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シティーチャーチメッセージ20060416大きな喜びの為に

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シティーチャーチ
メッセージ20060416
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大きな喜びの為に
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの贖いとなって死んでくださった方。
また、死に打ち勝って蘇られた方です。

この方を思いつつ、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、皆さん。

イエス様の復活、おめでとうございます。
ハレルヤ。イエス様は、蘇られました。アーメン。

本日は、復活祭、イエス様の蘇られた事を記念してお祝いする日です。
一般的には、復活祭といいますと、聖書の箇所も、復活と特に関係の深い所を選ぶのですが、私は、聖書箇所を、通読表に併せると考えております関係で

、この復活祭も、そして、クリスマスも、いろんな箇所からのメッセージになります。

しかし、イエス様は、聖書は私について、証しているといわれました。
そうであるなら、聖書のどこを読んだとしても、イエス様の御降誕、そして、聖書で最も大事な、十字架と復活に、密接につながらないはずはないと、考えて

おります。

そのようなことで、今回も、いつものように、通読表に併せまして、
ルカの福音書15章1-7節から、御言葉を見てまいります。
では、司会者お願いします。

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聖書箇所のテキスト
15:1さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
15:2すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
15:3そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
15:4「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるま

で捜し歩かないでしょうか。
15:5見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
15:6帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
15:7あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にある

のです。
ルカの福音書15章1-7節
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では、つづきまして、主題聖句の暗唱を、小学生の皆さんでお願いします。

<暗唱>

では、皆さんでいいましょう。

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主題聖句:
ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
ルカの福音書15章7節
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では、今日は、このところから、「大きな喜びの為に」と題しまして、御言葉をともに開いて参りたいと思います。

聖書の通読は、新約は、ルカが続きますが、旧約は、士師記が終わり、ルツ記、サムエル記となってまいります。
旧約聖書の中でも、非常に躍動感のある、楽しい所です。読み始めには丁度いいかもしれません。
ここのところ、読めずにいた方がおられたら、是非、ルツ記から再出発してみてください。

先週のバイブルQは、

旧約:エルバアルの子アビメレクはどのような悪を行いましたか?
という質問です。
読んでいただくと分かるのですが、兄弟70人を殺したということです。
ところで、エルバアルって誰かわかりますか?
これは、ギデオンのことです。
かれは、バアルの祭壇を破壊したので、エルバアルと呼ばれました。

また、新約は、

新約:パリサイ人のパン種とは何ですか?
ということです。
これは、復活祭に関連の深いお話です。
なぜなら、イエス様の十字架と復活は、種無しパンの祭りの時だったからです。
しかし、パリサイ人のパン種については、それが、偽善であるとイエス様は言われます。

中身がなく、ただ、外側だけ大きく見せかけてしまうパン種のように、偽善は、その全体をふくらませ、空虚なものとしてしまいます。

どちらも、聖書で確かめてください。

また、今回のバイブルQは、

旧約:ボアズは誰をめとりましたか?
新約:毎日ぜいたくに遊び暮らしていた金持ちは、死んだ後どこに行きましたか?

という質問です。聖書を読んで調べてみてください。
皆さん聖書をよみましょう。

さて、聖書の箇所にもどりたいと思います。
今回の聖書箇所は、イエス様が、何のために来られたかを教えておられるところです。
イエス様は、悔い改める必要の無い九十九人の正しいものではなく、一人の罪人の為に来られたということです。

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15:7あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にある

のです。
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その一人の罪人が悔い改めるときに、いったい何が起こるのでしょう。
天で、大きな喜びがおこると書いてあります。
この前の節には、こう書いてあります。

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15:4「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるま

で捜し歩かないでしょうか。
15:5見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
15:6帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
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百匹の羊を持っている人がいたんです。
そのうちの一匹がどこかにいってしまいました。
それで、九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで、捜し歩かないでしょうか?
とイエス様は聞かれます。
その持ち主は、
その一匹を、何とかして見つけようとするのです。

イエス様はこう言われます。
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11わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
12牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです


13それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
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イエス様は、羊の本当の飼い主であり、雇い人ではないのだと言われます。
雇い人とは誰でしょう。
それは、律法学者、パリサイ人、祭司達です。
彼らは、実際に、人々の事を本当に気にかけていたのではありませんでした。
彼らは、それよりも、自分たちの立場や利益を大切に思っていました。

