礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20060409
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本当の捧げ物
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は聖なる方、豊かに与えてくださる方、恵み深い方です。
この方を覚えて、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、本日の聖書箇所をお読み戴きましょう。
本日の聖書箇所は、

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聖書箇所:ルカの福音書11章37-48節
・新改訳Up125・新改訳Vp137
・口語訳p108・新共同訳p130・現代訳p130
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です。
司会者お読み下さい。

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聖書箇所のテキスト
11:37イエスが話し終えられると、ひとりのパリサイ人が、食事をいっしょにしてください、とお願いした。そこでイエスは家にはいって、食卓に着かれた。
11:38そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て、驚いた。
11:39すると、主は言われた。「なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです。
11:40愚かな人たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。
11:41とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。
11:42だが、忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。
11:43忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、会堂の上席や、市場であいさつされることが好きです。
11:44忌まわしいことだ。あなたがたは、人目につかぬ墓のようで、その上を歩く人々も気がつかない。」
11:45すると、ある律法の専門家が、答えて言った。「先生。そのようなことを言われることは、私たちをも侮辱することです。」
11:46しかし、イエスは言われた。「あなたがた律法の専門家たちも忌まわしいものだ。あなたがたは、人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本もさわろうとはしない。
11:47忌まわしいことだ。あなたがたは、預言者たちの墓を建てている。しかし、あなたがたの先祖は預言者たちを殺したのです。
11:48そのようにして、あなたがたは、自分の先祖のしたことの証人となり、それを認めています。なぜなら、あなたがたの先祖が預言者たちを殺し、あなたがたがその墓を建てているからです。
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ありがとうございます。
では、続きまして、主題聖句の暗唱を、小学生の皆さんでお願いします。

<暗唱>

では、皆さんで言いましょう。

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主題聖句:
とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。
ルカの福音書11章41節
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このところから、「本当の捧げ物」と題しまして、御言葉を共に聞いてまいりたいと思います。

先日は、井出一夫兄のお父様で井出喜康(よしみち)兄の葬儀が、グレイスチャペルでありました。
長い間、闘病生活をしておられたようですが、数日前に、病院から帰ってこられて、自宅での療養となり、濱本牧師の導きで、イエス様を信じ受け入れられて、洗礼を受けられたそうです。
そして、濱本牧師のお話では、次の月曜日に、聖餐式をしましょう思っていた矢先、天に召されたということでした、神様は、最高の時を与えてくださる方です。

一人一人に時があります。また、導きがあります。
この葬儀におきましても、召された兄の人生を思うと、この死の間際にイエス様を受け入れて、天に帰っていかれた、そのために、主は、井出兄がイエス様を信じるようにされ、また、様々な事を取り計らい、それらを益と替えて、この事を成されました。
イエス様を信じるまでの長い人生の中、主はどれほどの愛で、この方を愛しておられたかと思うのです。

主は、生きて働いて、素晴らしい事をしてくださる方です。
ご家族の導きと励ましの為にもお祈り下さい。


さて、聖書の通読は、新約はルカ、旧約は士師記が続きます。
どうぞ、お読み下さい。命のパンである聖書の御言葉を読みましょう。

バイブルQは、
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<クイズ>
旧約:カナンでレビ人にはいくつの町が与えられましたか?
新約:ヘロデはバプテスマのヨハネをどうしましたか?

(水曜日の箇所から)
<クイズの答え・聖書箇所>
旧約:48(レビ記21章41節)
新約:首をはねた。(ルカの福音書9章9節)
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と、なっています。こちらも、是非、聖書で確かめておいて下さい。

では、お話の箇所に戻りたいと思います。

今回の聖書の箇所は、イエス様が、一人のパリサイ人の招きにこたえて、その家に行かれ、食事の席に着かれた事から始まります。

ところが、そこで、いきなり問題が発生しました。
イエス様は、きよめのあらいをされなかったのです。

きよめのあらいについては、マルコの福音書7章3-4節にこうかいてあります。

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――パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、
また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある。――
マルコの福音書7章3-4節
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これらの事を、ユダヤ人は、先祖のしきたりとして守っていました。

私も、神経質で、良く手をあらうのですが、聖書には、こういう御言葉もあるのをごぞんじでしょうか?
これらは、詩篇の御言葉です。

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主よ。私は手を洗ってきよくし、あなたの祭壇の回りを歩きましょう。
詩篇26篇6節

確かに私は、むなしく心をきよめ、手を洗って、きよくしたのだ。
詩篇73篇13節
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主の前で、聖くあろうとする事を主は、悪くいっておられるのではありません。
また、律法の中にも、きよめについての事柄が出てきます。

しかし、私たちは、外側よりも、心のきよめ、霊のきよめが重要なのだという事を、主は語っておられます。
このことから、イエス様は、さらに、捧げ物について語られます。

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11:41とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。
11:42だが、忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。
ルカの福音書11章41-42節
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ここで語られていることがわかりますか?

