礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20060528
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主の埋葬の為に
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主イエス様は、私たちの救いのために来てくださった方。
十字架で、父なる神様の愛を示してくださった方です。

この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。

本日の聖書箇所は、
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聖書箇所:ヨハネの福音書12章1-8節
・新改訳Up186(贈呈版p166)・新改訳Vp203
・口語訳p160・新共同訳p191(贈呈p191英対p293)
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です。

では、司会者お願いします。

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聖書箇所のテキスト
12:1イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
12:2人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
12:3マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
12:4ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
12:5「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
12:6しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
12:7イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
12:8あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」
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はい、ありがとうございます。
続いて、主題聖句の暗唱を、小学生の皆さん、お願いします。

<あんしょう>

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主題聖句:
イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
ヨハネの福音書12章7節
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では、今日はこのところから、
「主の埋葬の為に」
と題しまして、御言葉を共に開いて参りたいと思いますが、その前に、

聖書の通読は、旧約聖書が、列王記第一から、列王記第二に入ります。
また、新約聖書は、ヨハネの福音書が続きます。

ヨハネの福音書は、誰が書いたのか、それは、使徒のヨハネです。

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そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。」と言われたのである。
これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
ヨハネの福音書21章23-24節
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この箇所で、書いてあるその弟子。それが、ヨハネであることは、この箇所からは分かりません。
しかし、ヨハネの福音書全体を見るときに、そのことは明らかになります。
聖書は、一箇所だけを見て色々解説するなら、とんでもない間違いをすることになります。
聖書は、全体から見なければなりません。

私たちは、様々な偽りに騙されない為にも、聖書に何が書いてあるかをしっかりと知っておく必要があります。
ここで、これらのことが、真実であると書いてあるこの事を信じないでは、キリスト信仰はなりたちません。

私たちは、聖書の言葉一つ一つを大切にしましょう。
聖書を毎日毎日読む中で、聖書が真理であり、神の言葉である事を、実感させて戴きましょう。

さて、クイズですが、

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<クイズ>
旧約:イスラエルの王とユダの王ヨシャパテはどこに戦いに行きましたか?
新約:一粒の麦が死ねばどうなりますか?
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という質問です。
是非、聖書をお読み下さい。
また、先週のクイズの答えとして、右下に書いています。

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<先週のクイズの答え・聖書箇所>
<クイズ>
旧約:シェバの女王がソロモンに持って来た金は何タラントありましたか?
新約:イエス様が目をあけられた盲人を人びとはどうあつかいましたか?

<クイズの答え・聖書箇所>(水曜日の箇所から)
旧約:120タラント(列王記第一10章10節)
新約:追い出した(ヨハネの福音書9章34節)

10:10彼女は百二十タラントの金と、非常にたくさんのバルサム油と宝石とを王に贈った。シェバの女王がソロモン王に贈ったほどに多くのバルサム油は、二度とはいって来なかった。
9:34彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
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ここで、シェバの女王が持ってきた金は120タラントと言われます。

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1タラント=6000デナリ
=約30キログラムの金(聖所のシェケルによる)
=約7455万円
120タラント≒89億円

1デナリ≒12500円
300デナリ≒375万円
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30キログラムの金は今いくらするのでしょうか?
今の金相場で、
一グラム2485円ということですので、
そのままで計算すると、30000倍して
7455万円分ということになります。

Tタラントで事業をはじめるというお話がありましたが、まあ、仕事によっては、十分な金額でしょう。

概算にすぎませんが、
この120タラントとなると、
89億4600万円分の金
ということのようで、これは、大変な金額です。

ソロモンの名声がどれほどだったかが伺えますが、この祝福は、ダビデからはじまります。
1人の羊飼いであったダビデが主と心一つにして歩んだその祝福が、これほどの祝福となったのです。

ちなみに、このタラントから、デナリを逆算すると、12425円となります。
やはり、一日分の労働賃金といったところだと思います。

さて、もう一つの問題、イエス様が目を開けられた盲人を、人々はどうあつかいましたか?
という問題でしたが、これは、追い出したというのがせいかいです。

先週お話しましたが、
盲目とは、事実を事実として、見ることが出来ないことです。

人々は、イエス様が盲人を癒されたという事実を、事実としてみることが出来ず、とうとう、その癒された本人を認める事が出来ずに追い出してしまいました。

どちらも、聖書を読んで確かめてみてください。

さて、本題に入りましょう。

本日の箇所は、十字架を前にしてのイエス様が、エルサレムに近いベタニヤに着かれたときの、弟子たちの間での出来事です。

このヨハネの福音書の一つの特徴として、イエス様がエルサレムに到着されてから、つまり、棕櫚の日曜日以降の記録が長いという事があります。

ヨハネの福音書は、21章ありますが、12章がロバの子にのってエルサレムに入られるところです。
そこまでが、11章、そして、それ以後が10章であることからすると、どれだけヨハネが、十字架を前にしたイエス様に注目していたかがわかります。

