礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20060212
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罪人の身代わりとして
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

みなさんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、贖い主。私たちの身代わりに、十字架で死んで下さった方です。
この方を覚えて主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、まず、聖書箇所をお読み戴きましょう。

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聖書箇所:マタイの福音書27章15-26節
・新改訳Up54・新改訳Vp59
・口語訳p47・新共同訳p56・現代訳p57
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司会者お願いします。

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聖書箇所のテキスト
27:15ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていた。
27:16そのころ、バラバという名の知れた囚人が捕えられていた。
27:17それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
27:18ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。
27:19また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」
27:20しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。
27:21しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」
27:22ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
27:23だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。
27:24そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
27:25すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
27:26そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
マタイの福音書27章15-26節
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では、続きまして、主題聖句の暗唱をお願いします。

<あんしょう>

では、みなさんで言いましょう。


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主題聖句:
そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
マタイの福音書27章26節
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では、このところから、
罪びとの身代わりとして
と、題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今週の聖書通読は、旧約聖書はレビ記、新約聖書はマタイの福音書からマルコの福音書に入ります。
今週のマタイの箇所はいよいよイエス様の十字架の場面です。是非お読み下さい。
もしも、通読が開始できていない方は、マルコの福音書から始めるといいと思います。
この機会に是非、通読を開始しましょう。

クイズはこの通読の箇所からです。
前回のクイズは、
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先週のバイブルQ旧約:エポデの胸にはいくつの宝石が取り付けられていましたか。
新約:いちじくの木の枝が柔らかになって、葉が出てくると、何の近い事が分ると主は言われますか?
<クイズの答え・聖書箇所>
旧約:12個(出エジプト記39章14節)新約:夏(マタイの福音書24章32節)
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でした。是非、ご自分でご確認下さい。

では、聖書箇所に入って参りましょう。
今回の聖書箇所は、イエス様への裁判です。

十字架に架かられる前の夜、そのとき何があったでしょう。
まずは、そうです。十字架の前の夜に、過ぎ越しの食事の場で、イエス様は、パンを祝福して裂いて弟子たちに与え、次に、ぶどう酒を祝福してまた、弟子たちにお与えになって、それが、ご自身の、体であり、血であるといわれました。
これが、聖餐式の始まりですね。

そのあと、人々は、賛美をして、オリーブ山に行きました。
そして、イエス様は、3人の弟子をともなって、ゲッセマネの園にいかれ、祈られたのです。

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それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
マタイの福音書26章39節
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このとき、イエス様は、父なる神様の用意された杯を、あらためて、父なる神様の御心のままに受け止められたのです。
ここに、3人の弟子がいました。
ペテロとゼベダイの子ら、すなわち、ヤコブとヨハネです。

エルサレムに入る前に、かれらは、イエス様に、私の飲む杯を飲みますか?ときかれました。
そして、彼らは飲みますと答えました。
ここで、イエス様は、ご自身が、その事を祈る大事な場面に、その弟子たちを伴っておられます。

このことは、彼らがイエス様に願い出た事を、けっしてないがしろにされない主の誠実な姿だと思います。
彼らの要求はばかげていました。しかし、その事をイエス様はけっしていい加減に取り扱うことをされませんでした。
ですから、最後の祈りの場にも、彼らは、ともなわれました。しかし、彼らは、状況の中でも寝てしまっていました。
これは、彼らの弱さ、人間の弱さです。
イエス様は、そのような私たちの弱さをごぞんじなかったでしょうか?
しかし、そのような、弱いものを、そのような大切な場所にともなわれ、何の支えにもならないものを、御自分の祈りの同労者とされました。

イエス様は、私たちの祈りをいい加減にあつかわれません。
どんなばかげた祈りも、イエス様は聞いて答えてくださる方です。
ですから、私たちはイエス様に、こころから、正直に祈りましょう。
この祈りが終わった時、ユダが、人々を引き連れてやってきました。
そして、イエス様は捕らえられたのです。
そして、イエス様は、裁判の場に連れて行かれました。

イエス様の裁判は、大きくは二つに分かれます。
それは、まず、大祭司の元での宗教裁判。
そして、次に、政治的な裁判です。

こう書いてあります。
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イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。
マタイの福音書26章57節
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ここで、イエス様を取り調べるために、長老や律法学者たちが集まっていました。
ここでの裁判の判決はなにだったでしょう。
イエス様は、安息日をやぶったことや、神殿で、売り解するものの台をひっくり返したことや、病の人を癒したことで死刑に定められたのではありません。
イエス様が、死刑になったのは、ただ一点、ご自身が神の子であるといわれ、父なる神様と等しいといわれたことです。
その一点において、ユダヤ人は、イエス様を死刑に定めたのです。

