礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20060910
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神の秩序
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

みなさんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主は、天と地のすべてを治めておられるかた。

全てを整え導かれる方です。

この方を覚えつつ、御言葉を聞いて参りましょう。

では、本日の聖書箇所を、司会者お読みください。

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聖書箇所:
コリント人への手紙第一14章32-40節
・新改訳Up310(贈呈p271英対p519)
・新改訳Vp339・口語訳p273
・新共同訳p319(贈呈p319英対p483)
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聖書箇所のテキスト
14:33それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行なわれているように、
14:34教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。
14:35もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。
14:36神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいはまた、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。
14:37自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。
14:38もしそれを認めないなら、その人は認められません。
14:39それゆえ、わたしの兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。
14:40ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。
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では、続いて、主題成句の暗唱を、小学生の皆さんでお願いします。

<暗唱>

では、皆さんでいいましょう。

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主題聖句:
ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。
コリント人への手紙第一14章40節
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はい、ありがとうございます。

では、今日は、この所から、

神の秩序

と題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

聖書の通読は、
新約聖書が、コリント人への手紙第一が今週いっぱい続き、次の日曜日は、コリント人への手紙第二になります。
また、旧約聖書は、詩篇が終わりまして、箴言に入ります。

コリント人への手紙第二は、パウロがコリントへ宛てた手紙であり、第一の手紙に続くものです。
パウロがこの手紙を書いた背景なども、手紙の中に出てきます。

箴言は、ダビデの子ソロモンが、その多くを記しています。

日々の生活における、道徳的な教えが書かれているところです。

皆さん聖書を読みましょう。

先週のバイブルQは、
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旧約:詩篇135篇で主はエジプトのまっただ中に何を送られたと書いていますか?
新約:すべての男のかしらは誰ですか?
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でした。

答えは、
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旧約:しるしと奇蹟(詩篇135篇9節)
新約:キリスト(コリント人への手紙第一11章3節)
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です。

また、次のクイズは、
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旧約:箴言で知恵は何にまさると書いてありますか?
新約:コリント人への手紙第一15章で、よみがえられたキリストはまず誰に現れましたか?
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です。

この答えも、聖書で探してみましょう。
皆さん、聖書をお読みください。

さて、聖書箇所にもどりますが、
今回の箇所のはじめに、パウロはいいます。

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14:33それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。
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神が混乱の神ではなく、平和の神である。
そして、今読んでいただいた最後は、こう書いてあります。

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14:40ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。
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全てのことを適切に、秩序をもって行いなさい。

私たちは、イエス様が、十字架で成し遂げてくださった救いの御業のゆえに、私たちが、律法から開放され、自由となったことを知っています。

ですから、私たちは、どんなことをしていたとしても、罪が赦されています。

しかし、そのことについて、ガラテヤ人の手紙の中で、パウロはこういいます。

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兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
ガラテヤ人への手紙5章13節
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私たちは、自由だと聞くと、何をしてもいい、自分の好きなように生きたらいいと、そのように考えます。
ある意味それは、間違っていないかも知れません。

俺がどうしようと俺の勝手だと、人々はいいます。

しかし、キリストは自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。
その自由を、肉の働く機会としないようにとパウロはいいます。
そして、愛をもって仕えるようにと書いてあります。

仕えるかどうかも、もちろん自由です。
しかし、その自由を、愛のために捧げて、愛をもって仕えるのです。

ここで、愛をもって互いに仕えるのと、神さまの言葉に従うことは、結局のところ同じです。

なぜ、仕えるのですか?それは、律法を守ることで救われるためですか?
そうではありません。

私たちは、救われました。そして、私たちは自由です。
だからこそ、自由な私たちが、仕えるとき、それは、愛を示す行動となります。
私たちが自由だからこそ、その愛は、明確なものとなるのです。

キリストは私たちを解放してくださいました。
そして、私たちは、互いに仕えあうのです。

私たちは、自由です。
だからこそ、私たちは、その行いで、愛を示すことが出来るのです。

私たちは、自由です。
ですから、私たちが神さまに従うとき、神様の御言葉に従うとき、私たちは、神さまに対する愛を示していることになるのです。

これは、私たちと神さまとの愛の関係です。
この関係は、私たちが自由でなければありえないのです。

さて、パウロは、ここで、全てのことを適切に、秩序をもって、行いなさいと書いてあります。

私たちは、キリストによって、自由とされた、だから何をしてもいいのだと、そのように考えるその事に対して、パウロは、秩序をもって行いなさいと書いているのです。
ちょうど、この箇所の前に、パウロは言います。

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26兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。
27もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても三人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしなさい。
28もし解き明かす者がだれもいなければ、教会ではだまっていなさい。自分だけで、神に向かって話しなさい。
29預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
30もしも座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。
コリント人への手紙第一14章
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みんな自由だから好きなようにしなさいとは、パウロはいいません。
非常に細かな指示を与えています。
しかし、この中で、重要なのは、26節の、徳を高めるためにしなさい。
という所です。それは、互いの徳を高めようとする愛です。

預言の賜物や、異言という、非常に霊的な事柄についてさえ、パウロは、このように細かく取り決めているのです。

キリストが、自由にして下さったのだからと、教会の中でルールを作ることを嫌う方がおられます。
聖霊様の導きのままにするべきだというのです。

しかし、私たちは、めいめいに好き勝手にするようにと集まっているのではありません。

この箇所を見てください。
30節で、別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。
ある人に神様からの言葉が与えられたとき、その後、別の人に神様からの言葉が与えられたとしたら、前の人は黙りなさいと教えています。
そして、逆に、ほかの人は、語らずに吟味しなさいとも教えるのです。

