礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20060917
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御霊による成長
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

みなさん、おはようございます。
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主は御霊によって、私たちを助け導いて下さいます。
この主をあがめつつ、主の御言葉を聞いて参りましょう。

さて、では、いつものように、聖書箇所の朗読を、司会者お願いします。

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聖書箇所:コリント人への手紙第二3章7-18節
・新改訳Up318(贈呈p278英対p531)
・新改訳Vp348・口語訳p280
・新共同訳p(贈呈p328英対p495)
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聖書箇所のテキスト
3:7もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
3:8まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
3:9罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。
3:10そして、かつて栄光を受けたものは、このばあい、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。
3:11もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。
3:12このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆に語ります。
3:13そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。
3:14しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。
3:15かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。
3:16しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
3:17主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
3:18私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
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では、主題聖句の暗唱を、小学生の皆さんでお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんで言いましょう。

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主題聖句:
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
コリント人への手紙第二3章17節
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さて、今日はこの所から、
御霊による成長
と題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

聖書の通読は、
旧約は、箴言がもう少しで終わり、伝道者の書、そして、雅歌と続きます。
箴言は、特に、最後の31節に出てくる、このよい妻が、教会の姿をさすとも言われます。
この箇所に出てくる女性の姿のように、主に仕える教会として、成長させて頂きましょう。
そして、伝道者の書。
これは、新共同約聖書では、コヘレトの言葉となっています。
箴言と同様ソロモンが書いたといわれます。

このはじめに空の空との御言葉があります。
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空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
伝道者の書1章2節
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ここで、空と訳されている言葉は、ヘベルというヘブル語で、
息とか、水蒸気といった意味の言葉です。
それが、すぐに消えてしまう、無いに等しいということで、空と訳されています。

この地上の事は、全てが過ぎ去ってしまう一時的なものである。
また、人類の堕落によって、全世界は虚無に服したといわれる。
そういう。空しさを表していると言われます。

ところで、息というと、ヘブル語にはルアッハという言葉があります。
これは、主が人間を作られたときに、そこに命の息を吹き込まれたその息です。

はじめに神が天と地を作られたとき、神の霊は、水の上を覆っていました。
それは、水蒸気のようです。また、聖霊様は、私たちを取り囲んでおられます。

わたしたちは、この伝道者の書を読むときに、仏教の言うような、全てが空しいという捕らえ方でなく、
何も無いかに見えるけれども、確かに私たちを覆っておられる聖霊様に目を留めたいと思います。
ソロモンのなした全ての事、そして、そこで、地上の事に空しさを覚えるソロモン。
しかし、そのソロモンを聖霊様は覆い導いておられます。

結局のところ、この聖霊様に目を留めるのか、それとも自分勝手に生きていこうとするのか、
そこに、人生の分かれ目があります。
息のように、そして、無いに等しいかのように、そこにおられる聖霊様。
また、細い言葉で語りかけてこられる聖霊様の語りかけを聞き、導きに従いましょう。

そして、最後は雅歌です。これもソロモンと言われますが、恋愛の歌です。
しかし、そこには、神さまの私たちに対する愛が記されています。
主がどのような愛で私たちを愛しておられるのかが、教えられます。

新約は、コリント人への手紙第二が続きます。
皆さん。聖書を読みましょう。
バイブルQは、前回は、
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<クイズ>
旧約:箴言で知恵は何にまさると書いてありますか?
新約:コリント人への手紙第一15章で、よみがえられたキリストはまず誰に現れましたか?
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です。答えは、
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<クイズの答え・聖書箇所>
旧約:真珠(箴言8章11節)
新約:ケパ(コリント人への手紙第一15章4-5節)
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となります。
箴言で知恵と書かれている言葉それは、同時に救い主の姿を表しています。
また、ヨハネの福音書と比較すると、それが、神の言葉であるイエス様のことだとわかります。

また、新約のクイズの答えはケパですが、これは、ペテロのことです。
岩を意味するアラム語でケパが、ギリシャ語でペテロとなったと言われます。
次のバイブルQは、
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<クイズ>
旧約:箴言で小さい知恵者の一番目には何があげられていますか?
新約:今の時の軽い患難は、何をもたらしますか?
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とのクイズです。
是非皆さん、聖書で確かめてください。

さて、聖書箇所に戻ります。
今回の聖書箇所は、石に刻まれた言葉とモーセの顔の覆いから始まります。
これが、何の事なのか、出エジプトを見てみたいと思います。

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こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた。
出エジプト記31章18節
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これが、石に刻まれた言葉です。
そこには、十戒の言葉が刻まれていました。
それは、契約の板です。
そして、この契約の板は、主の命令どおりに作られた契約の箱に入れられました。
それが、契約の箱です。契約の箱のふたの上には、二体の天使の像があります。

主は、その契約の箱のふたの上にご自身の臨在を表されます。
そして、この契約の箱は、幕屋におさめられました。

そこに主の臨在が満ちたのです。

また、モーセは、シナイ山で、主と会いました。
その結果、何が起こったでしょうか?

