礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ



−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20060305
−−−−−−−−−−
盲人の目を開かれた主
−−−−−−−−−−

++++++++++
11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

---祈り---

みなさんおはようございます
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの霊の目を開き、素晴らしい祝福へと導いて下さる方です。
この方を覚えつつ主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、聖書箇所をお読みいただきましょう。
今日の聖書箇所は、

++++++++++
聖書箇所:マルコの福音書10章46-52節
・新改訳Up81・新改訳Vp88
・口語訳p69・新共同訳p83・現代訳p84
++++++++++

です。

では、司会者お願いします。

++++++++++
聖書箇所のテキスト
10:46彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
10:47ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び始めた。
10:48そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
10:49すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい。」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。
10:50すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。
10:51そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
10:52するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
マルコの福音書10章46-52節
++++++++++

では、続けて主題聖句の暗唱をお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんでいいましょう。

++++++++++
主題聖句:
そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
マルコの福音書10章51節
++++++++++

はい、ありがとうございます。

今週は、旧約聖書の通読は、民数記から申命記に、そして、新約聖書は、マルコがもうしばらく続きます。
申命記は、モーセの遺言ともいえる書で、律法の命令が、圧縮して述べられています。

先週のバイブルQは、週報に書いたようになります。

++++++++++
<先週のクイズの答え・聖書箇所>
旧約:あかしの天幕の中に置かれたアロンの杖はどうなりましたか?
新約:マルコ7章でイエス様は、耳が聞こえず、口のきけない人に何と言われましたか?

(水曜日の箇所から)
<クイズの答え・聖書箇所>
旧約:芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。(民数記17章8節)
新約:「エパタ。」すなわち、「開け。」(マルコの福音書7章34節)
++++++++++

聖書の通読にあわせて、メッセージをしておりますので、福音書が順番に出てきます。
前にも、マタイの福音書でイエス様のエルサレム入城のシーンがありましたが、
今回は、マルコの福音書で、この聖書箇所の次がエルサレム入城のシーンです。

また、今回の聖書箇所の直前には、マタイの福音書でお話した、ゼベダイの子たちのことが出てきます。

彼らは、エリコへ来ました。
そして、そこを出ると、そこで、バルテマイと出会います。

エリコとはどんなところでしょう。

エリコは、出エジプトの時、モーセが死んで後、ヨシュアが率いるイスラエルの民が、東から西へヨルダン川を渡り、カナンに入り、最初に攻略した町です。

ここで、ヨルダン川を渡る時、一つの奇跡がおこりました。それは、モーセが紅海を渡る時に海が分かれたように、ヨシュアと民がヨルダン川を渡る時、水が止まり、乾いた地をわたったというものでした。
神様は、ヨシュアが新しいリーダーである事を、この奇跡を通して示されました。

エリコは、城壁のそびえる町でしたが、神様が言われた方法によって、その城壁は崩れました。それは、その城壁の周りを七日周り、七日目に七週回り、そして、叫び声を上げるというものでした。
これをただ、まねすると、何かが起こるのではありませんが、しかし、私たちは、自分たちの考えでなく、それをはるかに超えて主が働かれる事を信じ、主の声を聞くとき、それにしたがわなければなりません。

エリコのはなしはこれくらいにしますが、エルサレム入城の前のイエス様は、わざわざ、このヨルダン川の向こうに伝道に行き、そして、ヨルダン川をわたってエリコへ来られ、そこから、エルサレムへ向かわれたのです。

イエス様のこの歩みは、出エジプトの足跡をたどるかの様です。
そして、ヨシュアが、ヨルダン川をわたり、カナンに入ったそのことが、新しい時代のスタートであったように、イエス様は、十字架の贖いという、あたらしい時代をスタートする前に、ヨルダン川を渡り、エリコを通って、エルサレムにむかわれたのです。

そして、それは、十字架への道でした。
ほふり場にひかれていくように、イエス様はまっすぐに十字架に向かっていかれました。

++++++++++
主よ。あなたは私を知り、私を見ておられ、あなたへの私の心をためされます。どうか彼らを、ほふられる羊のように引きずり出して、虐殺の日のために取り分けてください。
エレミヤ書12章3節
++++++++++

エレミヤ書にこういうところがあります。
ここで、エレミヤは、悪者の事をこう祈ります。
しかし、この、本来悪者の受けるべき処罰を、ほふられる羊のように、イエスさまが受けてくださいました。
これが十字架です。
そして、それは、あなたのための、皆さんのための、身代わりの死です。
皆さんの罪の為に、イエス様が、十字架で死んでくださったことが、福音です。
イエス様は、十字架にかかる為に、エルサレムにむかって歩いておられました。

ところで、イエス様は、エリコをでたことろで、一人の盲人に出会います。
それが、バルテマイでした。

バルというのは、何々の子という意味です。
英語でのジュニアに当たるような名前です。

ここで、テマイの子のバルテマイということで、出てきますが、このバルテマイという名が、テマイの子をあらわしています。
聖書を見ると、バルとつく名前は他にも出てきますから、見てください。

さて、イエス様は、この盲人に聞かれます。

++++++++++
そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
マルコの福音書10章51節
++++++++++


「何をして欲しいのか。」
イエス様は、ここで、この盲人に、あえてこの事を聞いておられます。
あなたは、どう思いますか?あなたならこの事を聞きますか?

何をして欲しいか?
盲人、彼は目が見えない。
目を開けて欲しいのは当たり前じゃないですか?
何を聞いてるんですか?
そう思いますか?