次に行われたのが、政治的なさいばんで、この裁判は、主に、ポンテオ・ピラトによって行われました。
しかし、その前に、こうかいてあります。

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1さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。
2それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。
マタイの福音書27書1-2節
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ここで、イエス様を死刑にするための協議がなされています。
それはどういうことでしょう。

それには、当時、ユダヤ人たちは、ローマの支配下にあり、自分たちで死刑をする事を認められていなかったという理由があります。

とにかく、彼らは、イエス様を何とかして死刑にする事を考えて、きっと、このとき、ピラトを納得させる為にどうするか、また、群集をどう扇動するかを考えていたのでしょう。
そのうえで、イエス様をピラトの所につれていきました。

この、ピラトですが、彼は、ローマからユダヤを治める為に来ていた総督です。

ピラトは、ポンテオ・ピラトギリシャ語では、ポンテオス・ピラトースという感じですが、ローマ帝国がパレスチナに駐在させていた5代目の行政長官で、総督と呼ばれていました。
このピラトースは、槍で武装したものという意味だそうですが、武芸に優れた家系の出だそうで、なまえも、「槍で武装したもの」という名前、そして、優秀な人物だったようです。
紀元26年から36年までこの仕事をしていたようです。ユダヤ、サマリヤ、イドマヤを治めるための総督ということですが、そこは、大変に治めにくいところでもありました。

一番大きな事は、ユダヤ人の宗教的な背景です。
一神教を信じるユダヤ人は、神々を礼拝し、皇帝さえも礼拝の対象にするローマのやり方を決して受け入れません。
その結果、さまざまな問題が、ローマとの間で生じました。

そのような、問題の多い地に派遣されたピラトは、優秀な人物だったのかもしれません。しかし、それは、ある意味、辺境への左遷でもありました。
そして、かれは、非常に不名誉な名を歴史にとどめることになりました。

使徒信条の中にさえ、こうかいてあります。

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主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオピラトの元に苦しみを受け。
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このピラトは最後どうなるのでしょう。かれは、総督の任務を終えた後、財産を没収され、自殺したと言われます。
この裁判の責任を彼は刈り取ったともいえるかもしれません。

しかし、彼は、イエス様を初めから十字架にかけようとしたのではありませんでした。
ピラトはイエス様と話し、彼らが訴えていることについては、イエスさまが無罪であると、わかりました。

彼らは、イエス様を、皇帝に反逆するものとして、訴えていたのです。
そのことにおいて、イエスさまが無罪である事をピラトは知りましたが、
しかし、ピラトはイエス様を釈放することが出来ませんでした。

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10そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
11イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
12こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」
ヨハネの福音書19章10-12節
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イエス様は、ここで、このことが、父なる神様のご計画であり、ピラトにさえ、何の権威も無い事を教えておられます。

私たちは、この世に生きている中で、この事を知っていなければなりません。
何一つ、父なる神様に勝る権威はありません。
ですから、この地上に起こることの全ては、父なる神様の許しとご計画の中にあるのです。

そのことを知った上で私たちは、この世の為に、そしてこの世の支配者の為に祈らなければなりません。
それはこう書いてあるからです。

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そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
テモテへの手紙第一2章1節
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お話をもどしますが、ピラトが最後に考えたことが、バラバとイエス様を比べることでした。

バラバは、強盗をしてつかまっていた、名の知れた悪人でした。
かたやイエス様は、なんでも、病人を治したりしていたということでしたので、どちらかを釈放するとなれば、かならず、イエス様を釈放することになるだろうとかんがえたのです。

それほどまでに、イエス様の釈放にこだわったのには、ピラトの妻言った言葉によったかもしれません。

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また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」
マタイの福音書27章19節
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しかし、彼の考えでは、イエス様を釈放することは出来ませんでした。
そして、それは、イエス様の預言の通りでもありました。

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33「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。
34すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」
マルコの福音書10章33-34節
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このことは、父なる神様から出たことであり、また、イエス様は、その杯を飲まれたのです。

それは、ゲッセマネの園での祈りのときから、決まっていたことでした。

イエス様が十字架に決定し、間違いなく犯罪人であったバラバが釈放されました。
これは、私たちのあがないがどれほど確かかを教えています。

私たちは、この程度の罪は赦されても、このような罪は赦されないのではないかとか、いろいろ、自分たちで考えてしまいます。
また、逆に、聖書から、自分のした事を、このことは罪でないという理由を探そうとしたりします。
しかし、そうではありません。

私たちの有罪は確定していました。
私たちは、天国に行くか地獄に行くかどうか分らないものだったのではなく、明確に地獄いきの有罪の確定しているものでした。

しかし、その私たちのみがわりに、イエス様は十字架にかかり、私たちは、無罪となって釈放されたのです。
これがあがないです。
これがイエス様のしてくださったことです。

わたしたちは、その完全なゆるしの中に生かされています。
その事を覚えて、祈りましょう。




[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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