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29それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの石の板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。
30アロンとすべてのイスラエル人はモーセを見た。なんと彼の顔のはだが光を放つではないか。それで彼らは恐れて、彼に近づけなかった。
31モーセが彼らを呼び寄せたとき、アロンと会衆の上に立つ者がみな彼のところに戻って来た。それでモーセは彼らに話しかけた。
32それから後、イスラエル人全部が近寄って来たので、彼は主がシナイ山で彼に告げられたことを、ことごとく彼らに命じた。
33モーセは彼らと語り終えたとき、顔におおいを掛けた。
出エジプト34章29-33節
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モーセが主と出会い、話をしたあと、モーセの顔は光ったのです。
そして、その光の為に、人々は恐れました。
そこで、モーセは、顔に覆いをかけたのです。

これが、ここで書かれていることです。

モーセの顔は、光りました。しかし、その輝きも、日に日に衰えて行きました。
モーセの顔の覆いの中で、その輝きは衰えて行きました。

このことと、私たちのことを比較して、パウロは言うのです。

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7もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
8まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
コリント人への手紙第二3章7-8節
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文字による務め、律法のための務めでさえ、これほどの栄光であるなら、
御霊の務めはどれほどの栄光があるのかと、パウロは言います。

どうですか?
私たちの務めは、どれほどの栄光があるのでしょうか?
それは、どんな務めですか?
パウロはつづけていいます。
++++++++++
罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。
コリント人への手紙第二3章9節
++++++++++う

私たちの務め、それは、義とする務めです。

罪に定める務めはどんな務めでしょう。
例えば道路交通法に違反して警察に見つかるとつかまります。
ルールは、それを守らせる一方、それに外れたもの処罰する為にあります。
それを判断し、そして、罪に定めるのです。
そして、その最たるものが、十戒であり、律法です。

しかし、ここで、パウロは、義とする務めについて、語ります。
義とする務めとはなんですか?

それは、福音宣教です。
福音を述べ伝えること。伝道です。

では、福音とはなんですか?

天と地を造られた神さまが、私たちを愛して下さったこと。
私たちの為に、一人子を地上に一人の人間としておあたえになったこと。
この神の子イエス様は、私たちの罪の身代わりに、十字架に架かって死んで下さったこと。
そして、三日目によみがえり、天に上げられたこと。
このことを信じるものは、その信仰によって、義とされ、神の子とされ、天国に行くということです。

なぜ、このことを信じることが大事なのですか?
それは、神の愛を信じることだからです。
神の愛を信じるとは、すなわち、神さまを信頼すること。
そして、それが、本当の信仰であり、それが人を義とします。

ですから、誰でも、イエス様を信じるなら、義とされて天国に行くのです。
イエス様の十字架を信じること、それが、人を義とするのです。

これ以外に救いはないと聖書はいいます。
イエス様の御名以外に救いはありません。
ペテロは、イエス様についてこういいます。

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この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
使徒の働き4章12節
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いいですか?イエス様の御名以外に救いはありません。
そして、イエス様の御名だけが、罪を取り除き、人を義とすることが出来るのです。

ですから、この福音を伝えることは、人を義とする務めです。

人を罪に定めるのでなく、人を義とする務めなのです。

この務めを私たちも与えられています。
そして、それは、人を救う務めです。

水難救助のライフセイバーや、消防のレスキュー、そして、医療に携わり、人の命を助ける仕事をしておられる方々、
そのようなお仕事は、大切なお仕事です。

しかし、皆さん、皆さんが主から受けている務めは、
罪に定められている人々を義とし、
永遠の地獄に行こうとしている人たちを、永遠の天国に導く務めです。

これは、どんなに重要な務めでしょう。
そして、この務めは、自分の努力によっては出来ない務めです。
人々の心にかかっている覆いは、どんなに規則を言い立てても外れません。
それは、キリストによって、取り除かれます。

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3:14しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。
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人々が主に向くなら、すなわち、イエス様を信じるなら、その覆いは取り除かれます。
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3:16しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
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そして、そこに聖霊様が働かれます。
聖霊様は、私たちを自由にしてくださいます。
その自由とはなんですか?

律法からの解放であり、罪の束縛からの解放です。
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3:17主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
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この自由について、前回お話しました。

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兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
ガラテヤ人への手紙5章13節
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それが、この御言葉でした。

これは、非常に大事です。
ですから、なんどもなんども繰り返されています。
私たちは、神を愛し、互いに愛し合うために自由にされました。

そして、私たちの顔にあった覆いはとりのけられたのです。
神さまと私たちとの間にあった覆い。
モーセの顔の覆いは何のためにつけられたのですか?
それは、人々がモーセの顔の輝きを恐れたからです。

神さまの臨在、神様の輝き、神さまの栄光を、人々は恐れます。
それが、神と人との間の覆いです。
それは、アダムとエバが堕落したときにはじまります。

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そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
創世記3章8節
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彼らは、主の御顔を避けたのです。
主がアダムを探しておられるのに、アダムは逃げたのです。
これが、神さまと私たちの断絶のはじまりです。

しかし、主の成し遂げて下さった購いは、私たちを自由にしました。
そして、私たちが得た一番の自由は、大胆に主の前に出ることが出来るという自由です。

主は御霊です。この御霊の流れの中で、私たちは、自由を得たのです。
そして、こう書いてあります。

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3:18私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
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私たちを変えてくださるのは、御霊です。
御霊は私たちを自由にします。
そして、私たちを栄光から栄光へと主と同じ姿に変えて下さるのです。

そのために必要なのは何ですか?
私たちが主に向くことです。

私たちの教会のマークは、十字架を見つめる目です。

皆さんいつも、主を見つめましょう。
主は、御言葉によって、ご自身を表しておられます。
イエス様は神の言葉です。
だから、聖書を読みましょう。

また、私たちに祈りを通して語りかけてくださいます。
だから、祈りましょう。

また、私たちが共に集まるところに主はおられます。
だから、共に集い、主を礼拝しましょう。

そして、本当の神さまとの関係を築き、栄光から栄光へと変えていただきましょう。
お祈りします。

[[祈りの課題]]・次週の洗礼式の為に。・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20060917御霊による成長
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