礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20051225
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小羊の婚宴
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

メリークリスマス
皆さんおはようございます
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、私たちの罪の贖いのために、
赤ん坊の姿となって、天から下ってこられました。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、いつものように、聖書箇所をお読みいただきましょう。

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聖書箇所:ヨハネの黙示録19章1-9節
・新改訳Up457・新改訳Vp497
・口語訳p405・新共同訳p475・現代訳p457
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聖書箇所のテキスト
19:1この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。
19:2神のさばきは真実で、正しいからである。神は不品行によって地を汚した大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされたからである。」
19:3彼らは再び言った。「ハレルヤ。彼女の煙は永遠に立ち上る。」
19:4すると、二十四人の長老と四つの生き物はひれ伏し、御座についておられる神を拝んで、「アーメン。ハレルヤ。」と言った。
19:5また、御座から声が出て言った。「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。」
19:6また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
19:7私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
19:8花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
19:9御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。」と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。
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はい、ありがとうございます。

では、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんでお願いします。

あんしょう

では、みなさんで言いましょう。

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主題聖句:
すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。
黙示録19章5節
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はい、ありがとうございます。
では、今日は、「小羊の婚宴」と題しまして
聖書箇所である黙示録を見ていくとともに、クリスマスの意味についてともに考えていきたいと思います。

そのまえに、今週でいよいよ今年も終わります。
次回は丁度元旦の礼拝ということになりますが、この一年、主がこの教会を導いて下さった事を感謝します。
聖書通読としましては、ゼカリヤ、マラキとつづいて、旧約聖書が終わり、また、黙示録も、最後の所となります。
来年の通読表も完成しておりますので、ご利用下さい。

やっと、年の初めに通読表が発行できるようになりました。
このことも主に感謝します。

祈りと御言葉、これが、信仰生活の基本です。

皆さん聖書を読みましょう。
バイブルQの答えは、週報に書いておりますが、ミカの時代のユダの王はヨタム、アハズ、ヒゼキヤと続きます。
また、第五の御使いのラッパの時、ヨハネは、天から一つの星が落ちてくるのをみました。

これらも、聖書で確かめて、その前後も確認していただけると感謝です。

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先週のバイブルQ旧約:モレシェテ人ミカが活躍した時代のユダの王は誰ですか?
新約:第五の御使いがラッパを吹き鳴らした時、ヨハネは何を見ましたか?
<クイズの答え・聖書箇所>
旧約:ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ(ミカ書1章1節)
新約:一つの星が天から地上に落ちるのを見た(黙示録9章1節)
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では、御言葉に戻りたいと思います。
小羊の婚宴とのタイトルですが、クリスマスと何の関係があるのかと思われるかも知れません。
そのことをお話しするために、クリスマスとはどういう意味かを考えて見たいと思います。

最近婦人のクリスマスでもお話したのですが、クリスマスは
英語ではChristmasと書き、語源は、「キリストのミサ」という意味で、Christミサを意味するmas
から来るといわれます。
この中で、ミサは礼拝ですので、キリストを礼拝することがクリスマスの意味ということになります。
イエスキリスト様の降誕を祝い、礼拝する日がクリスマスということですね。

よく、クリスマスというと、Xmasとかかれます。
これは、キリストを意味するギリシャ語Xριστοsの頭文字のX(キー)で、エックスではありません。
だから、Xに省略形の'をつけるのは誤りとされます。

ミサのmasも英語ではなく、ラテン語に由来するということで、クリスマスは、なかなか難しい言葉ですね。

しかも、この12月25日が、本当にイエス様のおうまれになった日かというと、定かではありません。

実際、クリスマスの夜に、羊飼いたちが外で番をしていたということからすると、野宿の出来る暖かい季節だったのではないかということで、9月頃のとの節もありますし、逆に、一月との説もあります。

また、昨日はクリスマスのイブだったのですが、このイブはクリスマスの前夜だと一般に考えられています。
しかし、このイブという言葉は、イブニングに由来すると言われます。

ユダヤ人の習慣では、夕方から一日が始まりますので、イブはすでにクリスマスの夕方であるとの考え方も出来るのです。
でも、このこともまた、非常にあいまいで、明確ではありません。

なぞに、つつまれたクリスマスですが、いまや、世界中いろいろなところでお祝いされています。

そして、このクリスマスは、信じるものにとっては、キリストの降誕を記念して、礼拝するという大きな意味を持ちます。

でも、このイエス様は、何のためにこられましたか?
イエス様は、私たちの罪を贖う為の、小羊として、こられたのです。
イエス様は、おうまれになったその時から、十字架で死ぬ事が定められていました。

2000年前に、ユダヤの地、そのベツレヘムの馬小屋で生まれたあかんぼうは、飼い葉おけの中に寝かされました。
飼い葉おけそれは、家畜に餌をやる為の入れ物です。

その飼い葉おけの中に、赤ん坊が寝かされていました。

イエス様が語られた、放蕩息子のたとえ話の中で、こう言われています。

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12弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
13それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
14何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
15それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
16彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
ルカの福音書15章12-16節
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新約聖書には、結構豚の話が出てきます。
いま、私たちは豚を食べるのですが、律法では禁止されています。
ところが、律法では禁止されているはずの豚が飼われている事が新約聖書にはところどころに出てきます。

この律法では禁じられている豚、その豚を飼うところまで落ちてしまったこの人は、この豚の餌さえも食べたいと思いました。

彼は、豚の餌入れの中のいなご豆をみて、それを食べたいと思うほどに落ちぶれていました。
しかし、誰も与えなかった。

イエス様は、その家畜の餌入れの中に入っておられたのです。
それは、ご自身の全てを与えつくす生涯の始まりでした。
自分自身の罪のために、どうすることも出来なくなった人々のために、おうまれになったイエス様は、家畜の餌入れの中に入れられておられたのです。

そのイエス様は、こういわれました。

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人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネの福音書15章13節
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イエス様は、この地上での生涯の始まりから、命を差し出しておられたのです。

しかし、今回の聖書箇所は、天でのきらびやかな婚宴の風景です。
ここで、イエス様は、小羊として現れておられます。

偉大な王の王である方の婚宴ですが、その婚宴の席におられるイエス様をあらわす言葉は、小羊です。
人々の罪のために、あがないの代価となり、十字架で死なれたイエス様が、その御業のゆえに称えられていると言うことです。

クリスマスは、キリストを礼拝することだとお話しました。
そのもっとも最高の礼拝の姿がここにあります。

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私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
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と、礼拝が捧げられています。
わたしたちは、この天での礼拝に向けて生きています。

いまは、キリストを見ずに礼拝しています。
しかし、やがて、私たちは、顔と顔をあわせてキリストを礼拝する時がきます。

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今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
コリント人への手紙第一13章12節
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それに向けて、私たち教会は、花嫁として整えられているのです。

この花嫁について、聖書は語ります。
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19:8花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
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私たちは、このキリストにふさわしいものとして、正しい行いを身につけましょう。
そして、主とあう日まで、主を待ち望んで参りましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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