礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20060924
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私は主を誇ります
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちのとりで、力、全てです。
この方をあがめつつ、御言葉を聞いてまいりましょう。

では、本日の聖書箇所を、司会者お読みください。

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【聖書箇所】
コリント人への手紙第二10章1-13節
・新改訳Up325(贈呈p285英対p544)
・新改訳Vp356・口語訳p287
・新共同訳p(贈呈p336英対p506)
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聖書箇所のテキスト
10:1さて、私パウロは、キリストの柔和と寛容をもって、あなたがたにお勧めします。私は、あなたがたの間にいて、面と向かっているときはおとなしく、離れているあなたがたに対しては強気な者です。
10:2しかし、私は、あなたがたのところに行くときには、私たちを肉に従って歩んでいるかのように考える人々に対して勇敢にふるまおうと思っているその確信によって、強気にふるまうことがなくて済むように願っています。
10:3私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。
10:4私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
10:5私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、
10:6また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。
10:7あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。
10:8あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。
10:9私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません。
10:10彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」
10:11そういう人はよく承知しておきなさい。離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです。
10:12私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。
10:13私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。
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はい、ありがとうございます。
では、続きまして、いつものように、主題聖句の暗唱を、小学生の皆さんでお願いします。

<暗唱>

では、皆さんで言いましょう。

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【主題聖句】
私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
コリント人への手紙第二10章4節
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では、今日はこの所から、
「私は主を誇ります」
と題しまして、聖書を開いていきましょう。

今週の聖書通読は、
旧約聖書が、雅歌からイザヤ書、
新約聖書が、コリント人への手紙第二からガラテヤ書にはいります。

どちらも、聖書の中で、非常に大切なところです。
イザヤ書は、聖書の中の聖書と言われ、イエス様の十字架についても預言がされている所です。
是非、お読みください。
また、ガラテヤ人への手紙は、信仰による義という、私たちの信じる非常に大事な事柄を、パウロが説明している手紙です。
こちらも、どうぞ、お読みください。聖書を共に読み、聖書によって成長しましょう。

バイブルQは、先週のクイズが、

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旧約:箴言で小さい知恵者の一番目には何があげられていますか?
新約:今の時の軽い患難は、何をもたらしますか?
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回答が

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旧約:蟻(箴言30章24-25節)
新約:重い永遠の栄光(コリント人への手紙第二4章17節
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となっています。
パウロは、私たちがやがて受ける永遠の栄光に比べたら今の患難は軽いのだと私たちを励まします。

また、今回のクイズは、

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旧約:イザヤ書4章で、裁きの後エルサレムに残ったものは何と呼ばれますか?
新約:サタンは何に変装すると書いてありますか?
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と、なっています。これも、聖書で探して見て下さい。


聖書箇所に戻りますが、今回のタイトルは、「私は主を誇ります。」

さて、主を誇る。

ほこりとはなんでしょう。
お布団をはたくと出てくるものではありません。

ほこりの意味がわからない小学生もいますので説明しますと、
自慢するとか、そういう意味だと思ってください。

まあ、お国自慢なんて事も昔はいいました。
自分の田舎には、こんなすごいものがある。
よく、落語のネタにもなったりしています。

自慢というと、悪い言葉のように聞こえるかも知れませんが、
私たちは、自分自身の心の支えとして、誇りを必要としています。

他と比較しての自慢というよりは、自分にはこんないいところがあるという、自分の存在を認めるという事で、自信とも言い換えれるかも知れません。

スポーツ選手も、音楽家も、練習に練習を重ねて、技術を向上させ、自信を高めます。
自信をもって、試合に挑み、また、舞台に立つのです。

私たちは、主がして下さるからと、鍛錬を怠ってはならないと思います。
ちょうど、先週のクイズの答えは、小さな知恵者、蟻でした。
ありは、義の虫と書きます。

一人で暮らしていたころ、なぜか、なまけていると、蟻が部屋に上がって来ました。
神様が、蟻を見て学べといっておられるようでした。

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なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。
箴言6章6節
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ここで、一つ面白いと思うのは、蟻のやり方を見て、知恵を得よと、主が言われることです。
蟻は、ただ、もくもくと食べ物を運びます。
その姿をみて、主は知恵を得よといわれるのです。
つまり、そのもくもくと行動することが知恵だということです。

マネーゲームやネットビジネスで、大もうけする方法が、知恵ではなく、
もくもくと、働くそのことが知恵だと、言うのです。

村上ファンドと阪神の問題も、カタがついてきたようですが、
一時、京阪の話が持ち上がったときに、京阪の社長が
運賃を集めて経営している企業において、マネーゲームのようなやり方はそぐわない。
というような事を言われたそうで、立派な考えだと、京阪沿線に住み、京阪を利用しているものとして、
誇りに思いました。

これは、現代のおくに自慢でしょうか?

主が言われるように、蟻の姿に学びたいと思います。

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勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
ローマ人への手紙12章11節
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私たちが、勤勉で、怠らず、霊に燃え、主に仕えることが出来ますように。


さて、お話を戻します。主を誇る。というと、どういう事を考えますか?

