礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20060108
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全てを治めておられる主
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主イエス様は、天と地の全てを造り、全てを治めておられるかたです。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いて参りましょう。

では、本日の聖書箇所をお読み戴きましょう。司会者お願いします。

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聖書箇所:マタイの福音書8章23-27節
・新改訳Up13・新改訳Vp14
・口語訳p11・新共同訳p14・現代訳p15
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聖書箇所のテキスト
8:23イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
8:24すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
8:25弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
8:26イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
8:27人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
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では、続きまして、教会学校の皆さんで主題聖句の暗唱をお願いします。

<あんしょう>

では、みなさんで言いましょう。

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主題聖句:
イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
マタイの福音書8章26節
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では、このところから、今日は、

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全てを治めておられる主
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と題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

さて、聖書通読は、新約は、マタイの福音書、旧約聖書は、創世記が続きます。
聖書を読む中で、創世記をしっかりと読むことは、非常に大切です。
なぜなら、創世記が、聖書の背骨だからです。
創世記を知らずに、聖書を理解することは出来ません。
皆さん、この機会に、是非、創世記をお読み下さい。
そして、この聖書の御言葉を、しっかりと味わっていただければと思います。

ところで、前回の聖書クイズですが、週報に載せましたように、次のようになっています。

<クイズ>
旧約:大洪水が起こった時、ノアは何歳でしたか?
新約:ヨハネは何を着ていましたか?
<クイズの答え・聖書箇所>
旧約:600歳(創世記7章6節)
新約:らくだの毛の着物(マタイの福音書3章4節)
7:6大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。
3:4このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。

ノアの年齢が600歳であったことが書いてありますが、大洪水の前は、多くの人が、今の10倍位、長生きでした。
このことについて、詳しく知りたい方は、創造科学に関する本がありますので、どうぞお読み下さい。

また、新約のヨハネですが、らくだの毛の着物を着て、皮の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物としていたといいます。
彼は、エリヤの再来と言われる偉大な預言者でした。

しかし、イエス様を証しつつ、ヘロデに捕らえられ、首をはねられてしまいました。
ところで、このヨハネは、ヨハネの福音書を書いたヨハネとは違いますのでご注意下さい。

御言葉に戻ります。
今回の聖書箇所は、嵐のガリラヤ湖を鎮められた主の御業を書いています。

ガリラヤ湖は山の谷あいにある湖で、天候が崩れると、大変な暴風が吹く湖だそうです。
このガリラヤ湖は大きさが166平方キロメートルで、琵琶湖の4分の1くらいの大きさといわれます。
ところで、ついでに調べたのですが、死海、これは、実は1010平方キロメートルだそうで、
琵琶湖の1.5倍ほどの大きさだということです。

湖の面積
ガリラヤ湖166km2
死海1010km2
琵琶湖670km2

このガリラヤ湖と死海はヨルダン川でつながっています。
実は、ヨルダン川は、この北の方から流れてきまして、ガリラヤ湖を通って、そして、死海に向かって流れます。
つまり、ガリラヤ湖は、ヨルダン川の深いところに出来た湖ともいえるわけです。

この、ガリラヤ湖は、自然の美しいところです。
美しい湖の写真を見られた方もあると思います。
この自然豊かなガリラヤ湖ですが、谷あいにあるため、複雑な天候を示すことがあるようです。

イエス様が弟子たちとともに、舟に乗られたその日も、きっと、舟に乗り込んだときは、なんでもなかったのでしょう。
しかし、突然、大変な嵐が襲ってきました。
嵐のために、舟に水が入ります。かれらは、一生懸命舟から水をかきだしていたかも知れません。

その大変な嵐の中、見るとイエス様は、なんと眠っておられた。
それを見て、弟子たちは、なんということだ。と、思いました。

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ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
マルコの福音書4章38節
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マルコの福音書を読むと、その問答が、もっとはっきりします。
弟子たちはいいます。

