礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20060423
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ああエルサレム
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、哀れみ深い方、愛に満ちた方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、では、いつものように、聖書箇所の朗読をお願いします。

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聖書箇所:ルカの福音書19章41-48節
・新改訳Up129(贈呈版p143)・新改訳Vp157
・口語訳p123・新共同訳p148・現代訳p150
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聖書箇所のテキスト
19:41エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
19:42言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
19:43やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
19:44そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
19:45宮にはいられたイエスは、商売人たちを追い出し始め、
19:46こう言われた。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」
19:47イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者、民のおもだった者たちは、イエスを殺そうとねらっていたが、
19:48どうしてよいかわからなかった。民衆がみな、熱心にイエスの話に耳を傾けていたからである。
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はい、ありがとうございます。
では、続きまして、主題聖句の暗唱を、小学生の皆さんでお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんで言いましょう。

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主題聖句:
『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。
ルカの福音書19章46節
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はい、ありがとうございます。

今日は、このところから、「ああエルサレム」と題しまして、御言葉を見て行きたいと思います。

聖書の通読は、旧約はサムエル記第一、新約は、ルカの福音書が続きます。

サムエル記は、サウルからダビデへと移っていくところです。
いよいよ、聖書の中でも、面白い、ダビデの大活躍が始まります。
そして、また、ルカの福音書は、イエスさまが、エルサレムへと入られて、十字架への道を歩んでいかれるところです。
先週はイースターでしたが、ルカの福音書は、イエス様の十字架と復活へ向けての歩みです。

このことは、私たちクリスチャンにとって、何度も何度も心に刻まなければならないところです。
是非、皆さん聖書をお読み下さい。

また、バイブルQは、
<クイズ>
旧約:サウルは、アマレクをどうするようにとの命令を受けていましたか?
新約:イエス様の見せたデナリ銀貨には、誰の肖像が描いてありましたか?

との質問です。聖書の中から探してみてください。

先週のクイズとその答えは、週報の右下に載せていますが、

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<先週のクイズの答え・聖書箇所>
旧約:ボアズは誰をめとりましたか?
新約:毎日ぜいたくに遊び暮らしていた金持ちは、死んだ後どこに行きましたか?

<クイズの答え・聖書箇所>(水曜日の箇所から)
4月19日(水)[]ルツ3-4/[]ルカ16
旧約:ルツ(ルツ記4章13節)
新約:ハデス(ルカの福音書16章19-23節)
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となっています。
このボアズの結婚は、サムエル記の始まりでもあります。
ボアズの子はオベデ、オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデということで、
ボアズは、ダビデのひいおじいさん。そして、ルツは、ダビデのひいおばあさんということになります。
このルツの信仰が、どのようにダビデに継承されたのかと、そのように聖書を見てみるのもいいのではないでしょうか?

また、新約聖書の問題の金持ちは、ハデスで目をさましました。
そして、はるかかなたに、貧しかったラザロがアブラハムの下で憩いを得ているのを見るのです。

私たちの人生にとって、重要な質問として、
私たちが、何のなぜ産まれてきたのか、何のために生きるのか、そして、死んだらどうなるのかという事があります。

私たちは、死んだ後、自分がどのようになるのか、考えないでいるわけにいきません。
いや、考えなかったとしても、いずれ死に、死んだ後の世界が待っています。

そして、聖書は、ただイエスキリストの贖いだけが、人を父なる神様の御下へ導くのだと教えます。
さて、御言葉に戻りたいと思いますが、今回の聖書箇所は、イエスさまがエルサレムに向かっていかれる時の出来事です。

イエス様がロバの子に乗っていかれたということは、いつもお話していることですが、少し前から見ますと、イエス様は、ベタニヤというところに近づいたときに、ロバの子に乗られました。そうして、人々は、イエス様の行かれるところを、上着をしき、また、木の枝をしいて、歓迎しました。

このベタニヤは、エルサレムから約三キロのところと言われます。
ですから、およそ、三キロのパレードがエルサレムに向けて続いたのです。
イエス様に同行した弟子たちにとって、一番華やかな時であったかもしれません。
しかし、それは、弟子たちにとって、イエス様が捕らえられ、十字架に付けられるという、もっともショッキングな出来事のスタートでした。
もちろん弟子たちは、そんなことは知りません。
しかし、今から起こることの全てを知っておられるイエス様の心の中は、どんなだったでしょうか?

イエス様は、その大歓迎を受けておられました。
そして一行はオリーブ山に至ります。
オリーブ山は、エルサレムからおよそ一キロほどの距離といわれますが、ここで、弟子たちは、大声で神を賛美し、また、こういったと書いてあります。

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「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」
ルカの福音書19章38節
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彼らの喜びや興奮は、最高潮でした、しかし、そうして、エルサレムが見えたところで、イエス様は、突然涙を流されたのです。

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19:41エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
19:42言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
19:43やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
19:44そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
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ここで、エルサレムの神殿の崩壊が預言されています。
イエス様は、崩壊するエルサレムを思って涙をながされたのです。

ところで、エルサレムの神殿が破壊されたのは、これが最初ではありません。
バビロン捕囚の時、このように書かれています。

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8第五の月の七日――それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった。――バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、
9主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
10侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を取りこわした。
列王記第二25章8-10節
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バビロン捕囚の時、エルサレムは破壊されました。

