礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20060101
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天の御国が近づいた
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんあけまして
おめでとうございます。

聖なる聖なる聖なる主を称えます。

この新しい年も、主を見つめつつ歩んで参りましょう。

今日は、元旦礼拝をかねた聖日礼拝ですが、いつものように、聖書箇所をお読み戴きましょう。
では、司会者お願いします。

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聖書箇所:マタイの福音書3章1-6節
・新改訳Up3・新改訳Vp3
・口語訳p3・新共同訳p3・現代訳p3
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1そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。
2「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
3この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」と言われたその人である。
4このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。
5さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、
6自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。
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では、続きまして、教会学校の皆さんで主題聖句の暗唱をお願いします。

<あんしょう>

では、みなさんで言いましょう。

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悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。
聖書箇所:マタイの福音書3章2節
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今回は、短くて楽だったのではないでしょうか?

しかし、この御言葉は大変重要なみ言葉です。

このみ言葉から、この一年を始める事が出来る事を感謝します。

しかも、皆さん、今年は、日曜日、礼拝で始まり、最後の12月31日も日曜日、礼拝で終わる年です。
ご存知だったでしょうか?

まあ、うるう年でなければ、一年は365日です。これは、7で割ると、1あまりますので、最初と最後は必ず同じ曜日になるんですね。

でも、そんなことよりも、今年は、礼拝で始まり、礼拝で終わる年です。
日々礼拝を捧げる。そんな年にしたいと思います。

365日24時間礼拝も、まだまだ立ち上げるには、先の事かも知れません。
しかし、私たちは、この日本に、いつも神様に礼拝を捧げている群れを作り上げたい。
そのような群れを立て上げたいと考えています。
どうか、皆さん。同じ思いで、このシティーチャーチは、前進して行きたいと思います。

聖書通読も、今日から始まります。
三日坊主を恐れずに、とにかく始めてみましょう。

先日、「聖書通読のすすめ」という本を買いました。
聖書はとにかく通読することが大切だというお話で、
そのためには、とにかく一気に読む。分からなくても読む。
という風なことも書いてありました。
しかし、その中で、通読のために聖書を読む前に、主の祈りを祈るというものがありました。
それが、御言葉を頂く上で、やはり大切なのだと感じました。
今回も祈りのリストのトップに、主の祈りをのせています。
是非、祈って、そして聖書を読みましょう。

この一年。皆さん聖書を通読しましょう。

ところで、バイブルQですが、先週のバイブルQは

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先週のバイブルQ
旧約:ゼカリヤの見た幻の中で、エパ枡の中にいた女は何を表していましたか?
新約:聖なる都に入れるのはどういう者ですか?
<クイズの答え・聖書箇所>
旧約:罪悪(ゼカリヤ書5章8節)
新約:小羊のいのちの書に名が書いてある者(黙示録21章27節)
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でした。
小羊のいのちの書に名が書いてある者とはすなわち、イエス様を信じるものです。

皆さん聖書を見て確認してみてください。

さて、聖書箇所に戻りましょう。

ここで、悔い改めなさい天の御国が近づいたから。
と、バプテスマのヨハネが教えています。

ところが、マタイの4章17節で、その後イエスさまが宣教を始める上で、こう語られました。

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この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
マタイの福音書4章17節
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このバプテスマのヨハネが語ったと同じ言葉でイエス様は宣教を始められたのです。

この、天の御国が近づいた。
イエス様は、当時、アラム語を使っていたと言われます。
実は、アブラハムも下はアラム人であったといわれ、その親戚であるベトエルもアラム人ベトエルと書いてありますので、イスラエルとアラム人は関係があるのですが、
国としてのアラムというのは、非常に侵略的な部族でした。
旧約聖書には、アラムがせめて来たということが何度も出てきます。