全てが聖霊様によって、自動的に秩序正しく導かれるのなら、このようなことは書く必要のないことです。
しかし、パウロはこのことを書いています。細かくルールを決めているのです。

それは、私たち人間が不完全である事にもよります。

聖霊様が語られたといいながら、自分の印象を語っていることもありえるのです。
そこには、自分がそのような不完全な器であることを認める謙虚な心が必要です。
どちらかが、自分の肉で語っていることもあるかも知れません。

私たちの教会でも、そういう意味で、面倒くさがらず、きちんとしたルールを作る必要があると思います。

ところで聖書を見るとき、肉とは何でしょう、それは、自分のしたい事、自分の正しいと思うことを、やりたいようにする事だとも言えます。

では、それに対する霊的とは何ですか?それは、愛です。
それは、自分のしたいことをせずに、人に仕えることです。
自分のしたい事で、人に仕えるのではないという事です。

さて、霊と肉とを区別し、霊的という言葉を使うとき、何か不思議な感覚が霊的だと考えるかもしれません。

しかし、聖書の中で、霊的な事柄というのは、すなわち、愛による事柄であり、それに対するのが肉です。

イエス様は言われました。

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6:31自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。
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自分にしてもらいたいと望むとおりと、書いてあります。
私たちが、人に何かするとき、一番気をつけなければならない事は、

自分のしたい事を人にしてしまうということです。

自分のしたい事ではなく、自分のしてもらいたい事、とイエス様は言われます。
それは、あなたのしたい事ではないかも知れません。

そういうと、
私のして欲しい事と、その人のして欲しい事は違うかも知れません。
といわれるでしょう。
でも、私たちは、一緒にいるなら、自分の体で、人の必要を知るのです。

ちょうど、暑い日に、外に出ていて、皆が、日陰を必要とするようなものです。
もちろんそこに個人差はあります。
しかし、私たちは、自分が感じた日差しの暑さから、あの人に日傘が必要だと知るわけです。
個人主義の時代で、個性が尊重されすぎて、あの人と私はぜんぜん違う生き物であるかのように考えてしまいます。
しかし、私たちは、皆、夏は暑いですし、冬は寒いんです。
だから、電気屋にいくと、夏はクーラーや扇風機を売ってますし、冬には、ストーブを売っています。
夏だけど、あっちの電気屋に行くと、ファンヒーターがいっぱい並んでたなんて事は普通は無いのです。

そして、私たちは、同じ霊の流れの中に置かれています。
聖霊様によって、一つとされています。

それは、私たちが、同じ霊的な満たしや、霊的な渇きを体験するということです。
つまり、私たちが、霊的に渇いて神さまから受けた恵みは、周りの人も、同じ恵みを必要としているかも知れないと言う事なのです。

もちろん個人差はあります。ですから、私たちが、こうして欲しいと感じているからと、押し付ける事は出来ないのです。

あなたも、自分のして欲しくないことを押し付けられたくないという、希望を持っておられると思います。
それもまた、して欲しいことです。
ですから、配慮しなければなりません。

人間関係、特に、夫婦の関係で、相手の為にといいながら、自分のしたい事、自分がこうしたらいいと思う事をしていると言った事は、よくある事です。
そして、これだけ、相手の為にしているのにと、言うことになってしまう。

でも、一度、立ち止まって、自分はその事をして欲しいかどうか、考えて見て下さい。
自分だったらして欲しくないなあとか、うっとうしいなあと感じたら、どんなに相手にとって、良さそうでもやめた方がいいかも知れません。相手は我慢しているだけかも知れません。

それで、全てが解決するとは言いませんが、改善のポイントにはなるでしょう。

話がそれましたが、神さまは秩序の神です。

ですからパウロはこういいます。

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14:32預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。
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預言者たちの霊は預言者たちに服従する。
と、聖書はいいます。
つまり、
「預言だから、自然に出て、止められないのです。」
と、いうなら、それは、本当に、聖霊様による物だろうかと、一度疑って見る必要があるということです。

そして、全ての秩序は、勝手にそうなるのではありません。
神さまが秩序をもって治めておられると同様、誰かが配慮しなければならないのです。

神さまは、全世界を、秩序をもって治めておられる神さまです。

ですから、一般的な事柄が、どうでもいいのではありません。
一般的な事柄の中にも、神さまの秩序があります。


今回、神の秩序として、御言葉を見ています。
その秩序は聖霊様による秩序です。

しかし、それは、自動的にそうなるのではありません。

私たちは、同じ霊の流れの中に置かれています。
聖霊様によって、一つとされています。

私たちが、その聖霊様の流れの中で、御言葉に従い、互いに愛し合う。
そこに、本当の秩序があります。

その愛は、聖霊様が与えて下さる愛です。

愛の御霊に従う所に、秩序は与えられます。

愛のある所に平和があります。

今、世の中は混乱しています。

この神の愛、神の秩序を世も必要としています。

しかし、それを、世に示すためには、まず、私たち自身が、愛によって御言葉に従い、神の秩序の中を歩まなければなりません。

愛の聖霊様が私たちの中に働いて、その事を導いてくださるように、私たち自身が愛の御霊に従うことが出来るように、お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20060910神の秩序
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