私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。

マルコの福音書では、イエス様は、こういわれました。

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さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。
マルコの福音書4章35節
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ここで、さあ、向こう岸へ渡ろうという、イエス様の言葉でこの船旅ははじまりました。
そのたびの中で、嵐が起こりました。実際その嵐は、ひどいものだったでしょう。
しかし、弟子たちが、

「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」

彼らにとって、使命も信仰も関係なかったのではないかと思うのです。

もし、ここで、彼らがイエス様に声をかけなかったら、波は静まらなかったかも知れません。
しかし、波があったかどうかが問題でなく、その波のなかでどのようにいることが出来るかが問題なのです。

イエス様は、この嵐が起こる事を知っておられたと思います。
しかし、イエス様にとって問題でなかったのです。
それは、また、もし、弟子たちに同じように信仰があれば、問題がなかったのです。

ヨハネの福音書でイエス様はこういわれます。

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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネの福音書14章27節
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イエス様がここで教えておられるのは、状況に左右されない信仰と、その信仰による平安です。
それは、主なる神様に対する完全な信頼です。

嵐は3つのことに起こってきます。
一つは、状況に起こる嵐
二つ目は、魂、心に起こる嵐
三つ目は、霊の世界での嵐です。
これは、結局のところ、霊、魂、肉に分けることができます。
しかし、その全てを主は治めておられます。
そして、こういわれます。

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わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書16章33節
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私たちは、目に見えるところによらず、信仰によって、歩むのだということです。
しかし、それは、盲目に、めちゃめちゃな事をすることではありません。
なぜなら、イエス様は良く考える様に言われているからです。

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塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。
ルカの福音書14章28節
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私たちは、良く考える必要があります。
しかし、私たちが目を留めるのは、目に見えるところではなく、目に見えない、神様です。
逆にどんなに安心に見えても、状況に目を留めているなら、どうなるか分かりません。

いま、丁度、戦艦大和の映画をやっています。
それは、日本が作り上げた最大の戦艦で、浮沈であるといわれていました。
しかし、沖縄での海戦において、その巨大な船は沈みました。

また、タイタニックもそうでした。決して沈むことがないと考えられていた為に、救命のための装備が甘く、それが、実際に沈んだ時の、被害を大きくしました。

私たちには、何が起こるかわかりません。
弟子たちもそうでした。
穏やかな湖に出て、まさか嵐がおこると思っていなかった。

しかし、そこに嵐はやってきました。
その嵐は、わたしたちの現実の生活を脅かします。
命さえもとるほどに、吹き荒れてきます。
そして、それは、私たちの心を不安にします。
そして、そのことが、私たちの心の中に、神様への不信を生じさせます。
この神様との関係こそが霊の領域です。

この霊の領域において、私たちは、神様、どうして、こんなことをされるのですかと叫びます。

それが、このときの弟子たちです。
わたしたちは、どうでしょう。そのように叫ぶことはないでしょうか?

しかし、そこで、神様に向く、そして、叫ぶ、そこに神様は助けを与えてくださいます。

しかし、もし、ここで、完全な信頼があったらどうでしょう。
私たちは、恐れることが無いのです。

ですから、私達に大切なのは完全な信仰です。
もし、嵐の中で、完全な信仰があれば、何も恐れることはありません。
なぜなら、全てをつくり治めて折られる方がともにおられるからです。

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すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
ヨハネの福音書1章3節
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ここで、全てのものを造られたのは、イエス様であることが書かれています。
イエス様は全てを造り治めておられます。
ですから、この主とともにあるなら、何一つ、不安はないのです。

しかし、だからといって、嵐、おれは、こわがらないぞ、とやせ我慢をしないでください。
それは、かえって悪いことです。

大切なのは、私たちが、本当に神様に結びつき、神様に信頼しているということです。
その信仰はどこからきますか?
それは、聖書を読み、祈る以外にありません。


皆さん。
私たちは、こんなことも祈るのかとか、そういうことを考えていませんか?

どんなことでも祈る、それによって、神様との信頼関係が築かれます。
ですから、祈りましょう。

この新しい年、テーマを「御言葉によって歩む」としましたが、
御言葉をよみ、祈りつつ、歩んで行きましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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