逆に少し考えて見ましょう。今の日本人にとっての誇りとは何でしょう。
科学技術、進んだ工業、日本独特の文化、精神、イチロー、松井。
荒川静香も、日本の誇りでしょうか?

皆さんお一人お一人にとっての誇りはなんでしょうか?
自分の仕事であったり、経歴であったり、子どもであったり、いろいろでしょう。

夫が誇りですとか、妻が誇りですというのは、美しいなあと思います。

でも、そういった意味で、聖書は、主を自分の誇りとしなさいと語るのです。

皆さん、またまた、聞きます。
今日までの一週間、皆さんは、主を誇りとされましたか?

思い返して見て下さい。
皆さんは、主を誇りとされましたか?

私にとって、やっぱり神様が誇りだと、そう思ったという方、
また、私の信じている神様は素晴らしいんだと人に言ったという方。
誇りといってもいろんな誇り方があるかもしれません。

私は、今日の洗礼式の為に、着替え用のテントを探していました。
何軒もホームセンターを回って見つからず、
一番期待していた大きなホームセンターで、取り寄せだと言われ、間に合わないと言われました。
それで、近隣で最後に残ったホームセンターに行く前にお祈りしました。

そこには、取り寄せだと聞いていた物の半額以下の値段で、
着替え用のテントが積み上げてありました。

神様は、祈りに答えてくださる方です。
でも、なぜ、最初から祈らなかったのですか?と聞かないで下さい。
答えようがありませんので。

それに、このように、最初から祈らなかったものの祈りさえ、主は聞いてくださったのです。

ハレルヤ、感謝します。
私は、この、主を誇ります。


さてこの箇所で、パウロは、

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10:3私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。
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と、いいます。
そして、さらにパウロはいいます。

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10:4私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
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この世にあって、人の誇りとするものを、ヨハネは、その手紙の中で、このようにいいます。

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15世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
16すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
17世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。
ヨハネの手紙第一2章15-17節
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また、パウロも、別な手紙でこういいます。

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世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。
コリント人への手紙第一7章31節
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まあ、用いすぎるほど、持っていませんという方も居られるかも知れませんが、
しかし、私たちは、日々の歩みの一瞬一瞬、目に見えない神様ではなく、目に見えるこの世の物に目を留めているのでは無いでしょうか?

用いすぎるほど持っていませんという方も、目に見える世界での持っていないという事に目を留めておられるでしょうか?
それとも、無いところから、在るものを、無から有を呼び出される方に、目を留めておられるでしょうか?

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このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
ローマ人への手紙4章17節
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主は、死者を蘇らせ、無いものを有るもののように、お呼びになる方です。

わたしたちは、この世界を造られた方、無から有を呼び出された方、全てを造り、おさめておられるかたを信じ礼拝しているのです。

このことの上で、パウロは言うのです。

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10:4私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
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さて、私たちの戦いとは何ですか?
それは、悪魔との戦いです。

そして、この要塞はどこにあるのですか?
あそこの神社にあります。
というお考えのかたもあると思います。
それは、それで、そういう霊の戦いを否定しません。
確かに、私たちを、本当の神様以外のものに向かわせる神社や仏閣は、悪魔の砦であるといえるでしょう。

しかし、私たちが、それ以上に意識しなければならない砦があります。
それは、私たちの心の中の砦です。

そして、その砦には、悪魔の持ち込んだ様々なものがおかれています。

悪魔は何を私たちに持ってくるのですか?
ガラテヤ人への手紙に肉の行いとして、こう書いてあります。

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19肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
ガラテヤ人への手紙5章19-21節
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私たちの中に、このような思いがあるなら、それは、敵が私たちにもたらした思いです。
ですから、私たちは、それらに打ち勝つように祈らなければならないのです。
これらの置かれている砦を粉砕しなければならないのです。

それが、本当の霊の戦いです。

その霊の戦いに勝利するために、この世のものは、役に立ちません。これらに打ち勝つのは、聖霊様によらなければならないのです。

この霊的な戦いに勝利した結果得られるのが、御霊の実です。
それは、皆さんご存知のように、このようなものです。

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御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
ガラテヤ人への手紙2章2-4節
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肉を殺すために、主は、十字架で死んでくださいました。
そして、私たちは、このキリストと共にしんだのです。

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キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
ガラテヤ人への手紙2章4節
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今日は、洗礼式があります。
その式の意味することの一つも、私たちが、死んで生き返るということ、そして、新しい人生を歩みだすということです。

何度もいいますが、これらのことは、私たちの肉によって、なせないことです。
ですから、私たちは、主を誇ります。

私たちは、偉そうにいって、主を誇るのではありません。

ただ、私たちに不可能な事を成し遂げてくださった主、
私たちの為に死んで蘇り、永遠の命を与えて下さった主を誇るのです。

お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・次週の洗礼式の為に。・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20060924私は主を誇ります
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