エゼキエル書でエゼキエルが見た幻が書かれています。

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10:1私が見ていると、ケルビムの頭の上の大空に、サファイヤのような何か王座に似たものがあって、それが、ケルビムの上に現われた。
10:4主の栄光がケルブの上から上り、神殿の敷居に向かうと、神殿は雲で満たされ、また、庭は主の栄光の輝きで満たされた。
10:18主の栄光が神殿の敷居から出て行って、ケルビムの上にとどまった。
11:23主の栄光はその町の真中から上って、町の東にある山の上にとどまった。
エゼキエル書10ー11章
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ここで、エルサレムにあった主の臨在は、宮から出て、東の山にとどまり、そして、そこで幻は終わります。

丁度、イエス様がオリーブ山から天に上げられたように、この臨在は出て行きました。

エルサレムが特別であったこと、それは、神の臨在です。
この神の臨在の無くなった時、エルサレムは破壊されました。

イスラエルの民が特別なのはなぜか、それも神の臨在でした。
彼らは、神の臨在によって、生かされ、導かれていました。



イスラエルの民が、モーセが十戒の板を受け取りに行っている間に、偶像を造り、罪を犯した時、主は、共にいかないと言われました。
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33:2わたしはあなたがたの前にひとりの使いを遣わし、わたしが、カナン人、エモリ人、ヘテ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払い、
33:3乳と蜜の流れる地にあなたがたを行かせよう。わたしは、あなたがたのうちにあっては上らないからである。あなたがたはうなじのこわい民であるから、わたしが途中であなたがたを絶ち滅ぼすようなことがあるといけないから。」
出エジプト記33章2-3節
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そのとき、モーセはいいます。

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33:12さて、モーセは主に申し上げた。「ご覧ください。あなたは私に、『この民を連れて上れ。』と仰せになります。しかし、だれを私といっしょに遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身で、『わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている。』と仰せになりました。
33:13今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」
33:14すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」
33:15それでモーセは申し上げた。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。
33:16私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」
33:17主はモーセに仰せられた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」
33:18すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
出エジプト記33章12-18節
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特に大切なのはここです。

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33:16私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」
出エジプト記33章16節
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主が共におられる。
そのことが、私たち主の民が、主のお心にかなっている事を示しています。

私たちもそうです。
主が共におられることが、私たちが主から愛されている事を示しているのです。

どんなに大きな祝福も、主の臨在には及びません。
主が共におられるという、そのことには及ばないのです。


エルサレムを見て涙を流されたイエス様、エルサレムの崩壊を預言されたイエス様は、
その主の宮で売り買いをしているもの達を追い出されました。

この箇所だけをみるなら、なんとひどい事をと、考えるかも知れません。
しかし、エルサレムは、主の臨在が取り去られ、滅ぼされる事を目前にしていたのです。

今、エルサレムに必要なのは、悔い改めて祈ることでした。

イエス様は、主の宮をきよめ、悔い改めを宣言されました。
しかし、民のリーダーたちでさえ、そのことに耳を貸しませんでした。

それどころか、彼らはイエス様を殺そうとねらっていたのです。

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19:47イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者、民のおもだった者たちは、イエスを殺そうとねらっていたが、
ルカの福音書
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イエス様は、ここで、祈ることの大切さを教えておられます。

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「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。
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しかし、祈りとはなんでしょう。

祈りとは、神様との対話です。
そして、それは、神様との結びつきをうみます。

エルサレムにあった臨在、それは、神様との結びつきです。

また、モーセが願った、主が共におられること。
それも、神様との結びつきです。

聖書をみるとき、罪とは何でしょう。
律法を守らないこと、それを超えて、天地を造られた神様と関係が無いということです。

神様との関係が断ち切られている、断ち切ってしまっている。
これが、罪です。

ですから、悔い改めの一番目は、神様の方を向くことです。

イエス様は言われました。
何度も引用するところですが、

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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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ここで、実を結ぶのは、イエス様につながっているからです。

悔い改めの実もそうです。

皆さん、何か罪を犯したとき、神様の前に出にくいなあと感じませんか?

この罪を離れてから、イエス様の方をむこうと考えたりすることはありませんか?

でも、それなら、自分で、悔い改めの実を結ぼうとしているのです。

私たちは、イエス様につながっていなければ何も出来ません。
つまり、私たちが、まず、イエス様の方を向くことがなければ、自分の罪を離れることなど出来ないのです。

エルサレムが、主の臨在無しに滅んでしまったように、私たちも、イエス様につながっていなければ何も出来ません。

イエス様に向きましょう。そして、自分自身の罪を主の前に言い表しましょう。

私たちの教会は祈りの家だと、信仰告白をしました。
それはまた、いつもイエス様につながっている教会だということです。

私たちは、自分たちの力で何かが出来る、何かをしようとする事を悔い改めましょう。

いつも、どんなことも、主により頼み、そして、主がそこに臨在され、そして、素晴らしい事をしてくださる事を期待しましょう。

今度のバーベキューもそうです。
とくに聖書のお話もしませんし、ただのイベントと考えるかも知れません。

しかし、それも、主により頼みましょう。そして、主がそこで素晴らしい事をしてくださると信じましょう。
そのひと時が、本当に素晴らしい時となるように。祈りましょう。

主は、エルサレムを見て涙された主は、私達をまた、同じ愛で見ておられます。

ですから、主の前にへりくだり、悔い改め、祈り、主の臨在を待ち望みましょう。



[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20060423ああエルサレム
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