
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です。

これも、聖書を読んで探して見て下さい。

では、聖書箇所に戻ります。
タイトルは、「光のこどもらしく」ということでした。
それは、どういうことでしょう。

さきほどお読みいただいた中にこうかいてありました。

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あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
エペソ人への手紙5章8節
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私たちは、暗闇であったが、光となった。
ということです。

聖書の中で、光とはなんでしょう。

イエス様は言われました。
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イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
ヨハネの福音書8章12節
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イエス様は、ご自身が世の光であるといわれました。

また、使徒ヨハネは、福音書のはじめのほうでイエス様についてこういいます。
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1:9すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
ヨハネの福音書1章9節
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イエス様は、世を照らす真の光です。
そして、私たちは、このイエス様から愛を受けています。

それで、主題聖句にもどりますが、
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ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
エペソ人への手紙5章1節
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神にならうもの、つまり、光のこどもとして歩むということです。

闇ではなく光と書いてありますが、
先ほどのヨハネの福音書の冒頭は、こう書いてあります。

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光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネの福音書1章5節
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光は、闇を打ち破ったのです。
これは、イエス様の悪魔に対する勝利です。

ところで、ヨハネの手紙にこうかいてあります。
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罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
ヨハネの手紙第一3章8節
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私たちは、もともと、罪の中を歩んでいたもの、悪魔から出たものでした、そして、罪を犯していたのです。
しかし、イエス様は、その悪魔のしわざを打ち壊されたのです。

悪魔のしわざ、それは、人間に罪をおかさせることです。
それは、創世記のアダムとエバがエデンを追われた出来事からもわかります。

人間に罪を犯させて、神様から引き離すことが悪魔の働きなのです。

そして、この悪魔を、イエス様は打ち破られ、悪魔の仕業を打ち壊されたのです。
ですから、私たちは、すでに、罪から解放されています。

そして、光の中を歩むのです。
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光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。
エペソ人への手紙5章9節
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本来人間は、神様に似たものとして造られました。
よく引用しますが、イエス様はこういわれました。

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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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わたしたちは、ぶどうの枝です。
そして、そこに実がつくのですが、
ぶどうの枝は、ぶどうの実を実らせるために努力をしません。

ぶどうの枝は、ぶどうの木から養分をもらい、そして、実は実るのです。

同じように、私たちも、良いことをしようと努力するのではありません。
光の子らしく歩もうと努力するのではありません。

そうすると、光の子らしく歩みなさいとの言葉と矛盾しますか?

そうではありません。
私たちがしなければならないのは、実を実らせようとすることでなく、
イエス様にしっかりと結びつくことです。

善意と正義と真実といったものを、見かけだけ造ろうとしてもそれは、限界がきます。
本物ではありません。
ぶどうの木に、実ったのでないぶどうをつるすような事をしてはならないのです。

私たちは、神様に愛されています。
枝が幹から養分を受け、それを流すように、
神様から受けた愛を流すのです。

ですから、神様の愛を、私たちは受けていなければなりません。
もし、神様の愛がわからないなら、聖書を読み祈りましょう。
聖書全巻を通して、神様はその愛を語られます。
しかし、それだけでは足りません。
聖書の御言葉は、あなたが祈らなければ、あなたと関係のないお話になってしまいます。

あなたが、祈るとき、神様は祈りを聞いてくださいます。
そして、あなたに、愛を示して下さるのです。

私たちの信じる方は、世の光です。

私たちは、この光を、持っているのです。
私たち自身も光の子どもとされています。

この光をそのまま、輝かせる。

それは、私たちが、イエス様から受けている愛をそのまま流すということと同じです。

デザインの関係をしている方から、こういうことを聞いたことがあります。
白い画用紙に絵を描くとき、一番白い部分は、何も書いてないところなんだというのです。

わたしたちが、主を表す。それは、自分の考えでいろいろすることではありません。

しっかりとキリストに結びついていく、そのとき、私たちは、光こどもとして、あゆむことができるのです。

私たちが、いつも、しっかりとイエス様に結びついていることが出来るようにお祈りしましょう。

いつもの課題もお祈り下さい。


[[祈りの課題]]・次週の洗礼式の為に。・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20061008光のこどもらしく
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