でも、それは、ちがいます。
病気の人は、皆病気が治りたいと思いますか?
それは、違います。

人は、時には、その病気に逃げ込みたい時があるのです。
その人の負っている精神的な苦痛、抱えている問題、すなわち、重荷があるときに、人は、逃げ場をさがそうとします。
時にはそれは、病であることもあるのです。

しかし、バルテマイはどうだったでしょう。
彼は、まっすぐに、目が見える事を求めたのです。

目が見えるようになるということは、彼にとってどういうことでしょう。
50節にこうかいてあります。

++++++++++
すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。
マルコの福音書10章50節
++++++++++

ここで、盲人は上着を脱ぎ捨てたとあります。
彼は、そこで、物乞いの為にすわっていました。
当時、そのような公の場所で物乞いをするものには、それを示す上着が与えられていたといいます。

目が見えない彼は、それしか生きる道がありませんでした。
しかし、それは、彼の生活でした。
他の生活をしたことはありません。

しかし、彼は、求めたのです。

++++++++++
そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
マルコの福音書10章51節
++++++++++

バルテマイは、目が見えるようになったあと、自分がどうなるのか、どうやって生活していくのか、そんな事をかんがえなかったでしょうか?
かれは、きっと、自分の生活が変わる事をしっていました。
ここで、彼が、上着を脱ぎ捨てた。
それは、100パーセントイエス様に信頼する事を決めたということです。

そのバルテマイをみて、イエス様は、あえて聞かれるのです。
「わたしに何をしてほしいのか。」

バルテマイは答えます。
「先生。目が見えるようになることです。」

するとイエス様は言われました。
「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」

ここで、バルテマイの目は開かれ、イエス様についていきました。
私は、ここを何度も読むと、バルテマイのイエス様に対する信頼に感動します。
そして、イエス様のバルテマイへの愛に感動します。

上着を脱ぎ捨てて、イエス様の前に出てきたバルテマイ。
彼は、目が見えません。だから、もし、上着を捨てたら、自分ではひらいにいけないんです。
でも、彼は、上着を脱いで握り締めてではなく、上着を脱いで、それをすてて、完全な信頼を持って、イエス様に言います。
目が見えるようになることです。

バルテマイは、イエス様から聞かれたときに、何と失礼な質問だとか、考えなかったと思います。
だだ、まっすぐに、見えるようになること、を求めたのです。

そして、そのとき、イエス様は、
「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」
といわれたのです。

なんと素晴らしいイエス様との信頼関係でしょう。
バルテマイは、癒され、そして、このイエス様についていきました。

そこに来るまでにあった出来事は、一人の金持ちとの出会いと、弟子たちの争いでした。
彼らは、どちらも、目が見えていました。
しかし、彼らは、結局のところ、本当に大切な信仰の目が開いていませんでした。

バルテマイの目は見えませんでした。
しかし、彼の信仰の目はしっかりと開いていました。
だから、彼は、必死で叫んでイエス様を呼び止めようとしたのです。

ヤコブの手紙1章6節にこう書いてあります。
もし、彼に疑いがあったら、このように、イエス様を呼び止めること、また、自分の上着を捨てることは出来なかったでしょう。

++++++++++
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
ヤコブの手紙1章6節
++++++++++

なぜ、この信仰が、彼の中にあったのかは、わかりません。
しかし、彼は、神様を信じていました。そして、神の遣わされる救い主、ダビデの子を信じていました。
そのダビデの子、救い主のイエスさまが自分の前を通っておられる。
そのことで、バルテマイは叫ばずにいられませんでした。

その信仰の通りに、彼の身になったのです。
マタイの福音書で、イエス様は、百人隊長にこういわれました。

++++++++++
それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。
マタイの福音書8章13節
++++++++++

信じたとおりになるように、ここで、重大なことがあります。
あなたの信じたとおりになるのです。

あなたは何を信じていますか?
あなたを主が祝福されることですか?
それとも、主があなたの罪の為に、あなたを苦しめられることですか?

主は、あなたを苦しめようとしておられるのではありません。
祝福しようとしておられるのです。
確かに地上においては、問題もあるかもしれません。
それを変えて、祝福を与えてくださるかたなのです。

私たちは、このことを信じていなければなりません。
それを信じないで、主は、この地上では悪いことばかりされると信じているなら、その通りになります。

この世は私達に苦しみを持ってくるかも知れません。でも、主は私達に祝福を持ってこられるのです。
聖書はこういいます。

++++++++++
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
++++++++++

だから、主に信頼しましょう。
そして、主がしてくださることが分かるように、心の目、霊の目を開いて戴きましょう。
こうかいてあります。

++++++++++
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
エペソ人への手紙1章18節
++++++++++

神様があなたに用意しておられるものがどういう素晴らしいものなのか分かるように。
それは、私たちと主との信頼関係によります。
父なる神様への信仰、救い主イエス様への信仰によります。

私たちは、霊の目が開かれるように祈りましょう。
しかし、霊の目とは、なんでしょう。
それは、何か不思議なものが見える目ではありません。

信仰の目、信仰によって、神様の愛を見ることの出来る目です。

その愛はどこに示されていますか?
それは、イエス様の十字架、罪びとの身代わりとなってくださったイエス様の十字架です。

その大きな愛は、御子さえ与えて下さった愛は、どんなにすばらしい喜びで私たちの人生を満たしてくださるでしょうか?
皆さん信じましょう。主は、この地上でも、皆さんを祝福されます。
私たちの、目を主が開いてくださるように。
お祈りしましょう。

課題の祈りもお祈りください。





[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



INDEX
TOP