そのような、アラム人の言葉で国というのは、その、力であり、支配そのものでした。
この同じ言葉の響きをもって、イエス様は、神の国が近づいたと宣言されたのです。

ですから、これは、神の国、天の国のその力が来たというそういう意味でもあるのです。

いま、すでに地上に神の国は来ています。
だから、イエス様は、神の国はわたしたちの只中にあるといわれました。

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『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
ルカの福音書17章21節
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今、ここに天国は来ているのです。
そして、その神の国の中で、私たちは歩むことが出来るのです。

ところで、同じことが、マルコの福音書を見ると少し違うところがあります。
マルコの福音書の1章15節にはこう書いてあるのです。

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「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
マルコの福音書1章15節
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天の御国、神の国が近づいた。
悔い改めなさい。
ここまでは、同じです。
そして、ここまでは、バプテスマのヨハネも同じようにかたります。
しかし、マルコの福音書で悔い改めて福音を信じなさいといわれました。

さて、私たちは、福音を信じています。
しかし、イエス様の語られた中で大切なのは、
悔い改めて信じるということです。

キリスト教の特徴の一つは、
人々に悔い改めをせまるということです。
そして、その悔い改めは、

ただ、何かした悪い事をもうしません。
例えば、怒りっぽいから、これからは怒らないようにします。
とかそういうものではなくて、人生そのものを、神様にゆだねるということです。

人は、アダムとエバの堕落以来、
天地を造り、私達を造られた神様と、何の関係も無いかのように歩んできました。
しかし、そのようなわたしたちが、神様との関係を取り戻し、
神様にあって歩むものとなる。
それが、悔い改めです。

あなたが、あなたのやりたい事、あなたの考えに合う事をしていればいいと考えるなら、それは、悔い改めではありません。
あなたが正しいと思うことではなく、神様が正しいと考えておられる事を私たちが行うことが、悔い改めです。
でも、神様が正しいと考えておられること、神様のお考えをどうやったらわかりますか?

それは、神様の言葉である聖書を読むしかありません。

神様の言葉である聖書を読み、そして、聖書にそって歩むこと。
神様の言葉を信じて歩むこと。

そして、このことは、すでに来ている神の国に生きることです。

今年のテーマを、
「御言葉に立って歩む」
としました。

イエス様はいわれました。

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24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
25雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
26また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
27雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
マタイの福音書7章24-27節
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皆さん。私たちは、御言葉に立って歩みましょう。

ところで、この御言葉も、イエス様は、このことを権威あるもののように語られたといわれます。
権威あるもののようにとはどういうことかわかりますか?

この文章の中で、私の言葉を聞いてと書いてあるのが重要です。

イエス様は、聖書にこう書いてあるからとか、規則がこうだからとか、律法がこうだからとはいわれませんでした。
そうではなく、わたしのことばを聞いて
と、言われたのです。
わたしのいうようにすればそうなる。

権威を少し考えて見ましょう。
会社の中で、社長は権威をもっています。
ですから、社長は、その目的のために、私のいうとおりにしろというわけです。
そして、そのようにすることは、従業員にとって大切なことです。
従わないと首だということもあるかもしれません。
また、こうすれば給料をあげるとか、、、
泥臭い話になりましたが、

ここで、イエス様は、わたしのいうとおりすれば、洪水が来ても、風がふいても倒れないといわれたのです。
権威あるものとして。
王の王として。イエス様はこの事を言われました。

その様に考える時、御言葉はただの教えではありません。
天地を造られた神様が、また、神の御子であるイエスさまが、権威をもって語られた言葉、そして、約束です。

ですから、聖書を読むというのは、何か心に触れるお話を聞くという以上の意味を持つものです。
聖書の背後に、このイエス様の権威があるのです。

私たちは、御言葉に立って、歩みましょう。
また、御言葉にしたがって歩みましょう。
神の国に属するものとして歩みましょう。

そして、どんな嵐や雨にも流されることのない、人生を主にあって築かせていただきましょう。
また、その様な一人一人の集まりとして、この教会が素晴らしく立て上げられていくことが出来るように。
この一年が素晴らしい一年となるように。
お祈りしましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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