今回の所も、その12章のはじめです。
マルタとマリヤの家を訪れたイエス様の足に、マリヤが香油を塗ります。

この当時、マリヤは沢山いました。
ヘブル語でミリアムつまり、モーセのお姉さんの名前です。
ですから、その名前をつけた女の人はいっぱいいたのです。

このマリヤは、マルタとマリヤとラザロの兄弟姉妹の中のマリヤです。

マリヤは、自分の兄弟の事をよみがえらせて下さった、イエス様を愛していました。
そして、香油をイエス様に塗るのです。

300デナリで売れる香油だというのですから、先ほどの計算ですと、400万円近い価値の香油です。
それをマリヤは、惜しみなく、イエス様の足に塗ったのです。

これは、当時のユダヤ人の習慣からすると、彼女が結婚する時の為に、幼い頃から、ずっとためておいた香油ではないかと言われます。

その香油を、彼女はイエス様に塗ったのです。

これをみて、弟子たちは驚きました、そして、ユダは言ったのです。

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12:4ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
12:5「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
12:6しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
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ユダは、いいました、なぜ、貧しい人々に施さなかったのか。

なぜ、ユダはそういったのでしょう。その理由も、ヨハネは説明しています。
彼が、金入れから金を盗んでいた、、。

これらのことは、真実です。
そして、誰が何と言おうと、ユダの犯した罪は、罪です。
ですから、ユダが正しかったなど、とんでもない偽りです。

ヨハネの福音書の最後は、

「彼のあかしが真実であることを、知っている。」

という言葉で終わります。
今見たところを含めて、ヨハネの福音書の全てが真実を書いたものだと、ヨハネは言っているのです。
ユダは間違いなく罪を犯したのです。

もちろん、どんな人にも、悔い改めの機会はあり、主は悔い改めるものを赦してくださいます。

ペテロも、結局イエス様を裏切りました。しかし、ペテロは悔い改めて赦されたのです。

ここで、私たちは、罪があるということと、赦しを、ごちゃ混ぜにしてはなりません。
人の罪は、裁かれなくてはならないのです。どうでもいいのではないのです。
どうでもよくないからこそ、それを赦す為に、イエス様は十字架で死んで下さったのです。
もし、神様は哀れみ深いから、罪がどうでもいいなら、イエス様が十字架で死ぬ必要などありませんでした。

この十字架は、神の義と神の赦しがぶつかったところです。
神が、義であるが故の裁きは、十字架で、神の御子イエス様に下り、
私たちは、罪が赦されたのです。
これは、素晴らしいことです。主に感謝します。ハレルヤ。

しかし、わたしたちは、また、このユダを簡単に責める事は出来ません。
なぜなら、私たちも、同じ罪人だからです。

世の中で、正しいとされる事柄は多々あります。
しかし、それらが、本当に、主の前で正しいかどうか?

私たちの主張する正義は、本当に、主張するべきものなのかどうか?
私たちは、神様の視線で見る必要があります。

イエス様は、十字架で死ぬ為に、エルサレムに向かっておられました。
そのことをイエス様は、エルサレムに向かう道々、語っておられました。
きっと、マリヤの所でも、その事を語られたと思います。

そのイエス様の言葉を聞いて、マリヤは、自分の持っていた香油をイエス様の足へ塗るのです。
それに対して、ユダはどうしましたか?
彼は、この香油をお金に変えて貧しい人に施すのだといいました。

彼には自分の欲と言う目当てがありました。
しかし、ユダが、言った言葉その者は、正しく見える言葉です。

貧しい人の為に施すのだ、、。

マリヤは、400万円もする香油を、イエス様の足に塗りました。

なんて馬鹿なと、考えないでしょうか?

私たちがそこにいたら、どう思いますか?

まあ、せめて半分くらいは、残しておいて、貧しい人に使えばいいのにとか、そういう事を考えるかもしれません。

でも、考えてください。今から、イエス様は、ご自身をお与えになる為に、十字架に付けられる為に、エルサレムに向かっておられる。
その、イエス様のなさることの価値は、400万円ですか?