はっかやあらゆる野菜などの十分の一
これは、私たちが、受けたものの十分の一を、細かく計算しているということです。
そして、それらを捧げている。

しかし、このことについて、イエス様は、公儀と神への愛とはなおざりにしています。
と、いっておられます。

最近カルトということが、問題になっています。
この箇所から、わたしたちは、カルトの側面を見ることができます。
もちろん、ここで、言われている、パリサイ人がカルトなのではありません。
しかし、私たちが宗教を行うと、回りのことが見えなくなります。

与えられた、命令や、戒めに一生懸命で、心を忘れてしまう。
そうなりかねないわけです。

イエス様は、そのことについて、注意を促しておられます。

ここで、公儀とはなんでしょう。それは、公に正しいことですが、つまり、この目に見える世にあって正しいこと、それは、結局のところ、人と人との関係であり、それはまた、究極のところ、人への愛です。

そして、神への愛つまり、これは、神を愛し、人を愛するという、聖書の基本についての事柄です。

わたしたちが、宗教的になってしまうとき、ある、いましめにとらわれるとき、一番重要な、神への愛と人への愛を忘れてしまうことがあるということなのです。

皆さんが、様々な戒めを守るとき、それは何のためでしょうか?

ここで、パリサイ人がいましめを守っていた目的は何のためでしょうか?
こう書いてあります。

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忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、会堂の上席や、市場であいさつされることが好きです。
ルカの福音書11章43節
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彼らは、自分が立派なものだと人から思われたいと思っていました。
しかし、その心の中は、実際は悪い思いがいっぱいだったのです。

イエスさまが、ここで教えようとしておられるのは、その様な心を主の前に差し出して、悔い改め、本当のきよめを心に戴くことです。

ただ、極端に取る方がおられるといけないので言うのですが、これは、挨拶をしてはいけないということではありません。
挨拶は、互いの間の愛から出るべきものであり、それは、自尊心のためではないということです。
そして、私たちは、愛のゆえに、挨拶をし、声をかけあい、また、主にあるしっかりとした互いの関係を立て上げていくべきです。

ですから、先ほどのこの御言葉。

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11:42だが、忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。
ルカの福音書11章42節
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ここで、イエス様は、まず、主の前に捧げるべきものは、神を愛し、人を愛する愛なのだと教えておられるのです。

そして、イエス様が新しい戒めとして与えられたのが、これです。

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あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書j13章34節
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イエス様は、互いに愛し合うことそれが、戒めだといわれたのです。
しかし、この愛は、どのようなものでしょうか?

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4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6不正を喜ばずに真理を喜びます。
7すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
8愛は決して絶えることがありません。
コリント人への手紙13章4-8節
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また、その愛は、このような実を結びます。

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御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
ガラテヤ人への手紙5章22-23節
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この実は、御霊の実としてかかれています。同時にこれは、愛の実です。
神との愛の関係が結ぶ実、それが、御霊の実です。

私たちの主への一番の捧げ物は、この実です。
これは、私たちと人との関係であり、また、私たちと神様との関係です。

と、ここまでお話しすると、「じゃあ、私は、愛してるから、捧げなくていいですね。」という事を言われる方がおられます。

さきほどの挨拶もそうですが、ただ、自分を誇る為の挨拶や、自分を誇る為の行動は何の意味もありません。
しかし、それらは、愛によって、なさなければならないことです。

いや、あなたが愛があるというなら、必ず行うはずなのです。

行えていないなら、私たちは、自分の愛のたらなさを認めなければなりません。

捧げ物もそうです。
もし、信仰があるといいながら、十分の一をささげておられないとしたら、その方の信仰は間違っています。

だから、イエス様はこういわれたのです。

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11:42だが、忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。
ルカの福音書11章42節
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イエス様は、それらをなおざりにしてはならないといわれました。

あなたは、例えば、少し、特別な収入があった、なにか御見舞いか何かをもらった、おこずかいをもらった、そんなときも、十分の一を捧げようとするでしょうか?

それは、全ての物を神様からいただいたと、感謝し、その事をみとめる神様への愛であり、信仰です。

ですから、イエス様は、捧げ物がなおざりではいけないといわれたのです。

あなたの神様への愛は、まず、捧げ物にあらわれます。

人と人の関係でもそうです。

あなたの事を愛していますといいながら、相手に求めるばかりで、自分から与えようとしないなら、それは、愛ではありません。


そして、この愛を語られた方は、その本当の愛を示す為に、十字架で死んで下さったのです。
イエス様は言われました。

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人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネの福音書15章13節
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今週は受難週です。イエス様が、この究極の愛を示す為に捧げ物となり、苦しみを受けて死んでくださった、
この愛にわたしたちは、しっかりと目をとめて、この愛をしっかりと受け取らなければなりません。

このイエス様の愛を見つめる時に、そして、このイエス様の愛にしっかりとつながるときに、私たちの中に神様への愛、そして、人への愛が、生まれるのです。

ここに、愛があります。
そして、これこそが本当の捧げ物なのです。
イエス様は、本当の捧げ物となられました。

そして、私たちは、このイエス様の愛によって、また、自分自身を、愛によって、捧げるもの、そして、同じ愛によって、互いに愛し合うものとされていくのです。

この愛による、主の受難、
苦しみを受けてくださった主の愛を覚えて、歩ませて戴きましょう。

そして、皆さんと主との関係がさらに深いものとされますように。

お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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