イエス様は、安息日についての議論の中で、こういわれました。

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8人の子は安息日の主です。」
9イエスはそこを去って、会堂にはいられた。
10そこに片手のなえた人がいた。そこで、彼らはイエスに質問して、「安息日にいやすことは正しいことでしょうか。」と言った。これはイエスを訴えるためで

あった。
11イエスは彼らに言われた。「あなたがたのうち、だれかが一匹の羊を持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それを引き上げてやらないでし

ょうか。
12人間は羊より、はるかに値うちのあるものでしょう。それなら、安息日に良いことをすることは、正しいのです。」
マタイの福音書12章8-12節
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このときに、民を教える立場であった者たちは、怒りました。
それは、彼らにとって、安息日の律法を守ることのほうが、民の命を助けるよりも大切だったからです。

そして、イエス様は言われます。

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それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。
ヨハネの福音書10章15節
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イエス様は、私たちの本当の主です。
ですから、イエス様は、私達を愛し、そして、私たちの為に命を捨てて下さったのです。
それが、十字架の死です。
そして、それは、律法の定めを全うすることでした。

律法の教えるのはなんでしょう。

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37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
38これがたいせつな第一の戒めです。
39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
マタイの福音書22章37-40節
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ここで、律法は、結局のところ、神を愛し、隣人を愛することなのだとわかります。
そして、イエス様は、究極の愛は、これだと言われました。

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人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネの福音書l15章13節
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この究極の愛を示された、そのことが、律法の完全な成就でした。
そして、その愛を、イエス様は、敵も同然の罪人の為に示してくださったのです。

ここに、本当の愛があります。
そして、今も話しましたように、これこそが、律法の成就でした。
律法を守るものは、律法によって生きると聖書はいいます。

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モーセは、律法による義を行なう人は、その義によって生きる、と書いています。
ローマ人への手紙10章5節
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律法を完全に守り行うなら、その者は生きるのです。
しかし、誰も、この律法を守り行うことの出来たものはいませんでした。
この完全な愛という、究極の律法を守り行い、そして、それゆえに、十字架で死んで下さったのが、イエス様です。

イエス様は、あなたの罪の身代わりに、十字架に死んでくださいました。
そのことによって、私たちは、罪が赦され、永遠の命が与えられて、天国に行くものとされました。

この完全な愛によって、律法は完成され、イエス様は蘇られました。
だからペテロはいいます。

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2:23あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
2:24しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
使徒の働き2章23-24節
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この、イエスさまが蘇られた力、それは、完全に律法を全うした者への神様の注がれる命です。
この命は、命を奪い取ろう、消し去ろうとする死の力、罪の力を完全に打ち破りました。

ですから、こう書いてあります。

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56死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
コリント人への手紙第一15章56-57節
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イエス様は、御自分の死によって、死の力を打ち砕かれました。
死とはなんですか?それは、命の根源である神様から引き離されることです。

そして、私たちと神様との関係をさえぎるのが罪です。

しかし、イエス様は、完全に律法を守られました。
それは、罪に対する完全な義でした。

この完全な義は、死という神様から引き離されることによって、実現しました。
律法を完全に全うするということは、神を愛し、神様と一つであるということです。
そのことが、神様から引き離される死によって実現しました。

そして、死にまでも従ったというその神への従順と人への愛は、神様から引き離す力を、打ち砕く力となったのです。
そして、その命は、罪と死を打ち破り、悪魔を滅ぼして、私達に勝利を与えてくださいました。

これが、復活です。
これが、本当の勝利です。
そして、それは、何のためですか?

イエス様は、羊に命を得させる為に来たといわれました。
イエス様蘇るなんてすごいといわれる為ではありません。

良い羊飼いであるイエス様は、罪ある一匹の羊を救い出す為に、こられました。
あなたを、私を救い出す為にこられたのです。
そして、その愛は、私達を支配していた、罪を死を、悪魔を打ち砕いたのです。

このイエス様の勝利を覚えて、祈りましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

シティーチャーチメッセージ20060416大きな喜びの為に



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