そうではありません。
それよりもはるかに高いのです。
イエス様の価値は、計り知れません。
イエス様のなされた御業の価値は、この世界の全てを売り払っても払うことの出来ない価値です。

だから、そんなイエス様に、マリヤは、持っている全てを差し出したのです。

イエス様の愛の大きさ、イエス様の御業の素晴らしさに、マリヤは、全てを捧げざるを得なかったのです。

マリヤの心は、イエス様に結びついていました。

しかし、どんなにいい事をいっても、ユダの心は、イエス様と関係がなかったのです。

わたしたちは何のために造られ生かされているのでしょう。
それは、神を愛し、隣人を愛するためです。

ですから、イエス様は言われいました。

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37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
38これがたいせつな第一の戒めです。
39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
マタイの福音書22章37-40節
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ここに、律法全体と預言者と書いてあります。
ユダヤ人は、この旧約聖書、彼らにとってこれが聖典ですが、それを、律法と預言と諸書と呼びます。
律法の書と、預言者の書と、その他といったところです。
ですから、律法と預言者というのは、この聖書の全てといういみです。

聖書の全てが、神を愛し、隣人を愛する為にあるのです。

そして、また、こうも言われました。

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わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
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またこれですか?
そうです。またこれです。

この御言葉に、聖書の全てがかかっています。
そして、このために、イエス様は十字架で死んで下さったのです。

ユダの言い出したことは、一面人々を愛しているかのようです。
世のためだというかもしれません。

しかし、彼は、イエス様と関係がなかったのです。

ここで、逆に、マリヤはすごいなあ、自分の持っているものを全部だすなんて、、。

マリヤみたいに頑張ろう

とか、考えるなら、あなたは間違っています。

マリヤは、なぜ、捧げたのですか?
マリヤは、イエス様の愛にこたえたのです。

イエス様の愛は、もちろん全てのものに向けられていました。

ですから、ヨハネは、マリヤの方が、自分より愛されていたとは書いていません。

自分の事を、主に愛された弟子と言っています。

マリヤは、イエス様の足元で、御言葉に聞き入っていたと書いてあるところがあります。

マリヤは、どこまでも、イエス様の愛を、しっかりと受け止めていたのです。

そのとき、マリヤは、その受けた愛に対して、自分の持っていた香油を捧げざるを得なかったのです。

あなたが、私だったら出来ないと思われるなら、大切なのは、頑張ることではありません。

このイエス様の愛を、しっかりと受け止めることです。

この御言葉に書いてあります。

私たちにイエス様は言われます。

わたしがあなた方を愛したように。

これは、イエス様がされたように、命がけで愛するのだ、、。
そうとってもいいです。でも大事なのは、まず、イエス様が愛して下さったというそのことです。

まず、イエス様の愛を受けていなければ、何も出来ないのです。

私達にとって一番大切なことは、イエス様の愛をしっかりと知ることです。

皆さん。もし、あなたが、イエス様から愛されていると感じておられないなら、
どうすればいいですか?

イエス様の愛は、今もあなたを包んでいます。
しかし、その愛がわからないなら、どうすればいいですか?

まず、聖書を読み、祈りましょう。
皆さんが聖書を読むのは、何かご利益があるとか、読んだら救われるとか、そうではありません。
皆さんが、イエス様からの愛をはっきりと知ることが出来るように。
そのために聖書を読むのです。

皆さん聖書を読む目的の第一は、皆さんが、聖書から、イエス様の愛を知ることです。

イエス様はいつも深い愛であなたのことをつつんでおられます。

イエス様に愛されている。その愛の究極は、十字架です。

イエス様は、そこにおいて、完全な愛をしめして下さいました。

わたしたちは、まず、イエス様からの愛をうけ、イエス様を愛し、そして、互いに愛し合うのです。


お話を戻しましょう。
イエス様は、十字架を前にして、自分が十字架で死ぬことを話しておられました。
マリヤは、どれだけその事を分かっていたのかはわかりません。
しかし、そのことに共感して、イエス様の足に香油を塗ったのです。

そこに、本当に、イエス様を愛するものの姿があります。

かけね無しの愛。

本当に、イエス様が、愛してくださったその事を、知っていたからこそ、彼女はこの事をしました。
そして、それは、イエス様の言われたように、今も語りつげられています。

私たちは、主の言われた事をそのまま受け止め、
そして、主からの愛を受け止めて、
この愛をもって、互いに愛し合いましょう。

私たちのすることの一つ一つが、イエス様と無関係であってはなりません。
あなたを愛されるイエス様の愛が、あなたから流れて、人々を愛し、互いに愛し合う愛となるのです。

あなたの心がいつもしっかりとイエス様と結びついているように。

そのために、祈り、聖書を読みましょう。

では、お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・夏のキャンプの為。



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